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チコレ

Chicory
Chicorée

スイス/1966/ダイアローグなし/カラー、モノクロ/16mm/27分

監督、原案、撮影、編集、製作:フレディ・M・ムーラー
音楽:ジェリー・パストリーニ
出演:ウルバン・グヴェルダー、その妻ティナ、その息子ウァニア
提供:スイス・フィルムズ

スイスの芸術家を対象としたムーラーの最初の作品。詩人ウルバン・グヴェルダーとその妻、息子が出演する、セリフなしの「分裂した断片からなる11のエピソード」。映画は白黒とカラーのフィルムから構成され、白黒の部分は詩人の日常、色彩の部分はその願望を表している。グヴェルダーは、ダリ、ビートルズ、フランク・ザッパになることを夢見る。そして、家族とともに儀式的な想像界を作り出す。スパゲッティは豪華な肉料理へ変わり、町へショッピングに出かけた際も夢が3人を支配する。町ではデモ行進が行われているが、後ろ向きに歩く人々とは逆に、主人公のみが前に向かって進む。「超現実的」な場面は、詩人によるアクション・ペインティングとなって頂点を迎えるだろう。



-ベルンハルト・ルジンブール

Bernhard Luginbühl

スイス/1966/ダイアローグなし/モノクロ/16mm/23分

監督、原案、撮影、編集、録音、製作:フレディ・M・ムーラー
音楽:イレーヌ・シュヴァイツァー・クァルテット
協力:シュテファン・ポルトマン
提供:スイス・フィルムズ

ベルンハルト・ルジンブール(1929−2011)は、スイスを代表する彫刻家の一人で、鉄などを用いた金属彫刻でよく知られている。ムーラーは、彼の家に10日間滞在し、断片的かつ前後関係のはっきりしないつなぎ方、ジャズ音楽など、ほとんど即興的なスタイルで、芸術家の作業と家族の生活を記録した。カタツムリ、戦車、象など、次々と形を変えていくルジンブールのデッサン。彼は、車で廃品を集めに出かけ、適当なものを探して家に戻る。デッサンをもとに、持ってきた廃品を利用して彫刻が制作される。食事の支度をする妻、インディアンとカウボーイの格好をして遊ぶ子どもたち。仕事と家庭のディテールが断片的につながれていくことで、創作行為と日常の営みとの連続性や等価性が示される。



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サッド・イズ・フィクション

Sad-is-Fiction

スイス/1969/スイス・ドイツ語、ドイツ語/カラー/16mm/43分

監督、原案、製作:フレディ・M・ムーラー
撮影:フレディ・M・ムーラー、フリッツ・E・メーダー
編集:レンツォ・シュラーナー、フレディ・M・ムーラー
音楽:ザ・ミンストレルズ、ザ・コインシデンス
声、出演:アレックス・サドコフスキ
提供:スイス・フィルムズ

チューリッヒを拠点に活動する前衛芸術家アレックス・サドコフスキを描いた、実験的なドキュメンタリー作品。虹模様のシャツを着て短いズボンを履いたサドコフスキは、映画の最初から最後まで歩き続ける。町、田舎、牧草地、飛行機の機内……。どのような場所であっても彼は歩き、歩きながら思考し、絵を描き、瞑想する。歩行は、自身を省察すると同時に、表現する方法でもあるのだ。映画は、芸術家の客観的な肖像とはなり得ない。サドコフスキは、「俳優」あるいは「フィクション」として映画のなかで自分を演じる。映画全体は、彼の歩行と思考の過程であり、パフォーマンスそのものであるともいえるだろう。



-盲目の男のヴィジョン

Vision of a Blind Man

スイス/1969/フランス語(原版:スイス・ドイツ語、ドイツ語)/カラー/デジタル・ファイル(原版:16mm)/22分

監督、原案、製作:フレディ・M・ムーラー
協力:レンツォ・シュラーナー、クリスティアン・クルツ
提供:リヒトシュピール/キネマテーク・ベルン

ムーラーのフィルモグラフィのなかで実験性の高い作品のひとつ。一般的に、映画とは「画」=視覚と「音」=聴覚によって表現が構成されると考えられている。こうした通念に抗うかのように、ムーラーは、目に依拠せず、音を頼りにして対象を感知するために、自分自身が特殊なゴーグルで目隠しをして撮影を行った。撮影は、1968年の日照時間の最も長い日を選び、朝5時から夜10時まで行われた。ズーム・レンズのフォーカス、撮影するムーラーの記録は、助手(協力者)が担当している。このユニークな試みは、視覚優位のメディアやコミュニケーションに対する批判であるだけでなく、音と映像のズレ自体に着目した映画的実験とも捉えることができるだろう。