インターナショナル・ コンペティション |
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私はフォン・ホフレル(ヴェルテル変奏曲)
I am Von Höfler (Variation on Werther)Von Höfler vagyok--Werther variáció
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ハンガリー/2008/英語、ハンガリー語/カラー、モノクロ/ビデオ/160分
監督、脚本、撮影、製作:フォルガーチ・ペーテル
撮影、写真:ホフラー・ティボル
ナレーター:フォルガーチ・ペーテル、ボド−ツキ・カロリン、ボドーツキ・ミクローシュ、マイラート・ジョージ、ポグソン・ジェーン、サース・リズ、サース・エステル
音楽:セメズー・ティボル、メリシュ・ラースロー
編集:シャッシュ・ペーテル
録音:ヴァドン・ゾルターン、ザーニ・タマーシュ
製作会社、配給:For-Creation Bt. 2008
ハンガリーの旧家フォン・ホフレル家の250年にわたる物語を、老人の一人語りからはじまり、写真やホームムービー、手紙、そして祖先がモデルだという『若きヴェルテルの悩み』の映画化とともに描いていく。それら個人的な記憶=アーカイブから浮かびあがるのは、ある一族の歴史であり、歴史に翻弄されるハンガリーという国の軌跡である。
【監督のことば】「われわれが見るものはすべて、また別のようでもありえた。およそわれわれが記述しうるものはすべて、また別のようでもありえたのである。……」ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(野矢茂樹訳)。
歴史の猥褻さは、ユークロニアによって消去されるのか。(ユートピアが理想主義者の領土であるなら、ユークロニアは理想主義者の時空だ)。私の作品は記憶への疑問である(実質的にそれ以外の何ものでもない)。言い換えれば、消えつつある事実に基づいたフィクション、メタドリーム、メタリアリティの創出。私的歴史を読むこと。即時再生、再利用、リサイクルを絶え間なく行なうことで、映像技術が私たちのものの見方を根本から変えたため、人間的知覚の基盤たる逸話的時間が消えてしまった。
過去を再創造しようとするさまざまな操作により、永続的再現前があふれ返る。その結果、ユークロニア的知覚が、今、ここにある。過去と対話する方法は、他にないのだろうか? 私が「事実」の謎に答えるために、異なる時間のパッチワークを創造することを選んだ理由のひとつは、この疑問だろう。私的な映画に永遠の命を吹きこむのは、ある種の「物語映像言語」だ。それは日常的な言葉に似ていて、フロイト的に思わず飛びだした本音や、間違いの集まりが彩りを添える。その(彼らの)土地の時間の流れから選ばれた映像が、私的な映画を作る。観客は、ときおり把握されるフィルムの断片から、ヴィジョンを再構成する。私たちは、そのときにそこで「起こった」こととして、時間をとらえるかもしれない。私的歴史に登場する、命に限りのある俳優たちは、彼ら自身の人生のはかないモニュメントのようなものだ。彼ら(私たち)は、永遠を目指す。「美しいもの」、「楽しいもの」、または「興味深いもの」を追い求める。ここでまた、ウィトゲンシュタインの言葉を思い出す。これらの価値は、意味の言語ゲームによって永遠に変化させられる。昨日美しかったものは、明日にはおぞましいものに変わっているかもしれず、今日は滑稽で感傷的なものでさえあるかもしれない。セルロイドに記録される人生は、事物の秩序になる。映像の記憶(偶然の物事や事実の寄せ集め)がほのめかすことは、その人生が「これ以外なく、他のものにはなりえない」ということだ。時間は、はかない感情という罠の中で凍結する。映像がまたたき、過去のイメージが現れる。私は、カーテンの後ろでそれを探している。
フォルガーチ・ペーテル 1950年生まれ。1971年にハンガリー芸術アカデミーに入学するが、同年に退学処分。1976年ごろ、ブダペストのアングラ・アートシーンで、写真、グラフィックの展示、パフォーマンスを始める。1978年から独立系映画作家としてブダペストのベラ・バラージュ・フィルム・スタジオで活動。同時に1978年から86年にかけて「グループ180(180-as Csoport)」というコンテンポラリー音楽集団で叙唱を担当。1990年代初頭から欧米各地の美術館やアートギャラリーでビデオインスタレーションを発表。30作以上のビデオ作品、映画を制作。代表作は賞を受けた「Private Hungary」シリーズ。作品の中で1920年代から80年代にかけてのアマチュア映像をよく再利用する。1988年ハーグ開催のワールド・ワイド・ビデオ・フェスティバルに出品した映画『バルトシュ一家』で初めて世界に名を知られる。『アンゲロスのフィルム』はYIDFF 2001で上映。2007年にオランダのエラスムス財団からエラスムス賞を授与される。 |