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インターナショナル・コンペティション

西へ

The Way to the West

- ギリシャ/2003/ギリシャ語、英語、クルド語/カラー/35mm(1:1.66)/79分

監督、脚本、製作:キリアコス・カヅラキス
撮影:アレクシス・グリバス
編集、音響:キリアコス・カヅラキス、ダフネ・トリス
ナレーター:カティア・ゲル
製作会社:ギリシャ・フィルム・センター、ギリシャ放送協会、オマラ・テフニィス
配給:ギリシャ・フィルム・センター
Greek Film Center
10 Panepistimiou str, 10671 Athens GREECE
Phone: 30-210-3631733 Fax: 30-210-3611336 E-mail: info@gfc.gr

旧ソ連出身のイリーナは、よりよい生活を求めてギリシャに渡り、行方不明になった友人を探してアテネをさまよい歩くが、人身売買の犠牲になってしまう。彼女のフィクショナルな独白を通して、アフリカやアジアなどからギリシャへと渡ってきた難民の厳しい現実と悲劇が語られていく。深い悲しみが全編に漂い、見るものを包み込む。



【監督のことば】目で見たことについての、目で見ることによる私なりのコメント

 映画はそれ自体視覚的なもの。それは無限でユニークな表現方法の一分野である。一方で、映画における“時間”の概念は新鮮かつ決定的な要素である。潜在意識が意識に侵入してくるように、ひとつのイメージは別のイメージに入ってくる。自分自身がこの内なる対話の一部になりきることは“魔法”のプロセスなのだ。この意味では、単に客観的に現実を記録することなど、私にできたためしはない。芸術におけるリアリズムの問題は常に解釈にゆだねられている。1970年代に、私たちは絵画とは“批評のリアリズム”だと考えていたが、30年後の今では、主観が私たちの作品を決定づけていたことを認めている。完全な主観性への道を選択して、個人的な表現の守られた特権の背後で安住していたいとは思わない。いずれにせよこれは、現存する要素なのだから。逆に、自らが全体の一部であると感じれば感じるほど、人は自らの個性的な特性を発展させることができるのである。

 芸術における専門用語は理解を容易にする。ドキュメンタリーやフィクションという言葉によって記述が簡単になってはいても、必ずしもそれらが指し示す意味に沿っているわけでもない。非常に主観的な手法でフィクションにもなりえるようなドキュメンタリーを撮ることもできれば、その逆も可能なのだ。

 私の意図は母国における難民の生活を単に記録するだけでなく、多くの新参者の顔――それは次々に移り変わる――を通して、物事の本質を理解することだった。彼らの顔に映る恐怖の表情の向こうをみることだった。

 しかし、映画においては、一般に芸術においてそうであるように、物語の魔術に身を任せて表現の新しい道筋を発見することは、独特な美しい道のりなのだ。作品の主題には生命があるがために、いつしか訪れる死もあり、作り手こそが、その主題をあぶり出すのだ。


- キリアコス・カヅラキス

1944年生まれ。アテネ美術学校で絵画を専攻。その後、ロンドンで彫刻と映画を学ぶ。1970年「ニュー・グリーク・リアリスツ」、1991年「ヨーロッパ24」、1995年「オマラ・テフニィス」とそれぞれの芸術家グループ創設に参加。1988年以来、「アテネ芸術劇場 カロロス・クン」のセット・デザイナーとして働いている。セットおよびコスチューム・デザイナーとして劇場や映画(テオ・アンゲロプロス監督作品など)でも活躍。本作はテサロニキ・ドキュメンタリー映画祭でFIPRESCI賞を受賞。


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