そして私は歩く
At Home WalkingPavlechi keli Tirth
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インド/2019/ヒンディー語、マラーティー語/カラー、モノクロ/デジタル・ファイル/114分
監督、脚本、音響:ラジューラ・シャー
撮影:アルギャ・バス、ラジューラ・シャー
編集:ラヴァンニャ・ラマイヤー、ラジューラ・シャー
ミキシング:ビギャナ・ダハル
ナレーション:イラー・サラスワト、ラジューラ・シャー
製作:シャンパー・シャー
提供:ラジューラ・シャー
インド・デカン高原の遊牧民や巡礼者たちを捉えた映像に、吟遊詩人の音楽と、詩的なモノローグが流れる。歩く人々の足元が繰り返し挿入される、流れるような映像は、歩くことは瞑想であると観客に気づかせる。モノローグでは、自由を求め、そして生きることの真髄を捉えようと試みるインド詩人らの言葉が多く引用され、時間を超越した豊かな世界が描かれる。瞑想から覚めた時、作品も終わる。心の旅を映像化した実験的作品。(MA)
【監督のことば】私は、映画作家であり詩人でもある自らの役割を、古代から連綿と続くものと、新しく生まれる近代をつなぐ橋であると認識している。その文脈で考えると、地域社会の古いしきたりの変化を理解していくことと、映画による癒しへの強い願望が、この映画を作るうえで中心的な役割を果たしたということになるのだろう。
カメラを携え、本質を求めてさまざまな地域をめぐった私は、そうしなければアクセスできなかったようなインドの姿を知ることができた。そのインドは、オフラインになって、通りに出ればすぐに出会うことが出来る。その日暮らしで、辺境を旅するインドだ。彼らと一緒に歩くと、動いているときの自分は、ある土地に根ざしているときとは違う角度から世界を見ていることに気づく。いつのまにか、映画は私にとって、他では学べないものを学ぶ学校のような存在になっていった。
私の旅は家から始まる。身近なものにカメラを向けると、まるで顕微鏡で見るように、それまで気づいていなかった細部が映し出される。探求するプロセスというものには、包括性と匿名性が要求される。一人旅を宿命づけられた私にとって、自分の小さなカメラが最高の仲間になってくれた。このプロセスは本質的に探求であり、実験である。そのため、大勢のクルーも、計算されたカメラワークもそぐわない。長い時間をかけて一人でイメージを集め、自分が持つリソースだけを頼りにする。何度目かの旅を経た頃、第2のカメラが私と一緒に歩くようになった。7年前に始まった旅は、2018年の終わりまで続いた。この映画を作ることは巡礼だ――ノマドの土地を徒歩でめぐる神聖にして世俗的な行為を、巡礼と見なすことができるのであれば。
民芸品の職人から物語を聞いて育ち、後にプネーのインド映画・テレビ学院で映画を学ぶ。その作品は、詩、映画、人類学の狭間から生まれてきた。土地に代々伝わる知恵、パフォーマンス、それを専門に行う人たち、それらのしきたりの変化が、彼女の研究の核となっている。人々と、彼らの生い立ち、彼らが暮らす環境とのコラボレーションから生まれる研究だ。
10年以上にわたって映画のプロデュース、監督、執筆、編集、撮影を続けている。フィクション、ノンフィクション、アート、ニューメディアの境界線を探索し、映画祭、博物館、その他のフォーラムなどで作品が広く上映され、批評家から高い評価を得ている。これまでの受賞作は『Beyond the Wheel』(2005)、『Word within the Word』(2008)、『ReTold by Loknath』(2013)、『Jumbled Cans』(2014)。
フィクションと詩を執筆し、権威ある文学賞ジュナンピット賞を受賞。高名な社会学者エラ・バットの文章や、ヴィンセント・ファン・ゴッホの手紙などのヒンディー語への翻訳も手掛ける。映画祭の審査員、セミナー講師、会議のパネルを務めるほか、インド映画・テレビ学院をはじめ、さまざまな映画とメディアの学校でも教えている。