個人と集団
佐藤:あの、一体誰が見てるかなというとまどいと共にね、この話、これはどこかで聞いた話だなっていう風に思うところがあってね。それは結局、小川紳介のことを語りながら、『Devotion』の中でずっとみんながしゃべってることは、自分の父親とか村の長っていうか家長とか、自分の親父にどれだけいじめられて、どれだけ苛まれて、どれだけ少年時代に傷ついたかっていう父親殺しの話なんだよね。でも、自分の生まれ育った村が憎いと思いながら、最後はやっぱり小川紳介の残した仕事とか、やろうと思ったことに対して、すごく離れがたく思ってとても強い影響を受けて、今でも人生の指針になっている。これは父親殺しの話だと思ったのね。みんな小川紳介を兄貴として慕い、親として思い、憎しみを持ちながらも、結局最後は、でもやっぱり我々があの集団にいたことはひとつの誇りなんだっていう風に思っていく。それは決して特殊な話ではない、そういうことが普遍的な問題として出てきた感じがする。
ノーネス:小川についての不平が始まる時、ある種単純な心理描写があります。家父長制への復讐、父親殺しの部分の最中に、巨大な鉄塔が地面に倒れる映像が出てくるのです。これは、飛行機が滑走路から飛び立つのを邪魔するために、学生運動家によって建てられた塔です。おかしな組み合わせですが、同時にとてもシンプルで、闘争が起こっていた三里塚のすさまじい状況については何も語っていない。
ホイ:小川を知らない、または高く評価しない観客にとっては、小川プロの集団がどのように撮影したかをもっと話してくれた方がバランスが取れていたと思います。私はそれが聞きたかった。彼らがやっていたこと、それは何のためにやっていたのか? その方が話のバランスが取れたのに。
ノーネス:映画が彼らを救ったと言ってたしね。
佐藤:それともうひとつ、そんなにひどい集団の中でも、スタッフがいかに苦しんでいても、その集団が村の中に登場していく時は、非常にていねいな人間関係を作って、村の人達にとっては、本当に小川プロの、特に小川さんだけではなくて、一人一人のスタッフがすごく大事な人として、村の人達に認められていたわけですよね。村の人達は小川さんをすごいと思うと共に、小川さんの下で無償でお金にもならず、毎日、村の人から見れば無意味と思える実験道具を作ったり、模型を作ったりすることをとにかく一生懸命やっている人達の姿は、村の人達にとってすごいインパクトを与えたと思うんです。最初は奇異な存在だった小川プロを、次第にある尊敬の眼差しを持って村の人達が眺めるようになったということが、小川さん達が撮ったフィルムの中に映っている。古屋敷村の人達もそうだし、牧野村の人達にもその変化がある。村の人達が小川プロをどう見てるかっていうことが、ちゃんと現れてるはずのフィルムをハマーはちゃんと使っていない。バーバラ・ハマーが自分の論理で全部解体して、マテリアルとして、セックスの問題、父親の問題、集団の問題、それから家父長制の問題っていう自分の論理の中で、全部切り貼りをしてしまっている。そのため村の人の視線が全く見えなくなっているっていう気がした。
ノーネス:彼女は、小川の映画の内容には興味を持っていない。彼女は、救いを求めるという共通の目的のために集った集団、大義のために集団で努力する試みの複雑さ、そして最後にこれら理想を妥協に追い込む人間関係に興味を持っている。だから農民は無関係、映画も無関係となるのです。私は、これらに対するハマーの受け取り方に興味を持ったと共に、彼女が焦点を当てた部分も非常に重要だと思いました。そこでアン(・ホイ)が指摘した、ファシズムと映画製作についての話に戻ります。集団による映画製作と、個人による映画製作の間に決定的な違いがあるのかを探りたい。小川のアプローチの仕方とは異なり、ハマーは数人の持ち回りのクルーと撮影していた。パーソナル、個人の映画製作に近い。実際、小川は常に自分のクルーと議論していたけれど、ハマーは自分の手の内を明かさず、自分が考えていることを他人にはあまり教えなかった。だから『Devotion』は、実にパーソナルな映画です。でもあなたは、集団と個人の映画製作の違いは重要でないとお考えなのですか? もしすべての映画製作がファシズムなら、唯一の違いは小川プロが一緒に住んでいたことだけだと?
ホイ:私には、対立が多発しなくても、集団での撮影は決してうまくいかないことは分かっています。現場で誰かがボスならば、それはそれでいいのです。でもあのようないわゆる民主主義を持ち込むのは、それがプライベートな生活の場であっても決してうまくいきません。それは極端な理想主義です。またはどんな監督でも個人でもできる最大のことは、状況を指摘することであって、他人に指図したり、何がいいか悪いか言うことではありません。すべての映画監督は、自分で自分を救わなければならないのです。自分なりのやり方その他を見つけなければならない。この理想を極限まで持ってくるエネルギーと激励は、賞賛に値するものです。なぜ人々はより良い人間になろうとしないのか? この種の努力は時には失敗、通常は失敗しますが、だからといってやってみる価値がないわけではない。分かっていてもやってみる。小川もそれが困難であることは重々承知で、それでも実行したのでしょう。
ノーネス:昨日の上映の後、数人の映画関係者と話したのですが、彼らは、日本のドキュメンタリー史は、集団製作が理想的だった時代(これが小川プロがかつて、そして今も人々にとって重要な理由のひとつ)から、個人映画の時代に移っていった。そして多くの人は、ある種の集団製作に価値を置く方向に戻りつつあると感じている。それと同時に、集団で何かをやろうと考えていた人が『Devotion』を見たなら、即座に8mmに戻って、自分だけでドキュメンタリーを作るだろうと話しました。
佐藤:僕も、やっぱりもう一度集団製作には戻れないと思うね。日本ドキュメンタリーの全体の動きがね。『Devotion』を見ながらずっと思ったのは、小川プロの集団がずっと持続した論理は、小川さんのものすごくカリスマ的なすばらしい魅力だとは思うけれど、もうひとつは、やっぱり大義だと思うんですよね。国に対して、社会に対してこんなに矛盾があるじゃないか。目の前で起きている矛盾、とにかくこんなにひどいことが、という怒り。たとえば、国が決めたからという理由だけで農民を追い出して空港を作る。そのことに対して心ある人達が反対をして、これはおかしいと言っている「大義」が圧倒的にあると思う。今の時代の中では、集団性を維持するための大義をどこに持つのかがすごく難しいと思う。小川さん達にしても、大義を持っていた三里塚から、その大義が一切ない山形に移り住んだわけでしょう。山形に移り住んだ時に、集団性を維持する大義ってないんだよね。農民の心を知るっていうのは、どうぞ勝手にやって下さいっていうこと以外、村の人にも他の人にも大義らしい大義はないわけですから。山形での映画作りの対象は国家の問題でもないし、権力の問題でもない。だから当然のことながら、外に向かうべき論理が内側に向かわざるを得ないわけですよね。自分達の小宇宙を見つめると共に、自分達の集団の中でそれを見つめていかなくちゃならない。その時に当然のことながらその集団がどんどん閉じていくし、閉じていった中で突き詰めていくことで、お互いを傷つけ合っていくっていうことはあると思う。
ノーネス:この点から言っても、歴史的なコンテクストの欠如は残念です。この映画自体が末期の小川プロの閉鎖的な世界に陥ってしまった。残念なのは…
ホイ:コンテクストがないことね。
外から中へ入ること
ノーネス:彼女は集団の政治学のみに興味があるように思えます。(佐藤)真が今指摘した最も重要な点のひとつは、映画の中では見失われていて、この点については監督は気づいていないでしょう。彼女自身が個人的な関係の世界に埋没していましたから。彼女自身、感情的な置き換えを経験しているようです。彼女は歴史を見失っている。同様にある意味で日本をも見失っています。私は外国人によって作られた日本についての映画はほとんど全て嫌いですが、この映画はかなりいい。でも同時に、彼女は小川プロを日本の同類語にしようとしていて、でも人間関係だけに焦点を当てることによって、それも見失っている。これは大きな損失です。
ホイ:彼女は文化的境界と国境を見失い、越えました。彼女がこの話題に触れる時に、観客は、外国人が日本で撮影して、日本で何かをやろうとしているコンテクストは、普通の状態ではないことを認識するべきです。でも彼女はすぐに状況そのものに飛び込んでいるから、少なくとも映画監督である私は、この映画を見ていろいろなことが分かって、勉強になりました。自分が何をしていて、それが何を意味して、どういう価値があるのか常に分かっている。撮影しながら分かっていた方がいいですから。
佐藤:でもあそこにはまぎれもなく日本そのものが映っているっていう風に思うよね。それはもうひとつは小川紳介が亡くなって10年経たないと、みんなああいうことは言えない。小川紳介をめぐるダークサイド、闇の世界があることはみんな知っていたけれど、それはやっぱり外国人の他者の目を通してしか語れない。例えば僕が小川プロの集団性について何か作品を作ろうと思うと、僕の立場とそれからまた残っているスタッフとの個人的な関係や立場があって、とても客観的にはなれない。でもバーバラ・ハマーのキャメラは外の世界から持ち込まれたから、初めて小川プロのスタッフが今まで言えなかったことをキャメラの前で言っているところがある。そこにあの作品のある種のカタルシス、力があるんでね。まさにそれは日本そのものだなという感じはする。
ホイ:必ずしもそうではないでしょう。香港のドキュメンタリー界の人も、ある段階ではローカルのプロダクションは、外国のスタッフを欲しがると言います。
ノーネス:日本的というわけではないかもしれない。どこの国の人でも、外国人と接すれば、それによって平常さがなくなり、普段なら言わないことを言ったりするかもしれません。
ホイ:外国人はこういう意見を、もっと受け入れると思うのかも。
ノーネス:話を引き出すのに外国との出合いが必要だったというのは納得できません。インタビューを了承した人々は、お金の問題や、抑圧的な存在だった小川について、以前から話し始めていた人達ですから。彼らはハマーが関わる数年前から、東京のアテネ・フランセで小川特集が上映された時などに、こういう話をしていた。つまり、彼女にとってのお膳立てはできていたのです。
加えて、彼女のフェミニスト・フィルムメーカーとしての彼女の評判が先行していました。映画からは分からないことのひとつは、この集団で過去に父権的な暴力があったのは確かですが、その後ジェンダーの問題と小川プロ内での女性の扱い方について意識が高まっていった。ジェンダーのポリティックスに非常に神経質になって、集団が機能していた時には気づかなかった問題も認識されていました。だから一部の人はこれについて話し、その他の人は、バーバラ・ハマーが彼らについての映画を作ると聞いて、恐らく怖じ気づいたのでしょう。こういう歴史的なニュアンスが、全く欠如しているのです。
佐藤:でもそれは日本的と言うよりは、小川さんはやっぱりずっと神様のような存在だったでしょう。影響力にしても、すごく大きな力を持ってた。特にアジアの監督達にとっては神様みたいだった。自分達の新しい方法を山形映画祭で、小川さんに会うことによって発見した作家がいっぱいいるわけよ。だから小川さんが神格化されると共に、小川さんがやってきた集団性のあり方っていうことに対して、各国の作家達が非常に大きな影響力を受けているわけ。小川さんの口から語られる集団論は、スタッフの側から語った集団論ではないから、非常にその無名性を強調して、みんな貧しいけれども自分達がやるべき大義について、きちっとした関係、集団を作って、村の人達と話をしていくっていうものだと思うんですよね。だから外に向かって小川さんが語り続けてきた集団論は、あるひとつの神話として山形から発信されて、アジアの監督達、それから多くの作家達に語り継がれてきたんだと思う。すでにね。だけど、実はそれはひとつの物語でしかなくて、実際はその神話を支えたのはスタッフであり、その神話の陰で傷ついたのは女性達である。それから集団っていうのは、そんな簡単に頂点に立っている小川紳介側からの論理では語れない闇の部分がいっぱいある。それを、やっと初めて言えるようになったのは10年経ってからなんですよね。
ホイ:私は、いわゆる暴力や虐待や暗い面が強調されるべきではないと思います。それらは映画製作や人間の本質に付いて回ることだからです。どんな撮影でも、虐待される人はいます。これは避けられないことなのです。これらを容認するべきだと言っているのではありません。ただ事実を認めているのです。これらにどう対処すべきは、また別の問題です。
ノーネス:彼女の映画がもっと反映、自己を反映していれば面白かったかもしれない。『Devotion』の製作においての彼女について問う必要があるということです。それなのにこの映画は、そういう問いかけを許さないところがある。
佐藤:小川さんはすごくフィクションを語るのが上手い。自分の物語は見事に作りあげてしまう。自分の生まれから、農民の息子だったことから、大学を中退したことから、全部ウソのストーリーを自分で作ってきてね。フィクションで自分を囲んでしまったんだよね。だから小川プロの集団論についてアジアの監督達に言ったことも、ある意味のウソって言うか、フィクションが入り込んでいるわけですよね。で、まさにウソ話だからこそすごいリアリティーがあったわけ。小川さんの話って。村の人達の話もウソが混じるから、ホラ話がファンタスティックだったり面白かったりする。でも、小川さんが作りあげていたウソの世界が、なんか全然見えてこないんだよね。『Devotion』を見てるとね。小川さんは全然ウソを言ってないし、集団はもうちょっと正しく論理的で、お互いを傷つけ合わないようにすべきであるっていう眼差しで小川プロを見ているような気がした。バーバラは小川さんが作り続けてきた、ある種のフェイクな世界への関心が全くないという気がした。
ノーネス:小川は、他のテーマを追求するための鍵となってる。具体性の反対です。あいまいで、つかみどころがないので、どういう意味にも取れる。小川に出会った人々が感じた、彼の作り話のパワーについては、ハマーはほとんど触れていないので感じることができない。彼は他のことに使われているのです。
小川の集団が小さくなればなるほど、(佐藤)真が言っていた作り話がどんどんふくらんでいった。実際、その作り話は日本の国境を超えて、アジア全体をカバーし始めたのです。新小川プロは、明らかに汎アジア的になるはずだったのだと思います。私が小川に会ったのは、まさにこの時で、私も自分自身をこの作り話の一員に加えてもらいたい1人です。さまざまなアジアのドキュメンタリー映画監督が触発され、小川が彼のカリスマ性で作ったある種の天国に参加した。だから彼らの小川に対する見方は、ハマーが焦点を当てた人間関係の現実とは全くかけ離れていた。しかし同時に一部のアジアの監督達は、『Devotion』で取り上げられた問題に勘づいていた。小川プロに最も近かった2つのグループで、小川に直接影響されて集団製作を試みようとした人々は、台湾の全景映像工作室(呉乙峰が設立)と韓国のプルン(金東元が設立)です。両者とも小川プロ内の暴力に気づいて、同じことは繰り返さないようにした。だから彼らが学んだことの一部は、小川のようにならないこと、集団内の人々がそれぞれ自分の仕事ができるようにすることでした。
ホイ:小川は集団を持つ必要性、または欲求について話しているけれど、それはどういう意味なのですか? なぜ匿名でないといけないの? なぜ映画製作と生活の場を合体させなければならないの? それらをどう正当化できるのですか? なぜそうすることが魅力的なの?
ノーネス:歴史的なコンテクストが欠如しているせいもあるのですが、匿名性についての一連のコメントは、主にこの集団の歴史の中の特定の時期についての話なんです。三里塚で数年過ごした後、集団性と匿名性のレトリックがピークに達したのは、小川が1972年から73年に辺田部落で映画を作った頃です。多くの映画を作る過程でなされた、数年に渡る複雑な議論がピークにあった時の話です。そしてまさにこの時、学生運動が崩壊し始め、空港の完成が近づいた。
見直される集団性
ホイ:なぜ集団でなければならないのですか? 製作は容易になるでしょうが。なぜ映画製作からお金を得ることなく、住居を共有しなければならないのですか?
佐藤:あの、それは無名性に徹するということです。小川さんがずっと言ってたのは、スタッフは単なるプロフェッショナルなカメラマンとか、映画の技術者ではなくて、農民の心を体感しなきゃいけないと言い続けていた。自分達が農業をやって、農業の単なる観察者じゃなくて、中に入ってインサイダーにならなきゃいけない。で、インサイダーになるっていうことは、小川さんの論理で言えば、映画の中でのヒエラルキーで、監督がいて助監督がいてカメラマンがいて助手がいてっていうヒエラルキーではなくて、そこのとこではみんな同じなんだ。農民の心を知るということに関しては監督もスタッフもない、ということを言い続けていた。
ノーネス:フィルムメーカーとしての自分の主観性を抑えて、通常は映画の中で客観化される人々の主観性で映画を覆い尽くす。これが理想です。そしてこの姿勢の裏に潜んでいるのは、物質的な理由、お金がなかったということです。お金はすべて映画製作に消え、生活や家族にまでは回らなかった。ハマーはこの実際的な理由を非常にうまく明らかにしている。これは辺田部落で最高潮に達したプロセスの一部で、この集団性のビジョンが固定化して山形に持ちこまれた。全てが変わってしまっていたにも関わらずです。それ以後、このやり方は機能しませんでした。小川は学生運動映画の頃から三里塚時代を経て山形まで、ずっと集団で動いてきた。しかし集団の性質は、物質的条件が変化して、彼らがより優れたフィルムメーカーになると共に変わっていきました。メンバーの多くは、彼らの集団が年月が経つ間に様々に変わり、山形と三里塚での集団は同じではないことに同意すると思います。
ホイ:メンバーは集団を自由に出入りできたのですか?
ノーネス:厳密に言えばそうです。メンバーの語り草になっているのは、みんな辞めると言わずに出て行ったということです。朝起きてみると、隣に寝ていた者がいなくなっていた。つまりある意味で辞めることはできなかったのです。逃げなければならなかった。それについては、彼らが映画で話しています。
ホイ:メンバーはどうやって受け入れたのですか? 入りたければ誰でも入れた?
ノーネス:そうです。とても流動的でした。変な入会式なんてなかったです!
佐藤:でも、あそこでスタッフみんなが言っていることで非常に気になるのはね、もちろん今マーク(・ノーネス)さんが言ったように逃げられないっていう怖さもあるけれど、自分から逃げてしまったら自分自身の理想を裏切ることになる。そうした自分に対しての問いかけがすごくあるでしょう? 今の僕らの集団の時にはないですよ。少なくとも『阿賀に生きる』の時はね。ここで何かずっと持続をしていくことから逃げてはいけない、逃げることは自分が最初に持っていた三里塚への想いとか社会に対する怒りとか、そうした大義から全く背を向けることにしかならないっていう、その非常に論理的な強い問いかけがみんなの話から出てきますよね。それがすごく印象的だし、すごく面白かった。だから三里塚の時には国家に対しての怒りが大儀、倫理になっていたけれど、山形でも同じように小さな田んぼの中に大きな宇宙を見るんだ、誰もがやっている普通の田んぼなのに、そこに大きな世界を見ていく。それは我々がやっていかなきゃならない。そこから逃げてしまったら、自分達がやってきたことを全て否定してしまうっていう強い倫理ですよね。でもはたから見れば、だたの田んぼを作る人にすぎないわけだから、それは他の普通の農民と全く変わらないことをやってるわけだけど、その小宇宙を見つめていくのは我々だけなんだっていうことはずっとあって、そのことがすごくよく分かりますよね。『Devotion』を見ててね。
ホイ:DVが一般的になって、集団の必要性はますます少なくなったと思います。撮影にそれほどお金がかからなくなりましたから。
ノーネス:でも同時に、『Devotion』には集団的なアプローチが必要だったのではないかとも思いますね。つまり、小川の集団製作という考え方は、単に経済的な問題ではないのです。『Devotion』の製作そのものを考えてみて下さい。ハマーは基本的に一人で動いていました。彼女の通訳やプロデューサーは、クリエイティブなプロセスにはあまり関与していなかった。これがみんなのフラストレーションにつながったのです。例えば彼女は、典型的なアメリカ人のフィルムメーカーらしく、元メンバーにインタビューを依頼する手紙を送り、彼らに会ったらすぐに撮影を始めました。これは特に驚くことではありませんが、元メンバーの一部はショックを受けた。彼らはこのような唐突なアプローチを、集団で農民にゆっくりアプローチしていった小川プロへの理解の欠如と受け取ったのです。でもハマーには時間も、そのようなやり方をする気もなかった。結局、両者がフラストレーションに陥ったのです。
必要だったのは、集団でこれら複雑な人々とゆっくり交わって、彼らの信頼…彼らの献身(devotion)を得ることだったのかと思います。彼女が、個人で「1人で1つのカメラで」という形式に非常に固執したので、『Devotion』は閉じた世界で終わってしまった。あなたが言っていた映画製作のスタイルは、集団を必要としないのでしょう? そのやり方だと、個人のフィルムメーカーが望むものに強く焦点が当たるので、アーティスト自身が方向を見失えば、その作品は『Devotion』のようになってしまう。ハマーは自分が直面しているものを掴んでいなかった、マテリアルとの格闘が映画の中に現れているということを話してきました。彼女がやったことと小川プロの集団製作の決定的な違いはここにあります。小川プロの集団製作は、果てしない議論とギブ・アンド・テイクに基づいたものだからです。ハマーは誰とでも話していましたが、ある意味では誰とも会話していなかった。その反対に、彼女が向き合っている人々は、映画を作る時に何時間も議論し、対象を十分に知った上で、対象との関係にカメラを持ち込んだのです。
ホイ:じゃ、この映画は第1部でしかない、あと2部が必要です。1部は、小川について小川プロ自身が撮ったもの。もう1部は、この映画を撮っているバーバラ(・ハマー)についての映画です。これですべてが見えるでしょう。常に彼女を撮っているDVカメラが必要だった。
ノーネス:私が『Devotion』があまり自己を反映していなかったのは残念だと言ったのは、まさにそのためです。
佐藤:でも『Devotion』は作品としてはいろいろ問題はあると思うけれど、やっぱりこの時期に小川プロのいろいろ水面下で問題になって噂話になっていたことや、小川紳介死後の問題、それがちゃんとハマーの視線によって明らかになったわけですから、特にお金(借金)の問題、集団論と実際の集団性との矛盾の問題、また、あの中で無償で働かさせられた女性達の苦労の問題が明るみに出たのはすごくよかったと思う。山形映画祭の今後にとってもそれはよかったと思う。そういう噂話をみんな結構話してきたし、みんな小川さんに影響を受けて山形映画祭に集まってきたわけだけど、そういう裏話をずっと語ってきて、でも実際はというと、山形映画祭の表舞台では小川紳介を神格化しておきながら、酒の席では小川プロの集団論の矛盾を語るといった表と裏の話の二面性がずっとあったわけだよね。そこにちゃんと光が当たったのはよかったと思う。
編集者:朝早く起きて、インタビューにお時間を割いて頂き、ありがとうございました。
構成・翻訳:村上由美子