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座談会

バーバラ・ハマー監督
『Devotion ―小川紳介と生きた人々』
を巡って

参加者:許鞍華(アン・ホイ)、佐藤真、阿部マーク・ノーネス


 本座談会は山形映画祭期間中に催されたものです。当初、『Devotion―小川紳介と生きた人々』(映画祭では『Devotion』の英題のみで上映)を上映するにあたり、監督のバーバラ・ハマーの参加を中心にした公開座談会を予定しておりましたが、映画祭直前に起こった9.11事件の影響でハマーの参加が不可能となり、監督本人不在の座談会となりました。しかし、インターナショナル・コンペティションの審査員として映画祭に参加していた許鞍華(アン・ホイ)監督からは小川作品の未経験者としての、さらには同性としての視点、またかつてスタッフと共に新潟に移り住んで製作した『阿賀に生きる』(1992)の監督であり、今回アジア千波万波の審査員として参加していただいていた佐藤真監督からの視点、現在小川プロの本を執筆中の阿部マーク・ノーネスの視点と、異なる3人の率直な視点が交錯するユニークな座談会となりました。


政治と自分自身

阿部マーク・ノーネス(以下ノーネスハマーが小川プロというテーマと出会ったのは最近のことです。彼女は、1995年に山形国際ドキュメンタリー映画祭に来る前には、彼の映画を見たことさえなかったかもしれません。彼女は映画にいたく感激し、小川の未亡人である白石洋子にも会う機会がありました。その時、白石は彼女を牧野村に連れて行った。そこに、小川プロのメンバーが暮らしていた小さな家がまだあったのです。ハマーは、白石や牧野村の人々、またその他の映画祭を訪れていた人々からたくさん話を聞いて、この集団に惹かれるようになった。特に小川プロの女性達と女性の農民、そしてもちろん映画そのものに興味を持ったのです。そして、小川の妻を中心として、小川プロについてのドキュメンタリーを作ることを決意したようです。彼女は、日本人のプロデューサーおよびアシスタントから成る全て女性のスタッフを集め、そして状況はすぐに複雑化しました。その理由のひとつとしては、小川プロが複雑な人々が集まった非常にややこしい集団であることがあげられます。彼らの映画集団を見れば分かるように、かなり強烈な人々で集団自体を簡単に説明することができない。

 ハマーが製作を始めたタイミングは、よかった反面、悪くもありました。よかった点は、1992年の小川の死から大分時が経っていたことです。人々がこの集団について語れるようになってきていた。それに彼女は、小川プロの写真、映画、編集でカットされたフィルムなどに、いくらでもアクセスすることが許されてました。タイミング的に悪かったのは、彼女にアクセスを許した委員会は、当時、小川プロの作品の行方について熾烈な議論を闘わせていた。ハマーはその議論の最中に参入したのです。結局小川プロの作品は3つに分けられたのですが。家主が取り壊して駐車場を作ろうとしていた牧野の家についても、どうするか決めようとしていました。保存しようと言う人もいれば、取り壊しが待ち切れない人もいました。ですからハマーは、緊迫した緊張感が漂う中に飛び込んでいったわけです。彼女がこの映画を紹介する時によく言うのは、「これは私の生涯で最も困難な映画だった」ということです。彼女は、もし状況をよく知っていれば、製作しなかったろうとほのめかしているのだと思う。でも彼女が難しい状況を察した時にはすでに遅しで、製作が進みすぎていて取り止めにはできなかったのだと思います。

 (佐藤)真も私も小川を知っていて、彼の作品は私たちの文章や映画製作に影響を与えてきたので、ハマーが陥った困難な状況にはさほど驚きませんでした。でもアン(・ホイ)は『Devotion』を全然違う観点で見たでしょう?

アン・ホイ(以下ホイ自己紹介させて下さい。私は香港から来た映画監督です。『Documentary Box』に座談会を頼まれて、実は最初少しびっくりしました。なぜなら申し訳ないのですが、私は小川のドキュメンタリーを見たことがなかったからです。名前は聞いたことがありましたが、彼の映画は見てなかった。だから急いで『牧野物語・養蚕編』を見て、それから『Devotion』を見ました。私は香港出身で女性ですので、この作品について言いたいことはあります。日本語はほとんど分かりませんが、『Devotion』を見て非常にショックを受けました。嬉しいショックです。なぜならこれが偶像破壊の映画だからです。

 この映画では文化が交錯していて、とても面白かった。また、女性の監督が家父長制について話しているように、非常に政治的でもあります。私のニューヨークの友達が、私の性生活について聞いてきたことがありますが、その時は香港出身の私でさえびっくりしました。ですから小川の妻も性生活について聞かれて、さぞ困惑したと思います。でも彼女はちゃんと答えた。しかも非常に率直に。このようなコミュニケーションはとても貴重です。みんな性生活について聞かれてますが、日本人の映画作家じゃ、小川プロの人にそんなことは聞けないでしょう。彼らがちゃんと答えたということ自体、とてもすばらしいと思います。

ノーネス:同じ世代だから聞けたということもあるんじゃないかな。

ホイ:こういう、アメリカのドキュメンタリーのインタビューする側にとっては当たり前のオープンさが、異なる文化圏で適用されたのです。そしてその異なる文化圏がこれを受け入れたということに、とても胸を打たれる。それがひとつ。2番目は、この映画が私が深く感じるもの、映画製作におけるファシズムを明らかにしたということです。

ノーネス:どの映画監督の製作もそうだと?

ホイ:そうです。映画監督が自分の仕事に没頭している時は、ある意味で常に自分の家族を犠牲にするのです。私自身もその内のひとりです。良心がとがめながらも、家族を犠牲にする。私の経験から分かるのですが、監督の妻で、家庭生活に満足している人はいません。しかし彼女たちはそれに耐えなければならない。それに監督が女性ですから、この状況下での女性の扱われ方を特に鋭く描いている。これは個人の映画監督にとって普通の状況ではない。生活の一部にされてしまったのです。犠牲は明らかに非常に大きい。それにこの映画は、批判的にではなく事実として、いわゆる芸術的な体験を明らかにしています。また監督が仕事をしてる時に必ず発生するファシスト的なルールについても明らかにしている。ですからこの映画は、トーキングヘッド形式の、人がカメラに向かってしゃべってばかりで、とても平凡に見えるものの、鋭くて勇気があるという点で感動しました。

ノーネス:映画のクライマックスである、小川がファシストとして提示された場面は、他の場面とは異なる性質を持っています。私もこれらの人々のオープンさに非常に感銘を受けました。よくあそこまで話したというよりは、人生について深く考え、自分の過去について後悔していることにも折り合いをつけたという事実に感動した。彼らは歴史のために、映画の中で過去について公に話すことを決心したのです。

 それに対して非常に感動しましたが、でも小川プロのメンバーで実際に話したのは何人? 数十年の間にあの集団にいた100人ほどの人々のうち、たった9〜10人です。ハマーが最初から直面した問題のひとつは、人々は彼女と話したくなかったということです。これにはいろいろな理由がありますが、一部の元メンバーは、自分の過去を穏やかに理屈で説明できる境地に達していないのではないかと思います。しかしカメラの前に出た人々も、『Devotion』の終わり近くで、ファシズムとの比較を持ち出した時点で、穏やかさと自分自身の歴史へのコントロールを失っています。小川の妻、白石について話している時、突然話が過激になる。白石は江青女史呼ばわりされ、みんながグルになって彼女をやっつけているかのようになりました。このシーンの場所、編集、撮影を考えると、ハマーもこの暴力に参加しているように見えます。これは皮肉なことに、集団のファシズム性について話している時に起こる。

ホイ:でもそれは真実で、どんな映画集団を作る時にも避けられないことです。常に起こっていることを、映画の中で言ったに過ぎません。自分が欲しいものが得られなければ他者に厳しく当たるリーダーが存在するのです。残念ながら私にはそれはできない。目的を達成するために屍をまたぐようなもので、解決されることのないパラドクスです。優秀な監督はみんなそうです。

ノーネス:面白いのは、憤りが小川に向けられるのではなく、その妻に向けられてることです。ハマーの怒りが、他の人々の怒りの中に潜んでいると感じたのは私だけではありません。白石の撮影のされ方も、他の女性の時と比べると暗くて平坦です。

ホイ:彼女がそれを気に入らないとどうなるの?

ノーネス:ただ面白いと思って。置き換えという意味で。

ホイ:私はハマーが、人々の罵り合いや暗い面を明らかにしているとは思いません。彼女はただありのままを見せている。あなたが言ったように、彼らはいい人々、自分の人生について考えている人々であることは非常に明らかです。彼らは、自分の過去に折り合いをつけていなくても、これが自分に起こったことだという事実を受け入れて認めています。正しかったか間違っていたか、自分の人生にとってよかったかどうかは、関係ありません。単に起こったことなのです。そう認められる人は少ないです。非常に変ですが。

 私は『A2』も見たのですが、まるで思慮深い人ほど、非常に物質的な社会、金と権力のファシスト的な統治から逃れようとするかのようですね。逃げた時に行き着く先は、通常は失敗する運命にある大義に対しての、心からのコミットメントです。この映画は私に、人生の哲学的で悲劇的なビジョンを見せてくれました。

佐藤真(以下佐藤今、白石さんのことについて話題になっているけど、白石さんの言葉の中でやっぱり一番大事なのは、「自分がここで生活していることはフィクションなんだ」っていうことを小川紳介に言われてたっていうことがあったでしょう。白石さんは小川さんの妻ではあるけれど、スタッフの中ではひとつの役割を果たしたスタッフなんだよね。白石さんにとって、この作品がつらいのは、スタッフであることはリアルであっても、実際の夫婦生活は常にフィクションだと言うこと。それがハマーの映画によってすごく明らかになって、いろいろなことを考えされました。さっきアン・ホイさんが言ったみたいに、僕も集団が必ず持ってしまう権力構造っていうのが、すごくよく身につまされるっていうか、自分の問題として考えさせられる。僕が新潟で映画を作った時の自分達のテーマっていうのが、「小川紳介のようにはならない、小川プロのようにはならない」って、ずっと言い続けてきたのね。でも結果として3年間暮らす時に、僕は自分の暴力を意識していなかっただけで、僕のスタッフはみんな一度は逃亡事件を起こしている。集団の中で皆が皆とてもいたたまれない思いもしているし、やっぱり非常にその暴力的な集団の中で傷ついてきたっていうのが、よく分かるわけ。自分が集団を作っていく時にどうしてもある中心極みたいなものが必要になるわけ。みんなの意見を聞いて、それでとにかく合議制でやっていくっていうことは、映画を作る集団の中ではあり得ないわけだよね。映画は常に権力から生まれる表現だと思うんです。だからそこの部分で、やっぱりリアルな生活とそれから実際の映画作りは、もともと矛盾するものだと思う。それが一緒に生活してなければ問題は別になるはずなんだ。仕事の部分ではどんなに暴力的な厳しい現場があっても、帰って守られる家庭があるわけじゃないですか。小川プロの場合はそれが全く同一化していた。それがすごく自分の問題として考えさせられるところだと思う。

スタイル

ノーネス:非常に興味深い『Devotion』のスタイルについて話しましょう。これは、フォーマルなオマージュのためにオリジナルのスタイルを拝借した、映画製作についての映画とは違います。実際、ハマーのアプローチの仕方は興味深い。トーキングヘッド形式だけの典型例という、非常にオーソドックスな作り方をしているからです。しかし小川の映画の引用の仕方には、驚くものがある。実験的とさえ言えます。インタビューの部分に映像を引用してるのですが、どの映画を引用しているのかが示されていない。これは予期せぬことで、混乱を招くとも言えます。

佐藤:僕はこの作品に対しては2つの立場があってね。ひとつは作品としてどう評価するかっていうこと、それからもうひとつはやっぱり小川プロの集団のような作り方を僕もしていたから、小川プロの集団の内部について、他人事ではないっていう、インサイドの側のスタッフの問題として感じる所はある。だけど、今マーク(・ノーネス)さんが言ったあの作品の引用の仕方に対しての問題、とまどいというか、作品として批判があるって言われたけど…。やっぱり小川紳介の集団についての彼女のとまどいと批判を強調するために、小川紳介の作品の引用の仕方が問題なんで、かなり強引な引用の仕方をしている。フィルムそのものが持っている力っていうのはもちろんあって、それに対していろいろデリケートな触れ方をすべきところを、非常に自分の論理を強引に持ってきているということが、ずっと『Devotion』を見ながらとまどいとしてあった。

ノーネス:彼女は、観客に何を見ているのかを伝える説明用の字幕を入れずに、映画のクリップを使った。つまり彼女は、特定のイメージ(編集でカットされたフィルムを使うこともあったが、ほとんどは小川の映画から)を取り上げて、そのイメージの本来の意味を剥ぎ取って、その映像に類似したどんな発言にも合うような、非常に一般的なイメージを作ったのです。字幕がないため、ほとんどの観客には、それがカットされたフィルムなのか、完成した映画のクリップなのか、ホーム・ムービーなのか全く分からない。小川の最初と最後の映画には再現した場面があったから、ドキュメンタリーとフィクションの境目もあやふやとなった。その結果、ドキュメンタリーのイメージが、過去に「何が起こったか」から、「どんな風だったか」に移行してしまった。ハマーは小川の映像を好きに使うことができたのですが、ほとんどは、ありふれたやり方でインタビューに映像を挿入するために使ったのです。

ホイ:あなたが仰言ったように、表現と技術の点ではハマ−自身が状況にのめり込んでいるために、表現的に少し失敗しているかと思います。映像と言葉があまり合っていない。私が見ている限り映像がボイスオーバーと一致するパターンが作られていません。ボイスオーバーでは、ある男性がとても不幸だったことについて話しているのに、映像の方では彼が過去にとても幸せだったところを見せていたりします。表現の点では混乱があり、この映画ではそれがいい方に転んだと言えますが、あまり正しいことではありません。家の中での料理のシーンの最後にモンタージュがありますが、私にはそれがボイスオーバーとどう関係あるのかが分からない。でもボイスオーバーを一生懸命聞いていたから分からなかったのかもしれないし、彼女が何をやっていたのか気づかなかったのかもしれません。監督自身が、この状況の中で混乱していたような気がします。彼女は全てをコントロールしていなかったように感じる。そこに素材があって、自分にとって最も意味がある素材を繋ぎあわせただけみたい。

ノーネス:ハマーがそれぞれのイメージが持つ意味を剥ぎ取ってしまったから、人々が言っていることと、それにかぶさっている映像の間にギャップがあります。例えば小川の子ども時代のシーンで、ハマーは小川が学生時代に作った映画のショットを借用しています。この映画のことを知らなければ、これは小川が過去に作ったホーム・ムービーだと思ってしまうでしょう。同じように、小川の最後の映画(『1000年刻みの日時計』)のフィクション・シーンも、彼の母親についての幻想として使われている。これらは魅力ある混乱となっていて、恐らく、まさにあなたが言ったように、歴史を自分の支配下に置き、彼女が主に興味を持っているものに集中するための手段だった。でも小川プロや、空港をめぐっての三里塚闘争や日本史を全く知らない人は、これらについて何も知ることができない。なぜなら(オーソドックスな“メイキングもの”の映画と比べて)『Devotion』はソープ・オペラ、集団内での人間関係についての政治的なソープ・オペラのようだからです。そこが非常に面白いと同時に、非常に不満な点です。

佐藤:混乱ということについて言うとね、ハマーが最初に撮ろうと思ったことと、小川プロの集団が持っていたなんかこう血みどろの、どこを触れても血が出てしまうような集団の傷つけ合い方っていうこととの間に明らかに矛盾がある。ハマーが多分最初に小川さんの奥さんである白石さんについての、ある追憶みたいな尊敬の念からスタートした映画が、集団の闇を描くみたいに変わってきた時に、その自分自身の困惑に関してあまり正直じゃない、この作品の作り方がね。またその結果としてできた作品は、すごくオーソドックスなドキュメンタリーのスタイルだし、それから作っている監督の眼差しがどこにあるのか、何のためにこの集団の闇を、誰がどの権利があって、この集団の闇を裁いて、それをどういう風に決裁するのかっていうことが最後まで見えない。誰がどの視点でこの集団を見ているのかっていうのが、すごく混乱してしまっている感じが僕にはあった。

ホイ:先ほども言いましたが、このドキュメンタリーでは、彼女が素材を使いこなしていなくて、別の意味を持たせること、微妙な意味合いを示すことができていない。本当にそうです。ショックなのは、当時彼女は…彼女自身、誰かを傷つけるかのようにしか率直に語ることができないように見えることです。

ノーネス:トーキングヘッド形式は、素材を支配しようとするためなんだ。

ホイ:彼女は、女性の権利や、自分に正直であることといった自分の価値観に頑固にしがみついていて、全てをもっと複雑で微妙な方法で表現できなかったみたいですね。

ノーネス:僕は、カメラの前でいろいろな顔がしゃべっているけれど、バーバラの顔はどこなのかと問いかけ続けました(笑)。監督はどこからしゃべっているのかと。

ホイ:イメージと声を集めて並べた中で、それに対する解説がない。出来事の順序についても解説がない。最も単純な答えしか扱いこなせないかのようです。

ノーネス:彼女は、今話した微妙ではないということの他に、自分のポジションを探していた気がします。ハマーは接近し過ぎた挙げ句に、小川プロの最後のメンバーになった印象がある。そして『Devotion』が、小川プロの最後の映画になった! 結局彼女は、知らないで見る人に対して何も説明をしていない。まるで小川プロの人々だけのためにこの映画が作られたかのようです。

ホイ:“献身(devotion)”の反対のようでいて、実は献身なのね。

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許鞍華(アン・ホイ) Ann Hui


1947年中国鞍山に生まれるが、幼少時マカオ、続いて香港に移住。胡金銓(キン・フー)監督の助手を経て、テレビ・ドラマの演出を多数手がける。1979年『瘋刧』で劇映画に進出、即座に香港ニューウェーヴの代表的監督のひとりとして話題をよぶ。『望郷』(1982)はカンヌ国際映画祭で注目され、1983年金像賞(香港アカデミー賞)作品賞及び監督賞受賞。主な作品に『客途秋恨』(1990)、『女人、四十。』(1995)。ドキュメンタリー作品『私の香港/去日苦多』(1997)は1997年の本映画祭で招待上映。2001年本映画祭にて『千言萬語』が審査員作品として上映される。

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佐藤真 Sato Makoto


1957年青森県弘前市に生まれ、東京で育つ。学生時代に訪れた水俣でドキュメンタリー映画と出会い、『無辜なる海』(香取直孝監督)の製作に参加。その自主上映の旅で新潟・阿賀野川に暮らす人々と出会い映画作りを決意し、スタッフ7人で3年暮らして『阿賀に生きる』(1992)を完成。本映画祭優秀賞をはじめ各賞を受賞。『まひるのほし』(1998)は1999年の本映画祭「日本パノラマ」で上映。著書に『日常という名の鏡』、『ドキュメンタリー映画の地平』(凱風社)がある。『SELF AND OTHERS』、『花子』は2001年の本映画祭で審査員作品として上映。

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阿部マーク・ノーネス Abé Mark Nornes


ミシガン大学アジア言語・文化学科/フィルム・ビデオプログラム準教授。山形国際ドキュメンタリー映画祭91年「日米映画戦」、93年「世界先住民映像祭」、95年「電影七変化」のコーディネーターを務める。小川プロについての本を執筆中。

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バーバラ・ハマー Barbara Hammer


1939年アメリカ、ハリウッド生まれ。60年代の終り頃から、8mmで映画を撮り始める。現在まで80作品にものぼる実験映画や社会的メッセージの強い作品を発表。世界中の映画祭で上映され数多くの賞を受賞。現代アメリカを代表する映画、ビデオ・アクティヴィストのひとりとなっている。また彼女の製作した映画はいまやレズビアン映画のクラッシックとなっている。1992年に初の長編ドキュメンタリー『ナイトレイト・キス』を発表、スタイリッシュな映像で同性愛の社会・文化史を検証した。1995年、本映画祭インターナショナル・コンペティションの審査員長を務める。『テンダー・フィクションズ』(1995)は、1997年本映画祭コンペ部門で上映。近作に『History Lessons』(2000)などがある。『Devotion―小川紳介と生きた人々』は2001年本映画祭特別招待作品として上映。

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Devotion―小川紳介と生きた人々

アメリカ、日本/2000/日本語、英語/カラー、モノクロ/ビデオ/82分
監督・撮影・編集・製作:バーバラ・ハマー
助監督:嶋田美子
録音:バーバラ・ハマー、田中純子
音楽:関一郎、縄文太鼓、木村サト
アソシエート・プロデューサー:中野理惠、小野聖子
製作会社:バーバラ・ハマー・プロダクション
配給(日本国内):パンドラ
〒104-0041東京都中央区新富2-5-10新富ビル3F
Phone: 03-3555-3987  Fax: 03-3555-8709

小川紳介と小川プロダクションは、世界でも類のないドキュメンタリー映画製作の手法をあみだした。1970年代、彼らは三里塚に拠点を置き、メンバー全員が傍らで農作業、傍らでカメラを廻すという生活をする中で『三里塚・辺田部落』『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』などの傑作をつくりあげていったのである。生活の拠点はやがて山形県上山になり、メンバーも変わっていった。 小川プロダクションに参加し、あるいは離れていった多くのメンバーや、土本典昭監督、黒木和雄監督、大島渚監督といった同時代を生きた人々へのインタビューを通して小川プロダクションとは、小川紳介とは何だったのか、アメリカ人バーバラ・ハマーが探った作品である。

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