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センチメンタリズムと脱政治化:
現代台湾におけるドキュメンタリー文化の問題

郭力昕(グオー・リーシン)


 近年、台湾のドキュメンタリー映画は、熱狂的な文化活動へと進化した。長年に及ぶ政府のお粗末な介入政策によって衰退しつつある劇映画は、ドキュメンタリー映画に取って代わられるまでにはいたらなくとも、影が薄くなってきている。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)のような賞を受賞した監督の作品は、依然としてカンヌやベルリン、ヴェネチアなどの主要な国際映画祭に名を連ねることも時折あるが、台湾の劇映画を取りまく衰退した環境の現実を反映しているわけではない。その結果、低予算で、しばしば自己資金で設備もままならないドキュメンタリー製作が、台湾で映画製作に興味を持ち、またはそれに身を捧げている人々にとって、表現の手段になっている。

I ドキュメンタリーの勝利:現実か、それとも幻影か?

 2004年は、台湾社会におけるドキュメンタリー映画の“勝利”の年だった。2004年春、ドキュメンタリー映画の『歌舞中国』と『跳舞時代』が国内の映画館で上演され、商業的に大きな成功を収めた。その年の後半には、1999年に台湾を襲った大地震の余波を生き残った人々の人生を記録した『生命(いのち)―希望の贈り物』という映画が、台湾各地の映画館で公開された。この映画は、観客動員数とメディアの批評の両方で、またたくまに成功を収めた。控えめな計算によると、『生命(いのち)』の収益は1千500万台湾ドル(米ドルにしておよそ50万ドル)になり、これは2004年に台湾で公開されたすべてのジャンルの国産映画で、最高の収益を上げたことになる。ハリウッド映画が台湾の消費市場を席巻していることを考えると、『生命(いのち)』のチケットの売上は、大変な偉業と呼んで差し支えないだろう。そうこうするうちに、メディアの批評も観客も、ほぼ声を揃えてこの映画を絶賛し、『生命(いのち)』は、昨年の秋に台湾における一大文化現象までになり、この映画を見ることはどこか儀式のような趣を呈した。

 『歌舞中国』と『跳舞時代』は両方とも2003年金馬奨 1 の最優秀ドキュメンタリー映画部門にノミネートされ、後者が受賞した。そして『生命(いのち)』は、2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)で優秀賞を受賞した。しかしながら、台湾における『生命(いのち)』の商業的な大成功は、YIDFFでの受賞とはほとんど関係がなく、他の2本の映画についても、国内の映画賞の影響を受けたわけではなかった。実際、国内外の重要な映画祭で受賞することは、アメリカのアカデミー賞をのぞき、台湾でのヒットに必ずしもつながるわけではない。たいていの場合、その正反対の効果がある。ハリウッド大作映画に馴染んでしまっている一般の観客は、いわゆる“芸術作品” を、真面目すぎる、または難しいものとして、敬遠する傾向があるからだ。

 これらのドキュメンタリー映画が成功した理由は、他のところにありそうだ。『歌舞中国』は、上海で生徒を教えているある年輩の台湾人ジャズダンサーを描いた映画で、記録の手法に、主流派映画の物語り技法と美学を用いている。その結果、視覚的に魅力があり、分かりやすい映画に仕上がり、心地よい物語のテンポと専門家によるポストプロダクションとも相まって、多くの観客にアピールするスタイルを持つことになった。また別の例である『跳舞時代』は、日本統治下の1930年代の台湾を、古きよき時代として好意的に描いている。台湾のブルジョワ階級たちが、日本人入植者によってもたらされた近代化を、日常生活の中で享受していた時代だ。この映画の共同監督とプロデューサーたちは、チケット売上拡大のために巧妙な手段を用いた。李登輝(リー・トンホェイ)前台湾総統を、映画の上映に招待したのだ。李は日本文化に強い思い入れを持っていて、日本統治時代に子ども時代を過ごした。2 当然ながら、彼は『跳舞時代』で描かれたかつての台湾を大いに楽しみ、この映画の宣伝に一役買うことになった。台湾出身者で初めて総統になった人物として、李は、自らが提唱する独立路線を支持する多数の人々に、大きな政治的影響力を持っている。そのため、彼が映画を推薦したことによって、多くの観客を効果的に集めることができたのだ。

 『生命(いのち)』の前例を見ない商業的成功もまた、主に同じような利点によってもたらされた。すなわち、“宣伝役としての政治家効果”とでも呼べばいいだろうか。実はこの映画は、後に“宣伝役としての政治家” 効果がチケットの売上を押し上げるよりも前に、他にもいくつかの宣伝戦略を用いていた。それらの戦略は、たとえばさまざまなグループの主要人物を招いて、何度か私的な試写会を開くことだ。招待された人々は、まずドキュメンタリー文化に興味を持っているインターネットの活動家で、彼らはこの映画にいたく感動すると、インターネットでの映画の宣伝活動を率先して行い、若者たちにぜひ映画館でこの映画を観るようにと強く勧めた。3 他には、伝統的なメディア(主に新聞)から社主や編集者を選んで招待し、そして彼らは、映画のために大きく紙面を割いてくれた(たとえばいくつかの主要紙は、ニュース欄や芸術・娯楽欄に、1ページをすべて使って映画のリポートや論評を掲載した)。劇場公開に先駆けて宣伝を頻繁に行うことなどがあり、そして中でももっとも重要だったのは、中華電信の会長 4 とソニー・ネットワーク台湾のCEOのために、私的な試写会を開いたことだ。報道によると、彼らは映画に深く感動した。そして会長は、各劇場が3週間の上映に必要とする費用を負担すると請け合い、5 一方CEOは、輸入品のハイテク上映機材一式を援助した。

 しかしながら、『生命(いのち)』の記録的なチケット売上の背景にあるもっとも大きな要素は、台湾現総統の陳水扁(チェン・シュイピエン)によってもたらされた。この映画の監督である呉乙峰(ウー・イフォン)が、陳総統をプレミア上映に招待し、そこに教育大臣も同行した。陳は映画に感動し、そして彼が涙を流したことが、翌日のニュースのトップを飾った。上映の後、総統はこの映画を絶賛し、すべての台湾人が観るべきだと強く勧めた。それに加えて、2004年10月10日、テレビで全国放送された建国記念日のスピーチの中で、陳総統は、またもや『生命(いのち)』に特別に言及し、このドキュメンタリー映画の中で描かれたそれぞれの生存者たちの不屈の精神から学ぶようにと、台湾国民に促した。台北市長であり、国民党のカリスマ的なスター政治家である馬英九(マー・インチィウ)は、映画館に足を運び、そして同じくこの映画に感銘を受けた。彼もまた涙を流し、そして映画は再びニュースになった。この2人の影響力のある政治家によって、さまざまな効果がもたらされたことは疑いの余地がない。地元紙の報告によると、総統府の職員全員に勤務中にそろってこの映画を観に行かせたいと、総統府からの要請があったそうだ。費用は総統府持ちだ(蘋果日報/2004年10月18日)。また、多数の企業のオーナーもこのアイデアを拝借し、従業員たちにそろって映画を観に行くようにと命令、または奨励した。たとえばテレビ局である台湾電視公司の報道部のマネージャーは、社員教育プログラムの一環として、部の全員にチケット代は会社持ちで映画を観ることを要請し、そして従業員たちは映画の感想をレポートにして提出させられた(聯合報/2004年10月22日)。

II 実質が感傷の影に隠れるとき

 『生命(いのち)―希望の贈り物』のようなドキュメンタリー映画にとって、力のある政治家と企業のリーダーの両方からこのような反応を引き起こすのは、まことに興味深い事態だ。監督の呉は、ドキュメンタリーの制作と教育を行うNPO団体、全景伝播基金会の創設者であり、そのドキュメンタリー・チームが常に明言している目的は、現実と社会の不正を記録し、人々に伝えることだ。台湾政府と経済界のリーダーたちが、社会正義を擁護することで有名であったわけではない。6 それに加えて、1999年の大地震のもっとも悲惨な側面は、自然災害そのものよりも、むしろ生存者の救済や被害の大きかった地域の復興における行政の不手際や、数多く寄せられた救援物資や多額の寄付金を有効に活用しなかったことなどの人災にある。

 この不可解な状況は、映画の内容そのものにもうかがえる。『生命(いのち)』は、地震で家族を失った4組の被災者を追い、彼らが自信と生きる意志を取りもどしていく様子を描いている。映画に登場する人々とその試練はもちろん観客からの同情と尊敬に値するが、私が思うに、この映画はもどかしいほどに問題をはらんでいる。『生命(いのち)』は、撮影対象が直面している困難な現実をセンチメンタリズムな手法で描き、そして監督は一貫して道徳的な訓話のような演出を用いていると私には思える。映画の中で、構造的・政治的な不正は個人の不幸に形を変え、まさに姿を消している。そして、懸命に生きようとしている撮影対象が見せる賞賛すべき勇気を利用することによって、この映画は登場人物を搾取し、“不幸”と“生命”の意味を意図的にすり替え、そこから政治色を一切排しているのだ。

 私が思うに、そのような問題をはらんだ作品は、国内で何らかの批判的な評価を受けるべきである。なぜなら台湾には、建設的な文化批評や映画批評が存在するからだ(もっとも台湾では、学会から離れた専門的な芸術・文化批評はまだまだ不十分だと言わざるをえないが)。『生命(いのち)』が公開されると、劇場ではチケットを求める人々が長い列を作った。驚いたことに、作品が熱狂的に迎えられた最初の数週間の間、新聞やその他のメディアで、この映画に対する批判的な作品評がほとんど見られなかった。7 ほとんどすべての批評が、この映画が達成したことを賞賛し、その結果台湾でドキュメンタリー文化が盛んになったこと、たとえばこの映画が商業劇場で画期的な成功を収めたことを祝福していた。

 『生命(いのち)』における宣伝戦略と、その結果引き起こされた文化現象をきっかけに、他のドキュメンタリー映画作家たちも、同じ手法を用いるようになった。『石頭夢』、『ジャンプ! ボーイズ』、『無米楽』の3作のドキュメンタリー映画は、2005年の上半期に、劇場で商業公開に踏み切った。体操競技の訓練に励む男子学生たちを描いた『ジャンプ! ボーイズ』は、扇情的な宣伝は行わなかった。しかしながら、他の2作品は、『生命(いのち)』で用いられた方法と同じような宣伝手法を用いた。この2作品の公開に先駆けて、関連する情報とレポートが、新聞の紙面1ページすべてを使って掲載された。通常なら、他の芸術や文化のイベントがこれほど厚遇されることはなく、ドキュメンタリーについては言うまでもないことだ。新聞の他にも、『無米楽』の宣伝担当者は、インターネットで別の宣伝活動を行った。加えて、両作品とも“宣伝役としての政治家”戦略を採用した。陳総統は『石頭夢』の上映にも招かれ、そして謝行政院長は、行政院文化建設委員会主任委員とともに、『無米楽』の初日の上映に出席した。

 『石頭夢』を監督した胡台麗(フー・タイリー)は、劉必稼(リウ・ピーチア)という年老いた退役軍人の人生をとおして、台湾における異なった移民グループ間の民族の混合や、異文化への順応を描くことを目指している。映像人類学者である胡は、自らの現地調査で集めた広範な映像を用いることによって、“プロ”の仕事を見せている。主人公の劉はいわゆる“外省人”で、これは1949年、国民党政権とともに台湾に逃れてきたおよそ300万人の人々をさす言葉だ。そして監督の胡は、彼がこの島で半世紀以上も暮らした後に、ついに自分は“台湾人”であると認め、この島に骨を埋める意志を固める様子を描写している。外省人と、数百年前に中国沿岸部から移住してきたいわゆる内省人の間にある政治的な衝突は、1990年代、特に2000年に対立政党の民進党に政権が移行して以来、緊張を増している。劉の場合、彼の妻は内省人で、劉の息子の地政学的アイデンティティは、明らかに中国ではなく台湾を向いている。父親とは正反対だ。しかし批評家の王墨林(ワン・モーリン)8 が指摘しているように、この映画を締めくくる主人公の退役軍人の言葉は、まことに好都合なことに、台湾というひとつに同化されたアイデンティティを提唱する民進党の政治的プロパガンダと一致している。王の考えでは、主人公の最後の言葉は予期できるものであり、そしてある程度まで、監督の質問のしかたによって誘導されたと見ることができる。社会の主流派と政権政党の要求に合わせた、政治的に正しいメッセージというわけだ。映画のメッセージは善意に満ちているが、しかしそれによって、大半の外省人が共有する意識は、この映画が示唆しているほど簡単に制御することはできないという事実が曖昧にもなっている。そして、外省人と内省人の間にある政治的・精神的な相違は、依然として公然の、または影に隠れた政治的な危機のままである。


 『無米楽』は、台湾南部に暮らす4人の年老いた稲作農民を描いた映画であり、彼らは自分たちのつつましい生活を支えてくれる水田で、一生過酷な肉体労働に従事することに満足している。映画を共同で監督した顏蘭權(イェン・ランチュアン)と莊益(チュアン・イーツオン)は、人道主義的な手法を採用し、それらの農民たちを絵画のようなライティングと優秀なカメラワークで記録した。その結果、映画の主題と、農民たちの人生の哲学が、観客にとてもわかりやすくなっている。この2時間のドキュメンタリーは、肉体労働に従事する農民たちを、人道的で、情感豊かに描き上げ、彼らの存在を賛美している。 彼らと農業経済との関係、そして彼らと大地との関係は、職業というよりむしろ道徳の側面の方が強い。彼らは立派な人物だが、それでも結局は、現代台湾における深刻で複雑な農業問題に対して、間違った印象を与えることに一役買ってしまっている。試写の間にこの映画に寄せられた批評は、またしても好意的な内容ばかりだった。映画製作に注がれた立派な努力は、台湾社会から姿を消しつつある人力農業の最後の世代に捧げる、真の賞賛であると讃えられた。2人の監督は、台湾における農業の悲惨な状況に人々の意識が向けられることを願っていたが、結局は、年老いた稲作農民を感傷的に描くことによって、観客の郷愁をかきたてるだけの映画を生みだすことになった。『石頭夢』と『無米楽』は、どちらも人間的な関心をドキュメンタリーの手法に用いている。そして『生命(いのち)』と同様に、人物を描くことを優先させ、より複雑で急を要する現実を犠牲にしているのだ。

III 歴史的、政治的、文化的な文脈

 台湾のドキュメンタリー制作における主流派の好みを形作る上で、センチメンタリズムの言語がここまで不可欠な要素になり、そして観客が社会を見る目や理解のしかたをも決定するようになったのはなぜだろうと、疑問に思うかもしれない。センチメンタリズムと脱政治化が、現代台湾のドキュメンタリー作品のほとんどで顕著に見られるようになった背景には、さまざまな理由がある。まず手始めに、台湾における政治とドキュメンタリー映画の関係の歴史について簡潔におさらいしておくと、理解の助けになるかもしれない。加えて、文化的な要素も分析する必要がある。まずは、歴史と政治の両側面から説明していきたい。

 1980年代より以前は、台湾におけるドキュメンタリー制作は、他の軍事独裁政権と同様に、主に政治プロパガンダを目的とし、国家のイデオロギーを広める役割を担っていた。国民党によって厳格な戒厳令が敷かれていた時代、映画やその他のどんな表現手段でも、社会の現実の“暗黒面”に触れるのは不可能だった。政治問題については言うまでもない。国民党の独裁政治の下で表現の自由は存在せず、この独裁政治は、1945年に日本による植民地支配が終わりを告げて以来、30年以上もの長きにわたって続いた。

 1980年代の10年間は、台湾政治の歴史における劇的で活気にあふれた時代だった。対抗勢力が国民党政権の正当性に異議を唱え、1987年に戒厳令を解除させることに成功し、それに引き続いてさまざまな民主化運動が起こった。それらの変化は2000年の政権交代へとつながり、民進党が与党となって陳水扁が総統に就任した。1980年代の後半には、何人かの若者が緑色小組を結成し、手持ちのビデオカメラを携えて、政治的・社会的な大規模街頭デモを記録した。憲兵がデモ隊に暴力をふるう様子を目撃したそれらの映像は、簡単に編集されただけの形でさまざまな政治キャンペーンの会場で上映された。第三映像工作室のような他の映像集団も新しく生まれ、それらもまた同じような活動に従事した。国民党政権によるメディア――特に電子メディア――の完全な統制下では、それらの撮影集団によるビデオ映像が、国民党政権に対する民衆の怒りに火をつけ、民主化運動を加速させることに大きな役割を担った。それらのドキュメンタリー作家たちはもちろん政治的だが、彼らの視点は一方的で、極度に単純化されていた。彼らの目的はただひとつ、腐敗した国民党政権を倒すことだけだった。

 残念なことに、1980年代に活発化した政治抵抗運動は、政治、または“政治的”という概念に対する民衆の深い理解を広めるまでにはいたらなかった。1990年以来、台湾社会はそのエネルギーの大部分を選挙運動に注ぎ込み、いかに対抗政党より多くの議席を勝ち取るかだけが焦点になり、政治的な利益をめぐる争いが激化した。民主主義の概念は単純化され、選挙と同じ意味になった。毎年果てしなく続く選挙活動によってこの島は終わることのない“選挙のお祭り”会場と化し、人々の中に狂信と互いへの敵意がかきたてられた。その一方で、グローバリゼーションをきっかけに、消費文化が圧倒的な勢いを持つようになった。あらゆる種類の芸術表現が可能になった1980年代後半には、文化の発展に向けての一致した努力がとても有望に見えたが、その可能性は、消費文化に完全には飲み込まれてしまったわけではないが、弱まってしまったと言わざるをえない。それに加えて、国際社会における台湾の位置づけは、中国によってつねに辺境においやられている。台湾が国際社会から疎外されていることと、明確な国家のアイデンティティを持たないことよって、国民の中に無意識の集団意識が形作られ、台湾の人々は、いわば世界から自らを忘却の彼方に追いやっている、または自らを世界から追放しているような状態にある。そして、そのエネルギーと情熱の大部分を、国内政治の些細なあれこれに注ぎ込んでいるのだ。それらはたいていの場合、“やかんの中の嵐”のようなものだ。

 そのような状況から、逆説的な現象が生まれた。政府、政治家、メディア、そして一般の民衆が国内の政治闘争に熱中し、政治もどきの単純化された観点からすべてを解釈して、二元的な分裂の中で党派的な行動を強要している一方で、彼らは実質的に脱政治化しているのであり、真面目で理性的な政治的分析と討論を必要としている本当の問題から、目を背けてしまっているのだ。このような習性を生む条件は、台湾に固有の歴史的・社会政治的背景に根ざしていて、さらにはその条件は、ほとんどの台湾のドキュメンタリー作品において、弁証法的な問題意識の構築が欠けていること、またはそれが不可能なことを、部分的に説明しているかもしれない。

 政治がドキュメンタリー映画と関わる歴史的・政治的文脈を別にしても、台湾という固有の社会やその歴史は、センチメンタリズムに流れる強い傾向を持っている。ここ台湾で私たちが手にしているのは、移民社会であり、それと同時に、経済は急速に成長しているが、成熟した市民社会を築くことにおいては後れを取っている社会である。一方で台湾の民衆は、人生に対して実際的な見方をし、そしてきわめてしばしば日和見主義的である。そのような傾向は、移民社会であるために依然として明確な国家のアイデンティティを持てず、中国による国際社会からの封鎖によって将来の見通しも立たず、そしてかつて植民地支配を受け(まずはオランダ人、次に日本人によって)、数十年にわたって抑圧されたという背景から形作られている。それと同時に、台湾は西洋の民主主義と政党政治を移植したアジア社会であり、その模倣の過程は、ほんの15年ほどの期間に凝縮されている。その結果、ほとんどの台湾人は、市民の権利や公共の領域という観念などについて、完全には理解できていない。この2つの社会の側面が混ざりあい、多くの台湾人は、ある種の運命主義的な考え方を持つようになった。そこでは自己憐憫に陥る傾向があり、連帯して力を合わせて運命を変えようとするのではなく、自分の力だけで何とかしようとする。

IV ドキュメンタリー作家にさらに要求する

 公共的・政治的問題に真剣な関心を持っているドキュメンタリー作家たちに期待されている役割は、人々に対して、自らがおかれた状況、身近な社会、そして自分たちが暮らす世界をより広く理解するための視点を提供し、彼らが構造的不正と正面から向き合い、それによって自らの人生を変える力を持てるよう手助けをすることだ。しかし残念なことに、影響力を持つ台湾のドキュメンタリー作家の多くは、台湾のドキュメンタリー文化を発展させるうえで、長い間そのような取り組みをしてこなかった。ここで提唱されているような取り組みは、ドキュメンタリー映画製作にとってたしかに一筋縄ではいかない道のりであり、より難しく、自分により高い要求を課すことが必要になる。しかし私が思うに、ドキュメンタリー映画が主体性を確保し、それによって国家によるイデオロギーの介入に抵抗するには、その取り組みを行うしかないだろう。

 しかしながら、以上にあげた映画は、どれもずっと簡単で安全な手法に逃れている。呉乙峰の『生命(いのち)―希望の贈り物』を例に考えてみよう。監督は、この作品に注がれた時間と労力を強調する(呉の話では、この作品に4年の歳月が費やされた)。その努力はたしかに素晴らしいが、しかし洞察に満ちたやり方で新事実を知らしめること、知的な衝撃をもたらすことに、費やした時間や労力はほとんど関係ない。そのような手法で作られた映画を観ても、観客は、感情をかきたてるようなメッセージに刺激を受けるが、新しい知識を手に入れることはなかなかできない。『生命(いのち)』は、それぞれの登場人物の背景にある複雑な物語について、ほんのわずかな洗練された理解を提供することさえしていない。それさえあれば、私たちもただお涙ちょうだい物語に逃げ込むのではなく、複雑な現実の中で生きる登場人物の人生について、自分なりの知識を持つことができただろう。しかしこの映画はただの道徳訓話に堕し、観客には、疑問を持たないこと、目の前の運命を受け入れること、そして勇敢に生きることを促している。この種のメッセージをもっとも歓迎するのは、支配階級だ。なぜなら彼らは、政治的な失敗や組織的な問題を、明らかにしようとは決して思わないからだ。それゆえ、この種のメッセージは、現状維持の助けになるだけである。

 私はこれまで、呉乙峰の『生命(いのち)』を、台湾におけるドキュメンタリー文化の問題を浮き彫りにするのにもっとも適した例として用いてきた。この映画に見られるような一大現象を別にしても、呉の仕事と、彼のドキュメンタリー作法を詳細に吟味しなければならない理由は他にも存在する。1990年にドキュメンタリーの制作を始めて以来、呉と全景のチームは、普通の人々の物語や、困難な状況にある人々の試練や勇気を題材に、数多くの誠実な作品を生みだしてきた。記録された主題は、どれも立派であり、現実に即しているが、彼らの映画は対象となる人々をヒューマニストとして描く傾向があり、それゆえ観客は同情心や賞賛の気持ちをかきたてられるわけだが、しかし社会問題についての構造的な理解に対しての視野は狭いことが多いどころか、時にはまったく存在しない。呉の監督の下、全景は、行政院文化建設委員会の委託により、台湾全島で興味を持つ人を対象に、長年にわたってドキュメンタリー映画制作のトレーニングを提供してきた。彼らの講座は、呉の制作作法をドキュメンタリーの模範として教えている。9 その結果、呉は台湾のドキュメンタリー界でもっとも有力な人物となったと言って差し支えなく、彼の作品と指導が今までに蓄積してきた影響力は絶大だ。呉の作品や他の全景のチームによる作品を見れば、彼らが社会の下層の人々に一貫して真摯な関心を寄せていることがわかるが、私が思うに、彼らの手法では、観客が市民としての自覚を築くのに、それほど助けになることはできないだろう。

 私はここで、教義的な視点に立つつもりはなく、またドキュメンタリー映画の機能を、国家や支配権力に対抗するための政治的武器だけに狭めるつもりもない。さらに加えて、ドキュメンタリー映画を商業映画館で上映し、多くのチケットを売ること自体に問題があるとも考えていない――ドキュメンタリーは、その美学と観客の数において、主流から距離をおくべきであるという厳格な考え方を、私はとるつもりもない。台湾でいつの日か、ドキュメンタリー映画が劇映画と同じくらい大きな影響力を勝ち取ることができれば、それは素晴らしいことだ。しかし、現在の映画のあり方の中で主流になっている消費者文化を考えると、その素晴らしい世界が現実のものとなるのには道のりはまだまだ遠い。私がここで問い、そして分析しようとしているのは、『生命(いのち)』や『無米楽』などの映画が達成した、華々しいチケットの売上や熱狂的な歓迎に見られるような、この台湾における文化的な幻影の意味、または意義は何なのかということだ。

 国内の批評家の多くは、これらの映画が多くの劇場で上映され、商業的にも成功したという現象を諸手をあげて祝福し、台湾映画界がおかれている難しい状況と映画産業の衰退を考えれば、ドキュメンタリー作品が持つ象徴的な意義は称賛に値するという論法で、自らの祝福を正当化しようとしている。しかし、私はそれに異議を申し立てたい。メディアへの露出と観客の動員を増やすために策略的な手段を用いることによって、ドキュメンタリー文化は、手段のために目的を犠牲にするという逆説に直面することになるのではないだろうか――つまり、複雑な現実をより深く掘り下げることを諦め、その代わりに、理解しやすくて感情に訴える作品を作ることになってしまう。中国のドキュメンタリー作家、王兵(ワン・ビン)による『鉄西区』(2003年、YIDFF 2003インターナショナル・コンペティション大賞受賞)のような作品が、台湾のドキュメンタリー文化に出現するとはとうてい考えられない。それはなにも、王の素晴らしい作品に見られるような、雄大で重みのある社会歴史的な素材が、ここ台湾に存在しないという意味ではない。しかし、ドキュメンタリー映画の制作における実際的な考え方と、センチメンタリズム的で脱政治的な手法の下では、そのような作品が生まれる可能性は間違いなく疎外される。才能があり、真剣に取り組んでいるドキュメンタリー作家は台湾にも存在し、彼らには立派な作品を生みだす能力がある。映画作家も批評家も観客も、台湾社会で支配的な文化のあり方に対してより自覚的になり、映画作家たちがその文化の罠に簡単に捕われてしまうことに、もっと敏感にならなければならないだろう。

――翻訳:桜田直美

 


脚注:

1. 金馬奨は、毎年12月に台湾で開催される映画賞で、国内外の中国人によって作られた映画を対象にしている。

2. 映画のDVDに納められているブックレットには、以下のような李の推薦文が寄せられている。「これは、日本が台湾を支配していたあるひとつの時代、ある黄金時代の物語であり、あのころは、社会の安定、経済的繁栄、文化の多様性、そして希望にあふれた若者たちが、すべて同時に存在していた。私にとっては、実際に自分で生きた歴史である…『跳舞時代』を観ることによって、私はあたかも活気にあふれた若者に戻ったような気分になった」

3. 今日の台湾で、若者はインターネット・ユーザーの大部分を占めるとともに映画館に映画を観に行く観客の大部分も占めている。

4. 中華電信は、台湾で最大の通信企業であり、その筆頭株主は台湾政府である。

5. 台湾の映画館は、ある一定期間の上映を保証するにあたり、チケットの売上が映画館が必要とする基本的な費用に満たない場合に備え、国内のドキュメンタリー映画製作者に一定額の支払いを要求している。後に陳総統によって宣伝されることになる『生命(いのち)』は、台北エリアでの上映期間を2ヶ月以上も延長した。

6. 最近の例からは、政府所有の企業である中華電信(会長が2004年の『生命(いのち)』の商業公開を後援した)が、政府の持ち株を国内外の投資家に売却する計画を立てた。この高収益の企業を民営化する計画は、その従業員たちや一般民衆によって、正当化できないと見なされた。中華電信の労働組合は、2005年5月17日、大規模なストライキを組織し、本社前にピケを張った。しかし、経営側の要請を受けた警察が、その力を過剰に行使し、ピケラインを破って主要組合員2名を連行した。行政院労工委員会は、中華電信の従業員よりも、むしろ経営側と警察の肩を持った。

7. 私の調査によると、この映画を無条件に誉め称えた批評は無数に存在するが、批判的な観点から疑問を呈した記事は、私自身の「ドキュメンタリー映画:『生命(いのち)』――新たな懺悔の場か?と、台湾における社会と文化のあり方」(中国時報 2004年10月12日)を含め、わずか3つだった。

8. 『ドキュメンタリー映画は現実に関心を持っているか?』王墨林著。2005年4月5日、苦労論壇刊。 www.coolloud.org.tw

9. 私自身、長年にわたって講義をおこなったり生徒の作品を見たりすることを一度ならず依頼されているので、このドキュメンタリー・トレーニング・プログラムについてある程度のことは学んでいる。このトレーニング・プログラムの他にも、呉は、国立台南芸術学院音像記録研究所で9年間教鞭を執っている。台湾でこの種のことを教える大学院は、ここだけである。


郭力昕(グオー・リーシン) Kuo Li-hsin

メディア・文化批評家。国立政治大学傳播学院で教鞭を執る。

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