Part 4
アメリカニゼーションとジャパニゼーション
1951年のサンフランシスコ講和条約によってアメリカの施政下に置かれた沖縄。その沖縄は、社会主義システムが民族主義と共同し、強大な力となりつつある「赤い中国」に対抗する「極東の軍事的要石」として、アメリカにとって強大かつ重要な確固たる存在になった。同時に、日本にとっては敗戦によって揺らいだ天皇制を中心とする国体の存続と「独立」のための「捨て駒」として、また、戦後を終わらせるためのカードとなった。ただし、沖縄は単なるイズムの対象ではなかった。そこには、沖縄人が生活し、日々の営みを続けていたのである。「米国民政府」を頂点とする沖縄統括システムは、「極東の要石」としての沖縄基地の維持、強化を第一義にしていたため、その不条理からの脱却として日本が「祖国」として憧憬され、「日本化」が常に自覚された。アメリカと日本は、沖縄で奇妙な共鳴体となったのである。沖縄を舞台にした日米のプロモーション、その狭間で揺れた沖縄の夢や抵抗の歴史的変遷を辿る。
1 | 「アメリカ世」のプロモーション |
起ちあがる琉球
Raising Ryukyu- モノクロ/ビデオ(原版:35mm)/37分
制作:CI&E(米国民政府民間情報教育部)、USCAR(琉球列島米国民政府)、琉球政府
提供:沖縄県公文書館
米国民政府情報局の沖縄プロモーション映画。むろんこの映画の背後には、朝鮮戦争をきっかけにアジアにおける沖縄の重要性が増し、基地建設のために強制的土地接収が行われた1950年代沖縄の現実がある。沖縄の肥沃な土地の大部分を取り上げ、鉄とコンクリートで固めたことに目をつぶり、貧困や過剰人口を挙げ、その解決を移民に誘導するストーリーに、当時の占領政策のフォーカスのあてどころが分かる。
この十年 第一部
These Ten Years, Part 1- 1955〈推定〉/モノクロ/ビデオ(原版:35mm)/14分
制作:CI&E、USCAR
提供:琉球放送
沖縄戦によってすべてを失った沖縄の10年間の“復興”を描くが、その復興に果たしたアメリカの役割の大きさを誇示したプロパガンダ。沖縄戦という人為的な災害と台風や干ばつなどの自然災害にさらされてきた沖縄。だが灌漑設備、道路の整備、近代的ビル建設、浄水場、発電所などのインフラ整備によって、この10年間に琉球は史上かつてない繁栄を遂げた……としても、それは公私共にアメリカ国民に負うところが大きい、というオチがついている。
琉球ニュース・セレクション
A Selection from Ryukyu News- モノクロ/ビデオ(原版:35mm)/65分
制作:CI&E, USCAR
提供:琉球放送
沖縄の復帰の時点で、琉球列島米国民政府(USCAR)が制作したフィルムの多くはアメリカ国立公文書館に移管された。ところが、アメリカの宣撫政策のひとつとして推し進められた「琉米親善」の媒体となった「琉米親善センター」などに保管されていた広報映画やニュースフィルムの一部が残された。その残された貴重なフィルムのひとつ、「琉球ニュース」からNo. 1、No. 6、No. 9、No. 12、No. 16、そして短編「新兵器ホークミサイル」をセレクト。アメリカの沖縄占領を知る第一級の映像資料である。
2 | 「Aサイン」時代のソウルグラフィー |
OKINAWAN BOYS オキナワの少年
Okinawan Boys- 1983/日本語、英語/カラー/35mm/117分/英語字幕版
監督:新城卓 脚本:中田新一郎、高際和雄、新城卓
原作:東峰夫 撮影:姫田真左久 録音:米山英明
音楽:池辺晋一郎 美術:斉藤嘉男 製作:鈴木ワタル
出演:藤川一歩、内藤剛志、小野みゆき、岡田奈々、河原崎長一郎
製作会社:パル企画 提供:川喜多記念映画文化財団
沖縄出身の東峰夫原作の同名小説を、同じく沖縄出身の新城卓が第1回監督作品として映画化。映画は夢と現実の狭間の中で生きる主人公比嘉常雄の東京での生活と、米兵と女の喧噪の中で育った沖縄での少年時代とを交錯させながら、復帰前の沖縄の若者たちの葛藤を描く。映画の舞台は1959年沖縄・金武から始まり、1970年まで、まさしく60年安保闘争から70年安保闘争へつながる時代、沖縄も日本も激動の中にあった。
Aサインデイズ
Via Okinawa- 1989/日本語、英語/カラー/16mm(原版:35mm)/111分/英語字幕版
監督:崔洋一 脚本:斎藤博、崔洋一 原案:利根川裕
撮影:浜田毅 編集:冨田功 音楽:石川光 美術:今村力
製作:山本洋、佐藤正大 プロデューサー:土川勉
出演:中川安奈、石橋凌、広田玲央名、SHY、浦田賢一、清水昭博
製作会社:大映 提供:国際交流基金
作品タイトルにもある“Aサイン”の「A」とは米軍相手に風俗営業することを許可された店に掲げられた「Approved(許可済)」の看板の頭文字のこと。舞台はベトナム戦争期の沖縄。実在のロックシンガー喜屋武マリーをモデルに、ロックバンドの若者たちの青春群像を描く。作品は1968年アメリカ占領下の沖縄で始まり、1975年ベトナム戦争終結で幕を閉じる。
3 | 〈祖国〉への憧憬/〈27度線〉の向こうがわ |
沖縄・祖国への道
Okinawa: Road to the Homeland- 1967/カラー/16mm(原版:35mm)/22分
構成、脚本:黒沢剛 撮影:太田達朗、赤津光男 編集:中野清策
録音:黒須昭 解説:吉岡晋也 製作:対馬好武 企画:南方同胞援護会
製作会社、提供:毎日映画社
南方地域(沖縄・小笠原)の諸問題の解決促進を目指し、後に事業範囲を北方領土にも拡大した南方同胞援護会の「抱き取ろう、母国へ 沖縄・小笠原」の標語のもとに製作された広報映画。「同じ日本でありながら27度線で分断された沖縄」を、太平洋戦争で“失われた領土”とみなす。そして領土回復への道を、抱き取る・抱き取られる“母・子関係”として描き、それを日の丸への強い憧れとして象徴化する。
沖縄の声
The Voice of Okinawa- 1969/カラー/16mm(原版:35mm)/30分
企画:日本広報センター、南方同胞援護会
製作会社、提供:毎日映画社
『沖縄・祖国への道』の姉妹編。この『沖縄の声』は沖縄返還が日米間でほぼ合意されようとする1968年に製作されている。そのためか、復帰へのメッセージはより強い調子を帯びている。常駐した戦略爆撃機B52、ベトナムの戦場から運ばれた生々しい弾痕が残る車両の群れ、ジャングル戦を想定した特殊部隊の訓練など、“異民族支配”の矛盾に踏み込んでいる。その作品の基調には、“民族”の思いが鳴り響いている。
石のうた
Cries Coral Reef- 1965/モノクロ/16mm/41分
演出、構成:沼沢伊勢三 撮影:男沢浩、赤城学 録音:岡崎三千雄
企画:奈良三郎 製作:野々村晃、北村孫盛 製作会社:沖縄映画プロ
提供:日本教職員組合
日本と沖縄が八重山に伝わる悲恋伝説の引き裂かれた男女にたとえられ、しかも沖縄は「女性」を割り振られることによって、引き裂かれた嘆きと男への思いの深さを演じさせられる。日本と沖縄の関係を母・子に擬した『沖縄・祖国への道』と比べてみるのも面白い。沖縄の祖国復帰運動と本土の沖縄返還要求国民運動がどのように結びついていたかを知らされる。
沖縄の十八歳
Eighteen in Okinawa- 1966/モノクロ/ビデオ/25分
ディレクター:豊臣靖、森口豁 撮影:森口豁 編集:杉山忠夫
ナレーター:鈴木瑞穂 プロデューサー:牛山純一
制作会社、提供:日本テレビ
放映日:1966年7月21日
森口豁による「沖縄の十八歳」シリーズの第1作。沖縄がまだアメリカ軍の統治下にあった1966年に放送された。主人公の内間安男は、公立高校の3年生。アメリカ空軍の嘉手納基地近くの貧しい家庭に生まれ育った。内間は沖縄戦の戦没者遺族たちの慰霊行進にクラスメイトと共に参加、“日本復帰”を訴える。だが“復帰”をめぐってクラスの意見は3つに分かれていた。賛成・反対・時期尚早。米軍統治に反対しつつも生活を基地に依存せざるをえない沖縄の人たちの苦悩を象徴するものだった。
復帰協闘争史
History of the Reversion Struggle- 1977/カラー、モノクロ/ビデオ(原版:16mm)/40分
企画:沖縄県祖国復帰協議会
制作会社、提供:琉球放送
1960年4月28日に結成された復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)は、その後の沖縄の大衆運動の中核的役割を担い、1977年5月15日に解散、17年間の活動の幕を閉じた。これは復帰協が解散にあたって自らの足跡をまとめたドキュメントであり、いわば、映像で綴った復帰運動の“正史”としてみてよい。激動の沖縄戦後史のトピックとなった貴重な映像記録にもなっている。
4 | 沖縄返還の舞台裏 |
As Okinawa Goes, So Goes Japan ― 秘密文書が明かす沖縄返還
As Okinawa Goes, So Goes Japan: Secret Documents Shed Light on the Return of Okinawa-
1997/カラー/ビデオ/45分
ディレクター:土江真樹子、喜久里逸子
撮影:笠間博之、比嘉秀彦、船越義人
オンライン編集:伊舎堂智樹 ナレーター:渡辺宜嗣、根間辰哉
プロデューサー:阿波根朝信 制作会社、提供:琉球朝日放送
「As Okinawa Goes, So Goes Japan」とは沖縄返還交渉に臨むアメリカ政府関係者が当時頻繁に使用した言葉である。「沖縄の行くように日本も動く」、つまり「日米交渉のカギは沖縄」。アメリカは沖縄を日本に返還する方向性を握り、交渉を優位に進めていたのだった。アメリカ政府が求めたものは何か。内部機密文書「ケーススタディ」をもとに日米政府の当時の関係者たちをインタビューし、沖縄返還に隠されたアメリカの交渉戦略を検証する。
告発 ― 外務省機密漏洩事件から30年、今語られる真実
Whistle-blowing: Thirty Years Since the Leak of Secrets from the Ministry of Foreign Affairs--The Truth That Can at Last Be Told-
2002/カラー/ビデオ/45分
ディレクター:土江真樹子
撮影:笠間博之、譜久原哲也、ミシェル・フォード
編集:譜久原哲也 構成:野澤和之
総合プロデューサー:仲里雅之
プロデューサー:池原あかね 制作会社、提供:琉球朝日放送
沖縄返還には語られない密約が存在した。米国政府が沖縄の住民に対して支払うとされた補償費400万ドルは実は日本政府が肩代わりしていた。その密約はひとりの新聞記者、西山太吉によって暴かれた。しかしその密約報道は外務省の機密電報文を女性事務官から入手したことから、男女問題にすり替えられスキャンダルとなった。このテレビ・ドキュメンタリーでは西山太吉が初めて、カメラの前で30年という長い沈黙を破って、事件や30年間見つめ続けてきた沖縄への思いを語る。
「その時」のニュース映画(読売国際ニュースより)
第1044号 激動する沖縄
第1168号 沖縄返還協定に調印
第1215号 沖縄帰る
News Film "Those Times" (from Yomiuri International News)-
1968-72/モノクロ/16mm、ビデオ(原版:35mm)/15分
提供:読売映像
このプログラムでは、沖縄の日本復帰をめぐる5年間(1968-1972)の時代状況を傍証するという意味で、読売国際ニュースの中から、「反アメリカ支配の意識の強まった状況での沖縄」「沖縄返還条約調印時の、沖縄と日本での状況」「復帰後の現状」という3つのテーマを選んで上映する。
5 | 〈アメリカ〉と〈日本〉の狭間 |
沖縄列島
Okinawa Islands- 1969/モノクロ/16mm(原版:35mm)/90分
監督、脚本、編集:東陽一 助監督:前田勝弘 撮影:池田傅一
録音:久保田幸雄、本間喜美雄 音楽:松村禎三
製作:高木隆太郎 製作会社:東プロダクション 提供:シグロ
東陽一の長編デビュー作である。1968年8月から10月にアメリカ支配下の沖縄に日本本土の撮影クルーが足を運び、撮影を敢行している。日本の1968年は学生紛争で終始した。その戦いは、広い意味での“価値”否定の戦いであり、それ以前に行われた学生運動、労働運動などと一線を画していた。東もまた既成の“価値”から自由であろうという意識を強く持つことで“沖縄”というテーマに向かった。この作品で読解された“沖縄”問題は現在もまだ解決されていない。
かたき土を破りて ―沖縄'71―
Breaking through Hard Ground--Okinawa '71--- 1971/カラー/ビデオ/25分
ディレクター:前田勝、森口豁 撮影:森口豁、田口紘、松本洋
編集:青木英明 ナレーター:寺田農 プロデューサー:森康雄
制作会社、提供:日本テレビ 放映日:1971年1月3日
1970年12月20日未明、沖縄人男性が酒に酔った米兵の車に轢かれた。その事故処理をきっかけに、いわゆる「コザ暴動」が起こった。なぜコザ暴動が起こったのかを、米兵がらみの事件や事故、識者のコメントなどで明かしながら、「極東の兵器庫」「太平洋の要石」ともいわれた基地沖縄の矛盾と沖縄の人々の怒りが限界を越えていく様相を追う。
シリーズ「戦後40年」若きオキナワたちの軌跡
Forty Years of the Post-war Series: The Footsteps of Young Okinawans-
1985/カラー/ビデオ/50分
ディレクター:森口豁
撮影:松本洋、五間岩俊一、鈴木明 編集:黒田道則
録音:内田宏 ナレーター:津嘉山正種 プロデューサー:菊池浩佑
制作会社、提供:日本テレビ 放映日:1985年4月14日
1983年11月、東京都狛江市でひとつの灯が消えようとしていた。在京沖縄県学生寮「南燈寮」が老朽化のため取り壊されたのだ。南燈寮を巣立った学生はその当時2000人を数え、そのほとんどが大学卒業後、故郷沖縄へ帰り、それぞれの立場で沖縄の現実に関わっていった。本作は、その後OBたちがどのように沖縄へと関わり、どのような軌跡を辿ったのか、それぞれの沖縄への思いなどを語るインタビューに加え、沖縄激動期の映像を交えて構成。