Part 1
オリエンタル琉球――昭和・戦前期、沖縄への視点
1879(明治12)年の琉球処分によって「琉球」は日本の版図に編入され「沖縄」となった。日本近代国家システムに組み入れられたのである。しかし、その独特の目鼻立ちをした海南の地は「日本であって日本ではない」双面を併せ持っていた。日本の近代はどのように〈南〉をまなざし、欲望したのか。その謎と疑問が残された貴重な映像から明らかになる。丹念かつ完成度の高いフィルムからは日本の「境界」としての沖縄が鮮やかに浮かび上がってくる。
沖縄
Okinawa- 1936/モノクロ/35mm/14分
撮影:栗林實 編集:近藤伊與吉 解説:江川宇禮雄
製作会社:東京日日新聞社、大阪毎日新聞社
提供:東京国立近代美術館フィルムセンター
昭和10年代の沖縄の人々の生活や風物を描いた短編。那覇の街や首里城など、戦前の建物や風物、都市風景や農村風景が紹介されている。しかし、牧歌的な映像とは対照的に、ナレーションは大東亜戦争へと突き進む時代の声である。このフィルムは単なる沖縄紹介にとどまらない。同化政策や南進論の展開で、沖縄がどのような役割を振り当てられたかを知る貴重な映像。
沖縄本島及び周辺離島の風物(河村只雄撮影未編集フィルム)
Scenes from the Main Island of Okinawa and the Surrounding Islands-
1936-40/サイレント/モノクロ/ビデオ(原版:8mm)/40分
撮影:河村只雄 提供:沖縄県公文書館
1930年代、琉球諸島の親族制度や財産制度、言語、風俗などを調査した『南方文化の探求』(1939)及び『続南方文化の探求』(1943)の著者・河村只雄が、調査の折りに撮影した8mmフィルム。波之上、玉陵、守礼門、首里城正殿、糸満の白銀堂などの歴史的建造物や魚市場のアンマーたち、琉舞を披露する踊り子、神女と針突(ハジチ)、そして闘牛や集団で綱引きの綱を編む庶民の様子などが記録されている。戦争でそれらのほとんどを消失した沖縄にとって、戦前を知る貴重な記録となっている。
琉球の民藝
Ryukyu Arts- 1939/モノクロ/16mm/11分
琉球の風物
Ryukyu Scenes-
1940/モノクロ/16mm/13分
監修:柳宗悦、式場隆三郎 撮影、編集:猪飼助太郎 録音:東城絹児郎
音楽:柳兼子、山内伶晃 題字:芹澤銈介 企画:日本民藝協会
製作会社:大日本文化映画製作所 提供:日本民藝館
この2つの作品は戦前の糸満、首里、壷屋を中心としたロケ地での撮影をもとに、沖縄の日常風景とその地が生み出す工芸品の紹介を目的としたフィルムである。ウミンチュ(漁師)の表情、伝統的な建築様式、庶民の食べ物、葬送儀礼のなかの行列、活気あふれる市場の様子、壷屋焼きや芭蕉布といった伝統工芸品の作成過程などが描かれている。「風物」や「民芸」といった一見無色透明に見られる文化的な事柄の表象が、いかにその時代の精神を象徴しているかということを示す作品である。
南の島 琉球
Southern Ryukyu Islands- 1940頃/ダイアローグなし/モノクロ/16mm/11分
製作会社:大阪毎日新聞社フィルムライブラリー
提供:東京国立近代美術館フィルムセンター
戦前の沖縄を紹介した記録映画。掌編ながら沖縄が当時、どのような視線で描かれたか、作者が沖縄の何に関心を向けたかを知ることができる、ほぼ原型的な作品といってもよい。「恐ろしきハブの生態」の映像からは、未開とエキゾチシズムが縫い合わされた琉球が垣間見える。
海の民 沖縄島物語
People of the Sea: Okinawa Island Story- 1942/モノクロ/35mm/27分
監督:村田達二 撮影:藤田英次郎、入澤良平 録音:阿部恒雄
製作会社:東亜発聲映画 提供:東京国立近代美術館フィルムセンター
国家総動員体制づくりのためのプロパガンダ映画。大東亜共栄圏がいかに日本のエスノファンダメンタリズム(自民族・自文化中心主義)な拡張主義であったかを如実に物語る。それにしても、海外雄飛、逞しい肉体と健全なる精神、勤労と禁欲、血縁共同体など、戦時体制をささえる倫理的なモデルとして、なぜ、沖縄と沖縄の中のウミンチュの町、糸満が選ばれたのかは一考に値する。