環境映画作家:ステファン・ヤール
ジェリー・ホワイト
ステファン・ヤールは、地域性と国際性、抽象性と具体性とのバランスを器用に取れる数少ない映画監督のひとりである。自然に関する映画で良く知られているが、ヤールは単なるドキュメンタリー映画監督ではない。彼が撮った広大で、時として不吉を予感するかのような(都会や地方の)風景において、繊細なもの、神秘に満ちたものに鋭い目を向けている。ヤールは、複雑な問題を抱えている人々が現実に生きている姿として、風景を撮っている。彼は監督としてのキャリア全部を、政治的な映画を製作するための新しいモデルに向け、道筋を示すのに注いでいる。その道筋は、風景や、日常生活の細かいこと、そして、そうした細部に地理的・政治的要因が及ぼす影響、さらに、叙情的で絵画的な視覚スタイルを追求することに密接に関係している。
もしヤールが、政治的な映画のため、新しいモデルを描き出すのに自分のキャリアを費やしてきたのであれば、文化的、経済的、そして技術的近代性がスカンジナビアの生活に与えてきた影響を理解しようとすることで、自分の活動を追求したのであろう。こうした関心や観念を、ヤールの作品における「2つの特徴」、すなわち都会に関する映画と自然に関する映画の中に見ることが出来る。事実、そうした一貫性は、最初は矛盾のように見えるものの、実際にはヤールの世界観の非常に本質的な部分と一致している。彼の視野の広い、人間主義的な世界観では、地方や都会は全部が異なるわけではない。双方とも人の生活があり、その問題や信条について完全に、そして明確に説明する必要がある。また、ある種内に秘めた力や美しさを備えている。クローズアップや、超ロングショット、長いワンショット、そしてモンタージュと共に、マクロとミクロの分析が共存しているに違いない。だが、彼のスタイルがこうした共存を明らかにしていく情熱があるにもかかわらず、ヤールの映画はある種の悲観主義や、現代の生活が多くの点でバランスを失い、検証され、再考される必要があるという主張をも示している。
ヤールの、『Mods Trilogy(モッズ三部作)』と呼ばれる、ストックホルム都心に関する映画は、悲観主義と関与の共存への出発点に立つことを助長している。この映画は主に、ケンタ(ケネス・グスタフソン)、ストッフェ(グスタフ・スヴェンソン)という2人の「モッズ」に焦点を当てている。2人は、おなじみのセックスやドラッグ、ロックンロールにしか興味のない労働者階級のヒッピーで、25年間の成長する彼等の姿を描いている。映画はフィクションとドキュメンタリーの間を行き交い、マイケル・アプティドの『7 Up』シリーズに関係しているように思うかもしれないが、実際にはむしろ、ここ数年間英国で非常に人気の高い「ドキュフィクション」(テレビ番組)に近いものである。そして、ヤールの親近感を持ったアプローチにもかかわらず、彼の映画は、1960年代の反ロマン主義であり、その時代の解放されたエネルギーとなり、下層階級にもたらした大混乱の結果、周知の通り、数十年後にいかに荒廃を招いたか、と彼の映画は表わしている。
三部作の1作目、『Dom kaller oss mods (人は私と合わないと言う)』(1968年、ヤン・リンドクヴィストとの共同脚本・監督)は、1960年代後半の興奮の大きさを確かに表わしているが、そこには同時に単調さも見られる。またヤールの作品全てに見られる、一種の哀愁を表わしている。顔だけが映ったインタビューや、ストックホルムの通りを歩き回る場面を通じ、ケンタとストッフェのことが伝わってくる。こうした映像は、彼らの人生の特徴とも言える落ち着きの無さや不器用さをうまく表現しているが、同様に、生々しい、動的なエネルギーも伝えている。そうしたエネルギーは、映画や三部作では決して再び捉えることが出来ないものである。インタビューの素材はほとんどがく然とさせられるものである。私たちが耳にするのは、アルコール中毒の親やつまらないアルバイト、そして、自分たちが必要とされていない、という感情である。実際、予言的となる(そして、3本目の映画『Det Sociala arvet(社会契約)』で再度見られる)インタビューで、ケンタは、若者がいかにたやすくアルコール中毒になっていくかについて、反省をこめて語っている。それを切り抜けられると思うか、こうした誘惑を避けることが出来るか、というヤールの問いに対して、ケンタは、おそらくできない、と答えている。このことは、本当の反抗的エネルギーを持つ瞬間がある一方で、映画全体、三部作全体の雰囲気を実際に形作る要素である。ヤールが描いている人生は、可能性という感覚ではなく、必然性という感覚、そして、人は運命に翻弄され、ついには自らを破滅させるという感覚によって、最終的に定義されている。
三部作の他の2本と同様に、『Dom kaller oss mods (人は私と合わないと言う)』も形式的には二元論的である。この映画は不自然さがあまり見られないことから、かえってそのことは見逃されやすい。ヤールは、インタビューやぶっつけ本番といったドキュメンタリー製作の手法をふんだんに取り入れ、その結果、映画は時として、直接的なドキュメンタリー記述のようになっている。しかし、そうした作品に期待される、手の届く位置にあるという感覚を超える瞬間も数多くある。例えばケンタと恋人が仲直りし、明らかにこれからセックスをするだろうという方向に向うにつれ、クローズアップや超クローズアップの配列が見られる。また、ぶっつけ本番、あるいは無意識的ではあるが、同時に、ナレーション映画のストラテジーと基本的に一致した方法で編集された、議論や衝突の場面が配列されている。この映画は、社会の周縁部だけでなく、ハイブリッド化されたスタイルでの、フィクションとドキュメンタリーとの狭間に対する自身の関心を示したものである。ケンタとストッフェは実在の人物だが、ヤールがこのプロジェクトに引き込まれたのは、彼らの人生が、心を奪われるような物語へ飛び込む通過点となり、そしてしばしば、ドキュメンタリーがより芝居がかった、シネマ・ヴェリテ前の形態を引き寄せることができたからである。
それぞれ1979年、1993年に作られた、他の2本の映画についても、ほぼ同じことが言える。『Ett Anständigt liv(上品な生活)』(1979年)は、ケンタとストッフェの人生がまさに崩壊しようとする時期を、私たちに伝えている。彼らは伴侶を得、子どもを持ち始めている。しかし、『Dom kaller oss mods(人は私と合わないと言う)』を埋め尽くしたインタビューで見られるような空虚感や、欠乏感が彼らから消えたわけではなかった。ケンタが息子のパトライックを田舎に連れていくときのように、『Ett Anständigt liv(上品な生活)』には希望の光が見えていた。だが、全体的には、彼らは2人とも、人生に翻弄されたように見える。この三部作の(いわば)サブ・プロットは、ケンタの母親のことである。母親はアルコール中毒で、恋人を殺害し服役していたが、映画が終わりに近づくころ、釈放される。これは彼らの人生をも象徴している。ケンタとその妻、そして母が刑務所から車で帰宅するとき、刑務所にいることがどんな感じなのか、そこで一番嫌なことが何だったのか、お互いに言葉を交わしている。彼らがそれぞれ服役していた時期に関する描写はどちらかと言うと簡潔である。嫌な時だったが、自分たちの送ってきた人生に関して言えば、驚くには値しない、としている。繰り返しになるが、これらのことは全て、正確で効率的な編集と、明確な構成により、身近でコントロールされているように感じられる方法で行なわれている。
第3作目、『Det Sociala arvet(社会契約)』(1993年)の製作時までには、ケンタとストッフェの人生は、ほんの少しましになっただけである。ケンタがストッフェに会う機会が減り始めていた頃、ストッフェがヘロイン乱用で死んだ。この映画の中で、私たちはケンタが妻と始めようとした事業を追うことになる。この事業は後に失敗に終わることになる。しかし、この三部作の最後の映画で、ヤールは、その焦点と形を少しずらしている。ここでは、いくつかの方向を模索しているケンタの息子、現在18歳のパトライックにかなり焦点を当てている。パトライックは父親の同じ年令の頃よりもかなりしっかりしており、苦境に立っても自分を見失わず、1980年代のブームに我を忘れて首を突っ込むこともないようだ。そして、ヤールは、パトライックに対して、その父親の世代に対するよりも距離を置いているように見える。私たちは、徴兵によるための面接や試験、そして準備を通してパトライックを追っているが、こうした流れは、ほとんど長いワンショットの中に展開され、率直なドキュメンタリーに思える。そして、パトライックは、父親に比べ、自分の生活にカメラが入り込むことにあまり関心がないようだ(あるいはヤールがカメラを入れることにそれほど関心がないのか)。
しかし、他の2本の作品も、『Dom kaller oss mods (人は私と合わない言う)』のように、無駄のない直線的な物語のように動いている。自分たちの内部や周りの全てに存在すると思われるエネルギーを活用するチャンスをほとんど生かせなかった人達が、苦闘し、成長し、そして、結局は静かに崩れ落ちる物語を語っている。真実であるために感情的であるというドキュメンタリーの「真実の価値」を利用し、スウェーデンの社会がどのように外部者を懲らしめるかということについて鋭く批評する。ヤールにとって、ドキュメンタリーとフィクションは、それらが描いている時代について、純粋で、現実に感じられる芸術を追い求めるのに使う道具である。
ほとんど同じことが、スカンジナビアの北の果てを描いた作品にも言える。それはしばしば「自然ドキュメンタリー」と呼ばれるものの、ヤールの大胆なモッズ・シリーズと同様に混成され、関与している。この映画には、ヤ−ルの師であるアルネ・サックスドルフの影響がはっきりと見えている。短編映画『Manniskor i stad (都市のリズム)』(1949年)でオスカーを受賞したサックスドルフは、社会的・政治的に関与しながら、叙情的な風景写真を熱心に挿入することで有名だった。ヤールの、『Naturens hämnd(自然の報復)』(1983年)や、『時は名前を持たない』(1989年)といった、農業を描いた映画は、明らかにサックスドルフの作品に負うところが大きい。『Hotet(脅迫)』(1987年)や、短編の『Jåvna: Renskötare år 2000(ヤヴナ:2000年のトナカイ飼い)』(1991年)、『Samernas Land(サメルナスの土地)』(1994年)のようにラップランド人を描いた映画についても、同じことが言える。この作品は全て、地方の風景に関する一種のロマン主義を表わしている。それは、モッズ三部作に見られるような、都会のボヘミアの重々しい、時として非人間的な描写には全く見られないものである。しかし、これら作品にはまた、可能性という感覚、そして、西洋の物質主義やニヒリズムに代わる新しいものへの信仰という感覚が包含されている。モッズの映画はきわめて悲観的だが、自然ドキュメンタリーは、合成農法の危険性や、チェルノブイリ事故の大混乱といった問題を取り上げる一方、ヨーロッパで開発の手が入っていない、国境をまたいだ周縁部の運命については、かなり楽観的で、現実的なとらえ方をしている。
『Naturens hämnd(自然の報復)』は、スウェーデンの北の果てを叙情的・牧歌的に描いたものだが、同時に、文化が徐々に崩壊しているとヤールがはっきり感じているものへ足を踏み入れたものでもある。そこで彼が焦点を当てているのは、合成農法の導入、それがもたらすであろう大混乱、あるいはヤールのインタビューした農民が成長と死という自然のサイクルに早晩及ぶであろうと、考えている大混乱である。最初の映像では正反対ではあるが、力強さという点では共通したものを検証している。ヘリコプターが大量のライムを湖に落とし、巨大な水しぶきや騒音(ボイスオーバーは、水中で見つかった重金属に対処するためであると伝えている)を上げ、この映画の中心である農場の画像が続く。その後、髪の抜けた少年が父親と一緒に病院の廊下を歩く様子が映される。少年は前立腺がんの治療を受けているのだ。ヤールが全体的に論じていることは、自然には一定のパターンや方法があり、それらを引っかき回す者に対しては、自然からのしっぺ返しがある、ということだ。これはまさしくロマン主義であり、ヤールの全作品の中でも、とりわけ『Naturens hämnd(自然の報復)』は、自然に対し意識的に探究し、また、人間がいかにして精神的力強さの権化であり自然と共存できるのかという、重く、極めて抽象的な疑問と格闘しているものである。筋金入りのロマン主義者であることに加え、ヤールは複雑で非常に細部にわたる政治的分析を行なっており、将来に自然に関する映画における要諦となるだろう。
農民の首から上だけが映ったインタビューのシーンで始まる構成を見てみよう。そこでは農民は、合成肥料によっていかにかび臭い小麦ができるかを説明している。そして、実験のことを語りながら、有機栽培された小麦が乾燥し、あるべきままの姿なのに対して合成肥料で育った小麦はかび臭く、まずいものになると確信を抱いている。農民にとって、菌の毒が1980年代の問題になるだろう、という結論を示している(これが撮られたのは1982年のことである)。80年代の問題が、菌の問題とはきわめて異なるものだった(ヤールが数年後、チェルノブイリ事故の映画の中で取り上げたような、核の毒など)ことを知っている2001年の段階から見れば、一笑に付すことはたやすいだろう。しかし、この構成で印象深いのは、ヤールが様々な肥料の経済的側面に関するミクロ的議論と共に、雄大な風景のショット、敵または味方としての自然の役割といったマクロ的側面に精力を注いでいることだ。ヤールが野生の雄大さを熱心に捉えているのは明らかだが、大自然の中にも人の生活があり、仕事をし、経済的な問題を抱え、そして安易なロマン主義的抽象化に抵抗していることにも気付いている。
ヤールの1989年の映画、『時は名前を持たない(Tiden har injet namn)』は、農家の生活を、似たようなスタイルで二元的に描いたものである。一組の老夫婦がこの作品の主人公で、ヤールは一種の比喩を重点的に使っている。老夫婦の住む村には若者がいない、ということだ。実際、あるインタビューの中で老人はそこに学校が無いこと、子どもたちは教育を受けるのに街へ出なくてはならない、と語っている。しかし、ヤールの主張は、北の果てが老人の国であると言うよりはむしろ、はるかに貧しい国である、というものだ。スウェーデンの第三世界という表現は当たらずとも遠からず、である。実際、その老人はとりわけ鉄道が廃止された後、自分の住む所が開発途上国のようになっている、と語っている。そして、それこそが映画で一番言いたかったことであろう。この地域、ひいてはおそらくほとんどの地方にとっての転換点は、国から本質的に切り離された時であった。ヤールは1987年の映画『Hotet(脅迫)』では、こうした分断をむしろ積極的に捉えている。そこでは北の果ては「ヨーロッパ的」価値観とは別々に発展し、チェルノブイリ事故の影響が及ぶまでは、ヨーロッパ大陸の最後の自然がそのまま残っている地域のひとつであった、という主張をヤールは展開している。しかし、『時は名前を持たない』では、そうした野性的な理想は影を潜め、憂うつさが画面を覆っているように見える。
このことは、彼の最近の映画が、スウェーデンの周縁部を完全に肯定している、ということを意味しているわけではない。例えば、『Hotet(脅威)』は、ある意味では残酷で、チェルノブイリや、それのラップランド人に及ぼす影響について関心を示したのも、この作品が初めてであった。チェルノブイリ原発事故が1986年に起こり、莫大な量の核の毒がスカンジナビアに運ばれたというフレーズから、この映画は始まる。最初の映像は動物たちや列車で、そこへヤールのボイスオーバーで、列車の存在はヨーロッパの近代性の残骸にすぎない、と続く。これはヨーロッパ最後の大自然の地である、と彼は断言している。だが、映画が終わるまでにヤールはこの評価を撤回するかも知れない。チェルノブイリ後、その影響が広範囲に及んだ結果、真に野生の領域が残っているのか、疑問に思うだろう。『時は名前を持たない』は、主人公の2人の農民のように荒涼とした地は年を取り、徐々に死に、この世界に対し、先が長くないという考えを表わしている。しかし、『Hotet(脅威)』では、より荒涼とした形で野生が消失するさまが示される。ラップランド人の地域では、野生と有機的につながった生活様式が健在で、そうした生活様式はヨーロッパの脅威的な近代性が突然、巧妙に入り込むことで死に絶えない限り、消え去ることはまずない。そしてヤールもまた、『Naturens hämnd(自然の報復)』の分析に戻り、そこの風景の自然サイクルに従わない場合、高いつけを払うことになるということを示唆している。ラップのトナカイ飼いは、インタビューの間、トナカイがかつてはいかに森に戻り、彼らがいかに追っていたかを話した。だが、チェルノブイリ後は、頭に入れるのは、動物の特徴や伝統的知識、遊牧パターンの年数、どのように生きているかということについてのことではなく、様々な場所でセシウムの量を計らねばならない、ということであった。人工的なものに頼ることからは、否定的な影響しか得られない。しかし、もし『Naturens hämnd(自然の報復)』が、より政治的に深く関与したやり方でロマン主義的な自然映画を再構築しようとしたものならば、『Hotet(脅威)』は政治的な映画をより叙情的で、説明的でないやり方で再構築しようとするものである。この映画が明らかに目的としていることは、原子力(またはあらゆるエネルギー)の恩恵を受けることのない地域にチェルノブイリ事故が及ぼす影響を描き出すことである。しかしそこには、日没の光の当たる丘を走り回るトナカイ、雪に覆われた山といった、とてつもなく大きなインパクトのある映像があふれている。ボイスオーバーは、そこが実際にはノルウェーであることを告げている。あたかもそれが問題であるかのように、光の当たる丘や人々、あるいは被爆が、国境のようにとるに足らないものだと認識しうるように(事実、超国家主義の精神はヤールのラップランド人やチェルノブイリに関する映画全ての中心を成している)伝えている。1
時代錯誤的とも思える生活様式が残っていることに対する疑問は、きわめて政治的なもので、そうした事柄を懐疑的に見る傾向は、ヨーロッパ左翼の歴史的な欠陥である。それゆえ、しばしば伝統主義者や、民族主義右翼に場を譲ることになる。ヤールの自然映画は、私には、こうした傾向に対する矯正手段であるように見える。それはすなわち、こうした疑問は単に時代おくれでベタベタした感傷性をもつ、といったことだけではなく、むしろ民主主義的原則を完全に実現させるのに不可欠である。それ故ヤールがラップランド人やチェルノブイリ事故に関する映画を製作していた頃に、同時に知られてきたラップランド人自身によるメディア製作と彼の映画は異なる。2 ラップランド人に関する文化はヤールにとって、ほとんど無縁だが、おそらく部外者だからこそ持てる熱意や情熱をもって、部外者の目で製作したものであることは確かだ。だが、それは重大な政治的な主張を含んでおり、ヨーロッパがその周縁部が近代性を解釈し、それに取り組もうとしている複雑な実体であることを鮮やかに描いている。実際、「ヨーロッパ文化」という考え方自体に疑問を投げかけ、国境を自由に超えられるおかげで、ヨーロッパ人が自分たちのアイデンティティの基盤にしている最も根本的な前提が、北の果ての住民が影響を受けることはほとんどないことを示している。
こうした事柄は、ヨーロッパの部外者、そして、スカンジナビアの理想的な社会民主主義の夢から取り残された人々を描いたものであるモッズ映画全体に一貫して見られるものなのだ。ラップランド人が非ヨーロッパ人であるというヤールの主張はケンタやストッフェは非ヨーロッパ人ではないというのとは少し異なるが、ヤールは北の果てを撮ったドキュメンタリーで人を使ったのと似たようなやり方で彼らを使って、土地や環境の完全な理解が、周縁部に存在する人々の理解に依存しているかを示している。
実際、ヤールは「自然映画作家」として一般に知られているが、私は単純化され過ぎていると思う。ヤールを「環境映画作家」と呼ぶ方がはるかに正確だろう。3 このような呼称は非都会的な焦点を思い起す可能性はあるものの、それはステレオタイプである。ヤールは常に都会や地方の環境に関する映画を製作してきた。環境は、非常に複雑で流動的な実体であり、人間的そして超人間的な力や経済政策からトナカイの季節的大移動まで及ぶ力によって、常に形成されることを示している。そして、チェルノブイリのドキュメンタリーの際には、これら2つの力が互いに作用し合う、恐ろしいほどの潜在力が示された。ステファン・ヤールの映画は不釣り合いに思える要素をつなぎ合わせ、日常とシステムの検証と和解は私たちの住む世界の意義深い理解をもたらす唯一の方法でもあると主張している。
1. チェルノブイリ事故がラップランド人に与えた影響に関するヤールの短編『Jåvna: Renskötare år 2000(ヤヴナ:2000年のトナカイ飼い)』(1991年)及び『Samernas Land(サメルナスの土地)』(1994年)は、画家のようなロマン主義的感覚を秘めているものの、根本的に政治映画である。前者は、2000年にトナカイのハンターが残っているのかどうか、ヤヴナという名の思春期に入ったばかりの主人公の少年が、何世代にもわたって伝えられてきた生活様式を保てるのかどうか、という疑問を取り上げている。『時は名前を持たない』で描いたように、ヤールはトナカイ追いへカメラを近づけ、ガラガラと音をたてているトナカイを追い、その耳を切る(『Hotet(脅迫)』にも出てくる技術)姿を捉えた直観的なクローズアップや中間ショットを見る側に示した。後者もまた、同様なシーンはあるが、前者に比べ、非物語調で瞑想的であり、また、それほど政治的でもない(『ヤヴナ』は35分で『サメルナス』は13分)。
2. イヌイットのビデオ作家、ザック・クニックや、マオリの映画作家メラタ・ミタなどのアーティストのことを想定している。彼らはドキュメンタリーや、セミドキュメンタリーの形で伝統的な文化活動を保存し、その復活に参加している。しかし、同様のことが英国の「ワークショップ運動」、あるいは北米での同様の試みの中にある、と言える。その試みは、映画製作の基本を(都会を活動のベースにしているような人たちの)学び、彼らが自分自身で生活を記録することができるようにする。こうした作業は、伝統的に民族学的論文の対象であった人々の手にカメラを委ねていることが、大きな特徴である。このことはヤールの映画の中では見られないものだ。映画の中では、彼は真の急進主義に精力を注いでいるが、半面、ほとんどのドキュメンタリーに伝統的に見られる主観と客観との関係を覆すようなことはまずない。
3. 環境映画という名称は『Documentary Box』のサラ・ティズリーの指摘によるものである。
――訳:岩川保久
カナダのアルバータ大学大学院比較文学専攻キラム博士課程特別研究員
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1941年生まれ。アルネ・サックスドルフとボー・ウィデルベルイを師としてドキュメンタリーの製作を学ぶ。政治的にもアクティブに行動し、パレスチナ問題について糾弾する作品をルーカス・ムーディソンと共に製作。世界各国の映画祭で上映され、第1回の山形国際ドキュメンタリー映画祭では『時は名前を持たない』がインターナショナル・コンペティションで上映され特別賞を受賞。1993年テルライド映画祭ではサックスドルフと共に銀賞を受賞。
フィルモグラフィー1968 Dom Kallar oss mods(人は私と合わないと言う) [戻る] |
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