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■わたしの見島
■我ら自身のドキュメント
■陳才根と隣人たち
■極私的エロス・恋歌1974
 
日台/ドキュメンタリー討議
『月の子供たち』『陳才根と隣人たち』で知られる、台湾の呉乙峰監督と製作チームの「全景」は、1994年より台湾の各地で映像製作のワークショップを続けている。製作から人材育成へ、台北から地方へ、少人数の活動から各地でのネットワーキングへも移行を始めている。一方日本では、原一男監督が「CINEMA塾」で、若者とともに映画を考える活動を始めて5年になる。この2つの試みを交差させ、映画運動についての徹底討議を試みる。2人の映像作家の抱える問題、そしてそれぞれのグループの抱える問題を提起し合い、“共同体の映画・映画の共同体”“民衆のドキュメンタリー運動”などのテーマを語り合う濃密な3日間!

プロのドキュメンタリー制作者と、
余業でドキュメンタリーを制作する人々との間に、
どのような区別が存在するのか?
そしてその区別を誰が決めるのか?
ドキュメンタリーの制作者と
撮影対象との関係をどうとらえるのか? 
ドキュメンタリー作品は生活の場との間に
いかなる関連を生み出すのか? 
私たちはあなたの意見と経験を必要とし、
あなたの弁証と質疑を求めていることを
お伝えしたいと思います。
世界各地からやってきた友人の皆さん。
どうか私たちと一緒に
全景のドキュメンタリー制作活動の
経験を共有して下さい。 ―呉乙峰


全景工作室1988年に映画監督の呉乙峰が、ドキュメンタリー映画制作集団「全景映像工作室」を設立。テレビの記録映画「人間灯火」シリーズの放映や、『月の子供たち』の学内上映運動をきっかけに、映画を学びたいという学生たちが集まったことで、ドキュメンタリー映画制作の人材を育成するワークショップを開始。1995年より、政府機関である文化建設委員会の援助を受け「地方記録撮影活動者訓練計画」を開始した。
台湾のドキュメンタリー史が、わがニッポンにおけるそれと比べて、
決して長いわけではない。今はまだ胎動期といっていい。
だが、だからこそ、初々しいエネルギーに満ちているように思えて、
それが私には羨ましく映ったのだ。
翻って、わがニッポンのドキュメンタリーの現在は?と問うと、
爛熟期を過ぎてエネルギーを失っているのではないか?という
苦い思いが私にはある。
今回、幸いなことに 山形 という磁場が与えられた。
呉乙峰監督と私が交わした約束は、
めいっぱい、全力で語り合おうということだ。 ―原一男


CINEMA塾:映画監督の原一男が、全国の若者に呼びかけて開設。1995年、山口県萩市のHAGI世界映画芸術祭で合宿形式で始まった。映画監督やプロデューサーをゲスト講師に迎えながら、毎年テーマを設定し、合宿形式で映画を学んでおり、東京でも公開セミナーが開かれた。1998年夏の集中合宿では、塾生による最初のドキュメンタリー映画『わたしの見島』を撮影、1999年に完成した。
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COPYRIGHT:Yamagata International Documentary Film Festival Organizing Committee