3. ブロックバスター文化における透明さ(トランスペアレンシー)の光学/力学と自国女性を超国家(トランスナショナル)化すること
国民にその存在を意識させない(トランスペアレントな)国家という理想は、「国家は“夜警”以上の役割を担ってはならないが常にブルジョワの利益に奉仕するものである」と規定したブルジョワ公共圏のリベラルなモデルの核となる概念である。9 これを批判したセイラ・ベンハビーブは、自己発見と自己隠蔽の形をとったアイデンティティのゲームが、公共圏のトランスペアレンシーの理想を妨害するサロン――ヴァーンハーゲンの伝記に登場する19世紀初期にベルリンにあったサロンを例にあげた。10
透明さ(トランスペアレンシー)という用語は、グローバルな社会経済の文脈で考えてみると、視覚による支配体制を示唆するだけになおさら興味深い。ネオ・リベラル、ポストIMFの時代の韓国ではトランスペアレンシーという用語が比喩としてはびこった。金融危機にさいし、国家の政治経済の再編成をすすめながら、IMFと世界銀行がしきりとこの比喩を用いたのである(韓国語ではtumyongsonと訳される)。今やIMFと世界銀行の、単なる夜警という仮面ははがれかかっている。むしろ両者とも、すべてを見通し、規律に厳しいネオ・リベラルな人(マン)なのである。言い換えるなら、ネオ・リベラルかつグローバルなまなざしのもと、韓国は透明(トランスペアレント)もしくは空虚であることを暴露すべきなのである。トランスペアレンシーのまん延とは対照的にイマニュエル・ウォーラーステインは金融資本時代の世界機構は不透明であると忠告する。
尊大な目“帝国主義な目”を持った“見る人”が征服反対の物語とともに登場した一方で、グローバル資本の執行人たちはトランスペアレンシーの比喩を用いる。トランスペアレンシー言説が大衆の政治的、視覚的無意識にひろく浸透するにつれ、グローバル資本のからくりが見えにくくなる。同時に、政治経済の再編は職の不安定、実質賃金の低下、労働時間の延長、そして格差の拡大をもたらす。
マスメディアでは国内の著名知識人たちがグローバル時代に対応できなかったことへの非難が相次いだ――IMF危機の予言すらできなかったと。かつては知識人たちの批評言説は国家というテリトリーの枠組みのなかで論議されたものだった。境界線が引き直された今、彼らはグローバル資本の不透明さに気づかなかったといって非難されるのである。そして知識人たちの状況介入機能は制限される――現行政府によって若手ベンチャー資本家やブロックバスター映画のプロデューサーたちが“新知識人(shin jinshikin)”へと昇格される世情にあって。ポスト産業様式の生産活動で機能をになう“担う”人材を次々と育成する目的で開始された「韓国頭脳(ザ・ブレイン・コリア)プロジェクト」が大学における知的活動の様相を急速に変容させつつある。
透明度(トランスペアレンシー)の光学は視覚による支配体制を伴う――権力者には透明なのに、力なき者には不透明にしか見えないのである。無論、表向きはスペースが空いていたまったく逆ということになっている。経済再編についての不安が社会に広がるなか、かつて国家および財閥の礎であった(主に男性中心の)集団アイデンティティと呼ばれるものが崩壊する。同窓会連盟をはじめとするノスタルジックなドットコム・ビジネスが爆発的人気を博す理由は、共有した過去ゆえの緊密な人間関係をほのめかすからである。グローバルな権力のまなざしに韓国がさらされ、今度は韓国がアジアにおける主導権をとるために権力者のまなざしを真似るとき、韓国式ブロックバスター映画をめぐって炸裂する不安と欲望のダイナミクスは予期せぬ展開をみせることとなる。韓国ウェーブ(韓国語でhanryuといい、主にテレビドラマ、歌、ファッションのこと)と呼ばれる韓国産ポピュラーカルチャーとブロックバスター映画が一緒にアジアの他のマーケットに進出していく流れのなかで、ブロックバスター映画はヒロインを多国籍化する戦略をとりはじめた。たとえば『シュリ』(カン・ジェギュ監督、1999)にはハイドラというコード・ネームをもつ北朝鮮籍の女スパイが登場する。『JSA』(パク・チャヌク監督、1999)でおこった殺人事件を解決するためスイスと韓国の混血女性が起用されるという設定だ。『バイラン(白蘭)』(ソン・ヘソン監督、2001)で中国人出稼ぎ労働者としてキャスティングされているのは香港出身の女優である。『武士(Musa)』(キム・ソンス監督、2001)で明王朝の王女を演じるのは『グリーン・デスティニー』(アン・リー監督、2000)の主演女優、章子怡(チャン・ツィイー)。『飛天舞(Pichonmu)』(キム・ヨンジュン監督、2000)のヒロインはモンゴル人という設定である。
これは韓国映画はじまって以来、初の事態である。1950年代半ば以降の韓国映画は、近代化とポスト植民地状況の比喩として女性を描いてきた。例として『自由婦人(Chayubuin)』(ハン・ヒョンモ監督、1955)、『憎くてももう一度(Miwodo tashihanbon)』(チョン・ソヨン監督、1968)、『花びら(Petal)』(チャン・ソヌ監督、1996)、『風の丘を超えて〜西便制(Sopyonjae)』(イム・グォンテク監督、1993)や『春香伝(Chunhyanjeon)』(イ・ミョンウ、1935)[本作品は複数の監督により異なる時代で数本製作されている]といった作品をあげることができる。最近の作品では『暴力団の女房(Chopok Manura)』(チョ・ジンギュ監督、2001)、『新羅の月夜』や『ソウルガーディアンズ 退魔録(Toimarok)』(パク・クァンチュン 監督、1998)がこの系列である。
韓国映画から韓国女優が消え、多国籍女優たちにとってかわられたことは、今日、地球市民(グローバル・シティズンシップ)という概念のもとに集団アイデンティティが再構成されつつあるだけに非常に問題である。表象の次元でいえば、地球市民なる概念から韓国人女性が排除されていることになる。さらに、前述の映画をみれば、グローバリゼーションと共に新たなナショナリズムが形成されつつあることが明らかである。グローバルな外見を得るためには、あたかも自国の女性を不可視の存在とすることが必要であるというメッセージと読み取ることができる。韓国人女性登場人物の不在が男同士のホモソーシャルな絆の強化によって補われているのだから判りやすい話である。ブロックバスター映画は軍隊、韓国中央情報部(KCIA)、暴力団といった男性優位の集団を用い、ホモソーシャルな関係性を前景化するのだ。集団内の男性たちには認識されている関係性は、女性キャラクターからは不透明で、見えない。『JSA』を例にしよう。非武装地域の北朝鮮軍の駐留地における韓国と北朝鮮の兵士たちの殺人事件を解決するため、『JSA』の登場人物であるスイス・韓国混血のヒロイン(ソフィー・チャン)が中立国監視委員会によって任命される。しかし事件をめぐる状況は彼女の介入をこばむのである。彼女の探索のまなざしは繰り返し拒絶される――その理由は、殺人もその隠蔽も、ナショナリズムにもとづいた兄弟分のちぎり(ブラザーフッド)によって動いているかららしいのである――冷戦時代のイデオロギー違いにもかかわらず。この男性集団に食い込もうと必死のソフィーは、戦争捕虜キャンプに抑留された後スイスに亡命した自らの亡き父親を利用することにする。彼女の父親の写真は、冷戦、分断、そして人口移動の錯綜する現代史を示唆するが、北朝鮮と韓国の兵士たちの間でおこった殺人事件がヴェールに覆われていることにソフィーは気がつかない。彼女がチューリヒのロースクール卒業で国際法の専門家であることも、半分韓国人であるという“民族性(エスニシティ)”のことも、まったくプラスにならない。
不可侵かつ不透明な男同士の絆が何を表しているかは明白だ。しかし、透明性(トランスペアレンシー)を要求するグローバルなまなざしのもとでは、兄弟分のちぎり(ブラザーフッド)――ナショナリズムには安全な居場所はないはずだ。ナショナリスティックな男性空間を再構築するのは不可能なのである。ブロックバスター映画が際限なくリメイクされ続けることの原因および、そのことからくる結果は数多くあるだろうが、この不可能性がその1つであろう。自国の女性の消失はグローバル対ナショナルの言説のなかで構造的不在と症状を構成する。透明性(トランスペアレンシー)と不可侵性のオーケストレーションはグローバルとナショナルをめぐる言説のなかで苦々しい音を生み出し、鳴り響かせ、女性奏者抜きのオーケストラを上演しつつあるのである。まさしくジェンダーの政治学の後退である。さらに、この後退は表象の次元にとどまらない。公的知識人(パブリック・インテレクチャル)の壊滅と20代、30代の若手ベンチャー資本家の新知識人としての指名が正式に宣言されたのと同時に、グローバル/ナショナルをめぐる言説に音律を合わせ、公共圏で行われるフェミニストの介入が二重に否定される。
フェミニスト機関紙『yo(女性)/歌 鉄』は断言する――現在の韓国政府は、権威主義の父のような存在であることを誇ったかつての軍国主義的体制の残骸からなるゾンビであると。主流メディアとブロックバスター映画が韓国女性の不在とアジア他国の女性をノスタルジーや経済的理由のために利用するというこの事態には、フェミニスト的文化の政治学にもとづいて対処することが緊急課題である。しかし、トランスナショナル/ナショナルの概念は対立と共犯の入り混じった複雑な関係のままに覇権を構成しており、それゆえに、グローバリゼーションが高らかにうたう素晴らしくも抽象的な未来像など共有できない、あくまで日常性のなかに生きる境界線上の主体から力を奪うのである。残念ながら国際的フェミニズムも韓国国内のフェミニズムも、いまだこの事態をきちんと分析するにいたっていない。今後のフェミニズムは、国家フェミニストやリベラル・フェミニストのやりかたを離れ、韓国にとって具体的必然性がありつつも国際的(グローバル)な抵抗運動でもある問題に取り組まねばならない。
4. 映画祭と国内女性労働力
1980年代はプロレタリア階級の視点に依拠した労働運動が学生運動との連携によって大々的に展開された時代であったが、1990年代も後半となると社会運動のありかたに軌道修正が必要であることが明らかになった。フェミニスト、レズビアン&ゲイ・アクティヴィスト、サブカルチャーを担う若者、そして市民運動家たちが、権利獲得をはじめとするさまざまな課題を議論する公的な場として映画祭をスタートさせた背景にはこういった時代の流れがあった。公の空間で存在を認められたいという欲望は、映画祭のさまざまな次元でみられる。これらさまざまな映画祭は、まず、複数の異なる力(フォース)が出会い、お互いに作用する場である。さらに、映画の観客を具体的な政治課題――それらは、新しく生まれたさまざまなアイデンティティや主体位置、そして近年増殖しつつあるNGO(非政府組織)によって問題化される――をリンクさせる文化実践でもある。
映画祭はおおまかに以下の3つのカテゴリーに分けることができる。1つ目は国家や地方政府や企業が、映画の専門家と連携して行うプサン国際映画祭、プチョン国際ファンタスティック映画祭やチョンジュ国際映画祭のようなタイプ。2つ目はQチャンネル・ドキュメンタリー映画&ビデオ・フェスティバルや、1999年に幕をとじたニセス短編映画祭などの企業スポンサーによる映画祭。そして3つ目が新旧様々なアクティヴィスト・グループが組織する映画祭である。このカテゴリーの映画祭は国家や企業セクターの影響からは比較的自由であり、90年代の新たな社会運動が、いかに80年代型の労働運動を軸とした社会運動から離れつつあるかを検証するのに適した事例を提供してくれる。
3つ目のカテゴリーにおいては80年代の言説と90年代の言説が同時に展開している。いくつかの映画祭をていねいに検証すると、80年代と90年代の間の類似と継続性に加えて違いと断絶がみえてくる。また、これらの映画祭にみられる政治性をみれば、主流メディアと金大中、金泳三両政権が提唱した市民社会モデルに対抗するアイデンティティ・ポリティクスやオルタナティヴな公共圏誕生の可能性をおしはかることもできる。現時点で第3のカテゴリーの映画祭としてあげることができるのは、ソウル女性映画祭、ソウルクィア映画祭、人権監視映画祭(主催者はかつて国家安全保障法違反の罪で投獄されたもと政治囚である)と若い映画作家が中心になっているインディペンデント映画祭。他にも大学やシネマ/ビデオテークで継続的に開催される小規模な映画祭がたくさんある。
第3のカテゴリーの映画祭の運営状況は、90年代独特の文化状況の指標として見ることが可能である。それぞれの映画祭がいわゆる公共圏と、様々なオルタナティヴな公共圏のせめぎあいのなかに存在する状況は、市民政府の発足、労働運動が社会変革をもたらす特権的力をもった時代の終焉、そしてそれに伴う、社会変革の新たな行為体(エージェンシー)を求める努力との関連で考察する必要がある。それと同時にナショナリズム言説が再動員され、当局によるセゲファ(90年代後半に登場したグローバリゼーションを意味する韓国語)の言説とあるいは寄り添い、あるいは反発する形で流通した。ことに国際規模の映画祭においては、グローバルとローカル、ナショナルとローカルが幾重にもからみあって表出していることがきわめて重要な意味をもっている。つまり、映画祭は数々の異なる利権とイデオロギーが一気に噴出する濃密な空間となっているのであり、権威主義の残滓と新たな民主主義とが紛糾しつつ交差する場なのである。国家、企業、知識人、観客――この四者がお互いに影響しあい、妥協点をみつける様は、今日、歴史的局面にあって様々な異なる社会の間の戦いを明らかにするのである。
映画祭はまさしく公的な空間であり、そこでなんらかの思想が表明されるにいたるシステムは複雑である。多くの場合、映画祭は認知、交渉、そして競争が現在進行形でおこなわれる文化と政治の場となる戦略をとる。クィア映画祭や人権監視映画祭の禁圧は覇権主義の秩序においてどこに圧力がかけられるかをあらわにする。映画祭の企画運営、実行、そして禁圧のプロセスを観察すれば、オルタナティヴな言論の場や反体制な場の創設を考えた時、何がネックとなり、どのような妥協が必要となり、どんな方向性ならば実現可能性があるかがみえてくる。
政府によるクィア映画祭と人権監視映画祭の禁止令は1998年に解除された。以来、このふたつは当初の狙いどおりの問題提議を再開したかのようにみえる。しかしここに1つ、きわめて深刻な問題が残されている。それは、グローバル時代における自主検閲と国内女性労働力の問題だ。IMF以降の経済再編時代のウルサン市のヒュンダイ社の自動車工場に働く女性労働者による抗議運動を扱った『Pab, Ggot, Yang(食べ物と花とスケープゴート)』と題されたドキュメンタリー映画がその具体例である。これらの女性労働者たちは主に社員食堂で働く調理人や調理補佐スタッフであった。彼女たちはストライキ回収後、真っ先にレイオフされた。ストライキ中、彼女たちは、食事をつくる担当だということから男性労働者たちから“花”と呼ばれていた。しかし彼女らが職を失ったとき、労働組合は事実上、何の支援活動も行わなかった。彼女たちはスケープゴートにされたのである。この、急進的なメディアですらめったに報道しない事実に取り組んだドキュメンタリー映画を作ったのは女性映画作家イム・イネと彼女が率いる労働報道ネットワーク。しかし公開を前にこの映画は困難な状況に遭遇した。ウルサンは重工業の町、ヒュンダイの企業城下町である。80年代、ヒュンダイ社における労働闘争はダビデとゴリアテになぞらえて語られることが多かったのだが、IMF危機以降はヒュンダイ社においても韓国の財閥同様、体制変換の必要性が生じた。国家の手厚い保護を受けた多国籍企業はグローバル資本のもとみずからの解体に立ちあわねばならなかったのである。例のドキュメンタリー作品はIMF危機の直後に製作された。
1998年、ソウルで開催された人権監視映画祭が社会にインパクトをあたえると、韓国の他の都市でも人権監視映画祭が相次いで企画された。ウルサン市も同様だったが、『Pab, Ggot, Yang』はウルサン市民の反感を買うおそれがあるとして上映プログラムから外された。その直後からこの決定への抗議運動がインターネット上で展開された。進歩的な「ジンボネット」をはじめとする複数のインターネット・ネットワークがこの検閲問題を表現の自由の侵害であるだけでなく、明らかな女性労働問題の抑圧であると糾弾した。この一連の動きによっていわゆる進歩的社会運動セクターにおけるジェンダーと階級に関する問題点の数々が、遅ればせながら表面化したといえる。女性労働問題は進歩的社会運動からも切り捨てられるということが明らかになったのである。ウルサン市の労働組合、地元アクティヴィストで構成された映画祭委員会、知識人らはそろって女性労働問題を重要課題として取り上げることを拒否した。地元の労働運動家の言葉によれば、このてのドキュメンタリー映画の上映は今後の労使交渉に悪影響を与えるであろうということだ。いわば新たなるジェンダー差別による最下層階級――この階級は女性というジェンダーでマーキングされていることが多い――が映画祭およびネットコミュニティを混乱させる。これは、ブロックバスター映画から韓国女性が消滅した問題と無関係ではない。
面白いことに『Pab, Ggot, Yang』の監督は、この作品は映画ではないと観客にたいして明言している。映画というもののの作られ方や鑑賞のされかたに異義をとなえているのは明らかだが、では、この作品が映画でないならば、何だというのだろう?
5. リンク:フェミニスト圏(ヨソンジャン)の成立
1990年代後半以来、インターネットを中心としたフェミニスト機関誌やイベントが増加している。検索サイトに「フェミニズム」と入れて検索すると、レズビアンのサイトから女性労働組織のサイトまで、様々な面白そうなサイトがたくさんあらわれる。こういったウェブサイトと、『Ttohanui Munhwa(オルタナティヴ・カルチャー)』、『Yoyon(女性学)』『アジア女性学』、『フェミニズム・スタディーズ』を始めとする紙媒体、さらにウェブマガジン(とくに『Onninae(姉妹たち)』と『Dalnara Ttalsepo(月の国 娘の細胞)』がフェミニストの文化政治空間を形成しているといえる。国家および経済の中心から望むと望まないとにかかわらず距離をおいた比較的ラディカルかつ自律的な(ヴァーチャル)スペースが形成されつつあるといってもいいだろう。ともかく、公共圏という概念自体が、「原則論としてはすべての人間がこの圏に所属するが、現実として所属しているといえるのは資産所持者のみである」と解説されたように、ブルジョワ階級の御都合主義を理想主義的に粉飾したものだということなど、今さら指摘するまでもないであろう。
いずれにしても、「お風呂のお湯と一緒に赤ん坊を捨てる[大事なものを無用なものといっしょに捨てる]」ことにはならないように警戒するべきである。近代(モダニティ)や普遍(ユニバーサル)などの概念と同様、公共圏もまたきわめて物議をかもす用語である。いわゆる西洋以外の地域について用いられる場合はなおさら注意が必要だ。中国の思想史研究者・王暉が指摘しているように、ある概念が非・西洋の文脈に“応用”されると、論争や騒音が発生するのは避けられない。11
ポスト・コロニアルな文脈において採用された二枚舌のように、公共圏という概念を利用し、夢をたくすにあたっては、我々は抜け目なくならなくてはならないのだ。公共圏という用語の歴史をふりかえると、疎外されていた社会のセクターをあえて全体の一部として算入しようという動きを定期的にしているのがわかる。この理想は当然ながら実現する可能性などないものであり、しかし、それゆえにはからずも排除されていた人々への空間を現出させることがあるのだ――常に一定の限界はあるとはいえ。我々は常に、真の意味での公共圏に穴が空いていないかと油断なく目配せをしつつも、決してそのような僥倖をあてにしてはならない。そうではなくて、気まぐれな公共圏にはからずも空いている穴を見つけたら、たとえ小さいものであっても最大限に利用しなくてはならないのである。ソウル女性映画祭、クィア映画祭、労働映画映画祭、人権映画祭などの映画祭は、まさにこの具体例といえる。
映画祭の他に数々の女性グループが組織する女性のお葬式(yosonjang)にも言及したい。最近の例としては街頭で行われた14人のセックスワーカーの組織的お葬式があるが、その起源は1979年のユースホステル事件に遡る。女性労働運動家、キム・ギョンスクの葬式が彼女の同僚の女性たちによって行われたのである。偶然の一致なのだが、女性の公共圏の韓国語訳としても“yosonjang”を使うことができる(「公共圏」の韓国語訳の1つは“kongkaejang”)。この、2つの“yosonjang”には先述したベンハビーブの言うところの死と友情、そして抵抗が内包されている。はからずも女性の公共圏が誕生したといえるのではないだろうか。
『Pag, Ggot, Yang』の監督の、「これは映画ではない」という発言を受け、私はこれをトランス・シネマと呼びたい衝動にかられている。トランス・シネマとは翻訳される映画(シネマ)であり、変貌する映画(シネマ)である。いわゆる進歩的な公共圏からも拒絶されたトランス・シネマ作品は、インターネットでの伝播とそこから少しずつ生まれる支援によって余命を得ることができるといえる。とはいえ、トランス・シネマ群が批評の対象となりえる日は、いまだ訪れていない。
――訳:溝口彰子
9. Cook, Deborah, The Culture Industry Revisited: Theodor W. Adorno on Mass Culture (Lanham MD: Rowman and Littlefield, 1996).
10. Dean, Jodi, "Cybersalons and Civil Society: Rethinking the Public Sphere in Transnational Technoculture," Public Culture 13, no.2, (Spring 2001): 245.
11. Wang Hui and Paul Seung-uk, "Paradox of Modernity: China, Modernity and Globalization" (http://jbreview.jinbo.net/journal/0012/0012interview.html)
[謝辞]
本論の部分はカリフォルニア大学バークレー校で開催された学会、「Look Who's Talking?(しゃべっているのは誰?)」(2002年春。オーガナイザー:クリス・ベリー)および第4回ソウル国際女性映画祭で発表した。この場をかりて両学会に感謝します。
編集注:原文は英語
韓国国立芸術大学映画学凖教授。『居留―南の女』はソハという監督名でYIDFF 2001 「アジア千波万波」にて上映された。
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