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コラージュの長所と限界について

ポール・アーサー


「Documentary Box」では、ジャンルとしてのドキュメンタリー映画に関してのみならず、映画そのものの現実性がこの一世紀にどのように変わってきたかを、シリーズとして掲載してきました。前号ではエリザベス・カウイーによる論考「現実性のスペクタルとドキュメンタリー」を紹介いたしましたが、今号はポール・アーサーによる、ドキュメンタリーの長所と有効性について、特にエミール・デ・アントニオの作品との関係においての考察を掲載いたします。

―編集者


すべては素材、私たちが手にする素材というものの謎のなかにある

―エスフィリ・シューブ(1927年)

 

映画(シネマ)が写真を後ろ楯にして、「西洋の絵画が写実への執念を決定的にぬぐい去り、その美学的な自立性を回復することを可能にした」 1 という考えを擁護した人物は、アンドレ・バザン以前にも存在したが、彼ほど強い影響力を及ぼした人間はいなかっただろう。バザンが映画(フィルム)の自立的な特質と見たものと、同時代人のクレメント・グリーンバーグが近代絵画における規範と定義したものとは、明らかに別 物である。1945年に独自の存在論を主張したバザンが、絵画と写真の境界がほとんどなくなってしまった現在の世界のアートシーンを見たらどう思うか、興味深いところだ。また、連続した時間を何物にもじゃまされることなく明瞭に記録するという映画の特性を、リアリズムの基本として持ち上げたことで有名になったバザンなら、ポスト60年代のノンフィクション映画においてパターン的に使われているファウンド・フッテージのコラージュをどのように評価するだろうか。もちろんバザンにしても、1912年にキュビズムの絵画が外部の素材を取り入れ、さまざまなスタイルのコラージュを生み出したことが、絵画の表層における美学上の「自立性」や、根本的な構成原理となる部分と全体をつなぐ関係性に対するきっぱりとした異議申し立てであったことは心得ていた。ソヴィエトのモンタージュ効果 をはじめ、編集における分析的な手法一般に対するバザンの攻撃は、論文「禁じられたモンタージュ 『白い馬』『赤い風船』『特異な妖精』」 訳注1 などで詳しく展開されているが、これはコラージュを映画上の言説に分裂をもたらす「権威主義的な」モードとして拒否するための筋書きを示しているかのようだ。 2 しかし現時点から見た場合、バザンのアプローチは、歴史的な遺産としてのファウンド・フッテージや、現実を表象する上で重要となる素材自体の価値について理解するうえでは、あまり役に立たないのである。

かつての出来事や人物、社会の動きに新たな生命を吹き込んだり、別の解釈をして論争のネタとするために、資料映像を取り入れることは―映画の歴史そのものと言えるくらい古くから行なわれてきたが 3 ―メインストリームに属さないさまざまなタイプの(すなわち、商業劇映画に共通 して見られる、論理やコンティニュイティにおける記号上の空白を埋めようとする機能を持たない)フィルムでは、1945年以前からよく行なわれていた。実際、近年流出した戦時期のニュース・フィルムを集めたものや軍事教練用のフィルムなどは、企業や国家がスポンサーについたプロパガンダにおけるファウンド・フッテージの重要性をよく表わしている(フランク・キャプラの『我々はなぜ戦うか(Why We Fight)』シリーズがよい例だ)。ノンフィクション映画を広く捉えてみた場合、盗用という技法は、二つの放物線が時に交わるような軌跡を描きながら進化してきた― 一方で、どこにでもあるような品物に備わっている美的な特質を、象徴的な形で積極的に前面 に押し出しながら(ハンス・リヒター、ヴァルター・ルットマン、チャールズ・デコイケレーレによる作品は、この流れに属する)、もう一方では、ニュース・フィルムなどのドキュメンタリーにおいて「押し殺されてきた」考え方を政治的に起動させたり、こうした素材のなかで表現されてきた従来の意味を転倒させるという作業を行なってきたのである(エスフィリ・シューブやジガ・ヴェルトフの仕事は、こうした傾向をよく表わしている)。 4

ファウンド・フッテージは、戦後も欧米の映画製作において、際立ったとは言えないまでも、それなりの役割は果 たしてきたが、60年代初頭シネマ・ヴェリテやダイレクト・シネマの登場により、隅の方へと押しやられてしまった。編集を通 して分析を行なう手法やボイスオーバーによるナレーションを好むドキュメンタリーのスタイル―とりわけニューディール期のドキュメンタリー―が、ありのままの姿や多義的な意味を重視するヴェリテの文化イデオロギーから見て、一大攻撃目標となったのである。現在進行形で記録していくこと、判断や私情を交えず一人称で語ること、リアルなるものを孕んだシニフィエとして同録による映像を熱愛すること―こうした主張を教え諭すように行なったヴェリテの運動は、自然にある素材を構成しなおすことで、何かを連想させたり、レトリックを生み出すというモンタージュ効果 を暗に排斥したわけで、ヴェリテの実践者自身もインタビューのなかで、はっきりとこれを否定している。 5  言い換えれば、連続した時間を何物にもじゃまされずどんどん記録し、編集を最小限に抑えること―固定カメラにより時間を丸ごと収めたウォーホルの傑作を除けば、編集は絶対に必要となる―が、ヴェリテ派にとって金科玉 条となったわけだ。ヴェリテの手法は、60年代カウンターカルチャーの反体制的な心情におあつらえ向きのスタイルかつイデオロギーであり、真実を主張して対立するものに採決を下していく手段としての歴史という考えを否定するところに、ヴェリテの優位 な立場は基づいていたのである。これがノンフィクション、あるいはバザンの映画的リアリズムに関する理論という領域において、とうてい達成しえない理想であったことは、決して偶然ではないだろう。

70年代初頭より、とりわけアメリカでは人種、性差、セクシュアリティをめぐる政治闘争が急速に進展するとともに、個的かつ集合的な歴史に対する見直しが叫ばれるにつれ、ドキュメンタリーの言説におけるヴェリテの影響力は次第に低下しはじめた。ファウンド・フッテージを用いた手法を復活させようという動きはまた、ヴェトナムでの後退戦のさなか、アメリカの冷戦政策を考え直そうとした歴史学者のなかからも沸き上がり、フーコーによる考古学の考え方など、証拠と論証をめぐるヨーロッパの新しい歴史記述モデルを受け入れることで、この動きはますます後押しされることになった。 6  ポスト60年代に広まったファウンド・フッテージへの欲求は、持ちつ持たれつの関係にある二つの動きと連動している―すなわち、歴史という語りにある言葉のあやを改めて定式化したいという欲望と、権利を奪われてきた集団が自分で自分の運命を決するための前提条件として、マスカルチャーにおける表現行為の歴史のなかで排除や歪曲が行なわれてきたという事実をミクロ政治的に批判していくこと、この二つの動きである。

ヴェリテとファウンド・フッテージを用いたドキュメンタリーとの対立点を、政治的な側面 だけでなく、両者の言説上の違いに絞って一般化することは可能である。ヴェリテでは現在進行形のインタビューと連動することが多いが、フッテージを再利用する構造を持つ映画の場合、時間上のまとまりを一定の形として示すことより、「何の仲立ちもなく」提出された映像や、過去と現在との一貫した(または、一貫していない)関係性に対して意味づけを行なおうとする意識の方を、つねに重視する。ヴェリテの映像が、またとない映像、時間限定もの、カメラの動きとポジションによって形作られる現象という風に語られる一方、コラージュを用いた映像の方は、形作られたものではない映像、個々バラバラ、ほかの映像と交換可能な図像と見られることが多い。つまり、ファウンド・フッテージの美学とは、いくつもの反応を引き起こすことができる映像の可能性―これはヴェリテ派にとっても大切な信条である―だけでなく、文脈や前後の表現に応じて映像の主たる意味が変化すること、すなわち、歴史という決定要因から普遍化することもできなければ、自由になることもできないということを前提としているのだ。コラージュ映画をまとめ上げる「声」には中心がなく、基になったフッテージが残した―スタイル上の特徴から、使用フィルム、撮影速度、画像比など映画製作上、形として残ってしまうものにまで及ぶ―表現上の痕跡と、編集やサウンド、タイトルなどの挿入によりテクスト全体を通 じて明瞭に伝わってくる情報との間に、亀裂が生じることになる。コラージュは、テーマ上の関心という面 だけでなく、表現行為という構造においても、もっぱら個人主義(と名人芸)で社会の現実に立ち向かおうとするヴェリテに対して、一種の矯正役の働きをしているわけだ。

コラージュと映画のモンタージュを大々的に取り上げた論文集の巻頭で、マシュー・タイテルバウムは、既存の映像をつなぎ直す行為とは「われらが世紀の魔除けとして、不連続なもの、断絶したものを呼び起こすものである」 7 と宣言している。この種の思いは、70年代以降の美術史の文章において、手をかえ品をかえ繰り返し述べられてきたことであるが、ドキュメンタリー作りにおいても、ほぼ同じ頃からファウンド・フッテージが息を吹き返してきた。 8  上の見解に異を唱えた人物の一人として筆者が理解しているのは、初期のコラージュによる実験に秘められた可能性を「ジンテーゼの否定」、あるいは意味の一貫性を見せかけるものとして絶賛したテオドール・アドルノで、彼はコラージュが第二次大戦後、マスカルチャーの断片を何ら問題意識なく陳列するといった具合に濫用され、効力を失ってしまったと述べている。 9  ポスト60年代のドキュメンタリーが辿ってきた道を見方を変えて見えれば、いずれの評価も正しいと言えるだろう。だがそれにしても、美術史の言説における重要性と比べてみたとき、映画理論におけるコラージュへの関心が、今も昔もあまりに低いのには驚いてしまう。

素材を交ぜあわせるという点に関しては、もっぱら物語映画にばかり関心を寄せていた論者たちと比べ、ヴェルトフやプドフキンらソヴィエトの論者たちの方が、はるかに肌に合っていたことは想像に難くないが、彼らがモンタージュの政治的効力について夢想家風に語った内容は、現代のフィルム・アクティヴィストたちの主張のなかに顔を覗かせていることもある。 10  それはともかく、ファウンド・フッテージの置かれた状況を推測する上でもっとも興味深い手がかりは、ジークフリート・クラカウアーやパーカー・タイラー、ベラ・バラージュがコラージュそのものについてではなく、ニュースリールの属性について述べたもののなかに、チラッと姿を現わしているように思われる。美的なものを生み出す再現行為ではないニュースリールやドキュメンタリーのルポルタージュが、概ね「無垢で」「素朴な」ものであるという見方は、彼らの間でも一致している。『住宅問題(Housing Problems)』(34年)に関する議論のなかで、クラカウアーは「まさにスナップショット的な画面 のおかげで、ありのままの記録らしく見える。『美』を欠いたことにより『真実』の分け前が増している」と述べた。タイラーもこの点に関連して、歴史に関する叙述というのは「単に出来事を記録するのではなく、始まり、真ん中、終わり、そして一貫した筋道という構造を持った語りを意味している」が、ニュースリールはこうした叙述の必要条件を満たしていないことを指摘している。ニュースリールには「見た目から離れた視点」がないために、「現実を(形式上の意味から見て)断片的で表面 的かつ瑣末なものにしてしまう」と、タイラーは言う。 11  つまり、「現実」を表象するには一貫した因果 律に基づかなければならないという前提が、ここにはあるのだ。

この観点に立つと、ドキュメンタリーのなかで広く引用され、コラージュとしても用いられる素材としてのニュースリール・フッテージとは、ただそのものの意味を表わす「証拠映像」、すなわち、個々バラバラで見た目そのもの、本来的には何も語らない要素に過ぎず、出来事の関連性を示すためには、意味を明確にする物語といった構造が必要になってくるわけだ。ファウンド・フッテージの映像を、まったくと言っていいほど目立たない意味の運び手と捉える見方は、ビル・ニコルズやトーマス・ウォーなどによる現代のドキュメンタリー理論のなかにも繰り返し現われている。ニコルズは、ある「視点に基づいた表象や論議」の存在が「テクストを『単なる』フィルムやフッテージと区別 している」ことに注意を促すとともに、文脈から離れた断片は「歴史上の世界を評価抜きで再現するもの」として機能すると述べている。となると、再利用されるバラバラの映像とは、エイゼンシュタインの「モンタージュ・セル」のように、他のカットと並置されることで初めて筋の通 った意味を持つことができるカットとなるわけだ。一方ウォーは、エミール・デ・アントニオの『ポイント・オヴ・オーダー(Point of Order)』(63年)のコラージュ効果について詳しく述べたあとで、然るべき映像に新たな意味を賦与することができたのは、「オリジナルとなった録画映像が、ただありのままの意味を表わす機能しか持っていなかったという性格によるところが大きい」と結論づけている。また、「オリジナル映像が果 たす役割という面で、その映像の信憑性の欠如がどんな影響をもたらすことになろうとも、ビデオ映像をテレビ画面 から映画館のスクリーンに移したことで、その悪影響からうまく免れることができた。つまり、記録としての純粋さに到達したわけである」 12 とも述べている。おそらくここに出てくる「純粋さ」というものが、主に制度的な言い回しとか経済上の利害といった元来の文脈から個々の断片を切り離す役割を果 たしているのだろう。

ニュースリールの断片を特定の見解や言い回しを欠いたものとして理解するという考えを前にすると、中世の年代記について論じたヘイドン・ホワイトのことが思い出されてくる。歴史学者たちはこれまで、年代記という形式を、歴史を著わした端緒として捉えるとともに、語り手を示すものが存在しないことにより、客観性が明らかになっていると考えた―「本当に起きたことは何も語らない、自ら口を開くこともない……ある言説を指示するものとして見事な働きをすることはできる……だが、物語の語り手であるフリをする必要はないのだ」。これを受けてホワイトは、歴史記述が物語の作用にあまりにもこだわりすぎるため、年代記に空白や不連続といった類いのものが現われると、年代記そのものを「歴史上の現実に対する然るべき見方に基づいた特定の産物」と考えることができなくなるのだが、「実際は、現代史に関する言説ならズバッと語りそうなところを、中世の場合は当てが外れたというのではなく、むしろ中世の年代記における歴史の見方とは上のような言説のオルタナティヴなのである」 13 という議論を展開している。それにひきかえ、クラカウアー、タイラーからニコルズ、ウォーに至るドキュメンタリー研究の流れ(まさに呉越同舟だ)は、ニュースリールやテレビ報道を、とりあえず「語り手のいない」年代記の現代版と位 置づけてきたかのようである。しかし、マスカルチャーの産物ならどんなものでも、文脈からの意味作用をきれいさっぱり取り払うことができるのか、また、形が変わっていく過程というのは結局、意味が減ったり広がったりするということに他ならないのではという疑問が、ここで出てくるかもしれない。

「ファウンド・フッテージ」の範疇に入るものとは何か、また、その素材が作品という特定の構造のなかにいかにして組み込まれるかといった問題は、ひとまず脇に置いておくとして、上に見た中立的な立場というのは、それとはまったく反対の方向を掲げてみせる意見がきちんと出てこないかぎりは、理論上自明な道筋を辿ることになりかねない。なぜなら、盗用された映像のなかにある可能性の地平―そして政治的効力に対する要求―を保証するはっきりとした傾向が、イデオロギー上も文脈上も、あらかじめしっかりとその映像のなかに刻み込まれているからである。ということは、つながりのない断片を結びつけ、歴史に対する視点をはっきりさせた上で意味を作り出すことより、元の素材にしっかりと埋め込まれているイデオロギーに基づいたシニフィエが伝播していくさまを調べていくことの方が、重大な問題になってくるのである。この後者の立場に立てば、ファウンド・フッテージとは二つ以上の異なる声を互いに競わせる対話型の戦略、と定義することができる。イギリスのノンフィクション映画作家プラティバ・パーマーは、「支配力を持つコードや意味体系を政治的に盗用することこそ、私たちが権限を求めていく戦いにおいて有効な武器となる」と言い切っている。またコベナ・マーサーも、ファウンド・フッテージという戦法が、支配力を持った映像上の言説によって一貫して否定されてきた社会的アイデンティティの「多様性を暴露し」、「ニュースリールなどの表象をクレオール化すること」によって、「話者を一本化させない」 14 ようにすることができると述べている。デ・アントニオ自身、ニュースリール自体が「雄弁にモノを語る」ことを信じている節もあり、『亥年(In the Year of the Pig)』(68年)の一場面で、フランス人将校がヴェトナム人の人力車夫の一団をシッシッと追い払うという、きわめて濃密なイメージに関して、「植民地主義の意味について綿密に書かれた文章なら、二、三章にも匹敵する」などと語っているのだ。 15

ファウンド・フッテージをめぐる二つの存在論の違いとは、結局その本質というより、実用性に関わる問題であると言える。両者とも、特定のドキュメンタリー形式や、歴史や文化といった面 で一定の状況を反映した作品群を持ち上げることと直結しているのだ。ファウンド・フッテージの位 置や用法について互いに話し合おうとすれば、素材の種類だけでなく、(メインストリームに属するドキュメンタリーに対して実験的なエッセイ風の作品というように)表現の場そのものが異なるものを語り出すことになりかねないわけだ。デ・アントニオの作品で使われているニュースリール映像の性質を例にとると、両者の間にさしたる意見の違いはない。しかも両派とも、ドキュメンタリーにおけるコラージュの目的が、一般 に受け入れられている歴史観に対する異議申し立てであることは信じているのだ。とはいうものの、意見がかなり分かれる点もいくつかはある。メインストリームに属するドキュメンタリーを分析するニコルズやウォーといった研究者は、過去の遺産を根底的に変えてしまうには、その素材自体の完成度に対して「敬意」を表しておくことが必要であり、信頼のおける批評となるか否かは映像(や音)を扱う際の謙虚さ次第であることを暗に示唆している。素材を解釈する手助けになるものは一つとは限らないが、主に編集と映像・音の並べ方である。また、歴史についての語りを新たに構想する上で、画面 描写と―ボイスオーバーによるナレーション、タイトルや文章、ないしは物語に沿ったセリフという形態をとった―言葉を通 じた言及との間に同一性が認められること、あるいは両者がほぼ一致していることが、その前提となっている。コラージュの断片のなかに描かれているものは、言語による表現とアナロジーの関係を持っていなければならないわけだ。一方、これに反対する立場であれば、元の素材を新たな文脈に置き換えれば必ずやその完成度は損なわれるし、またそうすべきであると主張するだろうし、先行する表象の(露出、速度、トリミングといった)技術的な基準を忠実に守ることが、何らかの目的や目標になることなど決してないと考えるだろう。ファウンド・フッテージを根底から変形させる力の根拠となるものは、借りものの映像の意味論的な側面 ではなく、そこに形を残している素材の痕跡や、支配力を持った視覚的、聴覚的コードの方にこそ見直すべき場があるという意識なのだ。 16

煎じ詰めれば、こうしたジレンマは、一方が自省的な側面の強いリアリズムを擁護し、他方がノンフィクションにおけるコラージュのフォルマリズム的、比喩的な計画性を選ぶという、美学上の信念の差に還元できるのではなかろうか。もちろん、この場でファウンド・フッテージの位 置をめぐる見解の不一致を解消することはできない。しかしながら、ファウンド・フッテージの外示的機能と言われるものや、断片のつながりが作り出す相互作用の範囲をじっくりと調べてみることによって、ドキュメンタリー理論が言説上の前提として考えたものを多少なりとも検討することはできるだろう。この作業にとってもっとも相応しい領域と言えるのは、デ・アントニオの先駆的な仕事のあとを受け、70年代から80年代初頭にかけて製作された『ユニオン・メイズ(Union Maids)』(76年)、『三位一体節の翌日(The Day After Trinity)』(80年)、『アトミック・カフェ(Atomic Cafe)』(82年)など、メインストリームで話題になった一群のドキュメンタリーであろう。これらの映画には、構成や政治的な見方、歴史に対する関心において一定の傾向があり、こうした傾向が現代のノンフィクション製作のありようを語っているとも言えるのだ。

一本のドキュメンタリーというテクストに、説明的ないしアナロジー的なものとメタファー的なものという、流儀の異なる書法が混じり合うことは当然ながらあり得る。所与のシークェンスに資料映像を用いる際には、ただ単に描写 の的確さだけでなく、構図上の特徴とか動きの持つ表現力、カメラアングルなど、さまざまな判断基準が働いている。言葉による説明に見合うようなフッテージがなかったり、使えなかったりして、映画作家や編集者がくだんの場面 とよく似ている映像や、それとなく内容をほのめかしたり、象徴的に描いている一般的な映像に頼らざるを得ないケースもよくある。たとえば、真珠湾攻撃を再現した数多くのドキュメンタリーには、爆撃を受け燃え上がる米軍の軍艦のフッテージが出てくる前に、あるいはこのフッテージとモンタージュされる形で、日本軍の戦闘機からのカットが登場する。カメラが神風特攻隊の飛行機に据えてあったとは考えにくいし、仮にそうだったとしても、奇襲を写 したフッテージをどうやって回収したのかは分からない。 訳注2  そのおかげで、観客からすれば、沈没する軍艦を写 したカットは見ての通りだが、日本の軍機から写したものはその場で撮られたものではなく、汎用のものであることが分かるのだ。もちろん、この種の不連続が、普通 の観客にとって支障になることはなく、ナレーションや音、編集によるシンタクスという大きな枠組のなかに容易に吸収されてしまうものであることは言うまでもない。

もう少し具体的な例を挙げてみると、『リベット工ロージーの人生とその時代(The Life and Times of Rosie the Riveter)』(80年)の冒頭、ルーズベルトが日本に宣戦布告をしていると思しきラジオ放送を聞くために集まっている女性たちの姿が出てくる。このカットに登場する女性たちは、サウンドトラックから聞こえてくる大統領の声を本当に聞いているのか、現在形のインタビューのなかで戦時中の勤労動員について語る女性たちと関係があるのかどうかは、さしたる問題ではない。実際、再撮影された写 真やホームムービーからつまみ食いしたものを除けば、女性たちの思い出話を画にするために使われているフッテージのほとんどが、特定のものを表わす類いの映像ではないのである―「この」工場ではなく「ある」工場であり、「これらの」労働者ではなく「ある」労働者なのだ。われわれ観客が作品と交わした了解において、画と言葉が正確に一致していることを期待できるのは、時代とか地形といった面 で の正確さに限られている(明らかに1930年代インドの工場労働の様子と分かるカットが出てきたら、それだけで尻込みしてしまうだろう)。要は、ドキュメンタリーにおけるコラージュで説明的に使われている事例の多く、おそらくその過半数が、見た目通 りに受け取られているわけではなく、その題材を比喩的に表象したものとして理解されているということなのだ。サウンドエフェクト(たとえば、爆音や空襲警報、降下する飛行機のブーンという音)を、ほとんど音の入っていないフッテージとシンクロさせた、どこにでもある音と画を重ねた映像についても、同じようなことが言える。こうしたエフェクトは、明らかに素材の「信憑性」を薄めることになるわけだが、それでも数あるドキュメンタリーの手法のなかでは常套手段に違いない。

言葉による主張と直結したモンタージュのシークェンスのなかで、カット間に存在する見た目や内容上の結びつきの度合が、描かれているものとの関係で変化していくという事実は、さらに興味深いし、そこにはいささかの問題も孕んでいる。『三位 一体節の翌日』では巻頭からほどなく、ナチが軍事機構を増強していく1937年までの様子を描いた、12カットによるシークェンスが登場する。行進する部隊、編隊飛行をする爆撃機、前進する戦車の列といった映像が、印象強くリズミカルに編集され、画面 上に右から左への動きを作り出している。この動きに視線を送る形でインサートされるヒトラーのアップは、明らかにアナロジカルなものであるが、このシークェンスはドイツ軍の侵略行為を「波」と称した科学者の声がボイスオーバーで入っているせいか、全体として象徴的な印象を受ける(左への動きというのが、西ヨーロッパへ侵攻する軍勢の向きと地図上で一致しているのも、あながち偶然ではないだろう)。資料映像によるカットやシークェンスのなかには、言葉を通 して示されているものと一目瞭然にピタッとくるものもあれば、抽象的な考えを表現力豊かに生き生きと画面 に伝えるために選ばれたものもあるわけだ。こうしたカットやシークェンスが情感を盛り上げ、隠れた意味に目配せしている間に、「誰が、どこで、いつ」という疑問は棚上げにされてしまうのである。

だが、よく見かける作りのコラージュには、もっと厄介で曖昧な性質のものもある。『アトミック・カフェ』の場合、原爆投下について考え直そうと広島を訪れるところから、映画は始まる。爆発に至るまでの過程を順を追って述べたエノラ・ゲイの機長へのインタビューには、平穏な日本の街角、広島の中心部に立つ役所の建物、飛行中の爆撃機など、投下前の光景を写 したカットが被せられている。また、身なりのきちんとした男性が、薄明りの射す白々とした空をバックに立っている姿を俯瞰で収めたミディアム・ショットも、いくつか出てくる。男性が空を見上げると、聞こえてくるのは飛行機の音。詮索好きそうな男性の視線が爆撃機の映像とモンタージュされ、爆発へと続く。この罪のない市民を写 した画は、おそらく特定の人やモノを指すものではあるまい―つまり、彼の存在は現場の音や画をナマで記録するという原則に反しているのだ。文脈に沿って見ると、このモンタージュのシークェンスは、物語映画における編集のあやを駆使してドラマ的な期待感を盛り上げ、見る人が見ればペーソスすら感じさせることによって、われわれがドキュメンタリーの鉄則と直観的に考えていたものを混乱させることになる言説上の飛躍を行なったわけである。一旦この男性が本物の被爆者かどうかを疑い出すと、当のシークェンスにおける彼の役割そのものが疑わしくなる。この人物であれ、そのほかの代替物であれ、ここに描かれた場面 に属したものではないということが重要な意味を持ってくるし、誤解のもとにもなるのだ。 17  上の例がファウンド・フッテージを物語的に用いたときの反応をどの程度まで説明したことになるかは分からないが、一般 的な重要性とは別に、ドキュメンタリーにおけるコラージュが広範囲に非外示的な役割を担ってしまうという事実を暗示していることだけは確かである。

最後のパターンとして取り上げる『ユニオン・メイズ』の抜粋は、画と言葉との間に明白な矛盾がありつつも、判断を誤らせるものではないという点では広島のシークェンスと変わらないが、先の例よりはるかに興味深いものである。活動家のシルヴィア・ウッズが、労働者の強制排除を阻止しようとした「失業者会議」という組織の話をしている。彼女の発言はこうだ―「四方八方から警察が来たわ。なかには銃身を短くした散弾銃を手にした刑事もいた。うす気味悪い大男で、こんなことを言うの……」。拳銃マニアじゃなくても、彼女の説明を裏づけるために画面 に登場する人物が、催涙ガスの発射筒を手に、散弾をベストにいっぱいぶら下げた制服警官であることが分かる。鮮烈なカットではあるが、誰かを特定したものでなければ、アナロジーによって彼女の発言と一目でマッチしているのが分かるような代物でもないのだ。ここで明らかになった亀裂をどう評価するかは、映画の観客という存在をどのようなモデルとして捉えるかによって、いくつかの方向に分かれる。デイヴィッド・ボードウェルがある仮説を実証するためにフィクション映画について推し進めた、物語に積極的に加担する観客というモデル 18 を、ここで仮定してみると、この映画ではほかの事柄についても記録された証拠がまったく出てこないわけだから、上のカットは1930年代当時、労働争議を鎮圧するために動員された「すべてのサツ」を表象するものであると見なすことができるだろう。あるいは、このシークェンスに登場する威圧的な警官は実際、労働者と衝突した現場におり、時間とともに風化した記憶に頼らざるを得ないウッズの話の方が間違っているのかもしれない。ファウンド・フッテージが作品全体のなかで、フィクションにおけるフラッシュバックと同じような位 置を占め、同じようなロジックを持つことは、決して珍しいことではないのだ。ウッズの描写 とわれわれが目にしたものとの間にズレが生じたため、彼女の言葉による説明そのものが変化し、そこに登場する関連映像が個人の回想にとって代わってしまうことだってあるわけだ。

往々にして起こるこの種の不一致は、歴史についての記憶を映像として描く際の透明性を再確認するというより、むしろ証拠というものの障害や偏りに対する不安を呼び起こす結果 となる。ドキュメンタリー作家たちは、役者を使って出来事を再現しようなどとは夢にも思わないかわりに、ためらうことなく現実をメタファーとして捏造するにも等しいコラージュを作り出しているのだ。しかし、資料映像がうわべだけでも信憑性を取り繕ってくれるという保証は、概して神話である。結果 として―正統派のドキュメンタリーという領域に限った場合だが―ファウンド・フッテージが純粋に説明そのものであるか、象徴的に形を変えるものであるかという二項対立は、当初見たほど堅固なものではないとになる。皮肉なことに、この対立がよりダイレクトに当てはまるのは、コラージュやインタビューを用いた70年代以降のドキュメンタリーの方で、デ・アントニオによる先駆的な作品は、『亥年』を多少なりとも検討してみればすぐに分かるように、さほどでもないのである。

デ・アントニオは60年代アヴァンギャルド映画シーンの門外漢であったわけではなく、ブルース・コナーが『映画(A Movie)』(58年)において災害による惨事を食い物にする支配的なメディアを手厳しく批判してから、わずか数年後にファウンド・フッテージの収集という宏大な領域に足を踏み入れたのも、決して偶然とは言えないだろう。もとよりデ・アントニオには、ドキュメンタリー用に使える映像の蓄えが充分にあったし、彼自身は自分の作品とアヴァンギャルドのコラージュ技法との間にある密接な関係を、積極的に認めようとはしなかった。とは言うものの、『亥年』はドキュメンタリーの言説におけるファウンド・フッテージの可能性を、もっとも根底的に表現形式の面 から取り組んだ作品となっている―だが、その後の世代のドキュメンタリー作家たちに、彼のアプローチを範とする者がほとんどいないのは残念である。この作品では、時代順にいくつもの断片がそれなりに完結しつつ次から次へと現われ、そこに学者や官吏らの言葉を被せながら、以下のようなテーマを論じていく―ホーチミンの生涯、ヴェトナム人の民族自決に向けた闘争、アメリカ側の政治上の発言と拡大する軍事介入との間になる矛盾、などだ。

歴史に関する説明が延々と続くなか、合間々々にちりばめられた抽象的とも言えるモンタージュ効果 は、理性よりむしろ感情的な本能に訴えかけてくる。すなわち、言葉を通して怒濤のように押し寄せてくる説明や主張は、この間ひとまずお休みとなるわけだが、同時にこの幕間がさまざまな意見をただ言い換えるのではなく、その先を目指して、より広く綿密な内容へと変質させていくのだ。デ・アントニオはさらに、この映像というラインの上に、ただ理念としての結びつきを持っているだけでなく、純粋なメタファーとしても直感できるようなサウンドエフェクトや音楽を重ね合わせた。オープニングのモンタージュに関して監督が依頼したヘリコプターのひずんだノイズ音によるミュージックコンクレート風のクレッシェンドは、抑えの効かなくなった機械や人間の悲鳴を表わしている。同じシークェンスではまた、植民地主義をまざまざと連想させる「騎兵隊の突撃の詩」のメロディが、バージョンを変えて―まったく間を置かずに―流れてくる。一つは、ガリガリと音がする古いレコードによるもの、もう一つはもっと荘重な響きのする「最新の」レコーディングによるものである。この二つの演奏が並置される構成をとることで、外国への干渉という事態が今も昔も続いていることを暗に示しているわけだ。南北戦争の兵士像が出てくる冒頭のカットの意味は若干分かりにくいが、映画の終わりの方で「リパブリック賛歌」の一節が聞こえてくる―これにより、この戦場に栄光も名誉もないばかりか、われわれには内戦に干渉する権利などまったくないという意味が伝わってくるのだ。

「デ・アントニオの語り口は冷静、緻密、明瞭。怒りを焚きつけるのではなく、説得することが彼の狙いなのだ」 19 と、トーマス・ウォーは見る。彼の主張はあながち間違いではないが、この作品に見る象徴表現の幅の広さと、われわれの激越な感情を焚きつけるかのように仕組まれた部分の重要性はないがしろにされている。(南北戦争の黒人部隊をかたどったオーガスタス・セント=ゴードンズによる記念碑について、抜目なく触れたカットなど)さまざまな戦争の風景を10カットほど点描してみせたクレジット前のモンタージュを例にとると、デ・アントニオはここで―『映画』とさして変わらぬ 手法で―各々の光景をフェードと黒みのリーダーとで分断してみせる。これは時の流れを意味するだけではない―「アメリカの独立を耳にした途端、私の心は戦場へと飛んだ」という碑文が見える荒れた墓石のアップ、この二番目のカットを合図に、この間がしめやかな葬送の調べを奏ではじめるすともとれるのだ。

『亥年』の構成上、もっとも素晴らしい筆致を見せているのはおそらく締めの部分だろう。北ヴェトナム側の主張に込められた力強さと道義上の正当性を詩のような言葉で語るダニエル・ベリガンの声が、ブツ切れに聞こえてくる。彼の言葉や新聞社の編集者ハリソン・ソールズベリーの言葉とともに映される映像は、勇壮な農民がイネを植え、漁民が大量 の魚を水揚げしているという肥沃なイメージだ。カゴからあふれ出た魚が口をパクパクさせているところを写 したアップがある。健全で機知にあふれたヴェトナム人を表わしつつ、人を苦しめるだけの不毛なアメリカの軍事侵略をも意味する重層的なイメージである(ゲリラ兵を「水のなかの魚」と呼んだ毛沢東の名言すら思い起こさせる)。このイメージの二重結合力ともいうべきものは、ホーチミンや歓声を上げる農民の姿を写 したカットののち、デ・アントニオがここぞとばかり、しかもこの場限りで、アメリカ人戦死者や負傷兵のカットを見せたところで、一段と力を増している。なかでももっとも強烈な映像は、目隠しをされたGIが仲間の手でジャングルから引きずり出されるところを写 したものだ。あわただしく担架がヘリコプターへと運び込まれる場面が、これに続く。生気の象徴のような北ヴェトナムの人々の姿と並べてみると、比喩的に描かれた―倫理的にも政治的にも―分別 がないアメリカの主張の末路は、もはや敗北しか残されていないのだ。この作品のラストカットはスプリットイメージで、片方は黒み、もう一方には冒頭のカットにも出てきた南北戦争の兵士が映っているのだが、ここではネガの映像になっている。興奮、哀しみ、怒りという感情を駆り立てる衝撃のシークェンス―こうした意味作用のプロセスにはもはや、歴史上の出来事を見せるためにファウンド・フッテージを取り入れたこととの関連はほとんどないのである。デ・アントニオの作品はドキュメンタリー研究者にとって、コラージュの持つ表現力豊かな象徴性をゆめゆめ忘れるなという一つの教訓になるはずだ。

                  (翻訳:とちぎあきら)

 


(原注)

1. Andre Bazin, "The Ontology of the Photographic Image," What is Cinema?, trans. Hugh Gray (Berkeley: University of California Press, 1967): p.16.(アンドレ・バザン「写真映像の存在論」、『映画とは何か』第二巻[小海永二訳、美術出版社、1973年]、24ページ)。

2. Bazin, pp.41-52.(バザン『映画とは何か』第二巻、157〜175ページ)。

3. ジェイ・レイダは、1898年リュミエール社のカメラマン、フランシス・ドゥブ リエがドレフュス事件を描写する際に、軍隊の行進や官庁の建物、出帆する船など、「描かれるべき」事件と直接関わりのない一連のカットを用いて、事件を要約してみせたことを詳しく説明している--Films Beget Films (New York: Hill and Wang, 1964): pp.13-14.

4. 元の映像をアヴァンギャルド的に変性させたレン・ライによるイギリスのプロパガンダ映画は、この二つのアプローチをつなぐものと言えるだろう。

5. ここでは「主観的」視点と「客観的」視点の対立という図式に入るのを避けているが、筆者(アーサー)の立場は、ヴェリテの方法論とは実のところ主観性を「ア ッケラカンと」刻印したものだと見なす人々の意見に、諸手を挙げて賛成である―この方法論の矛盾は、同時代のスタン・ブラッケージ、ブルース・ベイリーらアヴァンギャルドたちが切り拓いた作品における自省的な主観性によって、別 の角度からあらわにされている。限られた場でテーマ上の関心ばかりに縛られていては、ヴェリテの哲学を微に入り細を穿ち批評していくことなどできないのだ―詳しい議論については 、たとえば Thomas Waugh, "Beyond Verite Emile de Antonio and the New Documentary of the Seventies," reprinted in Movies and Methods, Volume II, ed. Bill Nichols (Berkeley: University of California Press, 1985): pp.233-57を参照のこと。また筆者による "Jargons of Authenticity (Three American Moments)," Theorizing Documentary, ed. Michael Renov (New York: Routledge, 1993): esp. pp. 118-26 も参照されたい。

6. "Early Newsreel: The Construction of a Political Imaginary for the New Left," Afterimage, Vol.14, No.7, pp.12-15において、マイケル・レノフはヨーロッパの歴史記述学がもたらした衝撃を手際よく論じている。

7. Matthew Teitelbaum, ed., Montage and Modern Life (Cambridge, MA: MIT Press, 1992): p.7.

8. 二つだけ例を挙げると、ピーター・バーガーの著書 Theory of the Avant- Garde, trans. Michael Shaw (Minneapolis: University of Minnesota Press, 1984)では、 コラージュが目玉になっているし、"Modernism and Mass Culture in the Visual Arts," Modernism and Modernity, ed. Benjamin H.D. Buchloh, Serge Guilbaut, and David Solkin (Halifax: Press of the Nova Scotia College of Art and Design, 1983): pp.215-64のなかで、トーマス・クロウは、モダニズムと役立たずになった品物を取り込むこととの間にある持 ちつ持たれつの関係を論じている。

9. Theodor Adorno, Aesthetic Theory, ed. Gretel Adorno and Rolf Tiedermann, trans. C. Lenhardt (New York: Routledge and Kegan Paul, 1984): pp.233-4.(テオドール・W・アドルノ『美の理論』[大久保健治訳、河出書房新社 、1985])。

10. 出所のまったく異なるフッテージを自分の手元において、それをあたかも「 発見してきた」かのように扱ったヴェルトフは、多くの小論で異質なるもののモンタ ージュの秘めた可能性について検討している―Kino-Eye, ed. Annette Michelson, trans. Kevin O'Brien (Berkeley: University of California Press, 1984)の所々を参照のこと(『ロシアアヴァンギャルド3 キノ―映像言語の 創造』[大石雅彦、田中陽編訳、国書刊行会、1994]のなかで、多くの小論が翻訳されている)。

11. それぞれ Siegfried Kracauer, Theory of Film (New York: Oxford University Press, 1960): pp.194, 202; Parker Tyler, "Documentary Technique in Fiction Film," The Documentary Tradition, ed. Lewis Jacobs (New York: Hopkinson and Blake, 1971): p.254; Bela Balazs, Theory of the Film, trans. Edith Bone (New York: Dover, 1970): p.165 (ベラ・バラ ージュ『映画の理論』[佐々木基一訳、学藝書林、1970、1992新装改訂版])を参照のこと。

12. それぞれBill Nichols, Representing Reality (Bloomington, IN: Indiana University Press, 1991): p.127; Thomas Waugh, "Beyond Verite," p.243 を参照のこと。

13. Hayden White, "The Value of Narrativity in the Representation of Reality," Critical Inquiry, Vol.7, No.1 (Autumn 1980): pp.8, 10.

14. それぞれ Pratibha Parmer, "The Moment of Emergence," Queer Looks: Perspectives on Lesbian and Gay Film and Video, ed. Martha Gever, John Greyson, and Parmer (New York: Routledge, 1993): p.11; Kobena Mercer, "Diaspora Culture and the Dialogic Imagination," Blackframes, ed. Mbye B. Cham and Claire Andrade-Watkins (Cambridge, MA: MIT Press, 1988): p.59 を参照のこと。アヴァンギャルド映画におけるファウンド・フッテージについ て批評として書かれた言説は、パーマーやマーサーが述べた意見を補完するものがほとんどである。たとえば、William Wees, Recycled Images (New York: Anthology Film Archives, 1993) を参 照のこと。

15. Gary Crowdus and Dan Georgakas, "History is the Theme of All My Films: An Interview with Emile de Antonio," Cineaste, Vol. II , No.2 (1982), p.22.

16. こうした姿勢はアメリカやイギリスの実験映画作家の作品や発言から推測できることだが、同時にアヴァンギャルドと正統派のドキュメンタリーとの境界が徐々 に曖昧になってきていることもはっきりしている。フォルマリズムの立場からファウンド・フッテージにアプローチをした例としては、クレイグ・ボールドウィン、キース・サンボーン、レズリー・ソーントン、トニー・コークス、マーティン・アーノルド、アイザック・ジュリアンらの作品が挙げられる。Recyled Images, pp.65-100 の補遺は、映画作家自身による批評的な発言を集めたものとして参考になる。

17. まぼろしのように挿入されるこの路傍の日本人を見ていて思い出すのは、『我々はなぜ戦うか』のシリーズのなかで、空襲を受けた街頭を足早に駆けていくスカーフ姿の女性を写 したフッテージが、事実上ひとつのライトモチーフとして、三つの異なる国を舞台にしていると思われるエピソードで毎回使われていたということである。

18. David Bordwell, Narration in the Fiction Film (Madison, WI: University of Wisconsin Press, 1985): esp. pp.31-48 を参照のこと。

19. Waugh, p.250.

(訳注)

1. 英訳題名は "The Virtues and Limitations of Montage(モンタージュの長所と限界)"で、この論文の原題 "On the Virtues and Limitations of Collage"はこれを受けている。

2. 神風特攻隊と呼ばれた海軍航空特別攻撃隊は、1944年10月21日フィリピン・レイテ島沖でアメリカ艦船に体当たりしたのが始まりで、真珠湾攻撃を行なったのは海軍ハワイ空襲機動部隊の空中攻撃隊である。ちなみに、二波による攻撃にあたった349機の戦闘機は、未帰還の29機を除きすべて帰投している。


ポール・アーサー


1972年よりノンフィクション映画について執筆を続けている。主に新聞、雑誌、カタログ、アンソロジーなどを発表の場としている。また、数十編に及ぶ実験映画を作り、以前はニューヨークのフィルムメーカーズ・コープ運営委員会の理事長を務めていた。