ドキュメンタリーなのか?
ドキュメンタリーであるべきなのか?
ドキュメンタリー映画は非常に頻繁にフィクション映画と対置される。これは意外ではない、というのは、初期のドキュメンタリー監督たちは、社会との関わりの大きな違いや単なる娯楽や利益を得る以外の目的といった面で、いわゆる物語映画に自分たちが異議を唱えていると思っていた。また彼らは、自分たちが支配的なフィクション映画と同等の地位を得ねばならないと考えていた。しかしドキュメンタリー映画についての最近の考えでは、フィクション映画はドキュメンタリーの定義に対する参照点になっているようだ。フィクションが世界を可能な限り作り出すなら、ドキュメンタリーは現実の自然な世界をめぐるものである。フィクションが説話構造を持つなら、ドキュメンタリーは議論を拠りどころにする。フィクション映画の監督は構築するのに、ドキュメンタリー監督は“再”構築する。3
しかし“再”構築はそれ自体1つの構築であり、さらに説話構造を利用しているドキュメンタリーも数多い(すべてではないにしても…フィクションであれ、ノンフィクションであれ、説話性が全ての言説の基本的な特徴であると考えるなら、説話構造はフィクションの構造と同義ではないからだ)。近年、いわゆる“フェイク・ドキュメンタリー”の幾つかが、ドキュメンタリーの構造がフィクションの物語を語るのに用いられることを明らかにしている。この点の実例としては、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたロデウィック・コリンズの2本の映画がある。『Kutzooi』(1995)と『Lap Rouge』(1996)ともドキュメンタリー映画として紹介された。驚愕したのは、あてもなくさまよう男生徒たちを描いた『Kutzooi』の上映後で現われた少年には、劇中の危険なゲームで失ったはずの両腕がしっかりとついていたのである。その映画は“フェイク”だったのだ。2本の映画ともドキュメンタリー映画の主要な性格をすべて利用していたが、実際はフィクションであった。
この種の映画が、ジャンルの限界に挑戦していることは明らかである。しかし、それらはまたドキュメンタリーをフィクションから区別するもっとも重要な規準は、問題をはらむとはいえ、依然現実との関係にあることも明確にした。自然の世界と起こりうる世界の対立のことだ。研究者の中には、エチエンヌ・スリヨの映画的(filmic)、前映画的(profilmic)、非映画的(a-filmic)の概念を基に、ドキュメンタリーとフィクションを区別しようとするものもいる。4 映画的は参照点であり、非映画的は両者にとって潜在的には共通であるので、区別は前映画的レベルでなされるべきである。だがフィクション映画の前映画的とドキュメンタリーの前映画的に、存在論的な差異があるとは私には思えない。というのは、演出された現実も存在論的には演出されていない現実と同程度に実在するからだ(そうでなければ演出された現実は、写真の物質上にどのように痕跡をのこすことができるのだろうか)。
エヴァ・ホヘンバーガーは、これらの観念をより実用的に再定義し、補足して、製作前、製作後、配給、受容の過程に組み込んだ。5 ドキュメンタリーとフィクションの差異は製作と受容の際なされるようだ。恐らく差異が最終的になされるのは、映画と観客が対峙するときである。つまり、映画の中で構築された現実と観客によって構築された現実の対峙である。観客は前映画的を解釈し再構築するための非映画的現実を“あるもの”か、撮影されたもののいずれかに定義するか、定義しようと試みる。言葉の使用法に言及しながら、フランク・ケスラーは述べる。
非映画的世界の全ての視覚(或は聴覚)要素が、潜在的には前映画的になる資質を持つ。後者が映画においてそのようなものとして決して把握できないのは、それが言説をめぐるものだからである。しかし非映画的は、映画の中で語られたものへの理解と評価のための地平線を築く。地平線であって、言説の評価を保証はしない。何故なら非映画的は、常に他の言説を基にして認識論的に構築されるからである。6
これによって、より実用的で、そして/また現象学的なドキュメンタリーの定義や叙述を試みることができる。フィクションもドキュメンタリーも観客により解釈されねばならない“ある世界の提議”7 を行う。しかし観客の世界の認識は、彼らの目の前のものへの認識だけでなく、既に彼らの経験によって媒介されているのだ。
与えられているのは事物だけでなく、事物の経験である…従って事物は認識によって与えられるのではなく、内部の自己によって再び仮定され、我々によって再構成され、生きられる。まさに事物は、我々が根本的な構造を所持し、可能な具体的形式のひとつでしかない世界に関係づけられるのだ。8
だから観客には自分自身の世界の解釈があり、それが映画によって提示される世界の解釈の出発点になるのだ。観客は映画の世界に自分の“世界のイメージ”、ケスラー言うところの「地平線」を持って対峙する。提示された世界の理解(と評価)の次の段階は、ガダマーによるなら「水平線の融合」9 である。“ある世界”の参照であるか、“世界そのもの”の参照であるか、という参照を配置する地平線を築くのは観客の経験であり、映画の世界と観客の世界間で行われる均衡によっている。映画により提示される地平線が、観客の地平線と混じり合うと、観客は映画の地平線を理解し、説明できるようになるのだ。この地平線はまた、映画製作の支配的な形態からも育まれる。つまり観客が、映画がフィクション映画なのか、ドキュメンタリーなのか“認識”するのは、支配的な提示(例えば虚構の提示や断定的な提示)10 の戦略に従うからだ。しかしながら、フェイク・ドキュメンタリーが例示するように、これは保証とはならない。
観客の視点からすれば、フィクションは作られた、起こりうる世界の経験と見なすことができる。するとドキュメンタリーは表象された世界ではなく、世界の二次的な経験、つまり経験された世界の経験となる。これが、ドキュメンタリーの現実に対する関係をより不確定にしている。ドキュメンタリーの受容において、既に2つの解釈の段階があるのだ。まず映画作家の認識で、作家は自分の世界の解釈を視聴覚テクストに移し変えねばならない。次に観客による第1の認識の解釈で、それによって二重の解釈の過程が生じる。しかし、これらはより理論的な問題であり、映画作家がドキュメンタリーを作るのを阻むことはない。実際にはドキュメンタリー監督は、歴史家にとっても少なからず共通するこれらの問題に意識的でありながらも、彼らの世界認識をめぐる映画の製作をやめるわけにはいかないのだ。
これを心に留め、ドキュメンタリー映画作家と歴史編纂家の類比に立ち返ることにしよう。ドキュメンタリー監督が、観客に対して自分の提示するものが現実世界をめぐるものであり、観客に直接関わるものであることを信じさせるために、幾つかの戦略を用いているのは納得できるだろう。歴史家のように、ドキュメンタリー監督が現実世界との関係を明白にするのも、製作する映画が現実の1側面 についてのものに過ぎないからだ。この点で両者は真実と客観性についての共通の問題に直面する。ジークフリート・クラカウアーは歴史家と写真家/映画作家を比較し、彼らの課題を以下のように認めていた。
歴史的現実にいくらかでも関係する問題を歴史家が持ち出すとき、どんな疑問であれ、例外なく次の2つの課題にぶちあたる。(1)歴史家はできる限り公平に適切な証拠を打ち立てねばならない。(2)歴史家は確保した素材を理解可能にするよう努めねばならない。勿論、事実の発見と解釈は表裏一体であり、同一で不可分の過程であることは承知している。11
適切な証拠を打ち立て、それを理解可能にするとは、歴史的現実を納得できる解釈に到らせるために、“生の素材”は“整え”られねばならないということだ。この概念は、グリアソンのドキュメンタリーの観念とぴったりである。「生きた素材を用いるとは、創造的な作業を遂行する機会でもあるのだ」。12
これに続けて、クラカウアーは次の2つの側面を導き出す。「また歴史家が2つの傾向に従っているともいえる。関心のある全ての資料を歴史家に押さえるように駆り立てる写実的傾向と、手元の素材を歴史家に説明するように迫る形式的な傾向である。歴史家は受動的でありつつ、能動的であり、記録者でありつつ、創造者でもあるのだ」。13
これこそ、まさにドキュメンタリー監督のことを表しているのではないか。ドキュメンタリー映画作家が提起しうるものとドキュメンタリー映画の歴史の中で提起したことの間の方法論の差異を、ここに見ることができる。そしてもし以下のクラカウアーからの引用において、“写真”を“ドキュメンタリー”に置き換えるなら、ドキュメンタリーを困難たらしめるものについても認識できるだろう。「写 真と歴史の両者で問題になるのは、明らかに写実的傾向と形式的な傾向間の“正しい”均衡である」。14
これら2つの傾向間の均衡をしばしば決定するのは、映画作家の意図である。仮に作家が、映画においてより美学的なアプローチに傾くなら、結果はイヴェンスの『雨』や『セーヌの詩』のようなより詩的なドキュメンタリーになるだろう。しかし、仮に作家の意図が大衆を啓発し、喚起することにあるなら、作家は“記録者”のような存在に近いだろう。興味深いことにクラカウアーは、写実的傾向と形式的な傾向間の矛盾が実はそれほど大きくないことの例として『ボリナージュの悲惨』に言及している。2つの傾向間には弁証法的な関係があるようで、その関係は個々の映画において認識できる。「ドキュメンタリー監督が芸術家としての自己を抑制するのは、個人の感情を交えないことによって信憑性を生じさせるためである。彼らの振る舞いが道徳的な考えに基づいていることは明らかだ」。さらに続けて、「人類の苦しみが映画で伝えられる時、力を持つのは記録が公平な場合である。芸術家の良心は、技巧の無い写真に表明される。歴史には人類の苦しみが満ちているから、似たような態度や反省は、多くの事実に関心を向けた歴史的記述の底流にあり、色づいていない客観性の意義を深めることになっている」。15 しかしこの技巧の無い写真は、撮影された出来事の写実的な様相を強調するための形式的な選択である。これは矛盾しているように見えるが、それこそ特にヨリス・イヴェンスの映画において認識できるものだろう。というのは、彼はしばしば写実的な意図を、美学的な方法と組み合わせるからである。
ドキュメンタリーとフィクションの区別から離れ、ドキュメンタリー固有の問題に移ろう。これらの区別は理論家だけではなく、ドキュメンタリー映画作家自身によってもなされる。それらはドキュメンタリー映画を研究するのに有益だが、実際以上にフィクションとドキュメンタリーを乖離させることにもなる。両者はしばしば仮定されているほど対立していないし、ドキュメンタリー映画の虚構性と非虚構性は、ドキュメンタリーをもっとも特徴づける性質ではない。私見では、ドキュメンタリーが自然世界との直接的関係を確証するために用いる参照の戦略の方が、よりドキュメンタリーの特質を示すものだ。参照の戦略は、フィクション映画でも用いられるが(例えば、ウッディ・アレンの『カメレオンマン』や上で触れたロデウィック・コリンズの映画)、我々が今なお知っているドキュメンタリーを第1に特徴づけるものだ。従って、参照の戦略はきわめて慣習的であり、ドキュメンタリーの定義をより実用的に、作家の意図、そして/または観客による受容を含んだ定義にしがちである。
ドキュメンタリー映画の基礎を築いた人々による定義の大半において、ドキュメンタリーはそれ固有の権利で、映画の1つの形式として提示されるが、多様な映画の実践を総称したものである。1947年にベージル・ライトは以下のように要約した。「ドキュメンタリーは、長編映画上映前の短編映画として、旅行映画として、映画がどのように作られるか叙述するものとして、教育映画として、教える際の補助として、現実の芸術的解釈として、ドキュメンタリーを研究する理論家によっては、理論家が製作した映画として、と様々に定義されるだろう」。16 これはイヴェンスのドキュメンタリーの概念にほぼ一致する。「一方にフィクション、又は演じられた映画があり、他方にニューズリールがある、そして両者の間の領域をドキュメンタリー映画が扱うのだ」。17 これによってドキュメンタリーを定義するのが容易になるわけではない。ライトが述べるように、「まず初めに銘記しておくことは、結局ドキュメンタリー映画を定義する必要性などほとんどないのだ。ドキュメンタリー・フィルムというこの2語は現在とても多様な活動と方法を含んでいるので、内在する真の目的はますます見えにくくなっている」。18
グリアソンと彼の仲間にとっては、ドキュメンタリーの目的は非常にはっきりしていた。「ドキュメンタリーの観念は、映画についての一観念ではまったくなく、単にその付随的な側面である。映画というメディアは偶然にも、我々が手に入れられるものの中で最も便利で、興奮させるものだった。他方、ドキュメンタリーの観念自体は、大衆教育の新たな方法であった」。19
仮にこれらの考えをドキュメンタリーを定義する主要な原理として採用するなら、ドキュメンタリーは映画の始まったころから存在したと結論づけねばならない。1895年から1922年(またはイヴェンスがドキュメンタリーを開始させたともいわれる1927年)の間に、ライトやイヴェンスが述べる領域にあてはまったり、大衆教育の観念にあう映画は多数製作された。さらに、大衆教育とはプロパガンダも含むのだろうか。すると何故、通常1920年代にドキュメンタリーが誕生したと言われるのだろうか。
(注)
3. Bill Nichols, Representing Reality (Bloomington: Indiana University Press,1991)の"The Domain of Documentary" (pp. 3-31)の章も参照されたい。
4. Étienne Souriau, ed., L'univers filmiqueu (Paris: Flammarion, 1953). フランス人の「映画学者」スリヨは、これらの用語を映画研究の専門用語の一部に導入、定義した。「映画的」(filmic)は映画に現れるすべてのものであり、前映画的(profilmic)は現実に存在するもののうち、映画の中で特定の目的を与えられ(例えば俳優、小道具、舞台装置)、フィルム上に痕跡を残す全てのものである。例えば、デジタルで造形された物質は前映画的存在を有していない。前映画的とは違って、非映画的(a-filmic)は、映画の中で目的を与えられていない現実に存在する全てのものを指すが、前映画的になりうる(例えばドキュメンタリーにおける撮影された場所や人々)。
5. Eva Hohenberger, Die Wirklichkeit des Films: Dokumentarfilm―Ethnographischer Film―Jean Rouch (Hildesheim: Georg Olms A.G., 1988)の特に26-60ページと、Manfred Hattendorf, Dokumentarfilm und Authentizität: Ästhetik und Pragmatik einer Gattung (Konstanz: Verlag Ölschlager, 1994)を参照。
6. Frank Kessler, "Fakt oder Fiktion? Zum pragmatischen Status dokumentarischer Bilder," Montage/AV (2 July 1998): p. 75. 英訳は著者。
7. Paul Ricoeur, Du texte à l'action: Essais d'herméneutique, II (Paris: Éditions du Seuil, 1986): p. 115を参照。
8. Maurice Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception (Paris: Éditions Gallimard, 1945): pp. 376-377. 英訳は著者。
9. Hans Georg Gadamer, Wahrheit und Methode: Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik (Tübingen: J.C.B. Mohr, 1960/1990): p. 311.
10. カール・プラティンガはフィクションとノンフィクションを区別 するために、虚構の「立場」と断定的「立場」を分けた。Carl Platinga, Rhetoric and Representation in Nonfiction Film (London: Cambridge University Press, 1997): pp. 15-21.
11. Siegfried Kracauer, History: The Last Things Before The Last (New York: Oxford University Press, 1969; Princeton: Markus Wiener Publishers, 1995): p. 47.(ページは新装版に基づく)(ジークフリート・クラカウアー『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』[平井正訳、せりか書房、1977]、69-70ページ)
12. Forsyth Hardy, ed., Grierson on Documentary (Faber and Faber, London, 1979 (first published 1946)), p. 37.
13. Kracauer, p. 47.(クラカウアー、前掲書、70ページ) 彼の著書、Theory of Film: The Redemption of a Physical Reality (Cambridge: Oxford University Press, 1960)においても「写実的傾向」と「形式的な傾向」は基本的な概念として用いられている。
14. Kracauer, History, p. 56. (クラカウアー、前掲書、79-80ページ)
15. Kracauer, History, pp. 90-91.(クラカウアー、前掲書、125ページ)
16. Basil Wright, "Documentary Today," The Penguin Film Review 2 (January 1947); The Documentary Film Movement: An Anthology, ed. Ian Aitken (Edinburgh: Edinburgh University Press, 1998): pp. 85-141に採録された。
17. Joris Ivens, "Docunentary: Subjectivity and Montage," Joris Ivens and the Documentary Context, ed. Kees Bakker (Amsterdam: Amsterdam University Press, 1999)に収録予定。
18. Wright, p. 239.
19. Hardy, p. 113.
*邦訳のあるものについては、そのまま利用させていただいたものと、参考にしながら新たに訳出したものがある。
■ ブラウザーによっては正しく表示されない欧文文字があります。