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    Driving Men

    - アメリカ/2008/英語/カラー/ビデオ/68分

    監督、脚本、撮影、編集、製作:スーザン・モーグル
    音楽、音響設計:ウェイン・ピート
    配給:J.M.T.フィルムズ
    www.susanmogul.com

    スーザン・モーグル監督が50歳を迎えて、自らの軌跡をふりかえるべく、関わりのあった男性たちを取材していく。車を運転する男たちを助手席から撮影するというユニークなスタイルのもと、自らの作品のクリップを織り交ぜながら、アメリカ激動の時代を体験した彼女の人生を浮かび上がらせる。ユダヤ人が得意とする露悪的ユーモアに彩られた、知的かつ聡明な仕上がりの“マイ・ウェイ”。



    【監督のことば】1973年、23歳の私は、フェミニズム芸術運動に参加するために東海岸からロサンゼルスに移り住んだ。それ以来、ユーモアや風刺、ときにはペーソスも交えながら、女性の人生のあるべき「姿」、女性に課された生き方と、正面から対峙する作品を作り続けている。そして、決して意図したことではなかったが、結婚しない女の自伝が私の作品の根幹になっていった。それはまた、カメラを持った女の物語でもあった。

     ロサンゼルスに移る数年前に、自動車事故にあった。その事故で初めて愛した男性を失い、以来、私は事故の記憶にずっとさいなまれてきた。

     『私と運転席の男たち』はロードムービーであり、その自動車事故のシーンから始まる。以前の作品を撮った動機、意図、野心の集大成がこの映画だ。それは、ひとりの人間の人生を記録した映画。つながることへの欲求を描いた映画。ユダヤ人であることについての映画。男たちとの関係を描いた映画。結婚しない女であることについての映画。家庭と家族についての映画。恋に落ちることについての映画。そして、私と父親との関係を語った映画だ。

     この35年の間、私はアヴァンギャルドなビデオ、写真、パフォーマンス、ビデオ日記、長編映画を、記録し、編集し、そして最終的に私自身の人生として紡ぎ上げてきた。私は過去を選別し、それを現在とつなぎ合わせる。自分の人生の意味を知るために、自分の人生から生の素材を取りだし、変形させる。現実に秩序を与えて再加工し、自分だけの現実を作りあげる。

     『私と運転席の男たち』は、厳密にはドキュメンタリーではなく、アヴァンギャルドでもないが、メインストリームの作品でもない。私の作品は、私の人生と同じように、どこかに当てはまるようで、どこにも当てはまらない。2009年8月15日に私は60歳になる。時に、自分の居場所を見つけようとしたり、自分がどこにも当てはまらないことを祝福したりしている。


    - スーザン・モーグル

    1949年、ニューヨーク市生まれ。ロサンゼルスに移り住んで36年になる。ジャンルにとらわれず、自伝、ドキュメンタリー、民族学を自由に組み合わせ、日々の生活からドラマティックで詩的な物語を紡ぎ出してきた。辛辣なウィットを自分にも外側の世界にも向け、公私にわたる女性の生き方を描く。1970年代初頭からビデオ制作に携わり、この分野のパイオニア的存在として当初はユーモラス、かつフェミニズムの思想に忠実なパフォーマンスビデオの重要なシリーズを制作していたが、すぐに表現の幅を広げ長編作品も含む、より複雑で実験的な物語へ移行する。

     グッゲンハイム・フェローシップを受賞し、その作品はアメリカ内外の映画祭、美術館、アートギャラリー、公共テレビで発表されている。インディペンデント・テレビジョン・サービス、全米芸術基金、ゲッティ財団から作品制作の委託や奨励金を受ける。ビデオ作品はゲッティ美術館の画期的な「カリフォルニア・ビデオ」展やパリのポンピドゥー・センター、ニューヨーク近代美術館で展示される。2009年、ニヨン国際映画祭ヴィジョン・デュ・レールで初の回顧展が開かれる。2009年11月には、ロサンゼルスのアートギャラリーJancarでフォトコラージュ作品の個展が予定されている。