English

審査員
マーク・シリング


-

●審査員のことば

 山形国際ドキュメンタリー映画祭には長らく行ってみたいと思っていたが、いろいろな事情があり、それがようやく叶ったのは2017年の第15回のことだった。このパンデミック時代のいまとなっては大昔の出来事のようにも思えるが、それまでジャパンタイムズ紙の映画評担当としてドキュメンタリー映画のレビューや作り手のインタビューを幾度となくしたことがある私にとっても、その年たまたま映画祭のゲストとして来ていた原一男と足立正生、このふたりの伝説的映画作家と酒や意見を交わしながら夜中に人のごった返した山形の飲食店にいるなどという体験はまったく別次元のものだった。そうした夜ごと繰り返される腹を割った気安いやりとりは、少なからずヤマガタをかくも特別なものたらしめる理由となっている。

 今年の映画祭は残念ながら物理的な開催こそかなわないものの、それでも世界各地から集められ、当代最高のドキュメンタリー映画祭のひとつによって選りすぐられたドキュメンタリー作品について、私を含めた審査員たちで論じあうことはできることになっている。私にとってすぐれたドキュメンタリー映画とは、教訓めいた意見を述べたり社会を批判したりすれば事足りるというものではない。それは、私をいままでとは別の見かたや感じかたや価値観へと導く窓となり、強固な視点をもって呈示されつつもつねに真実を目指している、そのような作品――ショッキングだったり心乱されたりすることがあっても、それと同時に啓発的で心躍りさえもする、そんな物語を語る作品のことなのだ。

 そうした意味では原一男の『ニッポン国VS泉南石綿村』(2016)――アスベスト被害者の補償をめぐる数十年に渡る法廷闘争を力強く魅力的に捉えたこのドキュメンタリーは、私にとってまさしくその年の映画祭の白眉だった。もちろん、誰もが原の手法に賛同する必要はないし、彼を見本にしなければいけないというものでもない。ドキュメンタリーを作るのに正しい方法など、どこにもないのだ。

 実際、ヤマガタのような映画祭で審査員に名を連ねる愉しみは、新鮮なアプローチをもった作り手、思い描かれるのがひどく政治的なものであれ極私的なものであれ、あるいは怒りに煽られたものであれユーモアを織り交ぜたものであれ、あくまでも自身のヴィジョンに従って映画を作るそんな人たちをあらたに発見することにある。私としては、いつかまたこの映画祭を直接会場で観客とともにあるべきかたちで体験し、参加作家や映画祭ファンとあの店を再訪できる日が来ることを心待ちにしている。酒と議論は滞らせてはならない。


マーク・シリング

1949年、オハイオ州ゼインズヴィル生まれ。1971年にミシガン大学を卒業し、1975年より東京に在住。1989年から日本映画のレビュー記事をジャパンタイムズ紙へ寄稿。1990年以降は日本の映画産業についても『Screen International』から現在は『Variety』に媒体を移しつつ定期的にレポートを続け、その他『PREMIRE日本版』『VOGUE JAPAN』『The Japan Quarterly』『キネマ旬報』『NANG』『Film Comment』などでの執筆も多数。2000年からはウディネ極東映画祭でプログラム・アドバイザーも務め、キュレーションを手がけた日活アクション特集(2005年)、日本のミュージカル映画特集(2006年)、新東宝映画特集(2010年)、日本のSF映画特集(2016年)といった回顧上映プログラムは、のちに北米でも形を変えて巡回上映された。主な著書は、The Encyclopedia of Japanese Pop Culture (Weatherhill, 1997)、Contemporary Japanese Film (Weatherhill, 1999)、The Yakuza Movie Book – A Guide to Japanese Gangster Films (Stonebridge, 2003)、No Borders, No Limits: Nikkatsu Action Cinema (FAB Press, 2007)、Art, Cult and Commerce: Japanese Cinema Since 2000 (Awai Books, 2019) など。