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第16回エルサレム国際映画祭

1999年7月8〜17日

渡部実

(映画評論家、イスラエル映画祭2000実行委員長)


現代イスラエル映画を展望できる映画祭


 1990年代に入ってからの現代イスラエル映画は日本でも幾つかの機会に紹介されている。過去4回のイスラエル映画祭、第1回イスラエル・ドキュメンタリー映画祭、4回におよぶ福島県須賀川におけるすかがわ国際短編映画祭への出品、さらに同国のアモス・ギタイ監督特集、アーロン・バール監督特集などが映画ファンには知られるところである。

 特にイスラエル映画は山形国際ドキュメンタリー映画祭においては過去2回にわたりインターナショナル・コンペティションで大賞を受賞している。95年の『選択と運命』と97年の『エルサレム断章』である。前者は強制収容所体験を経て戦後、イスラエルに移民してきた両親の過去の歴史を実の娘である監督が聞き出した作品であり、後者は長くエルサレムを故郷としている一家の年代記ともいえる作品であった。イスラエルの国土の広さは、ほぼ日本の四国と同じであり、決して広くはない。だが、こと映画の分野では以上の映画群を見ると、それらの諸作品がいかに個性にあふれた作品であるかが分かり、そこにイスラエル映画の多彩な面白さがある。

 その理由はイスラエル映画が即、社会を反映することからきている。シオニズム運動による劇的な建国、建国によって発生したパレスティナ難民と周辺のアラブ諸国との中東戦争、レバノン進攻、和平合意、エルサレムの帰属問題など、イスラエルでの出来事は自国のみならずたえず世界が注目する国際的出来事になってしまうという事実がある。昨年、第6回目を迎えた山形国際ドキュメンタリー映画祭 '99のインターナショナル・コンペティション部門で上映されたイスラエル映画『ハッピー・バースデー、Mr. モグラビ』(1999/アヴィ・モグラビ監督)もそのようなイスラエル人の自問する国家と個人の関係をユニークな構成と内容で問いかけた作品であった。『ハッピー・バースデー、Mr. モグラビ』』をご覧になった方はイスラエルという国が歴史的、社会的、民族的にとても複雑で、しかもその複雑さこそがその社会自体を動かしてゆく強い原動力となっている事に気付かれただろう。イスラエルという国はまだ終結していないパレスティナ問題との関係を軸に、公選される首相次第によってめまぐるしく変化するその政治は流動的であり、国自体が混沌としているという印象は拭えない。

 イスラエル映画とは何だろうか?一言で結論の出せないイスラエル国家とは?当然、私たちの発する疑問はそのままイスラエル人にとっての自問になってくるようだ。3月に東京で開催された「イスラエル映画祭2000」(主催・イスラエル大使館/同映画祭実行委員会)の上映作品の中にもイスラエルのロシア移民を主人公にした作品『ヤナの友達』(1999/アリク・カプルン監督)、シリア、レバノン等の国境に生起する民族、政治問題をとらえたドキュメンタリー『ボーダーズ』(1999/エラン・リクリス監督)などに、今のこの国の諸問題が描かれている。

 毎年、開催されているエルサレム国際映画祭(主催/エルサレム・シネマテーク、イスラエル・フィルムアーカイヴ)は、同国の最新作を通して少なからず今のイスラエルの顔を見せてくれる映画祭である。ここで誌面を借りて少しこの映画祭の事をご紹介したい。

 昨年、エルサレム国際映画祭は16回目を迎えた。

 この映画祭はエルサレム滞在の文化人で、エルサレム・シネマテークの指導的立場にあるリア・ヴァン・リー女史を総合ディレクターとして開催されるもので、同国では有数の大規模な国際映画祭である。当地にあるシネマテークを上映会場としてその周辺の幾つかの会場で最新のイスラエル映画のワールドプレミア、そして近年の日本を含めたアジア各国の映画、欧米、中南米、北アフリカ諸国の話題作が幅広く上映される。去年はメイン・ゲストにテレンス・マリック、エットレ・スコラ、パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟らの監督が招かれ、マリックの『シン・レッド・ライン』(1998)の上映を始めとして各監督の回顧上映などが行われた。日本からは『ワンダフルライフ』(1998/是枝裕和監督)、『四月物語』(1998/岩井俊二監督)などが上映された。日本映画と日本の監督に向けるイスラエル人の関心は大きく、定着したファンもいるようである。特に2年前に『眠る男』(1996/小栗康平監督)が上映された時は印象深かった。小栗映画は数少ないながらイスラエルには彼の映画ファンが根強くいて、とりわけ『死の棘』(1990)の評価は高い。その小栗監督の新作ということで会場は満員であった。『眠る男』はやはり日本の自然描写に加えて東洋の生と死というものの捉え方、俳優たちの卓抜した演技が話題になり、この映画を見た同国のロン・ハヴィリオ監督はカール・テオドール・ドレイエルの名作『奇跡』(1955)を想起したと語ってくれた。

 エルサレム・シネマテークには日本の古典映画も収蔵され、イスラエルの観客は映画の古典的教養を身につけている人が多く、その意味からも最新の日本映画に大きな興味を持っている人も多い。また、近年、日本映画が各国の国際映画祭で受賞を果たしているという事実にもイスラエル人は敏感であるように思われる。

 国内部門では毎年、ジューイッシュ特集が企画され、ユダヤを主題にした古典映画、歴史的価値を持つ重要な作品が上映される。企画者はこれも毎年この部門の担当のエイミー・クロニッシュ女史。ここ数年間の特集で印象的な作品を挙げると第二次世界大戦でホロコーストからシオニズムに至るユダヤ人の足跡を記録した『The Long Way Home』(1997/マーク・J・ハリス監督)、また、政権の座に就いたヒットラーを彼の山荘で撮ったプライベート・フィルムなどを中心にして虐殺者とはまた異質な彼の隠れた人間性を引き出した『The Phenomenon Hitler―Deception and Reality(ヒットラー現象―その虚像と実像)』(1994/ドイツ/Irmgard von zur Muhlen監督)も注目作であった。また監督の個性に溢れるインデペンデントな映画・ビデオ特集ではこれも毎回映像作家でもあるヴィヴィアン・オストロフスキー女史の特集に定評がある。ここでは以上のような外国作品も上映されゲストの招待も盛んであるが、何よりもその年に製作され、まだ国内でも劇場公開されていないイスラエル映画の最新作がプレミア上映される。例えば同国の国際的俳優モシェ・イブキの出演する新作の映画やテレビドラマを見られるのは、この国の映像文化の質的水準を納得するのに充分なものがある。

 モシェ・イブキという男優は小柄で目立たない印象なのであるが、よく見ると彼の演じる人間像はこの国の市民社会を実に自然に代弁していることが分かる。今回の山形映画祭のインターナショナル・コンペティションの審査員であったアモス・ギタイ監督による『ヨム・ヨム』(1998)で彼が演じた市民、さらにテレビドラマ『On Air』(1999/Isaac Zepel Yeshurun監督)に見る父親像といったものは観客にとって身近なリアリティを持っている。さらにイブキの芸風の広がりを示すものとしては昨年の映画祭で上映されたテレビドラマ『Begin(ベギン)』(Uri Inbar監督)が忘れられない。これは歴代首相で辣腕として知られたメナハム・ベギン首相の晩年をイブキが演じた作品である。ベギンを思わせるメーキャップ、その発声はイブキ特有のしゃがれ声で個性づけられる。イブキはこの首相の老残の姿に権力者の孤独と今だ消えない過去への執着を鮮やかに描いて見せたのだ。

 近い将来、日本でも駐日大使館などの主催もしくは後援でモシェ・イブキの映画祭などが開催されれば、きっと日本人にもイスラエル映画が身近に感じられるようになることだろう。


精彩を放つ学生映画


 イスラエルの流動する社会に一番敏感なのは言うまでもなく若い世代である。そこで注目されるのは学生映画である。学生映画といっても普通、日本に於ける学生とはいささかニュアンスが異なる。イスラエルは国民皆兵の国で、男子、女子ともに18歳から数年間に及ぶ兵役の義務がある。そこで兵役を終えた男女はすでに21〜22歳になっている。いくら兵役に行ったとはいえ彼らの社会認識は10代の頃とは違い進歩している。

 社会復帰をした彼等はそれぞれ一般の仕事に就く訳であるが、10代から映画に興味を抱いていた者は、あらためて映画学校や大学の映画学部に入学をするのである。その意味で彼等の製作する映画は技術的にも内容的にもすでにセミプロ級である。ちなみに付け加えればエルサレム映画祭には徴兵前の高校生たちの製作する映画作品のコンペティション(The Wim van Leer Award for High School Students)も設立され毎年、活況を呈している。

 さて、その学生映画であるが、毎年、福島県で開催されるすかがわ国際短編映画祭にも、ここ数年来、イスラエルの短編映画が上映されている。

 例えば、昨年上映されたのは『龍の落とし子(Sea Horses)』(1998/Nir Bergman監督)という作品であった。内容は10歳になる少年が主人公、彼の家庭は複雑で両親は離婚の危機に直面している。映画はそんな親の立場をうすうす感じていた主人公のデリケートな心理をキメ細かく描き出している。見応えのあるホームドラマで、この映画を製作したのは、毎年その質の高さで世界各国の学生映画祭でも受賞が多いエルサレム・サム・スピーゲル映画・テレビ学校である。

 そして今回も同映画学校の新作で『ロコモーティブ』(1999/Oded Lotan監督、2000年のすかがわ映画祭で上映予定)という素敵な映画を見た。これは駅で列車を待っている若い男女がいつしか時間の推移と共にモダン・ダンスを踊りだすというパフォーマンス映画でセリフはなく、男女の踊りが圧倒的に素晴らしい作品であった。聞けば男性の俳優はこの国有数のダンサーであるという。そのように学生の製作に際しては先のモシェ・イブキなど同国の第一級の俳優も無料で出演するのである。そのような事からもイスラエルの学生映画の質の高さが分かるのである。

 イスラエルと日本の映画をとおしての文化の交流はこれからも積極的かつ建設的に続けられていることを願ってやまない。

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 日本でのイスラエル映画の振興に於ける行政の分野から駐日イスラエル大使館の文化担当官の皆さんに感謝を捧げたい。去年の7月に任期満了で帰国されたカルメラ・バール女史をはじめ、前任者のイディット・アミハイ女史それに新任のズィヴ・ネヴォ・クルマン氏の各氏は映画芸術を本質的によく理解されている外交官である。この事は何よりも心強く、ベストのサポートをしてくださっている。