時の愛撫
Fuente Álamo--The Caress of TimeFuente Álamo--la caricia del tiempo
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スペイン/2001/スペイン語/カラー/35mm(1:1.33)/72分
監督、脚本:パブロ・ガルシア 撮影:マルク・シスタレ
編集:ダビドゥ・ヴェリカト、パブロ・ガルシア
録音:ヴェロニカ・フォントゥ 音楽:ロス・クロノピオス
製作総指揮:ルイス・ミニャロ
製作:ラモン・ガルシア、ヌリア・ペレス・デ・ララ
製作会社:エディ・サエタ、ドブレ・バンダ 配給:エディ・サエタ
Eddie Saeta
Pasaje Permanyer, 14 08009 Barcelona SPAIN
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スペインの小さな村フエンテ・アラモの一日。降り注ぐ陽の光のまぶしさ。思春期の少年少女の語らい、靴工場で働く娘、畑を耕す農民、家事に勤しむおばあさんなど、村人の何気ない日常が淡々と綴られていく。過ぎゆく時間を愛おしむような温かい眼差しに満ちた映画。
【監督のことば】時とともに忘れ去られることはたくさんある。しかし、7年間という長い年月と労苦の末に1本の映画を完成し、それがスクリーンに映し出される時、そもそもこの仕事を始めた理由が何だったのか、そして幼年時代に感じたことや思い出がいかに時間や人生というものについて語る源泉になったのかということを、私は忘れることができない。私は映画と映画の言語に対する深い愛をもってこの仕事を成し遂げたということを、忘れることができない。なぜなら、初めて作る映画というのはかならずや誠心誠意、心をこめて成し遂げるからだ。願わくば、私たちすべての映画人たちが、ますます忘れ去られていくこれらの価値を原動力として、仕事を続けていけられればいいと思う。
『時の愛撫』は、スペインのアルバセテ県にある小さな村に暮らす4世代の人々の、ある一日の生活を夜明けから夜更けまで、綴ったものである。子どもたち、若者たち、そして老人たち……。彼らの視線、表情、孤独、あるいは普段の生活は、彼らの人生について物語るだけでなく、私たち自身の人生についても何かを語ってくれるのだ。
この村の名称が本作品のタイトルになっているが、この村の姿を描きだすことが主要な意図だったわけではない。むしろ、その逆だ。その場所、そしてそこに暮らす人々を知ったうえで私は、そうした表層の内側にある何か、言葉では言い表すことのできない何か、幸運にも映画という媒体を通してこそ伝えることのできる何かを、注意深く、そして愛を込めて、つかまえようとした。具体的な場所というのは、そのためのひとつのきっかけに過ぎない。私はこの映画を通じて、祖母の頬をやさしく撫でたかった。子どもたちの顔を撫でたかった。夜を、太陽を、音を……、そして究極的には、人生そのものを愛撫しようと思った。
パブロ・ガルシア 1970年生まれ。1987年より91年まで、ヴァレンシアおよびバルセロナにて広告写真、および写真全般について学んだ他、バルセロナ映像センターにてビデオ、およびサイモン・フェルドマンの映像脚本コースを履修する。1990年から94年まではカタルーニャ州映画学校にて演出および脚本執筆を学び、ホセ・ゲリン、へラルド・ゴルメサノ、ルイス・アレールなどに師事する。同時に、リカルド・アロノヴィッチの主宰するセミナーに出席し写真の勉強を続ける。撮影監督として『La muerte súbita』(1995)、『Ilusionismo』(1996)、そして『22° a la sombra』(1998)などを手がける。本作が監督デビュー作品。以降、『Alicia retratada』(2002)を監督、『Prestìge, Memorìe of a Galician Village』(2003)を製作中。 |
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