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悪意なき闘い

No Harm Done
Même pas mal

- フランス/2012/フランス語、アラビア語/カラー/Blu-ray/66分

監督:ナディア・エル・ファーニー、アリーナ・イサベル・ペレス
撮影:ナディア・エル・ファーニー
編集:ジェレミー・ルルー
製作:ダヴィッド・クドシー 
提供:ドック・アンド・フィルム・インターナショナル

前政権末期のチュニジアで、政治によるイスラム教の利用に危惧を覚えた監督は、作品で問題提起をした。政権は倒されたが、監督を待っていたのは、イスラーム主義者によるネット上での激しい批判だった。革命により解き放たれた言論は、箍(たが)が外れたように暴走し、作品への非難は、監督本人への誹謗中傷、死刑宣告、告訴へと発展する。癌を患いながら、思想の自由を訴え続ける監督の闘いの記録。



-【監督のことば】私に反抗精神が培われたとすれば、家族によるところが大きいだろう。何しろ共産主義者の娘だったのだから。でもそれより強い思いがあった。それは自由への渇望。私の映画のテーマはただひとつ、「自由」である。

 2010年8月、前作『Neither Allah Nor Master!』(アッラーも主もいらない!)の撮影を始めたとき、私は決心した。フランスへの亡命を覚悟するときが来た。チュニジアには二度と戻れないかもしれない。それでも宗教を利用したベン・アリー独裁政権を真っ向から批判し、チュニジア人の日常を覆う欺瞞を告発するのだ、と。誰かが警鐘を鳴らさなければ。最近の「後退」は、単なる社会問題ではなく、自由な考え方を許さぬ独裁体制がもたらしたものだ。

 やがて革命が起こり、歴史がそのまま私のストーリーとなった。私の関心は、革命の「その後」だった。やっと自由にものが言えると感じていた。私はあらゆるタブーを破り、イスラームで最も罪深いとされる棄教もした。2011年4月、前作のプレミア上映で、私は無神論者であると告白した。それから、イスラーム主義者による凄まじい憎悪と嫌がらせのキャンペーンが始まった。そして、本作の編集をしていた頃、癌が見つかり、私は二重の戦いを余儀なくされた。

 映画が引き起こした出来事を描くためにまた別の映画を撮る。それはなぜか? 闘い続けるため、そしてこう言い続けるためである。

 「生きている者とは、闘っている者だ」(ヴィクトル・ユゴー)

ナディア・エル・ファーニー


- ナディア・エル・ファーニー

1960年、チュニス生まれ。1990年に短編第1作『Pour le plasir』を発表し、製作会社を設立。その後は、短編劇映画や多くのCM、企業広告等の映像製作に携わる。2002年、長編デビュー作『Bedwin Hacker』の編集作業のためパリに移り住み、現在に至る。2008年に完成した『Ouled Lenine』は、チュニジアの独立後、共産党指導者のひとりだった実父のドキュメント。2011年に発表した『Neither Allah Nor Master!』(後に、『Laïcité Inch'Allah!』に改題)は、チュニジアの保守的なイスラーム主義者の激怒を招き、監督に対する中傷、ヘイト・スピーチ、殺害の脅迫にまで発展した。


- アリーナ・イサベル・ペレス

1975年、ブルガリア・ソフィア生まれの造形作家、写真家。キューバ・フォトテカをはじめ、さまざまな展示活動をハバナで行った後、パリ・フォト、マドリッドのARCO(国際コンテンポラリーアートフェア)、マリのバマコ写真ビエンナーレ等、多くの国際的な展示会や展覧会に出品。ナディア・エル・ファーニーとともに2012年に監督した『悪意なき闘い』は、彼女にとって初の映画作品。