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現実性のスペクタクルと
ドキュメンタリー映画

エリザベス・カウイ


「Documentary Box」では映画誕生100周年をふまえ、5号から9号にかけて「映画と現実の関係」と題し、ジャンルとしてのドキュメンタリー映画に関してのみならず、映画そのものの現実性がこの一世紀にどのように変わってきたかを掲載してきました。大変好評をいただいてまいりましたが、今回はエリザベス・カウイさんが、ドキュメンタリーが提示する現実におけるスペクタクルと欲望の問題について論じたエッセイを掲載いたします。

――編集者


ジョン・グリアソンが「ドキュメンタリー」という用語をロバート・フラハティの第二作『モアナ』(1926)を説明するために使ったとき―それによって彼は英語圏に新しい映画ジャンルをもたらしたことになるのだが―、彼は1920年代に出現しつつあった新たな映画的現実性の形式への関心、それまでの旅行映画、ニュース映画、「時事映画(topical)」といった実写 映画(actuality film)とは全く異なった現実性の形式に対する関心を表現し、また促進したのである。この企ては、ソ連のエスフル・シュープやジガ・ヴェルトフのような多くの映画作家の作品の中にも出現していたし、ポール・ストランドとチャールズ・シーラーの『マンハッタ』(1921)という「写 真映画(photography film)」や、それが先駆けとなって生まれた数々の「都市」映画―ヴァルター・ルットマンによる美学的な都市分析である『伯林大都会交響楽』(1927)のみならず、アルベルト・カヴァルカンティの『時のほか何ものもなし』(1926)、ジャン・ヴィゴの『ニースについて』(1930)、ヨリス・イヴェンスの『ボリナージュ』(1933)といった社会批評映画も含む―においても出現していた。これらの映画は、現実性とリアリズムについての、そして近代社会における写 真と映画の役割についての新しい議論、例えば、ソ連の文化雑誌『ノーヴィ・レフ』に掲載された、記録映画(fact film)についての議論、批評、マニフェストにおいて中心的位置を占めるものだったし、ヴァルター・ベンヤミンも「複製技術時代の芸術作品」や「写 真小史」において、こうした議論を取り上げていた 1。この新しいアプローチにおいては、提示される現実性の意味についての関心があった―つまりそれは認識論的な企てであり、私たちは見るだけでなく知識を得るように仕向けられることが要請されていた。ハンス・リヒターは、これを「美しい村と真の村」の対立、つまり景色のいい眺めと村落共同体の社会的・経済的状態についての知識との対立として提出した。

ドキュメンタリー映画の仕事は、反対に、このような村を美しい風景としてだけではなく、その機能において、すなわち社会的なものとして理解可能にすることである。このような方法において初めて、村の本当の姿が、つまり人々の共生の仕方についての真正の描写 が作り出されうるのである 2

ここに現れているのは、スペクタクルとしての実写映画から認識論としてのドキュメンタリーへの移行である。そこでは、私たちが何を見ているかということではなく、それが私たちの理解のためにどのように差し出されているかということが問題となる。こうした議論において中心的だったこと、そして1920年代にドキュメンタリーとして定義されるようになった映画にとっても中心的だったことは、当時支配的だった、フィクショナルで物語的な大衆映画との対立だった。しかし物語やフィクションがこれらの映画作家に単純に避けられていたわけではないし、むしろ映画的イリュージョンを作りだす工夫としては直接的に利用されてさえいた。実際『モアナ』はサモア島民の日常生活を記録したというだけでなく、モアナと彼の家族の生活をドラマ化して提示したのでもあって、従ってモアナ一家は現実生活という物語の登場人物(キャラクター)になっているのだ。(このアプローチは既に、フラハティのもっと初期の『極北のナヌーク』(1922)にも現れていた。)グリアソンは後に、こうした要素に焦点をあてて、ドキュメンタリーは「玄関先のドラマ」であり、たんに現実生活の光景を記録するだけでなく、現実性を創造的にドラマ化した表象によって、市民に世界を見せ、また彼自身の姿を見せるものだと主張した。こうしてドキュメンタリー映画は、現実性を伴った語り(narration)という特殊な形式として登場したのだが、結果 として真面目さとも関わりを持つことになった。ビル・ニコルズの言葉を使えば、ドキュメンタリー映画は真面 目さの言説の一つなのであり、まだ脇役とはいえ、科学、経済学、政治学、教育学―そして私は法学を付け加えたいのだが―といった言説と並ぶものなのである 3

しかしながら、その真面目さにもかかわらず、ドキュメンタリー映画は通常娯楽映画と結び付いているようないかがわしい特徴を持ち続けていた。つまり、スペクタクルとしての映画の快楽と魅惑をも備えていたのだ。こうして写 真と映画は、視覚的快楽のための新しい展望を切り開いたのだが、同時にスペクタクル的な視覚なのか知識の視覚なのかというジレンマを、あるいは視覚対象への主観的で経験的なのめり込みと客観的で知的な評価との対立を提示することにもなった。社会派的なドキュメンタリー写 真のパイオニアであるルイス・ハインは、写真を証拠として使用することにコミットしていたわけだが、同時に以下のように認めてもいた。

それが絵画であろうが写真であろうが、映像(picture)というものは、人々を無媒介的に、現実との密接な接触に向かわせるもののシンボルなのだ。(中略)映像は、最も圧縮されて活力に満ちた形態に包み込まれた物語を語り続ける。実際、それは現実以上に効果 的である。なぜなら、映像においては、非本質的なものや矛盾する関係が排除されているからだ。映像は、全ての異なる国民と世代に通 じる言語である。近年における、新聞、書物、美術品等におけるイラストレーションの増加は、その充分な証拠であろう。写 真は、それ自体独特のリアリズムを、さらに付加されている。それは他のイラストレーションの形式にはない固有の魅力を持つ。このため、普通 の人々は写真が嘘をつくことは不可能だと暗に信じているのである。 4

私たちは、たとえ自分たちの眼が簡単に騙されてしまうことや、ハインも記述しているように「写 真は嘘をつかないかもしれないが、嘘つきが写真を撮ることはある」ことを知っていたとしても、私たち自身の眼による証言を、写 真と映画という視覚的な証拠を含めて信じてしまう。私たちにとって見ることには「魅 惑 」があるため、それこそが私たちの眼に対する信仰を、私たちの視覚の誤りに関する知識を越えて維持してしまうのだ。あるいは、もうし少し乱暴な言い方を許してもらえば、見ることは知ることよりも現実的なのである。だから私が思うには、ここに現れているのは、私たち自身の眼による証言への欲望なのだ。以下において私は、この見ることへの欲望のいくつかの側面 を探究し、その欲望が現代のドキュメンタリーや「テレビの記録映像番組(reality television)」において果 している役割を考えることにしたい。

現実を記録することにおいて、ドキュメンタリー映画は二つの異なった、そして明らかに矛盾した欲望と関わっているように思われる。一方には、科学的・合理的知識に応用可能な物質世界として、あるいは観察と論理的解釈を通 して確証される証拠の世界として、分析のために把握し見直すことのできる現実への欲望がある。それは、記号として秩序化されて作られた象徴的なもしくは社会的な現実性への欲望である。ここではカメラの眼は、人工器官(prosthesis)とか視覚の援助的な補完としてだけでなく、全ての視覚世界を支配するものとして機能しており、それによって私たちは、自身の人間的知覚装置では知覚できない現実性を見せられるのである。他方において、映画によって映像化された現実への欲望がある。それは知識としての現実ではなく、私たちの視界のなかに、異常で、隠されており、見たこともなかったものを見せてくれるカメラの眼によって支配される、スペクタクルとしての現実への欲望である。

把握され検証される現実への欲望は、映画以前においても既に芸術にも科学にも出現していた。しかしながらダゲールが、カメラ・オブスキュラが提供する世界のイメージを絵画的光景によって再現するより、化学的に記録する方法を発展させることになった中心的な理由は、彼のかつて作ったジオラマが現実の眺めのスペクタクルとセンセーションを再現したのと同様に、現実のリアリスティックな眺めを再び作り出したかったことにある 5。それ以上に、ダゲレオタイプは、ある特定のアングルと視点から見なければならないという条件において、ジオラマのはかない性質もまた再現している。あるアングルを維持したときにのみイメージは出現する。というのも、ほんのちょっと回転させただけで、ダゲレオタイプの表面 はたんなる空白の銀のスクリーンに見えてしまうからだ。だからそれは、当時の人々が注目して楽しんでいたような、今はここにあるが次の瞬間消え去ってしまうというイメージの性質を作りだしていたことになる。(その性質は例えば、アナモルフォーシス(歪曲遠近法)のような絵画的工夫にも見られる。ホルバインの『大使たち』では、キャンヴァス上の染みが、鑑賞者が一歩動いたたけで骸骨になってしまうのだ。)これら二つの点において、ダゲレオタイプは、フォックス・タルボットの写 真よりも直接的に映画の先駆者なのである。

映画の文脈において、表象された現実性への欲望に関する最も力強い記述が見られるのは、アンドレ・バザンの著作においてである 6。バザンによる認識論的リアリズムという仮説は、映画によるルネッサンス的遠近法の約束事の採用とともにジャン=ルイ・コモリによって批判された。ジョナサン・クレイリーもまた、『観察者の系譜(Techniques of the Observer)』において、写真の発明は、観察者を装置から切り離すことによって、カメラ・オブスキュラの古典的主体を解体するものだと論じている 8 。そもそも、観察者の外的世界に対する関係、そこでは視覚が知であり、知が見ることになるのだが、そうした関係のメタファーとしてのカメラ・オブスキュラは、ニエプス、ダゲール、フォックス・タルボットらの諸実験より以前に、既に取って代わられていた。生物学的光学装置としての眼は主観的・部分的な機能しか果 たしていないことを示したゲーテの実験結果によって、そしてカントの仕事の結果として、人間の眼はもはや理解するための誤りなき情報的源泉とは考えられなくなっていたし、知的で科学的な企てとしての観察はもはや人間的視覚とは同一視されなくなっていた。反対に人間的視覚は、誤りやすい領域となり、気圧計のように機械的で化学的な新しい観察記録機に取って代わられたり、補完されたりする。

写真によって、カメラ・オブスキュラの観察者は、既に記録され再現された視界の消費者に変貌する。だからクレイリーが論ずるところでは、写 真こそ、主観的で人間的な見物人を客観的な観察者から分離することを決定づけたのである。視覚の主観性が前面 に出てくること。それは同時に、その当然の帰結として、装置の高度化した科学性/客観性を前面 に押し出すことにもなる。バザンが評価したのは、まさにこの両者の分離である。というのも、写 真の客観性に出会うことによって初めて、人間の視覚は、習慣や日常的な注意によって見逃されていたものを、改めて見直すことが可能になったからである。しかしながらクレイリーにとっては、「眼はもはや“現実世界”を基礎づけるものではない」 9のだから、この分離が生み出すのは、主体の、物理的確実性の領域としての参照領域からの切断、身体感覚、特に視覚を通 して知りうる世界からの切断である。代わって「カメラ・オブスキュラが2世紀に亘って安定的に維持してきた“現実世界”はもはや、ニーチェをパラフレーズすれば、最も価値があって有益な世界だというわけではなくなった。ターナーやフェヒナーやその末裔たちを含むような近代性は、そうした種類の真実や不変の自己同一性をもはや必要としなくなった。」 10しかしながら、メアリー・アン・ドーンが記述したように、こうした参照性への要求やそれに伴うリアリスト的要求は明確に存在し続けているし、実際、写 真と映画の出現の中心にも存在していた。主観性などは単に、機械化された視覚のモードによって乗り越えられるべきハードルにすぎなかったのだ。かくして彼女は結論づける。「こうして私たちは奇妙な結論に到達する。イメージのテクノロジーとしての映画は、人工器官的装置として視覚を増大させたり拡大させたりするだけでなく、身体自体が持っている欠陥の協力者としての役割も果 たすのだ。」 11

視覚のメカニズムとしての眼と可視的なものを理解する場所としての精神や脳との間の融合は、しつこく存在し続けている―「I understand(理解しました)」と言いたいときに「I see(分かりました=見ました)」という表現を使うことに示されているように、そしてその拡張版として、私たちの日常会話に区切りをつけ、相手に自分の話を理解するように希望し要求するために「you see(お分かりのように=ご覧の通り)」という勧告の表現を使うことにも示されているように。しかしながら、心的プロセスとしての視覚は、眼と網膜から受け取った光学的情報ではないものにも同時に依存している。その中には、眼の筋肉運動のような非光学的な生理学的情報だけではなく、記憶も含まれる。実際私たちが見ている物の大部分は、私たちがそれを既に知っているからこそそのようなものとして見ることができるのであるから、その意味で記憶は視覚の中心を占めている。「新しいもの」は、私たちの視覚的習慣に秩序化されるまで「見る」ことが難しい。光学的刺激は、それらが「意味」を持ったときにのみ情報となる。カメラ・オブスキュラは、まさに、視覚の場所としての身体を視覚的対象から切り離すことによって快楽を提供する。それは、全体を見渡すための装置であり、世界のパノラマをてのひらに収めてしまうような装置であり、少なくともそれは、友人や親類や他人たちが、見られているのに気付くことなくぶらついているのを歪曲面 上に見るようなものだ。こうした光景を写真を通して定着することは、ここに発生している空想、自分自身を超えた現実ではあっても、適応可能で定着可能な現実という空想を拡大する。だがそのとき、その真実性についての疑問が生じる。というのも記録するプロセスは、希望を実現するとともに、記録メカニズムが変形と歪曲によってかなり現実に介入しているのではないかという疑問をもたらすからである。記録された現実は真実を語っていると同時に嘘をついているかもしれないという可能性の問題は、神学的・哲学的問題である。すなわち、このジレンマこそが欲望の場所、もしくは不安とその反復的回帰の場所にもなると断言してよいのかもしれない。それゆえ、ドキュメンタリー映画は、世界の知り得るものを獲得する手段として、科学的言説の形で現れるとともに、「これは本当にそうなのだろうか? 本当だろうか?」という疑問との関係における欲望の言説の形でも現れるのだ。

可視的なものや見られたものに関する科学と視覚的なものの快楽との間の相互依存的役割は、たとえばステレオスコープ(立体写 真装置)によって明らかになる。写真とは違って、ステレオスコープは科学者によって直接的に発展させられたものである。チャールズ・ホイットストーンによって発明され、デビット・ブリュースター卿によって発展させられたのは、現実についての知識を大衆化するという目的のためだけではなく、反対に幻影的魔術という目的のためでもあった。クレイリーにとってステレオスコープは、新しい観察者の技法の典型例だが、同時に彼にとって例外的で限界的なケースでもあり、「ファンタスマゴリア的(魔術的)」な性質が不充分であったために「廃れて」しまったものなのだ。(ファンタスマゴリアという用語は、スクリーンの後ろから映写 することで装置の存在を隠してしまったマジック・ランターンやスライド映写機に対して1790年代から使われていたのだが、この用語は同じように生産様式を隠蔽する表象様式を表現するためにテオドール・アドルノやベンヤミンによって採用された。) 12ステレオスコープは、表象のモードにおいてパラドキシカルである。一方でステレオスコープは、写 真や映画とは違って三次元イメージを作りだすことによって、人間の視界をかなり忠実に再現する。ステレオスコープのイメージが持つリアリズムと接触感覚は、これまでもしばしば論じられてきたし、クレイリーも次のように述べている。「ヘルムホルツほどに洗練された視覚研究者であっても1850年代には書けたのだ、“これらのステレオスコープ写 真は、あまりにも自然そっくりで生命感を持った物質の描写を行っているために、その写 真を見てその中に家のような対象を見出した後で実際にそれを見たときには、すでにそれを見た経験があって多かれ少なかれおなじみのような印象を持ってしまう”と。…19世紀の表象形式で、これほど現実的なものと光学的なものを混同させてしまうようなものはなかっただろう。」 13他方で、見せるための仕掛け自体が視覚的経験に介入してくる。実際、ステレオスコープを見る人は、最初その立体光景に焦点を上手く合わせるために必死に集中しなければならないし、そのときスコープにくっつけた眼は、装置に閉じ込められたイメージの周辺にあるはずの光景からは完全に排除されてしまっている。クレイリーが、観察者は「規律化され(disciplined)」ており、装置による視覚的プロセスに従属してしまっていると注意を促すのはこの点においてである。彼が強調して示すのは、「剥き出しにされた装置の作用構造と、装置がもたらす従属の形式である。たとえそれらは“現実的なるもの”への接近を提供してくれるのだとしても、その現実的なるものが機械的に作り出されたものではないと主張するわけではない。それらが作り上げる光学的経験は、装置の中で使用されているイメージからは明確に切り離されたものだ。」 14イメージが三次元的に見えることは鮮明な現実性を持っているが、それとは対照的に、装置を手にした者は視覚的プロセス自体の生産手段を完全に意識せざるを得ない。従ってそれは、単に幻想的であるわけではなくなるのだ。 15

ステレオスコープはより完全なファンタスマゴリアとしての映画の勃興とともに廃れてしまったと論じるなかで、クレイリーは同じ議論を映画史のスタンダードな説明にも与えている。つまり、新しい表象形式における現実性のスペクタクルのスリルは、フィクション映画が完全なイリュージョンの世界を作りだしたことによって、物語の快楽に道を譲ることになったのだと。フィクション映画における生産のプロセスは、スクリーン上に出現している現実世界の完全なイリュージョン、完結的で全体的で統合的な世界によって隠蔽されてしまっているのだ。しかしながら、ステレオグラフ(立体写 真)の衰退についてのクレイリーの仮説は不正確である。なぜなら立体写真とステレオスコープは、映画の確立後も数百万単位 で売れ続けていたし、1910年から1920年という期間は、むしろその大衆性が発展し成長した時代と見られてきたからである。 16もっと重要なことは、クレイリーによる立体写真の否定は、世界を写 真的に想像することへの大衆的な遭遇に、立体写真が果たした大きな役割を見逃してしまうことにもなることだ。だが写 真的イメージが流通し、消費され、家庭や図書館において一般的なアイテムとなったのは、主として立体写 真としてだった。しかもクレイリーが示しているように、こうしたステレオスコープ的視覚は古典的な絵画空間やその遠近法的な約束事との切断を含んでいるのだから、数々の写 真史がステレオスコープの広範な使用を無視してきたということは一層異常な事態なのである。立体写 真が古典的な絵画空間から切り離されるのは、それが三次元であるからというだけでなく、ある意味ではもっと著しいことだが、それが単一の視点―写 真的あるいは絵画的意味において焦点に中心化した光景―を欠いているからでもあるのだ。代わってここでは、眼は視界を彷徨わなければならない。クレイリーも言うように「ともに捉えられたこれらの事物は、決して同質的な平面 に融合されることはない」 18のだが、これは私たちが日常世界を見る見方でもあるのだ。それが立体写 真の中に再現された光景であれ、本当の現実であれ、三次元的外観において空間的な諸関係を理解するためには、主として記憶という認識のプロセスを必要とする。ステレオスコープの見物者が、その光景を何とか形にしようと努力するときに明らかになることは、まさに視覚世界の非統合性なのだ。実際それこそがクレイリーの言う、「各々の観察者が魔術師と同時に彼に騙される観衆に変えられてしまう」 19場合である。それはまた否認の構造でもあって、主体は真実を良く知っていると同時にその反対を信じてもいるのである。

ドキュメンタリーは、ステレオスコープや初期映画の様々な「光景」と同様に、たとえそれが不在のより大きな世界からの断片として部分的にしか映し出されていないとしても、ナレーションがイメージを単に開示された現実としてではなく、視覚の対象として提出するということによって、映画と記録された現実との間の分離を示している。映画の大衆性や観客への魅惑を説明するとき、主要な第一の要素として典型的に引用されるのは物語ではなく、むしろそれと対立する方の、見ることの完全な快楽としてのスペクタクルである。『映画のための闘い(The Struggle for the Film)』の中でハンス・リヒターは、世界最初の映画上映への観客の反応に関する都市伝説の、一つのヴァリアントを提示している。彼の物語は1923年に設定されており、パレスチナへのユダヤ人の移住者が登場する。

彼の所有物はほとんど何もなく、古い映写機と一本の古いフィルムだけだった。これらを持って彼は、エルサレムでも最も貧しいアラブ人街に住みついた。彼の映画は何ヵ月にも渡って上映され続けた。観客が彼を見捨てることは決してなかった。実際彼は、何度も何度もやって来る客たちの顔をたくさん覚えてしまった。

ある日彼は間違えて、最後の巻を最初に映写してしまった。驚くべきことに誰も不平を言う者はいなかった。「常連客」でさえも、動じる様子はなかった。この事件は、この映画館主を面 白がらせた。彼は、誰か異議を唱える者はいないのか、いないとしたらなぜそうなのか知りたくなった。だから全ての巻を間違った順で上映してみた。だが誰も気にしているようには見えなかった。「なぜだ?」 彼はある種の驚きを持って悩んだ。そして最も古くからの常連の一人に尋ねた。そして分かったことは、そのフィルムが正しい順番で見せられていたときにも、プロットを把握していたアラブ人などいなかったということだ。どうやら彼らが映画館に通 っていたのは、そこで人々が歩いたり、馬が駆けたり、犬が走ったりするのを見ることができる、というためだけだったのは明らかだった。 20

しかしながら、映画的快楽においてスペクタクルが果たす基本的役割は、たちまち否定されることになるだろう。というのは、物語的な長編フィクション映画が市場を支配するとともに当時の批評家やプロデューサーが、後の理論家たちと同様に、スペクタクルは快楽の不適当な手段でしかない、少なくとも映画を大産業として発展させるには不適当であると主張したからである。つまり、産業化のためには物語が必要だというわけなのだ。こうした理由のために、スペクタクルという現象やその快楽はとくに際立たせて議論されることもなかった。

むしろそれより、映画とその視覚的快楽に関する詳細な議論は、系統だてて行われてきたとは言えない。実際それは、全く異なった議論の中で、とりわけ視覚的快楽のより優れた形式としての支配的な(ドミナントな)物語映画とは異なった、オルタナティヴ映画として取り上げられてきた。ノエル・バーチにとっては、初期映画の「原始的(primitive)生産様式」の主要な特徴は、非物語的だということであり、「制度的生産様式」の終結性と透明性に対立することによってこそ価値付けられる。 21 スペクタクルは物語に対するアンチテーゼとして現れ、視界と眺めること、見ること/見られることによって物語を宙吊りにする。

初期映画におけるスペクタクルの役割は、トム・ガニングの「アトラクションの映画」 22という概念において最も示唆的に際立たせられた。ガニングはこの概念をエイゼンシュテインから借りてきたのだが、エイゼンシュテインにとってアトラクションとは、「観客を強引に『官能的もしくは心理学的な衝撃』に従属させること」であり、イリュージョン的で物語的な描写 への没入とは対比されるものである。 23 さらにガニングは、こうした映画における快楽の自律性を支持し、観客参加の別 個の独特な様式について概観する。彼の言うように、映画は、普通は互いに関係のない多様な演し物の連続としてのヴォードヴィルのプログラムの一つのアトラクションとして、つまり非物語的に連続するパフォーマンスとして出現した。ヴォードヴィルやニッケルオデオンでの上映における、こうした気まぐれで恣意的な側面 は、中産階級の改革派集団によって、観客の「病的な神経過敏」 24 を刺激してしまう危険があるものとして攻撃された。これは、ボードレールや後のベンヤミンが新しい都市的主体―遊歩者(flaneur)―の特徴として挙げた神経過敏や視覚的な刺激過剰と同じものである。ガニングは後の論文「今、君はそれを見ているが、次の瞬間には見ていない:アトラクションの映画の時間性("Now You See It, Now You Don't: The Temporality of the Cinema of Attractions")」の中で、「この出会いは、攻撃的な側面 を纏うこともあり得る。というのもアトラクションは観客たちに立ち向かい、彼らにショックを与えようとさえするのだから(観客を脅かすように見える突進する列車は、初期映画における最も不朽の例である)。」と示唆している。 25

ガニングにとって中心的なことは、こうした映画は、何かを見せるというフィルムの能力によって特徴づけられるにもかかわらず、観客の存在を承認してもいるということだ。つまりここでは、俳優が繰り返しカメラの方を見たり、秘密やジョークを観客と共有することで視線の共犯性が作り出されたりしているのである。こうしたカメラやその延長としての映画観客への直接的な言及は、物語的なイリュージョンを破壊してしまうために、後の長編フィクション映画からは排除され、ごく例外的にマルクス兄弟のようなコメディ形式の映画の場合や、タイトルやナレーションにおいてのみ残ることになった。結果 的にはガニングは、観客の視線を誘惑するアトラクションの映画の見世物性を、クリスチャン・メッツによって分析されたような物語映画の窃視症性―観客がカメラと同様に、登場人物たちに全く気付かれることなく演技シーンを見渡すことができる―から区別 している。しかしながら初期映画における見世物的魅力(アトラクション)の一部には、明らかに窃視症自体がある。ガニング自身も、アトラクションの映画は直接的に観客の注意を魅きつけ、視覚的好奇心を刺激し、興奮させるスペクタクルを通 して快楽を提供するのだと結論づけるとき、初期映画の視覚快楽嗜好の役割を指し示そうとしているのだ。「このスペクタクルとは、フィクションであれドキュメンタリーであれ、それ自体において興味深い一回限りの出来事のことである。アトラクションは、…初期のクローズアップのように、映画的な本性とも関わるものなのかもしれない。」 26

しかしながら、実写映画(actuality film)における見世物的な展示性の役割はそれほど単純なものではない。初期映画の見世物性は少なくとも部分的には、パフォーマーが直接的に観衆に語りかけるというミュージックホールやヴォードヴィルの約束事を採用したものであり、だからこそカメラは観客の代わりの位 置を占めていたし、そしてパフォーマーの視線の方向は記録機械としてのカメラに向けられていたが、パフォーマンスは予想され想像される未来の視線―つまりは映画観客の視線に向けられていたのである。ところが、この事は実写 映画については真実ではない、あるいは同じことが言えるわけではない。というのも、実写 映画の中にしばしば記録される、私たち観客に向けられた視線は、次の三つのどれかあるいは全てであり得るからだ。まず、奇妙な機械としてのカメラに向けられ、それが作動しているところを見ようとしている視線、次に、カメラマンに向けられた視線、そして、想像された未来の観衆への視線。この最後の視線は、最初期の実写 映画(actualities)にはそれほど見られないかもしれないが、しかしそれは、映画の中の人物たちがカメラに向かって手を振る傾向に示されていたように、確かに、すぐに実写 映画の撮影の特徴となった。とりわけ第一次世界大戦の記録映画におけるこの傾向は私たちを当惑させるものだ。私たちは最初そこに、カメラの前を歩いて通 りすぎて行く、見捨てられた絶望的な避難民の列を見る。しかし彼らは、突然振り返って私たちに向かって微笑み、手を振りだす。そうすると、彼らと私たちとの関係は変化させられ、彼らが犠牲者であるという私たちの理解は混乱させられてしまう。カメラを振り返る視線は、魅惑の対象をシーンの内側から外側へと転倒してしまうことによって、実写 ショットを攪乱してしまうのである。―それは単に、観客が他人の視線の想像的な対象となってしまい、さらに彼もしくは彼女の視線を自覚してしまうようになるという理由からだけでなく、こうした視線は、実写 映画の「題材」としてのスペクタクルに匹敵するほど目立ってしまうという理由のためでもある。つまりカメラの視線が物語的に覆えさせられるのは、全ての通 行人が私たちにも見せられている彼等の背後の光景に全く無関心であるように見え、それに代わってカメラを熱心に見ることになるときである。

映画は見るための世界を観客に示す。フィクション映画においては、この世界は物語を語るために構築される。従って理解したことに関する疑問や問題は、この物語世界によってそしてその内側でのみ提起されるし、その物語世界における知識の諸関係も、それ自身の中で提起されて答えられる。ドキュメンタリー映画は、「現実的な」世界を提示する。しかしその世界はあくまで理解可能な場所として、しかも他方で、観客の視覚快楽嗜好的で認識快楽嗜好的な衝動を、すなわち知的好奇心を視覚的に満足させるためのものとして提示されるのである。この快楽は、科学者の世界認識の計画と併置されるし、そして人間の眼に不可視のものを「見る」ための、映画を含めた光学装置を科学的に利用することとも併置される。光学装置は、私たちが本当に視覚的対象を知ることが可能となるため、人間的視覚を補助する人工器官となる。マレーやマイブリッジの初期の仕事は、人間の眼には知覚不可能な生理学的運動を記録しようとする試みだったのだから、このことを示している。ここに伴われているのは、通 常では見ることのできないもの、すなわち普通は視覚から隠されベールに覆われてしまっているものを見たいという欲望である。このような欲望は、広く称賛された1920年代のイギリスの初期シリーズ物である『自然の秘密』に見られる。ここでは自然の発生プロセスを明らかにするために顕微鏡やスローモーションが使われているのだ。

もちろん、通常は隠されたり禁止されたりしているものを見たいという欲望が、科学よりむしろ快楽と結び付けられたとき、それは普通 、窃視症と名付けられるのだ。こうした快楽は、明瞭にドキュメンタリー映画によって与えられる。そしてしばしば議論されてきたように、「観察的(observational)」映画においてそれは顕著である。そこでは「壁の上の蠅」として観客/カメラが自分は安全なまま(それをどう評価するかはいろいろだが)光景の中に侵入し、そこらをうろつき回るのだ。光景全体を見渡したり、盗み聞きしたりするこの快楽が高められるのは、通 常は公共的空間の中で見ることのない行為が見られたり、誰かが自分の感情や考えを偶然漏らしてしまったりするときである。ホームビデオやドキュメンタリーにおいて捉えられたこうした瞬間というものは、テレビのコメディ・ショーの題材になるようになってきた。―かつては「隠しカメラ(Candid Camera)」と呼ばれていたのだが、最近のイギリス版ではもっと率直に「あなたはフレームの中に捉えられていた(You've Been Framed)*」と名付けられている。(*訳注/二重の意味があり、もう一つの訳は「あなたはでっちあげられた」である。)

隠されていたものが暴かれるというスペクタクルの魅惑は、しかしながら、もっと「真面 目な」ドキュメンタリーやテレビの記録映像番組(factual television)の特徴にもなっている。記録映画(factual film)の新しいサブジャンルとして、病院の手術記録や、警察や警備保証会社のビデオカメラからの録画テープ等を一緒に編集したものが出現してきているのだ。しかしながら、こうした記録映像の商業的マーケットに対する公共的観点からの関心は、イギリスにおいては多くのビデオを発売中止に追い込んで来た。だがそれとは対照的に、BBCのテレビ番組『警察、活動(Action)、カメラ』(1994年放映)の方は、警察の仕事についての記録映像的番組として呼び物となってしまっている。この番組の真面 目さは、BBCのニュース番組のレギュラーキャスターであるアラステア・スチュワートが番組の解説を担当しているということによって保証されている。しかしながら、この番組が提供する視覚的題材は、様々な鏡像的(specular)快楽の高度な娯楽的ミックスにすぎない。私たちは高速道路や鉄道の踏切に置かれた警察の監視カメラによる録画テープを見せられる。そこでは、自動車やバスやトラックのドライバーらがみんな彼ら自身や他人たちの命を危険に晒している。私たちは、隠しカメラと同じ視点に立ち、窃視症的にこうしたドライバーを見ることによって、彼らの犯罪的な愚かしさを批判するように誘惑される。さらにその後では、警察によるカーチェイスを記録した一連のビデオによって警察ドライバーの技術がデモンストレートされるのだが、このビデオは、追っ掛ける警察の車の内側から撮られたショットによって途方もなくエキサイティングな視覚的経験を私たちに与え、さらに付け加えて「勝利者」の立場に立つという快楽―警察はいつもドライバーを逮捕する―を与え、さらに法律の側に立つという快楽までも与えてしまう。こうした鏡像性(specular)の後に続くのはスペクタクル性(spectacular)である。そこでは、警察とレスキュー隊の協力作業を記録したビデオ映像が見せられるのだ。ここでは映画の人工器官的機能が前面 に立っているが、今やそれは光だけでなく熱にまでも関係して「見る」作業を行う電子的記録ビデオなのである。たとえばヘリコプターのパイロットが夜間飛行中に、テムズ河に落ちたがまだ生きている人の身体を熱反応「カメラ」を使って「視界に捉え」、警察とレスキュー隊を彼の方に誘導するといったものである。その後でさらに私たちは、同種の「カメラ」による記録ビデオを見せられることになる。そこでは「カメラ」が、市内の巨大な火事と格闘している消防隊員を、火事の最も酷い場所や今にも炎に飲み込まれそうになっている領域へと誘導するのである。ここでは現実性のスペクタクルに対する魅惑は、ワーウィック・トレーディング社の「Fire Call and Rescue by Fire Escapes」(1899)やエドウィン・S・ポーターの『アメリカ消防夫の生活』(1903)などといった初期の実写 映画によって確立された伝統に則っている。

知識への接近としての視覚的快楽は、消費者や支援者を装った調査者が自ら隠し持った顕微鏡カメラを使って秘密撮影することが最近発達していることのなかで中心的位 置を占めている。私たちが期待し、かつ望んでもいるのは、撮影された側が嘘つきであったり冷酷だったり堕落していたりすることが暴露されることである。秘密撮影ビデオは、事件や時事的話題についてのより大きな隠された真実への接近を伝達する。そこでは、不可避的に質が落ちてしまう照明、音響、撮影がかえって真実性を言外に伝えることになる。チャンネル4のシリーズ番組である『英国の秘密調査(Undercover Britain)』(1994年放映)は、しばしば以前は状況の受け手でしかなかった普通の人々に、今度は自ら調査させるやり方で、このアプローチを発達させてきた。『サムソン部隊(Samson Unit)』という、イスラエルの製作集団によってチャンネル4のために作られた「特派員」番組(1994年放映)は、イスラエルの一流秘密軍隊集団「サムソン部隊」の何人かの隊員にカメラを取り付けて、彼らが銃を所持したパレスチナ人の容疑者を捕らえようとするためにウェストバンク占領地区のある家を急襲するところを記録した。そのためにこのドキュメンタリーは、私たちには隠されているどころか普通 は接近不可能なものを見せてくれるだろうし、同時に男たちが前進するにつれて「そこにいる」かのような主観的感覚を与えてくれるだろうと期待させた。眼の位 置よりも下に置かれたカメラは行動を理解可能なかたちでは記録できなかったが、しかしかえって効果 的なリアリティを醸し出していた。しかし、視聴覚的感覚を通して知識に接近するという快楽を特権化することは、この作品自体の意図であるにもかかわらず、疑問に付されてしまう。何しろここでは、急襲の中で殺害されたパレスチナ人―私たちが映像の中で制止の掛け声が繰り返されたことを聞き取れた後で彼は射殺されるのだが―が犯人ではなかったどころか、聴覚障害者であったことまでが明らかになってしまうのだから。

(翻訳:長谷正人)

 


(注)

1. Walter Benjamin, "The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction"(1936), Illuminations, trans. Harry Zohn(London: Fontana, 1973); "A Short History of Photography"(1931), trans. P. Patton, Classic Essays on Photography, ed. Alan Trachtenberg(New Haven: Leete's Island Books, 1980)[久保哲司訳「複製技術時代の芸術作品」、同訳「写真小史」、いずれも『ベンヤミン・コレクションI―近代の意味』ちくま文庫、1996年に所収。]

2. Hans Richter, The Struggle for the FilmTowards a socially responsible cinema(London: Scolar Press, 1986(1976)), p. 47. リヒターは本書の草稿を1930年代に既に書き上げていたが、出版はずっと後になった。

3. Bill Nichols, Representing Reality(Bloomington: Indiana University Press, 1992), p. 3. ニコルズが主張するところでは、これらのシステムは「それらが道具的な力を持っていることを前提にしている; それらは世界自体を変えることができるし、変えなければならない。それらは行為を引き起し、結果 を生じさせることができる。」こうした諸言説は見せかけの世界と対立している。代わりにそれらは、直接的で透明な現実性との関係を前提としている。だが「そうした類似性にもかかわらず、ドキュメンタリーは決っしてそれらと完全に同等のものとして扱われたことはない。」(pp. 3-4)

4. Lewis Hine,"Social Photography, How the Camera May Help in the Social Uplift Proceedings," National Conference of Charities and Corrections, June 1909, Reprinted in Classic Essays on Photography.

5. ダゲールは最初、舞台装置家として身を立て、舞台セットのために描いたリアリスティックな背景画のために有名になった。後に彼はジオラマ―暗い廊下を通 って部屋に入ると、透明な布の上に描かれた光景を観ることができる―を建築した。光線を操作することによって、それは昼から夜へ、晴れから嵐へと変化するように見える。それと対照的にフォックス・タルボットが強調するのは、彼自身の手が写 すことによってイメージを記録しようとする努力が上手くいかなかった結果、カメラ・オブスキュラによって与えられるイメージを化学的に記録するという手段の発見へと導かれたことである。私はジョン・キャリットに感謝したい。彼は、劇場でのダゲールの仕事とジオラマと彼の発達させたダゲレオタイプとの関係を指摘してくれた。

6. [写真的イメージだけが、人間の奥深い欲求を満足させてくれるような事物のイメージを私たちに与えることができる。そのとき人間が事物の代用とするものは、類似物、移し絵、転写 といったもの以上の何かでなければならない。写真的イメージは事物それ自体であり、それを支配する時空間的条件から解放された事物である。そのイメージがどれほどぼやけていたり、歪んでいたり、色が変化していたり、資料的な価値を欠いたものだったりしたとしても、まさにその生成のプロセスを考えれば、そのイメージはその複製の元になったモデルと存在の一部を共有しているのである; つまりそれはモデル自体なのだ。」Andre Bazin, What is Cinema?, vol. 1, trans. Hugh Gray(Berkeley: University of California Press, 1967)p. 14 [小海永二訳「写 真映像の存在論」『映画とは何か』美術出版社、1970年所収、22頁、ただしここでの拙訳は、本文中の英訳からの重訳である。]

7. Jean-Louis Comolli, "Technique and Ideology: Camera, Perspective, Depth of Field," Film Reader 2(1977), pp. 128-40.(これは、"Technique et Ideologie," Cahiers du Cinema 229-35 & 241(1972)の部分訳である。)

8. Jonathan Crary, Techniques of the Observer(Cambridge: MIT Press, 1993), p. 55[遠藤知己訳、『観察者の系譜』十月社、1997年刊]

9. Crary, Techniques of the Observer, p. 138.

10. Crary, Techniques of the Observer, p. 149.

11. Mary Ann Doane,"Technology's Body: Cinematic Vision in Modernity," Differences: A Journal of Feminist Cultural Studies 5.2(1993), p. 5.

12. Theodor Adorno, "In Search of Wagner," trans. Rodney Livingstone(London: New Left Books, 1981), p. 85. Benjamin, "Paris―The Capital of the Nineteenth Century," in Charles Baudelaire: A Lyric Poet in the Era of High Capitalism, trans. Quintin Hoare(London: Verso, 1983), p. 166[久保哲司訳「パリ―19世紀の首都」『ベンヤミン・コレクションI 近代の意味』ちくま文庫、1996年]

13. J. Crary, Techniques of the Observer, P. 124. クレイリーの懐疑心とは対照的に、当時のアメリカ人作家で、ホームズ・ステレオスコピック・ヴューアーの発明者でもあるオリヴァー・ヴェンデル・ホームズは、立体写 真の熱狂的信仰のケースを提供してくれる。このケースは、バザンの映画に対する視点の反響であるかのように見える。

ステレオスコープを通して良い写真を見ることの第一の効果は、どんな絵画も生み出すことのできない驚きである。心の中では写 真の奥行きの中を進んで行くように感じる。写真の前面にある木のまばらな枝々は、まるで私たちの眼にぶつかろうとするかのように飛び出して来る。人のひじは、私たちをほとんど不安にするほど前面 に浮き上がって来る。そこにはこうした恐ろしいほど無数の細部を見ることができるので、私たちは自然が与えてくれる無限の複雑さを見るのと同じ感覚を持つ。

("The Stereoscope and the Stereograph," Atlantic Monthly(1859), reprinted in Classic Essays on Photography, p. 77)

14. Crary, Techniques of the Observer, p. 132. 

15.「後のホームズのステレオスコープでさえ、“生産プロセスの隠蔽”は完全に行われていたわけではない。」 Crary, Techniques of the Observer, p. 133.

16. ジョン・ジョーンズが主張するところでは、アンダーウッド&アンダーウッド社は、一日に25,000枚の立体写 真を生産し年に300,000 台のホームズ型ヴューアーを売っていた。彼らはセットの中に主題を作り出す方式を発展させた。そしてこれらはアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、日本において特に成功を収めた。 Wonders of the Stereoscope(London: Roxby Press Production Ltd., Jonathan Cape, 1976), pp. 28-29 による。

17. Points of View: The Stereograph in AmericaA Cultural History, ed. Edward W. Earle(Rochester: Visual Studies Workshop, 1979)の中でアールが述べるところでは、立体写真は、ガラスのスライド写真から紙の写 真に替わって値段が安くなったために、雑誌のように世界中の多くの人々に手の届くものとなった。そして彼はロンドンの「ザ・タイムズ」紙がそれを「貧しい人々のための写 真美術館」と呼んだのを引用している。

18. Crary, Techniques of the Observer, p. 126.

19. Crary, Techniques of the Observer, p. 133.

20. Richter, The Struggle for the Film, p. 41.

21. Noel Burch, "A Primitive Mode of Representation," in Early Cinema: Space, Frame, Narrative, ed. Thomas Elsaesser(London: British Film Institute, 1990), pp. 220-227. バーチは、ここで「原始的な外在性」という概念の導入も行なっている。この概念はスペクタクルと初期映画を、観客を外在性に直面 させるものとして強調している。

22. Tom Gunning, "The Cinema of Attractions: Early Film, Its Spectator and the Avant-Garde," in Early Cinema: Space, Frame, Narrative.

23. Gunning, "The Cinema of Attractions," p. 59.

24. Gunning, "The Cinema of Attractions," p. 69.

25. Tom Gunning,"Now You See It, Now You Don't: The Temporality of the Cinema of Attractions," The Velvet Light Trap 32(Fall, 1993), p. 5.[なおこの論文は、R. Abel, ed., Silent Film(New Brunswick: Rutgers University Press, 1996), pp. 71-84に収録されており、日本においてはこちらの方が入手しやすいと思われる。]

26. Gunning, "The Cinema of Attractions", p. 58. ガニングは、後の論文"Now You See It, Now You Don't"において、多様な範囲の効果 とテーマをアトラクションとして持ち出している(pp. 5-6)、そしてこれらを驚きと結び付けて、物語におけるサスペンスや窃視症の役割と対比させている。映画における物語への衝動とスペクタクルの映画的演出との対立は、物語的快楽としての窃視症と非=窃視症的で非=物語的な快楽の対立と並べて論じることはできない。フェティシズムも見世物性もこの役割を果 たすことはできないのだ。

 


エリザベス・カウイ


イギリスのカンタベリーにあるケント大学の映画学主任講師。「m/f」というフェミニスト理論雑誌の創立編集者で、パーヴィーン・アダムズと「The Woman in Question」共同編集。最近出版の「Representing the Woman: Psychoanalysis and Cinema」の著者でもある。