English
YIDFF 2019 インターナショナル・コンペティション
別離
エクタ・ミッタル 監督インタビュー

映像で描きだす別れの諸相


Q: イスラム神秘主義のスーフィー詩に着想を得たとのことですが、映画のどういったところに影響があらわれているのですか?

EM: まず、スーフィー詩には「ビルハ」という別離の悲しみをうたうジャンルがあります。ビルハという言葉自体はペルシャ語起源の言葉になりますが、ビルハ詩というジャンルでさまざまな言語、地域の詩人が活躍しています。私はパンジャーブ語のシヴ・クマール・バタルヴィという作者がとても好きで、友人とともに彼の20篇ほどの詩を英訳して本にしました。この映画は、全編にビルハ詩のエッセンス、メタファーがちりばめられていますが、特にバタルヴィによるヌーランという詩とシショーという詩の2篇は映画の具体的な場面に影響を与えています。映画の終わりのほうで、霧の中を黒い服の女性が写真を持って歩き、それを穴の中に置きますね。あの部分はヌーランという詩にもとづいたものです。映画のなかに、女性がきれいな洋服を着てお化粧しているシーンがあります。そして後ろに月が出ている。この場面は、シショーという女性をめぐる詩にもとづいています。シショーは、人生でありとあらゆる苦しみを味わい、いろいろな耐えがたいことに遭遇するのですが、そのシショーを助けることができないと、月は自分を恥じているのです。ビルハというジャンルの詩を読むたびに、いろいろなイメージがわいてきて、それが私の映画の言語になっていると思います。

Q: さまざまな地域でうたわれるビルハ詩の中でも、特にバタルヴィの詩を好きな理由はなんですか?

EM: 彼は、詩においてメタファーを多用します。そして、彼の使う言葉はとても視覚的です。また、彼は痛みや悲しみについて恐れることなく書く人で、彼の詩にはたいへんメランコリックな部分があります。それが、今回の作品にとてもマッチしました。映画を制作している途中、なにかこの作品にふさわしい詩が見つけられないかと思って探していたところ、彼の詩に出会うことができました。また、私はバタルヴィの詩からずいぶんと着想を得てはいますが、この映画が彼の詩についての映画だとは考えていません。映画を制作する過程で彼と出会い、そのとき彼の詩と私の映画が会話をした、ということだと思っています。

Q: 映画のなかには多くの人物が登場し、考え方や感情もさまざまですが、それらを編集するうえで何を意識しましたか?

EM: それは、本当に複雑なプロセスでした。ひとりの人間だけに焦点を絞った映画をつくりたくはなかったので、たくさんの人に話を聞きました。出演してくれたすべての人が、それぞれ違う考え方を持ち、別離というものの意味をおのおの違った言葉で語っています。映画の構想のひとつとして、私はとにかく多様な考え方を示したいと思っていました。それから、村を出るということは、出る側と残される側、それぞれにとってどのような難しさがあるのかを、両方から描きたいと思っていました。また、私は調査をするうえで聞いたすべての話を、そのまま映画に出したいとは思いませんでしたが、話を聞かせてくれた人が考えていたこと、感じていた感情はなんとか描きたいと思いました。そのままではなく本質的なものを描くために、友人に頼んで演技をしてもらった部分もありました。

(構成:菅原真由)

インタビュアー:菅原真由、楠瀬かおり/通訳:山之内悦子
写真撮影:安部静香/ビデオ撮影:安部静香/2019-10-15