Part 2
沖縄戦・日米最後の戦闘/沖縄戦記録フィルムを巡って
「アイスバーグ作戦」と名付けた沖縄作戦に、アメリカ軍は各部隊に専属カメラマンを配し、戦況を克明にカメラに収めた。すでにアメリカでは、戦争自体を市民に伝え、その正当性を訴求することが模索されていたのである。アメリカはその後、東西冷戦構造へと凝縮する「東」(ソ連とその社会主義システム)の圧力の中で、自らが行う戦争の「事実」を意識的に記録しようとしたのである。
フィルムに写し込まれた容赦ない記録。だが、同じ映像が、「アメリカ ― 日本」の狭間にあり続けた沖縄人の視点という、異なる文脈に置かれる時、全く違う意味を持って現れてくる。このパートでは、戦争報道やドキュメンタリーそのものを、根本から問い直す。
1 | 容赦なき記録 |
沖縄戦記録フィルム〜1フィート運動収集フィルムより(未編集版)
Records of the Battle of Okinawa--from the Collection of the One-foot Film Movement-
アメリカ/1945/サイレント/カラー、モノクロ/16mm/120分
提供:沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会という、アメリカ軍の撮影した沖縄戦のフィルムを住民の手で購入し、住民の視点で映画を製作して、戦争を知らない世代に沖縄戦の事実を伝えていこうという運動組織が、アメリカ国立公文書館から収集した膨大な未編集ラッシュフィルムの一部。これまで運動の成果として集められた16mmフィルムは、313本、120,405フィート、56時間に及ぶ。時間の連続性や意味の脈略がないまま、沖縄戦の様々な局面がひしめき、絡みあっている。
2 | 記録とプロパガンダ |
ドイツニュース映画「フィルムで見る世界」(Welt im Film) より
WIF 1, WIF 4, WIF 9, WIF 14, WIF 21
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1945/ドイツ語/モノクロ/35mm/60分
製作:連合国政府 提供:帝国戦争博物館(イギリス)
“正義のためのよい戦争”だった第二次世界大戦、中でも「オキナワ」におけるアメリカの闘いの様子は、占領後のドイツへも伝えられた。アメリカの従軍カメラマンが撮影した映像は、ドイツ語で解説され、日本と同じく“敗北”したドイツの人々の前にさらされる。アメリカの“視線”はこのようにしてヨーロッパへ輸出され、ドイツの人々もまた、アメリカの視線を通して沖縄戦を追体験する。
アメリカ軍公式広報映画より
『大平洋・琉球作戦』『沖縄征服』『沖縄の第6海兵師団』
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アメリカ/1945/英語/カラー、モノクロ/ビデオ(原版:16mm)/90分
提供:沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会、琉球放送、流失文化財研究会
沖縄戦を報じるアメリカ軍制作の一連の公式広報映画。これらの映像は、アメリカの慶良間列島上陸に始まる琉球侵攻から、日本軍の壊滅と大量投降、そして沖縄の地に星条旗が翻るまでを、あたかも紙芝居のように示してみせる。沖縄戦はさまざまな新兵器だけでなく、戦争という神話を記録するための装置を携えて遂行された闘いだったのである。
3 | 記憶化と語り継ぎ |
1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦
A Document of the Battle of Okinawa, Told One Foot at a Time-
1995/カラー、モノクロ/ビデオ/57分
ディレクター:柴田昌平
録音:宮口卓也、小室浩行 調査、考証:山内榮
語り:草柳隆三 歌、三味線:照喜名朝一
監修:牧港篤三、福地曠昭、宮城悦二郎
プロデューサー:仲松昌次
製作、提供:沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会
沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会(子どもたちにフィルムを通じて沖縄戦を伝える会)が繰り広げた1フィート運動が、沖縄戦を正確に伝えるために、自ら製作した作品。映画はいかに沖縄戦が凄惨であり、冷徹な論理のもと繰り広げられ、軍隊の狭間で住民は常に置き去りにされてきたかを描き出している。