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[中国、シンガポール]

列車が消えた日

Trip to Lost Days
列车消失的那天

中国、シンガポール/2022/中国語/ カラー、モノクロ/デジタル・ファイル/73分

- 監督、脚本、撮影、編集、ナレーター:沈蕊蘭(シェン・ルイラン)
録音:林億(リン・イー)
音楽:肖強(シャオ・チャン)
製作:郭曉東(グオ・シャオドン)
製作会社:New Asian Filmmakers Collective(新亚洲影志)
配給:Levo Films

列車乗務員の仕事を辞め、僧侶になると決めた男が列車で向かった先に……。現実が夢に、夢がまた未来の現実に、それは誰のものなのか、誰がみているのか、誰の体験なのか。過疎で消えた村、地震の爪痕が残る寺院、時代の証言者として古から静かに佇たたずむ仏像。その土地に生きる人、亡くなった人、祈りを介して忘れ去られる記憶の断片を拾い集めながら、その男は揺らぎの空間を放浪する。夢の残像を運ぶように縦横無尽に疾走する列車は、やがて男と乗客の記憶を呼び覚ます。われわれを幻想世界へと誘う、喪失と再生のエクスペリメンタル・ジャーニー。(WM)



【監督のことば】本作は現代文明において失われた人やものごとについての映画であり、またそれらの消失と生まれ変わりについての映画でもある。より広い時間的パースペクティヴをとれば、人々やそれに関わる記憶はいずれ消失する運命にあるし、そうした記憶を記録したイメージもまた、いずれ忘れ去られる運命にある。映画に登場する小何(シャオ・ヘ)であれ、彼が出会う人々であれ、あるいはこの映画それ自体であれ、すべては夢のようにかくも儚いものなのだ。われわれはこの究極の孤独にどう向き合い、時の奔流の中にどのようにちっぽけな自身を置けばよいのだろうか? そうした状況下において、私としてはある流れゆくイメージ、ある流れゆく生を呈示できたらと思う。足止めされたもの、待機しているもの、路上にあるもの、あるいは相手にされないものも含め、あらゆる瞬間は等しいのであり、われわれの生の大半は、等しく見られる価値のあるそうしたささやかな、どこにでもある瞬間で成り立っているのである。


- 沈蕊蘭(シェン・ルイラン)

1993年、中国江蘇省生まれ。現在は杭州に在住して制作を続ける。2011年から2018年まで中国美術学院実験映像工作室および基本視覚研究所で学び、学士号と修士号を取得。その作品は、目と対象のあいだを視覚的に行きかう旅の残滓における幽霊的放浪へと観客をいざなう。これまでの映画作品に『Cassock』(2018、北京国際短編映画祭最優秀中国映画賞)があり、本作『列車が消えた日』は海南島国際映画祭ニュー・ホライゾン部門に出品された。