Docbox Books
ドキュメント――現場 呉文光(ウー・ウェンガン) 編集/天津社会科学学院/2001年/中国語/ISBN:7-80563-855-1 評者:黄愛玲(ウォン・アインリン)
北京で活動している私の友人が、最近香港へ戻ってきたとき、呉文光(ウー・ウェンガン)の新しい本を持ってきてくれた。1999年に天津社会科学学院が発行した『ドキュメント』という表題のシリーズにおける第1巻である。タイトルは『現場』である。中国でインデペンデントで映画製作を行なう際の重要な特徴として、呉文光の徐々に変わったドキュメンタリー映画製作のコンセプトを、この本は反映している。 この本は7つの章からなり、それぞれ、芸術家や、映画関係者達の人生や作品をドキュメントしている。これら全てに共通しているのは、表現の手段として、主流になっている方法は選択していない、ということである。それぞれの芸術家に対し、呉は、自ら突っ込んだインタビューを行なうと同時に、焦点を当てた作品(写真付き)のテキストを挿入している。例えば、ドキュメンタリー映画『陰陽』(1997)の章には、その完成時のスクリプトの要約版と、康健寧(カン・ジェンニン)監督とのインタビューが掲載されている。同様に、映画『一瞬の夢』(1997)の章では、脚本家・監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)と、賈の製作チームのメンバーである顧崢(グ・チェン)とのインタビューに加え、撮影中に修正した内容を反映したスクリプトが掲載されている。私は約5、6年前に康健寧の初期のドキュメンタリー、『沙与海』を見ているが、その画像はとても美しく、猥褻に近いものである。その風景の広大さ、空虚さ、荒涼さは、陳凱歌(チェン・カイコー)の初期の作品を彷彿させるものである。映画『陰陽』についてのインタビューでは、監督の手法が明瞭ににじみ出ている。あくまでカメラを手に持つことに固執しがちな、大多数のドキュメンタリー映画監督とは異なり、康は三脚にこだわる。いくつか例外はあるものの、彼はカメラを三脚に固定し、安定した位置で撮影を行なってきた。彼によると、こうした安定性(または不動性)は、寧夏の山村に住む人々の生活様式に固有のものである。そこではほとんど何も起こらない。あらゆる農民と同じように、村人は自然の恵みで暮らしている。雨はほとんど降らず、一番降って欲しくない時期にあられが降ることから、なおさらその傾向が強い。たとえば収穫期のことだ。村人はただ座って待つしかない。康が言うように、「もしそこにいれば、何も動かず、車もなく、葉っぱも揺れ動くことはなく、家畜でさえも動くことがないのがわかるだろう」という感じなのだ。彼らの時間の概念は、このように、都会の人間と非常に異なるもので、康のドキュメンタリーは、その彼らのリズムを堅持しながら進んでいく。 一方、賈樟柯と、彼の最初の劇映画『一瞬の夢』に関する章は、北京電影学院で主流である学術的な映画製作の基準を素通りすることを選ぶくらい、目の前の現実に関わろうとする衝動的な欲求を明確に示すという意味で、とりわけ理解させられるものである。1949年以降の中国映画界におけるアカデミズムに当初抵抗していた、第5世代の映画監督達は、ほとんど、最終的にアカデミズムの枠の中に埋もれてしまっている。このような衝動が、北京電影学院の公式な映画教育よりもむしろ、呉文光や、その仲間に代表される独立のドキュメンタリー映画監督の荒削りさに賈を結びつけている。そのほとんどが「エリート革命家」家庭の出身である彼らの先達は、歴史(教科書による歴史)や中国文化の本質といった天下国家的な問題により関心がある。一方、賈や呉といった世代(年齢ではなく、感覚という意味で)は、明らかに、今日の一般人の生活により強い親近感を見せている。 賈はインタビューの中で、10代だったころのブレークダンスへの情熱や「世界を見たい」という衝動について語っている。18歳のとき、ブレークダンスのチームに入団し、全国を廻った。第2作目の劇映画『プラットホーム』(1999)は、この特異な経験に基づいたものである。この時点で、呉の最新ドキュメンタリー、『江湖』(1999)が、路上パフォーマーの生活を描いていることは興味深い。実際、この本の最終章に一座のメンバー5人に関する物語が、彼ら自身の言葉で記録されている。彼らの映像はみな、呉の新しい玩具、DVカメラを使って撮影されたものだ。これによって、私達は、この『ドキュメント』という本の本来の概念に戻される。あとがきで、呉は、ドキュメンタリー映画製作を2つの段階に明確に分けている。ひとつは、ドキュメンタリー映画がチームで製作されており、主題がはっきり定義されていた1995年以前、そして、もうひとつは、呉が最初のDVカメラを入手し、新しい自由を発見した1997年以降である。カメラは今、ペンと同義である。彼は今、日記と同じように、いつでも、どんなことでも「メモ」することができる。この本は彼のメモのうちのいくつかが、すなわち、芸術家や庶民との出会いが成果となったものだ。材料を編集して映画にする代わりに、彼はその材料を書き写し、テキストにする。しかし、なぜ映像の代わりにテキストなのか? 新世代の映像の豊富さや偶然性にそのうちアクセスできなくなる、ということなのか? ドキュメンタリー製作の仕事からまるでドキュメンタリー映画を作っているかのような本の編集を通して呉はこれまで以上に質問を投げかけている。もし現代の中国映画をより身近で見たいのであれば、これこそがおそらく、ことが起こる現場である。 ――英語翻訳:岩川保久 黄愛玲 |
サイエンスはフィクションである:ジャン・パンルヴェの映画
アンディー・マサキ・ベロウズ、マリーナ・マクドゥーガル、ブリジット・バーグ 編/ブリコ・プレス、MIT プレス/2000年/英語/ISBN: 0-262-52318-3 評者:ハンナ・ローズ・シェル
近年普及している博物学や自然を扱った味気のないドキュメンタリーからすると、自然科学映画、アナーキズム、前衛芸術、これらの間には、なんら共通点はないように思うかもしれない。しかしシュールレアリズム科学映画の歴史を掘り起こしてみれば、喜ばしい驚きを覚えるだろう。1920年代から80年代にかけて、ジャン・パンルヴェの革新的な自然史的、医学的、天文学的な映画は観客に衝撃を与えつづけてきた。この革新的な科学・自然映画監督は、タコの性生活、オスのタツノオトシゴの出産、美容整形手術のプロセスなどを主題に扱った数々の作品を製作した。奇怪な動物や植物のありさまを、非常に人間的な行動様式に並列してみせるパンルヴェ版「自然ドキュメンタリー」は、フィクションとドキュメンタリー、ホラーとセンチメンタリズム、科学とエンターテイメントを混ぜ合わせることにより、観客を魅了してきた。 フランスの首相であり、数学者でもある父を持つジャン・パンルヴェ(1902-1989)は、多様な才能の持ち主だった。映画史研究者からは見過ごされがちなこの監督は、20世紀を通じて他の様々な仕事(俳優、学芸員、プロデューサー、監督並びに作家)をこなすとともに、200本を越す科学・自然映画を製作している。1920年代から30年代にわたり、パンルヴェはジャン・ヴィゴ、アントナン・アルトー、ルネ・クレール、ルイス・ブニュエル、セルゲイ・エイゼンシュテインらのグループに所属し、シュールレアリズムとアヴァンギャルド芸術運動において旺盛な活動を行った。パンルヴェの映画では、独創的なサウンド・トラックにのせて、フィルムを通して観た自然の姿が、奇妙な科学的現象と交錯してゆく。動物界、植物界、そして鉱物界における自然の脅威のもつ荒々しさ、おかしさ、そして色っぽさが交互に展開され、スクリーン上で乱舞する。マリーナ・マクドゥーガルとアンディー・マサキ・ベローズの編集による『科学はフィクションである』は、既成の枠組みを乗り越えてつづけた映画監督、ジャン・パンルヴェ初の秀逸な回顧録である。伝記と評論、一次資料、作品スチール、写真などを収集した本書は、読む者の歴史的興味をかきたてる陳列棚のようだ。『科学はフィクションだ』は、パンルヴェの作品世界への待望の入門書であるとともに、自然界の不思議を伝え、自然・科学映画の世界への扉を開いてくれるだろう。 編集者のマリーナ・マクドゥーガルによる明晰な序論につづき、ブリジット・バーグが執筆したパンルヴェの伝記は、いかに作家の生涯そのものが科学と芸術の融合を具現していたかについて詳しく述べている。パンルヴェはソルボンヌ大学で医学、薬学、動物学を数年にわたって修めたのち、映画に転向した。1928年に初の監督作品『Stickleback Egg: From Fertilization to Hatching (トゲウオの卵:受精から孵化まで)』を製作する7年前には、21歳という史上最年少の年齢でフランスの科学アカデミーに論文を提出した。バーグによるパンルヴェの伝記は、彼の転回していく経歴を、一貫してより大きな文化的、政治的、映画的文脈の中において論を進める。ラルフ・ラゴフによるパンルヴェの映画活動の評論「Fluid Mechanics (流体力学)」は、歴史的背景を説明し、彼の伝記をバランスよく補っている。ラゴフは、パンルヴェの映画を、ハイブリッド、崇高性、神秘性などの定義をもちいて分析する。パンルヴェは映画において、自然の有様を動物・人間、またオス・メスの交配(ハイブリット)という形で表現する。たとえば、短編『The Sea Horse(タツノオトシゴ)』に伴う短いエッセイでは、パンルヴェ自身、タツノオトシゴを「出産は雄の活動であるという驚異的な事実がひきよせる、矛盾する様々な力の犠牲者なのだ」と描写している。「Fluid Mechanics (流体力学)」の章で、ラゴフは、ハイブリッド状態にある動物の姿を観ることによって、観客は神秘的体験へ誘われると主張する。パンルヴェ映画の中核になるのは、現代世界で支配的なディズニー型の感傷的でつまらない動物の擬人化とは根本的に異なるという点である。パンルヴェの動物擬人化は、ディズニー的な自然・人間観を転覆させる、とラゴフは主張する。破壊的なものと日常的なものの並列を通して、パンルヴェの諸作品は、「誘惑と拒絶が代わる代わる奏でるリズムにそって進展し、観る者は、映し出された生物のどこか特定の側面に共感するように仕向けられ、その直後に、その生き物が現実にはどれだけ自分たち人間と異なっているかを見せられる」。 数々の伝記と評論に加えて、パンルヴェ自身が執筆した文章と、高名な崇拝者たちが、海の底と映画の中におけるパンルヴェの世界を垣間見させてくれる。アンドレ・バザンの「Science Film: Accidental Beauty(科学映画:偶発の美)」、ならびにレオ・ソヴァージュの「Institute in the Cellar(地下室の映画学院)」は、パンルヴェが科学映画の普及を目指して1930年に創立した科学映画学院(Institut des Films Scientifiques)について概説する。バザンは、1947年に執筆した評論のなかで、科学映画は「偶然と自然の働きによって至高の美が一瞬にしてたち現われる、この宇宙への秘密の鍵」であると賞賛している。またバザンは、パンルヴェの映画は科学知識を民間に普及させ、さらに科学的活動を永続的なものにする機能を果たしていることを指摘する。 この本に所収されているパンルヴェ自身の著述は、科学映画監督が直面する困難と報酬の数々について述べている。更にパンルヴェは、「Mysteries and Miracles of Nature (自然の奇跡と神秘)」の中で、科学者と芸術家とともに、科学映画作家の製作動機に疑問を呈している。「The Castration of the Documentary(ドキュメンタリーの去勢)」の中でパンルヴェは、正統なドキュメンタリーの終焉を嘆いている。「Scientific Film(科学映画)」では、科学・自然ドキュメンタリーの出現について語る。「The Ten Commandments(十戒)」に記された、「単調な連続を見せるにあたっては、完璧な正当性がなくてはならない」という機知に富んだアドヴァイスは、今日に到るまで、映画製作を志す者の胸に強く響きつづけている。 もちろん、パンルヴェほど多作な監督の全集は、豊富な視覚資料なくして完成とはいえない。この点において本書が読者の期待を裏切ることはないだろう。『科学はフィクションである』は、文章資料に加え、すばらしい視覚資料を提供している。本書は様々なアーカイヴから収集され、精巧に復刻された写真を多数収めている。くわえて、パンルヴェの映像作品を観る機会にめぐまれていなかった多くの読者を編集者が考慮し、作品別の写真特集が盛り込まれた。これは、パンルヴェの映画の中でも最も名高い11作品のスチール写真と字幕を、年代順に並べたものである。パンルヴェの美的感性と、ストーリーテリングの技法が、一連の写真から伝わり、読者がイマジネーションによってパンルヴェの映画の観客となることができるように組み立てられている。 『科学はフィクションである』は、様々な自然の不思議なもの、そして映画の不思議なものに魅せられたすべての人々にとって、喜ばしい一冊だといえよう。このすばらしいコレクションは、映画史によって忘れられたスターの一人、ジャン・パンルヴェの人と作品世界への、選び抜かれた入り口となっている。同時に本書は、シュールレアリスチックに表現され、アニメーション化された宝石の世界を見せてくれる。優秀な学芸員と研究者達によって編纂された良書の例にもれず、『科学はフィクションである』は、まぎれもなく一つの美術館として、また携帯可能な金鉱脈として役立つだろう。ひとたびこの本を開けば、芸術としての科学、科学としての芸術の姿が明らかにされ、人間性と映画史の固定観念は揺さぶりをかけられるだろう。 ――英語翻訳:七尾藍佳 ハンナ・ローズ・シェル(Hanna Rose Shell) |