yidff1999小川プロワールドインターナショナル
yidff1999柳沢特集アジア千波万波日本パノラマヨリス・イベンス
yidff1999ビデオアクティビズム事例討議審査員transrate-English

beforenext
■妹へ
■ヘアーカット
■シーズン・オブ・ザ・ボーイズ
■綿打ち職人
■江湖
■よそに住んで
■老人
■1997年、僕は17歳になる
■98年的生活言語
■革命前のメモ
■秋のお話
■マーヤーのために
■友よ、いかに生き延びよう
■鉄の魔術
■クマール・トーキー
■外部の季節
■ジャカルタ・ストックショットNo.7
■カマスの人形
■絹
■テヘラン、25時
■わな
■放課後
■自転車
■あんにょんキムチ
■新しい神様
■姫ころがし
■北朝鮮の少年たち、中国へ逃れる
■天日干し赤唐辛子を作る
■3本足のカラス
■空っぽの家
■ジャイク
■人魚島の子ども
■二人の間で…ベイルート
■祈祷師
■テンション
■モーゼからの権利証書
■メイド・イン・フィリピン
■部族へ帰れ
■美麗少年
■労使間の滑稽な競争
■I Love (080)
■紅葉野球チーム
■ハイウェイで泳ぐ
■狩りに出る2人
■エキゾチック概論
■第三世界
■太陽はどこに?
■二つの岸の間で
 
ハイウェイで泳ぐ
Swimming on the Highway
在高速公路上游泳
台湾/1998/中国語/カラー/ビデオ/49分

監督:呉耀東(ウー・ヤオドン)
製作・提供:呉耀東(ウー・ヤオドン)
(Wu Yao-tung)
2F, No. 14, Lane 80, ShingAn Street, Taipei 104 Taiwan
Phone: 886-2-2502-2584
Fax: 886-2-2503-4704
E-mail: bm7071@ms5.hinet.net

 
呉耀東(ウー・ヤオドン)
Wu Yao-tung


1972年台北生まれ。現在、国立台南芸術学院音像記録研究所在学中。1996年からドキュメンタリーを作り始める。監督作に『四點零六』(1996)、台北電影奨の台北特別 奨を受賞した『瑞明楽隊』(1997)、『ハイウェイで泳ぐ』(1998)は金穂奨ドキュメンタリービデオ部門グランプリを受賞、1999年香港国際映画祭で上映。他に『地界滑翔一劉紹爐与光環舞集』(1998)がある。

30歳の男性、不安を抱えている。26歳の友人、カメラを持っている。HIVウィルスに感染しながら生きていく男の生きざまを撮影しながら展開する二人の関係を、パーソナルなところから見つめる作品。カメラを向けられ、年上の男は映画の被写 体になることと戯れる。監督はその姿に悩みながら撮影を続ける。動かしようのない事実を前にした二人の真摯さが感動的だ。

【監督のことば】

1997年の国慶節、西門町での花火の下で。僕は国塘と僕の間にある「愛と憎しみ」について、ドキュメンタリーを撮り始めた。その日、人ごみの中、国塘のもの寂しい姿、無感情に歩道に座る姿、そして暗い通 りで煙草を吸い台湾ビールを飲み、吐いている姿を見た。カメラを構え、「これはいける。いい映画になるぞ」と僕は思った。バスは高速道路を駆けぬ け、夜は明けようとしていた。夜明けの青白い光りの中、昨夜のパーティーで疲れきった彼の顔が窓にはっきりと映る。病のため顔はやつれているが、その目はまだ鋭かった。「まるで全人生を路上で過ごしたみたいだ。」その放浪人生を誇るかのように彼は言った。 1998年6月、リージェントホテル隣りの14号公園で僕は撮影を終えたいと思っていた。彼はカメラの前に座り、リラックスし、落ち着いていた。僕は叫んだ。「何で君はそんな風なんだ。こわくないのか?」彼は言った。「演技してるんだよ。以前の僕を演じてるんだ。」「できるだけ早く終わらせよう。」僕は憂鬱に思った。 撮影はまるまる1年かかった。僕たち二人の間に常にあったのは戦いだった。撮る者と撮られる者の戦い、カメラを巡る戦い、友人間の誠実と信頼の戦い。しかし彼にとってはきっと生と死の戦いだったのだろう。無論僕には人生があまりにも厳しく絶望的で、不安に満ち、冷淡だということはわかっていない。ドキュメンタリーの本質や干渉といった問題はない。アカデミックな理論や実践の問題でもない。今の所それは、ただ彼と僕、二人の間に横たわる問題、ただそれだけのことだ。
  beforenext

COPYRIGHT:Yamagata International Documentary Film Festival Organizing Committee