沖縄・映像のスクランブル
記憶と記録と夢の三叉路から
この特集企画は、沖縄をめぐって繰り広げられた多様な映像全般を「現代」から再構成し、「沖縄」を読み取ることを目的とした企画である。とはいっても、沖縄映像通史を目的としたものではない。もちろん、プログラムを構成する作品、映像のラインアップを見れば、優れて沖縄映像史になってくるが、それはあくまでも結果なのである。通史が可能なくらい、様々な「沖縄」をめぐる映像が撮影され、製作され続けてきた、という事実の証明なのである。
意識的に従来の歴史軸による作品の整理・整頓という手法を離脱している。まず現代の日本、世界、沖縄の位置関係から、過去(映像の誕生からせいぜい1世紀半である)の「沖縄というステージに向かった映像作品」(通常の「沖縄映画」と呼ばれる作品分類よりも広い範疇である)を読み直すことからスタートした。もちろん、その作品が製作されたり、上映された当時の状況、そして製作者・撮影者・演出者の意図、当時における作品自体の評価などを緻密に読解してからの作業である。記録映画、劇映画、ニュース映画、広報映画、自主製作映画、テレビ・ドキュメンタリーなどの表現上の分類、フィルム、ビデオなどのメディア上の分類を、ともに意識しないで次々に読み直していったのである。
なぜ、そのような姿勢でプログラムに向かったのか?
日本の「沖縄」としても、沖縄の「沖縄」としても、過去という形で確定され、終了できている(事実の総括であるとともに、その当事者、周辺者の記憶の確定である)モノ・コトがあまりに少ない。多くの事象が「記憶」、「記録」、「伝承」あるいは「反発・拒否」、「回避」などの様々な形を取りながらも、2003年の現在まで生き続けている。日本から「沖縄」へ、沖縄から「沖縄」へ、あるいは外国から「沖縄」へ。そして「沖縄」から日本へ、「沖縄」から沖縄へ、「沖縄」から外国へ、一見、断絶したように見えながらも、脈々と継承され続けているのである。
その継承され続ける「沖縄」において、それ以前とそれ以後を画すほどの大きな転換点となった出来事がある。
ひとつは日本で唯一、米軍と日本軍が地上戦を展開した「沖縄戦」である。その結果、沖縄は日本から分離され、1972年までの間の「アメリカ統治(琉球政府との二重権力構造)」へとつながっている。しかし、「沖縄戦」自体とともに、「なぜ日本軍が本土でも沖縄と同じく民間人を巻き込んでの地上戦を展開しなかったのか」という、日本がアメリカに全面降伏することで、完結できなくなっているテーマへの疑問に対して今まで誰もが答えきれていない。
そして、もうひとつは1972年の「本土復帰」である。本土復帰は、単なるその瞬間の出来事ではない。「沖縄」では、脱・アメリカ支配、日本人に戻るという心的な思いであり、さらに沖縄人のアイデンティティの時間と葛藤の類接点となったのである。同時に日本にとっては太平洋戦争の終結後の「戦後」の清算のための取り組みだった。両方のベクトルが交叉したように見えた「本土復帰」、それから30年が経過した後、その交叉がどのようなものだったのか、この点についても検証の余地があるだろう。
「沖縄」が日本において常に特有であり続けるのは、地勢的・地理的な点と、つい1世紀半前までは独自の王制システムがあり、そのシステムの影響下で独自の価値観が発展・維持されていたこと(少なくとも、標準化などの作業がなかった、という意味で)などの、歴史的な読解とともに、それら2つの転換点があるからなのである。
その読解の例として、10パートがごく自然に浮かび上がってきた。ある意味で、作品群を現代から読解するという作業自体が10パートというアウトラインを抽出させていったのかもしれない。
「沖縄」というキーワード、あるいは映像表現カテゴリーの多様さを見直してみると、「沖縄」を巡る映像は実に多様な姿を見せていることに“めまい”にも似た感動と当惑(これらをうまく構成できるのかという不安)を覚えた。「沖縄」というキーワードにより自覚された映像はその存在自体が実に多彩な様子を見せていたのである。山形国際ドキュメンタリー映画祭開催期間、総上映時間の制約で、多くの作品の上映を断念したことを明確にしておきたいと思う(ただし、今回の構成ではこのラインナップが最適解であると確信しているが)。
今回のプログラムでは、製作者、表現者の価値観が予想以上に鮮やかに浮かび上がっているのも印象深い。映像が優れた作品になる瞬間には、技術以上に製作者、表現者側の強い意識があることを再確認できる。作品1本1本が「沖縄」という舞台上で自在な息吹をしている。参加する観客の方々にもその息吹を楽しんでもらえたら、と思う。そして、その時にその作品の隣にある別の作品はまた、異なる形の息吹をしていることを感じていただけたら幸いである。
2003年6月、日本では有事関連法が成立した。国が国として戦争の当事者になれるという、太平洋戦争終結後の日本ではなかなか受け入れられなかった価値基準に基づく法律は、時代の大きな転換点を象徴しているのは紛れもない事実であろう。
この後、大きく変化するだろう「日本」。その中で「沖縄」はその固有の状況、記憶、地勢、価値は「境界」存在として鮮明化され続けるだろう。願わくは、それらが日本の多様な可能性になってほしいと思う。
仲里効、伊東重明(元文執筆)、濱治佳