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アメリカン・ファミリー:テレビ化された生活

ジェフリー・ルオフ 著/ミネアポリス、ロンドン;ミネソタ大学/2002年/英語
Jeffrey Ruoff An American Family: A Televised Life
Minneapolis and London: University of Minnesota Press, 2002, ISBN: 0-8166-3560-9

評者:アンナ・グリムショー

 テレビシリーズ、『アメリカン・ファミリー』は戦後アメリカ文化史上重要な出来事だとされる。1973年1月から12週間に渡って放送されたのだが、サンタ・バーバラのラウズ一家を被写体にした、この社会的なドキュメンタリーにおけるクレッグ・ギルバートの試みは、世論の注目――そして非難――を集めた。多くの批評家や知識人からは酷評される一方、視聴者からは熱狂的に支持された『アメリカン・ファミリー』は「一般人」をメディア的な有名人に仕立てあげる、昨今のテレビシリーズの先駈けだった。このシリーズはアメリカ社会の転換期を表し、家族観や因習的なジェンダー観についての論議を巻き起こすと同時に、ここからテレビの形の新たな発展段階が始まったと著者は論じる。本著は『アメリカン・ファミリー』という社会的、芸術的出来事についての興味深い考察である。著者はギルバートのプロジェクトの始まりから受け手に渡るまでの発展を記録する。この成熟した民族学的視点、つまり結果ではなくプロセスとしてメディアをとらえる著者の意志が、このシリーズの重要な意義を浮きぼりにする。『アメリカン・ファミリー』では社会、倫理そして芸術的な側面が激しくぶつかりあう。彼に負うところは、これらすべてを互いにぶつけあうのではなく、彼の言う、「テクスト内の矛盾」ということの複雑さを紐解くために利用することなのだ。

 本著は3部で構成され、第1部ではシリーズの制作過程を追い、そこで著者はプロジェクトの進展するなかに介在する様々な関係性を探っていく。当初から特異な性質はみてとれる。ギルバート自身はドキュメンタリー制作者ではなく、テレビ放送文化にどっぷりつかったプロデューサーで、公共テレビ局からの新しい対象を斬新な手法で制作してほしいという申し出にとびついた。本著で明らかにされているように、ギルバート自身問題意識を抱えていた。それは私的なものと政治的なもので、彼が確信していた近代アメリカ家族の危機に関わる。マーガレット・ミードにどれだけ彼が影響されていたかは不明だが、アメリカ人一家の日常を追うギルバートの手法は、インディペンデント・ドキュメンタリーで多用されるヴェリテ・スタイルを広く用いている。しかし、このスタイルをテレビに転用した時点でギルバ−トは核となるべき倫理的責任のほとんどを放棄した。著者によれば、彼とラウズ一家が出会った時、ギルバートは「とてもおしゃべりだが、その意図の多くを語らなかった。」(19頁)数カ月をラウズ一家と過ごし、親しい関係を築いてきた撮影・音声担当のスーザンとアラン・レイモンドは撮影が終了すると同時に契約も終わっていた。ギルバートにとって「技術」者は入れ替え可能で、登場人物たちとは何の関わりも持たない編集者たちを雇った。彼らの仕事は「撮影フッテージそのものに忠実になる」(41頁)ことだ。

 著者の複雑な制作過程への理解、表象する過程で発生する社会的介在物への鋭い感性は、彼が次に発展させる芸術性の議論に正当性を持たせる。第2部は『アメリカン・ファミリー』の斬新な形を深く議論する。著者は、シリーズの観察スタイル(これ自体公共放送では珍しい)と既存のテレビ概念、特に昼メロとが合致した独特な方法に着目する。著者の議論は見事に包括的で、映像のみならず音にまで注意を払う。第1話を例にとり、プロットよりも登場人物、物語よりもエピソード、情報よりも体験を際立たせるというギルバートの「自由な」形式で制作することから生まれる意外なテキスチャーを分析する。この重要性は、しかしオープニングで明示された芸術的対立を越えたものだ。当初からシリーズは「見せることと語ること」、「具体と抽象」、「記録と制作」という未解決の問題から発生した他の多くの対立軸に満ちていたのだ。

 最後に著者は、受け手の問題に目を向ける。その多くがバイアスがかった資料であることを明確にした上で、『アメリカン・ファミリー』の世論の反応を詳細に論じる。批評家や識者たちのものと比較できるような視聴者の意見は残っていない。当時の宣伝用資料などの既存文書に注目し、概して知識人たちがテレビを蔑視していたことを指摘する。それにシリーズのユニークな特徴を正しく評価する為の分析理論の不在も加わり、何を見ているか分からなくなる混乱を助長した。

 面白いことに、当時の熱狂ぶりにも関わらず(ラウズ一家も自ら論争に参加した)『アメリカン・ファミリー』はドキュメンタリーに関する研究書に登場することがあまりない。著者の研究はこのギャップを埋めてくれる。真摯に分かりやすく書かれた本著は様々な学問分野の読者をひきつけるだろう。今まで『アメリカン・ファミリー』の詳細な研究を読まずして、シリーズの引用ばかりを目にしてきた、私のような人間にとって貴重な資料だ。(将来DVD資料が本著の付録として発行されることを願う。)社会的なプロジェクトとしてのドキュメンタリーは無数の新しい形を生み出しながら、劇的な変化を経験している。リアリティー・テレビの爆発的な増加だけをとってみても、新しい分析方法の必要にせまられている。『アメリカン・ファミリー』はこのような取り組みのひとつの出発点になるべきなのだと著者は説得力をもって主張する。

――翻訳:若井真木子

アンナ・グリムショー Anna Grimshaw
マンチェスター大学のビジュアル・アンソロポロジー(映像人類学)グラナダセンターで教鞭をとる。著作には『The Ethnographer's Eye』(2001)、アマンダ・ラベツと共同編集した『Journal Media Practice』誌特別号、『Visualizing Anthropology』(2002/3)がある。


[特別寄稿]
画面の誕生

鈴木一誌 著/みすず書房/2002年/日本語/ISBN: 4-622-07005-7
評者:佐藤啓一

 映画がこれほど精緻に記述されたことが、これまであっただろうか。『画面の誕生』が要請するのは、ただひたすら画面を凝視(みつ)める、画面に向きあうことである。「出会ったできごとや体験を、判定や評価をするのではなく、原寸で描写し、感動と言ってしまうことで洩れおちてしまうものを記してみたい。…出会いのあと、作品は不在となる。痕跡としての点を描けないものか」。またノーテーション(notaion)、「記譜」とも言っている。『画面の誕生』の場合、文学、または論文というテキストを目指すことはさらさらなく、この言葉たちはいうなれば声高でもなく、むしろ慎ましい。

 「受容体験をべた凪のように走査する」とは、映画を見るというより読むことに等しい。ひたすら画面に向きあうことで、鈴木一誌は映画を読んでいるのだといえる。ゴダールの映画と本との相似はつとに指摘されていることだし、ここでも『映画史』(ジャン=リュック・ゴダール)が“本文のない映画”として読まれ、同様に立ち昇る煙(『戯夢人生』侯孝賢)、バランスの失調としての回転(『インモラル・淫らな関係』神代辰巳)、なぜ登場人物に片方の眼の描写が多いのか(長編コミックス『虹色のトロツキー』安彦良和)、町と未開の境界(写真集『ブラジルへの郷愁』クロード・レヴィ=ストロース)が読まれる。映画を読むとは、見ることの認識、映像を通じてのあくまで具体的な意識化であり、その見ることと読むことの往復運動の中間に、書くこと=記述がある。しかし『画面の誕生』はそれだけにとどまらない。これは『画面の誕生』の特質でもあるが、映画を読むことの先にはなにがあるのかを提示する。似たような言葉はほかにもみつかるが、もっとも長いワイズマン論のなかの次のような言葉をあげておく。

…ひとの現在は、感覚が封印されて網目のなかにある。…ワイズマン映画では、特別の人間が、あるいは特記すべきことがらにおいて登場人物が写っているのではない。観客は、自分も写される側にまわるかもしれない、スクリーンの人物は自分だと、感じる。スクリーンを挟んで写される人間とそれを見る人間が向かいあっているのだから、観客は必然的に自分で自分のすがたを見ることになる。封印された感覚のようすを感覚を封印されたわたしが見る。(350頁)

観客のなかで編集が起こる。観客が映像と音を編む。そのさっき見たことといま見たことのぶつかり合いは現在形である。過去の映像が現在へと編制されるのだ。(340頁)

 これは転倒だろうか。映画を見ることが他人事のように気散じとしてあるのではなく、スクリーンと観客の転倒が生まれ、自分がなにを見ているのか、自分が見ているのはなにかが問われる。研究や解釈では科学的記述の性質上、映画があくまで客体としてあるなら、“受容体験”の記述とは自らが主体になる。映画が一方通行的に意味を生むだけではなく、その映画を見る“わたし”が意味を生むのだ。観客としての“個”がそのように発生する。ベンヤミンの用語を借りるならば、いま・ここ(現在形)という1回限りの“アウラ”を現象するのに近い。しかしそれは『画面の誕生』にあって、解釈やましてひとつの解答としてあるのではなく、そのかたわらにわたし、またはあなたの“受容体験”を併置するのを誘っている。つまり“受容体験”の記述とは、遠さから近さへ、距離の廃絶が、観客の変革が夢みられている。アフォリズムめいた警句ないし随想が、観客としての“個”の確認のように『画面の誕生』の至るところにちりばめられている。だから“わたし”がちらつきだすと不安、不安定な影を帯びるのは、おそらくそれが世界の記述とほぼ同義だからだ。

見ることが見ることと向きあう総和が、わたしの見ることだ。(38頁)

観客のわたしも自分の確認のために運動を起こさなければならなかった。運動によって感じられる世界との摩擦がかろうじてわたしという器を実感させた。映画のなかで運動を見ることは、同時にわたしの確認であった。(172頁)

 鈴木一誌を語るとき、マキノ雅弘『映画渡世』(1977)あるいは蓮實重彦『映画の神話学』(1979)にはじまり、最近出版された『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』(2002)までの数々の映画の本の装幀・造本を無視できない。なによりも本と映画=読むことと見ることに支えられたグラフィズムの具体化な実践であって、それだけで映画の貴重な一角を占める批判的仕事(クリティック・ワーク)であり、長い間わたしたちは鈴木一誌をグラフィック・デザイナーとしてしか知らなかった。またかれは「斬り込み 意地で支える無意味性…メロドラマ批判序説」(『シネマ71』71/6)の書き手として出発したのを長らく忘れていた。

 「“見せる”ばかりで、観客に“見られる”事は拒絶する一方通行の上に成り立つ」というメロドラマ批判はいまでも充分有効だし、やくざ映画の斬り込みの無意味性とは「僕の参加によってしか方向を持たぬ世界である」と書かれるエッセイは、すでに『画面の誕生』を胚胎している。いやもっと正確に言えば『画面の誕生』で取り上げられた映画はごくわずかだが、多くの映画に導かれて、その総和として『画面の誕生』がある。

 ページ体験とスクリーン体験。観客はフィルムという線路のうえをただ走っているのではない。逸脱し停滞し中断する。読者の視線は、行の指示するとおりだけ紙面を移動するのではない(「血と赤のページ 『気狂いピエロ』論」『ユリイカ』1998/10)

 逸脱・停滞・中断――それが一方通行でない観客という者の主体であり自由さだ。ゴダールやワイズマン、または侯孝賢、神代辰巳などの映画について、解りやすい映画評、解説ならほかに幾らでもみつかるだろう。すべての映画が画面に向きあうことを要請するわけでないし、そもそも近時のアメリカ映画とは画面に向きあおうとする視線をそらし続けることで、逸脱・停滞・中断を観客に瞬時も許さないことで成立していた。

 わたしたちはどこかで映画批評の衰弱を感じている。それがなにか、『画面の誕生』によって幾らか推測できたように思う。観客としての“個”が立ち上ってこない、つまり誰が書いても同じような時評・批評。情報としてならそれでもかまわないだろうが、結局生きていること・世界との往復運動がない。映画とは、批評とはその打ち震えるような出会いの確認ではなかっただろうか。映画が衰弱しているなら、いっそう切実な問題だ。いずれにせよ、映画とはわたしたちの生の物語なのだ。

 わたしたちとは映画の記憶を詰め込まれたサイボーグなのかもしれない。『画面の誕生』によって、ここにようやく観客としての“個”が問われるに至った。わたしはそこで初めて観“客”であることから解放される。

 

佐藤啓一 Sato Keiichi
1991年、ジョナス・メカスの日本招聘に関わる。第4回YIDFF '95デイリー・ニュース編集長を務める。その後、市民賞審査員を対象に2年間ほど映画講義をする。山形市在住。