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Docbox Books


中国記録映画発展史

方方(ファンファン)著/中国戯劇出版社/2004年/中国語
ISBN: 7-104-01860-3
評者:単万里(シャン・ワンリ)

 あらゆる国の映画史はドキュメンタリー映画の制作に始まるが、中国映画史もまたその例外ではない。中国人による最初の映画は、1905年に撮影されたドキュメンタリー映画である。その年は中国映画の始まりの年であり、中国ドキュメンタリー映画の始まりの年であると公認されている。以来、中国ドキュメンタリー映画の歴史はすでに百年を数え、数世代にわたるドキュメンタリー・フィルムメーカーたちによる大量のドキュメンタリー映画は、中国映画の貴重な財産となっている。にもかかわらず、中国人の手による中国ドキュメンタリー映画の著作は実に少なく、ましてや中国ドキュメンタリー映画史に関する著作はほとんどないという状況が長らく続いていた。

 こうした中、21世紀初めになってようやく中国ドキュメンタリー映画史の著作が次々と出版されるようになった。そのうちの1冊、上海戯劇学院教授・方方による『中国記録映画発展史』は、中国ドキュメンタリー映画の歴史を総合的かつ体系的に論じたものである。7年の歳月を費やして書かれた500余ページにも及ぶこの大著は、中国ドキュメンタリー映画のあらゆる側面について論じており、そのテーマは、中国ドキュメンタリー映画の起源と変遷、劇映画とドキュメンタリー映画の相互関係、近年のインディペンデント・ドキュメンタリー映画ブーム、活発化する海外ドキュメンタリー映画との交流など多岐にわたる。

 中国最初のドキュメンタリー映画は、任慶泰(レン・チンタイ)という写真技師によって撮影された。任慶泰は青年時代に日本で写真を学び、帰国後に北京で写真館を開いた人である。彼が北京に写真館を開いてから間もなく、映画が西洋から中国に伝わり、任慶泰は写真館を営むかたわら、映画の上映活動にも携わるようになる。ただ外国映画ばかりを上映することに飽き足らなくなった任慶泰は、中国独自の映画を制作しようと決める。彼が初めて撮った映画は、京劇の公演を記録した『定軍山』(1905)であった。その後、中国の政治、経済、軍事、文化の各勢力は、それぞれの利益にかなうようなドキュメンタリー映画を制作していくことになる。

 ドキュメンタリーとフィクションとの関係は、20世紀の世界のドキュメンタリー映画史を貫く問題である。両者の間には、相互に対立し、かつ依存する関係が存在しているのだが、いまだにそれを水と油のように相反するものだと考える人は多い。実際は、多くの外国のフィルムメーカーたちと同様、中国のフィルムメーカーもドキュメンタリーとフィクションとの境界を越えてきたのである。たとえば、中国左翼映画運動の先駆とされる『狂流』(1932、程歩高〔チェン・ブーガオ〕監督)はドキュメンタリー映画を基礎として制作された劇映画の古典であるし、劇映画の方法を用いて撮影された『民族万歳』(1940、鄭君里〔ジョン・ジュンリ〕監督)は中国映画史上、ドキュメンタリー映画の傑作として位置付けられている。

 中国にはインディペンデント・ドキュメンタリー映画のブームが起きたのは、1980年代末以降のことであった。それ以前の中国ドキュメンタリー映画の制作は、基本的に公的機関によって行われてきたのだが、その一因は、個人が必要な設備を所有したり借りたりすることが極端に難しかったことによる。しかし90年代以降、とりわけ21世紀に入ってからは、廉価で手軽に扱える撮影および編集機材が登場し、より多くの中国ドキュメンタリー・フィルムメーカーたちがインディペンデント制作の機会を手にすることになった。インディペンデント・ドキュメンタリー映画と公的機関が作ったそれとの最大の違いは、前者が個人の視点を代表するのに対し、後者は公の意向を伝えるという点だ。だが実際には、両者の間には実に微妙な関係が存在し、一部のインディペンデント作品は公的機関が提供する設備と機材を利用して制作されているし、公的機関もまたインディペンデント・フィルムメーカーを自らのプロパガンダに利用することもあるのである。

 外国のドキュメンタリー映画との交流は、曲折した歴史をたどってきた。しかし1979年に政府が開放政策をとって以来、外国ドキュメンタリー映画との交流は年ごとに活発化した。こうした交流の進展により、中国の観客はドキュメンタリー作品を通して諸外国の歴史と現実を知ることができ、中国のドキュメンタリー・フィルムメーカーたちは外国の同業者たちの先進的経験に学べるようになった。同時に、外国での中国ドキュメンタリー映画の上映や、外国人が中国で撮影するドキュメンタリー映画などにより、外国の人々も豊かで多様な中国の姿を知る機会を得た。とは言え、ドキュメンタリー映画の国際交流には様々な制限がつきまとう上に、劇映画とは異なり、目立った経済的利益を上げられるわけでもない。だがそのような困難を伴った交流であるからこそ、ドキュメンタリー・フィルムメーカーたちは、人類のコミュニケーションと理解の促進に対して、貴重な貢献をしているのだと言えるだろう。

 以上の諸問題について『中国記録映画発展史』は詳細に論じている。それ以外にも、著者は多くの紙幅を割いて、これまでの映画史研究者が無視してきた多くの問題を取り扱っている。たとえば、国民党政府によるドキュメンタリー映画制作や、日本の映画組織が中国で撮影したドキュメンタリー映画、また文化大革命期のドキュメンタリー映画や、香港および台湾のドキュメンタリー映画、そして民族誌映画の中国における発展などがそれである。本書を読んでとりわけ印象的なのは、その史料の豊富さであり、しかも多くの史料は、著者が当事者をインタビューすることによって綴られる口述史の形をとっている。先駆者的意義を持つ著作として、『中国記録映画発展史』の重要性は疑い得ない。

――翻訳:秋山珠子

 

単万里(シャン・ワンリ) Shan Wanli
中国電影資料館研究員であり、編著『記録と虚構』(中国広播電視出版社/2001年/中国語)がある。


ドキュメンタリーの主体
マイケル・レノフ 著/ミネアポリス、ロンドン;ミネソタ大学/2004年/英語
Michael Renov, The Subject of Documentary
Minneapolis and London: University of Minnesota Press, 2004, ISBN: 0816634416

評者:クリス・ファロン

 序文のはじめの方でマイケル・レノフは新著『ドキュメンタリーの主体』の焦点を次のように述べる。「これらの20世紀末のメディア行為を通じて自己の実現しうる様々な形がどのように、どのような効果を伴って構築されるかを問いたい。」しかしレノフはこの研究の基盤が確立されても、その重要な用語を分解し、揺るがして、その率直明朗さを壊していく。彼が探求する“視聴覚的な自伝作品の詩論”は、“オート(自)” “バイオ(生)”“グラフィー(書)”を構成する自己、人生、書く行為、の持つ意味そのものの危うさによって複雑になる。

 それがポスト構造時代における批判の本質というもの、そしてレノフが本著の大部分の文章で採る精細かつ洞察に富んだアプローチだ。「Visible Evidence」シリーズ第16号である本著は、レノフが学会や出版のために執筆した20年にわたる個々のエッセイを集めたものである。全体の序文、章毎の序文と合わさって、本著は“主観的ドキュメンタリー”または“フィルム/ビデオ/ニューメディア・自伝作品”と称せるものについての現時点で最も包括的なテキスト群を形作る。シリーズのほとんどの書籍がそうであるように『ドキュメンタリーの主体』もまたドキュメンタリーについての重点らしき断片から始まり、ジャンルそのものを論じて終わる。

 レノフはエッセイ群を3セクションに区分する。最初のセクション「社会の主観性」は、個々の主観性がより大きな社会政治問題と衝突する時を論じる。ここでレノフは“自伝的”と容易に分類できる作品――ジョナス・メカス『ロスト・ロスト・ロスト』(1976)やリア・タジリ『歴史と追憶』(1991)など――を論じるだけでなく、この型を反転させて伝統的に政治映画が主観的な視点で客観的出来事を語る方法も考察する。2つ目のセクション“理論の主観”は、本著において彼が言うところの“理論の核”を成す。ここでレノフは精神分析学(エリザベス・カウイ等が述べている主に欲望)、ポストモダン理論(客観的な“マスター・ナラティブ”の崩壊)そして倫理的言説(主に倫理哲学者、故エマニュエル・ レヴィナスを引き合いに)などの概念を参照しながら、ドキュメンタリーの主観性の骨幹をいくつか導き出す。最後に3つ目のセクション“主観性の諸形態”は、ビデオからウェブページまで自伝的衝動が現出する一連の多様な形式に考察を加える。

 本著の選集という性格と3部からなる構成は、広範囲で徹底的というよりは焦点が定まっていて恣意的と感じさせる。特定の映画に照準を合わせる何章か――例えば第10章のエイブラハム・ラヴェット『Everything's for You』(1989)――は「The Documentary Tradition(ドキュメンタリーの傾向)」や「Documenting the Documentary(ドキュメンタリーをドキュメントする)」などのアンソロジーの流れの中に位置づけることができ、同様の“ケース・スタディ”的な観点が見られる。特定の主題と結びついている映画を考察する他章――例えば第7章では『シルバーレイク・ライフ』(1993、トム・ジョズリン、ピーター・フリードマン監督)、『解放のリズム』(1990、マーロン・リッグズ監督)、『ブルー』(1993、デレク・ジャーマン監督)と、ラカンと喪の関連性――は、彼の理論系著書である『Representing Reality(リアリティーを表象する)』や『Claiming the Real(リアルを主張する)』との近似性が見て取れる。このように様々な構成を使ってレノフは広範囲な領域をカバーすると同時に、より強い関心点に時間を割く余裕も持ち合わせる。

 さらにはいくつかの主要テーマが各章から浮かびあがってくる。明白な“史実的”アプローチを利用せず、レノフはモンテーニュ的エッセイを自伝作品の傾向の中に位置付け、次には代わりに特定のドキュメンタリーの流れ――ジガ・ヴェルトフから始まり、ローチや他のヴェリテ・フィルムメーカーたちへと続き、そして最終的にハイパースペース(超空間)とパーソナル・ウェブページの領域内にたどり着くだろう――を自伝/エッセイ的傾向の中に位置付けることをやってのける。このタイムラインを作成する最中さらにレノフは、モダニズムのエゴにとりつかれた社会操作の繁栄と衰退、そしてポストモダニズムの個人的真実の主観的表現の中にドキュメンタリーの場所を確立する。章の間を行ったり来たりしながらも、最終的な結果は、ドキュメンタリー映画の歴史分析における巧妙に作り出された前進と文学とニューメディア・ジャンルの間に存在する、その確固たる場所の定着だ。

 よくレノフは自身の考えと考察する映像をビル・ニコルズが論じる社会政治的な“厳格な諸言説”に反して位置付けるが、総合して見えてくるのはドキュメンタリーは同時に主観・客観にもなりえる、他者に焦点をあてることで自己をあらわにできるということだ。レノフが切り開いたドキュメンタリーの新しい展望を次世代の技術変革とフィルムメーカーたちがどこへ導いていくかは興味深い。

――翻訳:若井真木子

 

クリス・ファロン Kris Fallon
州立サンフランシスコ大学の映画学/サリー・カサノヴァ博士課程。現在ドキュメンタリー映画における写真の使い方について論文を執筆中。