インターナショナル・ コンペティション |
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ファイナル・ソルーション
Final Solution-
インド/2004/ヒンディー語、グジャラート語、英語/カラー/ビデオ/150分
監督、脚本、編集、録音、製作:ラケッシュ・シャルマ
撮影:ラケッシュ・シャルマ、タンマイ・アグルワール
助監督:アルチュナ・メーナン
提供:ラケッシュ・シャルマ
2002年インド西部グジャラート州で起こったイスラム教徒の虐殺事件の考察を通じて、インドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を捉える。正統インドを標榜するヒンドゥー政党によるイスラム教徒への圧迫、衝突。ヒンドゥー教徒、イスラム教徒両者の証言により憎悪の形成と増幅が丹念に描かれている。出口の見えない対立構造を直視する監督の真摯な姿勢が胸を打つ。
【監督のことば】9.11以降私たちは、憎悪と不寛容の政治が主流派に受け入れられ、舞台の中央に立つまでになった世界に生きている。右派勢力は、ヨーロッパとアメリカの全土で強固な支持基盤を固めつつあるようだ。それは、反移民、反イスラムの巧みな言論によって焚きつけられたナショナリズムである。アメリカ大統領選挙では“テロとの戦い”が議論を支配し、どちらの候補者も相手よりもよりよく“奴らを追いつめて殺す”ことを約束した。罪のないイラク市民への爆撃を正当化するために、虚構の諜報活動を利用することが合法となったような世界、米軍に“取り込まれて”いないジャーナリストを精密爆撃やロケット弾で攻撃することが許されるようになった世界、破廉恥な政治家が油井を分割し、再建を業者に請け負わせて3,600万ドルのボーナスを手に入れるような世界、赤ん坊が殺され、手足を切断されるのも“コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)”として許容されるこの世界で、私たちはかつてないほどの大きな困難に直面している。
人類の歴史上、今までにも暗黒時代は数多く存在し、その残虐さはしばしば似たようなレトリックによって正当化されてきた。憎悪、絶望、破壊、悲劇が、調和の取れた社会と民主的な世界を創造する助けになることなどありえない。
この映画を製作しながら、私は2002年から2004年のインドと1930年代のドイツに、衝撃的な類似性を見いだした。グジャラートでは国家によって支持されたイスラム教徒への虐殺行為が起こり、その影響が色濃く残るなか、学校では人種隔離が行われ、都市や村ではゲットー化がすすみ、イスラム教徒に対する経済ボイコットが公式に叫ばれ、そして右派のヒンドゥトヴァ幹部による知識階級への攻撃が行われた。
何の検証も反論もなく急速に台頭する憎悪と不寛容の政治は、21世紀の“最終的解決(ファイナル・ソルーション)(Endlosung)”への前兆になることも十分にありえるだろう。
ラケッシュ・シャルマ 1986年、シャーム・ベネガル監督の『Discovery of India』で助監督を務め、映画とテレビの分野でキャリアを築きはじめる。インドでチャンネル[V]、スタープラス、ヴィジャイテレビの3つのチャンネルを企画・設立。現在はインディペンデントのドキュメンタリー映画製作に戻っている。前作の『余震 ― 村は何処へ行くのか』(2002)は、ビッグ・ミニDV(アメリカ)、ジーヴィカー(インド)の映画祭で最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞し、他にも2002年から2003年にかけて8つの賞を受賞した。同作品は第11回EARTH VISION地球環境映像祭を含め100以上の国際映画祭で上映されたが、政府の主催するムンバイ国際映画祭への出品は拒否された。 |