壷
The PotAl Qaroura
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シリア/2005/アラビア語/カラー、モノクロ/ビデオ/12分
監督:ディヤーナ・エル=ジェールーディ
撮影:アルフォーズ・タンジュール
編集:ラウーフ・ザーザ
音楽:シャフィー・ゼーヌッディーン
製作:ウルワ・ナイラビーヤ
製作会社、配給:プロアクション・フィルム
女性のアイデンティティが、結婚によって夫の家、出産によって子どもの属性に変わるということ。イスラム社会に生きるシリアの若い既婚女性たち4人の話をカメラがリズミカルに行き来し、仕事・家事・育児、そして自分自身について悩み、問いかける姿を映す。女性たちの“場所”である、閉じこもった家庭内の空間から女性たちは奔放に語り、そこからは普遍的な家父長制社会のあり方が見えてくる。巧みに顔を出さないフレームによって、“壷”が何なのかを浮かび上がらせるシリア発、短編実験作品。
【監督のことば】母親、祖母、祖父、両親、夫婦たち、独身の人たちは、既婚の、特に新婚の女性によく尋ねる。「あなた何か隠していない?」と。
これは「まだ妊娠していないの?」と遠まわしに聞いたものだ。
私は社会的には許されてしまっているこのようなプライベートな質問を受け入れることは決してなかった。しかし他方で、この女性たちが身体に何を内包しているのか、まるで取り憑かれたかのように心から興味を抱いた。そんな私の気持ちは、彼女たちにインタビューする機会を得て、増幅した。この女性たちは、身体の内ではなく、心の内について語る機会がこれまでなかったのだと感じた。
壷の“存在理由”はその中に入っているものに決定づけられ、内容物が容器の存在を無にすることから、女性は壷に象徴される。この発想からすると、『壷』以外のタイトルは考えられなかった。
オリエンタリスト的な見方からすれば、これはイスラム教の価値観が影響しているように見え、またそう言及されるだろう。ある意味では本当だが、いわゆる内面を明らかにするというより覆い隠す、細部よりも全体に多大な権威づけをする価値観。しかし、私は“なにか”ではなく、むしろ“なぜ”を知ることになるだろうと思っていた。そして私は本当に答えを見つけられたのか? この内側からの視点を、あなたと共有したいと思う。
実はこの映画は、女性は後継ぎを産むことで社会に認められるのだという考えについては探求していない。女性たちが自分自身や彼女たちを“見る”人たちをどう捉えているか、個々人の経験について耳を傾けるだけの12分間である。その後も彼女たちは、自分自身の“壷”の中を見つめ続けるのだから。
ディヤーナ・エル=ジェールーディ 1977年、シリア、ダマスカスに生まれ、ダマスカスとバグダッドで育つ。ダマスカス大学にて英文学を学んだ後、いくつかの国際広告代理店で働く。シリア唯一のインディペンデント映画製作会社「プロアクション・フィルム」の創設者のひとりであり、多くのトレーニングやネットワークづくりのイベントを企画し、地元の映画製作の水準を向上させようと、若い芸術家たちを励まし、意欲的な製作を行っている。本作が初監督作品。 |