インターナショナル・ コンペティション |
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審査員 |
生まれたのだから
Because We Were BornPuisque nous sommes nés
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フランス、ブラジル/2008/ポルトガル語/カラー/35mm(1:1.85)/90分
監督、撮影、録音:ジャン=ピエール・デュレ、アンドレア・サンタナ
編集:カトリーヌ・ラスコン
音響設計: ロマン・ディムニ
音楽:マーティン・ウィーラー
ピアノ:エッダ・エルレンスドッティル
録音:ダニエル・デシェ
製作総指揮:ミュリエル・メイナード
製作:ジャメル・ドゥブーズ 製作会社:Ex Nihilo、キスフィルムズ
共同製作:ミクロス・イメージ(モーリス・プロスト) 配給:Uメディア
www.puisquenoussommesnes.com
ブラジルのペルナンブーコ州。その郊外に暮らす2人の少年。夜、どこまでも続く道路が交差する場所のガソリンスタンドのかたわらに彼らは腰掛けている。走りゆくトラックやバス、捨てられた食べ物、旅行者たち。そして、貧しさのなかで生きる彼らの姿。しかし、2人には夢があり、その会話は時に哲学的な問いにすら聞こえる。少年たちはたしかに子どもだが、厳しい現実を生きることにおいて1人の人間であり、また、その顔には希望の光が差している。
【監督のことば】この作品には、ブラジルにおける貧困や暴力を描いて大袈裟な同情を買おうとか、それらをことさら美化しようといった視点はない。ただ大人の世界に居場所を見つけようともがく2人の少年を描いた普遍的な物語というだけである。2人は自分たちが生まれた場所に未来がないことを知っている。映画が描くのは貧困にあえぐブラジル北東部ではあるが、実際はどの国が舞台になってもおかしくない話なのだ。
ネーゴとコカーダの2人の素晴らしさはなんといっても、運命に抗うために燃やしている熱意の強さだ。自らの人生を何とかしようとしてもがく2人。彼らの言葉はそれ自体が彼らを結びつけるものの象徴だ。この映画では、同じく北東の出身で当時2期目の大統領選の真っ最中であったルラ大統領という政治家の放つ言葉に彼らの言葉が疑問符を投げかけている。
経済格差のひどいブラジル社会において、この2人の少年は、否定された人生を生きる、目に見えない人々の象徴である。
この映画はうろつきながらできた映画、観察者の映画だ。私たち2人は現場にはいたが、インタビューなどは一切行わなかった。少年たちが寄せてくれた信頼感は、時おり示すごく親密な場面でもわかるだろう。
怒声、やぎ飼いの低い声、馬のひづめが鳴らすゴロゴロという音、水音、トラックの警笛、動物の鳴き声、病気の牛がたてる耳ざわりで不規則な息の音……。音声もまた、この作品の重要な役割を演じている。
カメラの限られたフレームにおさめるには感じるところが多すぎる。しかし迷いがないぐらいなら、撮らない方がいいのだ。
(右から) ジャン=ピエール・デュレ 1953年、フランスのサヴォアで農業を営む一家に生まれる。演劇界でアルマン・ガッティとともに長年働いた後、ブームオペレーター(録音技師のアシスタント)、次いで録音技師になる。モーリス・ピアラ、ジャン=ピエールとリュック・ダルデンヌ兄弟、ジャック・ドワイヨン、アニエス・ヴァルダ、アンジェイ・ワイダ、クロード・シャブロルなど、数多くの監督の下で音声を手がける。1986年に初のドキュメンタリー『Un beau jardin, par exemple』を、続いて1990年に劇映画『Les jours de la lune』を監督。 アンドレア・サンタナ 1964年、ブラジル北東部に生まれる。最初の仕事は建築家と都市プランナー。2000年からジャン=ピエール・デュレと共にドキュメンタリー映画に携わる。ドキュメンタリー映画『Romances de terre et d'eau』(2001)、『Le rêve de São Paulo』(2004)をデュレと共同監督。『生まれたのだから』はデュレとの3作目の共作になる。 |