イントロダクション
30周年にあたって
時を想う。この世界にある様々な出来事、人と人との感情の交わり、それらが「時間」という概念のもとに蓄積され、絶妙なバランスで積み上がったその先に「今」があることの奇跡を改めて想う。抗うことのできない時の流れ。しかしカメラという装置がその眼差しで切り取った一瞬一瞬だけは、フィルムのコマ一つ一つに焼き付けられることによって、それがまるで新しい「時間」であるかのような存在感をもって光り輝く。時を自覚し、抗い、そして「今」ある生を永遠のものとする行為、それこそが映画だと私たちは知っている。
2017年まで、過去15回に世界中から送られてきた2つのコンペティション部門への応募作品数1万7,401本、上映作品数2,660本、それを見て、感じ、語り合った人々の数30万6,896人。数字は具体を示してくれるが、この物量の裏にある数々のドラマは、映画祭を体感した人々の記憶の中にしかない。ヤマガタの30年はそれに関わった人々の記憶の集積に他ならない。
ドキュメンタリー映画が現実を切り取り、そこにある人の顔を映し出すように、ドキュメンタリー映画祭もまた、観客、運営ともに顔と顔とが向き合う人間関係に基づく。ゲスト、観客、ボランティアを含めたスタッフ一人一人の熱意によって映画祭が形作られ、その表情が変化する。地図上で見る山形県が人の横顔に見えるのと同様に、この映画祭もまた人の顔をしているのだ。
しかしなんとヤマガタの顔相は柔らかいのだろう。懐の深さを感じさせる温和な表情。作り手がこれはドキュメンタリー映画だと意思を示せば、役者が演じていようと、アニメーションであろうと、実験映画であろうと受け入れる。それが結果としてドキュメンタリー映画についての概念の拡張、再定義に繋がるならば、それもまた良しと微笑むだけだ。先鋭的で作家性に富んだ作品を集める時には、精悍で理知的な表情も見せる。度し難く残酷で、理不尽な世界にあっても尚、懸命に生きる市井の人々に寄り添い、そこにある人の顔と感情をこの世界の一瞬の煌めきとしてスクリーンに描き出そうとする映画の作り手たち。彼らと彼らの映画そのものに対する敬意がそうさせる。
昨年、長年映画祭を作ることに奔走した大切な仲間を失った。だが、その表情はいつも私たちの記憶の中にある。彼の顔を思い出すたび、様々なことを受け入れてくれる大らかさが魅力だったことに気づく。世界中から集まる映画とそこに描かれた事象、文化や世界観をひたすら受容するこの映画祭の顔にもよく似ていた。文化は発信する時ではなく受容する時にこそ創造的になり得る。その観点からすれば、映画祭のあり方を受容し、大らかな表情で育ててきた地元市民は、山形市がユネスコのお墨付きを得る以前から世界に誇れるほどに創造的であった。
小川紳介をはじめとするヤマガタを支えた先人たちの記憶、その30年分の蓄積の上に「今」がある。そして目の前には、今年ヤマガタに集った皆さんの姿の中に次の30年が見えている。ヤマガタという顔に新たな表情を与えてくれる皆さん、改めまして、こんにちは。ようこそ、人の顔をした映画祭へ。
今年の映画祭
30年という年月は、人の出会いと別れを切り結ぶ。ジョナス・メカス監督が山形での交流も撮影した『富士山への道すがら、わたしが見たものは…』で始まる今年の映画祭、特別招待作品には、映画祭とゆかりのある映画人の方々にオマージュを捧げる作品が並ぶ。ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督、たむらまさき氏、バーバラ・ハマー監督、彭小蓮(ポン・シャオリェン)監督。そして、クロージング上映は、イェルヴァン・ジャニキアン&アンジェラ・リッチ・ルッキ監督による最後の作品『アンジェラの日記――我ら二人の映画作家』。作中には1993年頃のイラン、96年のサラエボなどが映し出され、イラン特集、インターナショナル・コンペティション(以下、IC)の『約束の地』とも併せてご覧いただきたい。
ICの審査員には、YIDFF 2015ではシリアから亡命したばかりで来日が適わなかったオサーマ・モハンメド監督を迎える(折しも、ICで上映する『ミッドナイト・トラベラー』のハサン・ファジリ監督が現在、同様の境遇にある)。そして、ロバート・クレイマー監督の没後20年となる今年、クレイマーとの共作を予定していた諏訪敦彦監督のほか、ホン・ヒョンスク監督、撮影監督のサビーヌ・ランスラン氏、デボラ・ストラトマン監督というすばらしい女性映画人を迎えられることは喜ばしい。上映作品には、ヤマガタの常連であるアナンド・パトワルダン監督、王兵(ワン・ビン)監督の超長編作品のほか、初監督作品も含めて作家たち渾身の15作品が並ぶ。その半数以上が女性監督作品だ。章梦奇(ジャン・モンチー)監督は、アジア千波万波招待作品でも「自画像シリーズ」が上映される。
新しい潮流が交錯し、弾ける光が眩しいアジア千波万波は、独特の映像世界観をもつ『夏を語ること』などインドから3作品、海外を舞台にした日本人監督の『セノーテ』『海辺の王国』など全21作品が並ぶ。許慧如(シュウ・ホイルー)監督作品は、「ともにある Cinema with Us 2019」でも上映がある。
日本プログラムでは、『東京干潟』『アリ地獄天国』『沖縄スパイ戦史』など、日本のいまを腰を据えて映し出す作品を紹介する。
「AM/NESIA」特集では、完全版が映画祭初上映となる戦前の『海の生命線』を含め、オセアニアと日本を古くから繋ぐ経路と起源を、キャシー・ジェトニル=キジナー氏ら、太平洋諸島から声を発する作品とともに探る。「リアリティとリアリズム:イラン60s−80s」は、日本初上映となるカムラン・シーデル監督作品など、貴重な劇映画、ドキュメンタリー、実験映画作品を上映する。
「Double Shadows/二重の影 2」は、80年代から活動するスーダンの4人のシネアストの奮闘を追った『木々について語ること〜トーキング・アバウト・ツリーズ』からメイズルス兄弟の作品まで、複数のイメージの共振を導く。「現実の創造的劇化」では、『流網船』などイギリス・ドキュメンタリー映画運動の先駆的作品と、『炭焼く人々』などYIDFF初上映の戦時期日本ドキュメンタリーを併せて上映し、その今日性を逆照射する。「やまがたと映画」は、『最上川のうた ―茂吉―』など県教育センター収蔵の16ミリ作品、映画祭参加者が持ち寄る8ミリフィルムを楽しむ「ホームムービーの日」など、今回も開催地である〈山形〉を多様な視点で魅せる。5回目となる「ともにある」は、日本と同様、多くの自然災害に見舞われてきた台湾も含め、日台の記録運動に注目する。ほかにも、「インド北東部より」が紹介する先住民族の運動や記録は世界各地で起こっている辺境のいまと繋がるだろう。
どの作品も、何らかの痛みへの理解や和解を試みているように思える。目まぐるしく混迷した2019年という時勢に、傷を忘れるのではなく、認め、癒し、生へと作品が誘ってくれることを願い、そのような映画祭をともに紡いでくださっている、多くの方々の様々なご支援、ご協力に心より深い謝辞を申し上げる。