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    Encirclement--Neo-Liberalism Ensnares Democracy
    L'encerclement--La démocratie dans les rets du néolibéralisme

    - カナダ/2008/フランス語、英語/モノクロ/ビデオ(HD)/160分

    監督、脚本、編集、調査、製作:リシャール・ブルイエット
    撮影:ミシェル・ラモト
    録音:シモン・グレ
    音楽:エリック・モラン
    製作会社:レ・フィルム・デュ・パッスール
    配給:アンドリアード・プロドゥクシオーネス www.andoliado.com

    アメリカを中心に世界中を席巻し、今や地球全体の政治経済を支配しようとしている新自由主義(ネオリベラリズム)イデオロギー。装われた“自由競争”主義による経済優先政策。その基盤をなすエリート主義と帝国主義支配の原理の起源と現状、さらにはそれを支えるメディア的制度を批判的に再構成するインタビュー・ドキュメンタリー。モノクロ映像によって提示されるスリリングな応酬によって、60年にわたる新自由主義の歴史を描ききり、リーマン・ショック以降の世界への示唆に富む。



    【監督のことば】この映画は意見の相違から生まれている。 イグナシオ・ラモネの社説が私を導いた。1995年1月の『ル・モンド・ディプロマティーク』紙に掲載された、「特異な思想 (La pensée unique)」と題された文章だ。教条的なイデオロギーに包囲されたため、多元主義的だった政治思想がひとつの体制に姿を変え、国家から権力を奪い、すべてのことにおいてやり方をよく知っているとされる市場の利益に権力を明けわたすようになった。ラモネの文章は、そう論じていた。

     資産家の論理が支配的であるばかりか絶対的な力を持つようになった。この 「特異な思想」は、あらゆる搾取を行う教化とプロパガンダのネットワークを通じて伝達されていき、いまや大手を振って闊歩している。ソ連が崩壊して以来はとりわけそうだ。法の力まで持つようになったのも当然の成り行きだろう。

     だからこそ私は、すでに多くの人が手がけた経済のグローバル化についての映画ではなく、ひとつの思考システムのグローバル化についての映画を作ろうと決心した。マインドコントロール、洗脳、イデオロギーの同化についての映画、異論を許さない新しい一神教が世界を支配し、その厳しい戒律と燃え尽きることのない茂みと金の仔牛についての映画だ。

     私はこの反乱を、言葉で表現することにした。完全に説明できるまでどれだけでも話す、力強く、率直で、厳密で、正しい情報に基づく言葉だ。この言葉に制限は一切設けていない。テレビ受けするように、テンポの速い展開で人工的に盛り上げたり、嘘の客観性を装ったり、複雑な問題をわざと避けたりもしなかった。資料映像や説明映像といった「映像の潤滑油」を濫用し、映画の一貫性を犠牲にしたり、参加者のせっかくの協力を無駄にしたりしないようにも気をつけた。それらの映像は、本当に必要なときだけに使用するにとどめている。登場する傑出した思想家たちの、鋭利で、人の心をとらえる言葉がスクリーンを満たし、私がそうだったように、観客もまた聞くという行為の魅力に身を任せる。それが、この映画にとっていちばん大切だと判断した。


    - リシャール・ブルイエット

    プロデューサー、監督、編集者、企画者。1989年にカナダの週刊誌『Voir』で映画批評を担当した後、1989年から99年にかけて配給会社のシネマ・リーブルで働く。1993年にはアーティストが運営に携わるカーサ・オプスキュラを創設し、現在もそこで週ごとのシネマクラブを主催している。『Too Much Is Enough』(1995)を監督し、権威あるジョーン・チャルマース賞を受賞。『Carpe Diem』(1995)を監督するほか、長編映画6作品(うちドキュメンタリー5作品)の製作も手がける。