スーザン・モーグル 監督インタビュー
私が映画を作るということ
Q: この作品を観て、監督自身の持つエネルギーに圧倒されました。制作に向けるそのエネルギーはどこからくるのですか?
SM: 私は60年代後半から70年代前半、フェミニスト芸術運動に参加し、世界観が完全に変わりました。従来のアメリカの社会で女性は、結婚して子どもを産んでいなかったら、家庭でも社会でも、透明な存在となってしまうのが、一般的な認識でした。では「結婚していない、子どもを持っていない私はどうなの」と女性のあり様を考え、「それでも私はここにいるんだ」ということを、ユーモアをうまく混ぜて表現しようと思いました。私の創造のエネルギーはそこからきています。
Q: 運転する男性たちを、助手席から撮影するというスタイルにした理由はなんですか?
SM: 画として興味深いこと、彼らが運転に集中してカメラを意識しないこと、ロサンゼルスで車は欠かせないものだということなど、理由はいくつもあります。自分で何かを動かすということも私にとって重要です。車の中は、プライベートな空間でありながら、道を通ることでパブリックな空間を通り抜ける、相互性が非常に面白い場所です。また、若い頃に、隣で運転していた恋人を事故で亡くしたことが、私の人生の中で重要なポイントとなっています。車の中は、私にとって悲劇の場所であり、解放の場所でもあるのです。
Q: 監督を見る男性たちの視線に熱いものを感じたのですが、撮影中、彼らに会って、また恋をしそうと思いましたか? それとも、映画を作る時は頭のスイッチが切り替わるのでしょうか?
SM: 男性たちと会って撮影する時に、恋愛を期待するような心はまったくありませんでした。ただし、会話をして相互作用がある中で、緊張感や恋心が芽生えると、更に興味深い会話になり、相手ももっと生き生きします。芽生えたことを消すのではなくて、常に受け入れる態勢でいるほうが、面白いことが出てくるのではないかと思いました。ですから、それらを消すようなことはまったくしていません。
そして、忘れてはいけないのは、カメラを持った私の視線が常にあるということです。それは作品において、男性の視線よりも力を持ったものなのです。
Q: お父様が亡くなられる前の最後の5年間で、望んでいた関係になれた、という展開になっていましたね。監督のことを受け入れてくれるようになった、と。監督は結婚していなくて、お子さんもいない。でもその分、自分自身にまっすぐ向き合ってきたから、神様からのご褒美という形で、ご自身が一番強く望んでいたお父様との関係が、叶えられたのだと思いました。
SM: この作品を作りはじめた時、最初は、父親の役割がこれほどまで重要になるとは思っていませんでした。そしてもちろん制作中に、亡くなるとは思ってもみませんでした。亡くなる前に撮影できたのは、本当に幸運だったと思います。
私にとって、映画作りとか芸術というものは、自分の人生の中にある、いろんな部分や破片などを集めて、それの中の意味というものを理解し、何かを見出すことです。この映画を作ることによって、初めて父をもっと理解し、和解することができたのではないかと思います。人生というのはそんなに簡単ではなくて、いろんな遠回りがあったりしますけれども、そういった、人生はどういったものなのかというような見えないものに、映画を作ることによって形を与えることができるのかもしれません。
(採録・構成:田中可也子)
インタビュアー:田中可也子、ラファエル・フゾ/通訳:後藤太郎
写真撮影:一柳沙由理/ビデオ撮影:伊藤歩/2009-10-10