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別離

Absence
Birha

- インド/2018/ヒンディー語/カラー/DCP/80分

監督、脚本、製作:エクタ・ミッタル
撮影:パロミタ・ダル、アミト・スレンドラン
編集:アブロ・バナルジー
録音:ビギャナ・ダハル
音楽:レイモンド・マリー・シェーファー、ビット・シャーのファキール(修行僧)たち
提供:エクタ・ミッタル

インド郊外の農村では、移住労働者として都市部に出かけ、そのまま消息を絶ってしまう男たちが少なからずいるという。残された妻や母は、行方不明者の面影を求めて尽きない思いを巡らせる。パンジャーブ語のスーフィー詩に着想を得た本作は、原題Birha(別離による悲しみ)が示すように、愛する誰かがここにいないことについての映画であり、あらゆる不在のイメージが重層的に描かれる。底辺に生きる人々が貧困から逃れられない限り、女たちの悲嘆もまた、深い霧のように決して晴れることはない。幻想的な空間のなかでインドの過酷な現実が浮かび上がる。(YM)



【監督のことば】『別離』は、2009年に構想された合作映画プロジェクト「Behind the Tin Sheets」の続きとなるものである。都市における移民労働者の意識下に焦点を当てたこの企画を通し、労働者たちと親交を深めた私は、その後、遠く離れたインドの村にいる彼らの家族の下へと導かれた。この映画は、以前の映画が終わる地点――雨のなか、故郷へ深く思いを馳せるところ――から始まっている。これは、私自身の家族と、行方の知れない叔父との間の不完全な会話を思弁する、個人的な映画なのだ。

 この映画に登場するのはみな、地下鉄建設中のバンガロールで私が出会った労働者たちと関わりのある人たちである。村あるいは都市から出発した点は、次第に互いの関係を絶つ方へとシフトする。都市での生を嗅ぎつけると、異なるアイデンティティが空想と思慕に満ちた形で生じてくる。日常はやがて、どうということのない生活の繰り返しとなる。故郷の人たちはひたすら待ち、変化と違いに反応するが、こちらも時がたつにつれて忘れることを覚え、抵抗は静かになる。人が儚さについて思いを巡らすのは、おそらくこうした沈黙においてだろう。私は、イスラム神秘主義の詩人が書いた「birha」の詩におけるそれとも似た切なる想いを、日常的な実践のように習得した。英語には「birha」に当たる言葉がない。それは、形而上学的なレベルで、メタファーの次元で感知されるほかないのである。

 生のリズムが、しばしばデジタル技術や、過剰に視覚にあふれた環境によって定められるのとは対照的に、この映画は観客を内面へと誘い、映画自身を人間の感情と対峙させる。「birha」の詩と労働者たちの内面世界――それはより広く、私たちがあらゆる矛盾とともに暮らすこの物質世界とも関わっている――に根差したこの映画が望むのは、普段なら踏むのも恐れるような安定しない未知の土地を前提とした、何らかの官能的な体験を呼び覚ますことである。人は、悪夢や抑圧された感情や、執拗に残る信仰といった体験に幾度も干渉されながら生きなければならない。人に取り憑いた感情は、いつだって回帰してくるのである。


エクタ・ミッタル

2008年にバンガロールで仲間とともにメディアとアートに関わるコレクティヴ「Maraa」を結成し、リサーチャー、実践家、キュレーター、ファシリテーターとして、都市・農村の双方を背景とするジェンダー、労働、カーストの問題に取り組む。また2009年より、労働・移民・都市をめぐる映画作品の制作も行っている。監督作品に『A Very Old Man with Winged Sandals』(2013)、『Gumnaam Din』(2019)のほか、今年のアジア千波万波に参加しているヤシャスウィニー・ラグナンダンとコラボレートした「Behind the Tin Sheets」プロジェクトの一環として制作された『In-Transience』(2011)、『Presence』(2012)、『Distance』(2013、DOKライプツィヒで最優秀短編作品賞)がある。