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ヨリス・イヴェンスとドキュメンタリー・コンテクスト

ケース・バカー編/アムステルダム大学出版/1999年
Kees Bakker, ed. Joris Ivens and the Documentary Context, Amsterdam: Amsterdam University Press, 1999.
評者:マイケル・チャナン

 ドキュメンタリーは、ヨリス・イヴェンスによれば「創造上の無人地帯」、あるいはこのイヴェンスについての新しい本でホセ・マニュエル・コスタがより詳しく述べていることによれば「形式上の巨大な自由を行使できる場」である。ドキュメンタリー映画が映画アカデミズムの分野ではフィクション映画のみじめな従兄弟の地位 に甘んじてきたのも、おそらくはそのせいだろう。映画研究者の恥ずべき無視に耐え続けてきた映画作家の1人が、他ならぬ ヨリス・イヴェンスその人である?確かに70年代の後半には、多くの人々が膨大なる大作とみなした『愚公山を移す』と題した中国についての12本の連作シリーズを製作したことで、左翼の間では流行の人ではあったのだが。しかしながら、この嘆かわしい状況を作り出したことは映画アカデミズムだけの責任ではない。映画研究者もまた他の誰しもがそうであるように、映画が配給され見ることができるかどうかに根本的に左右される存在であり、問題はむしろイヴェンスの作品をながらく見ることが出来なかったこと、著名なフィルム・アーカイヴですらイヴェンスの作品のほとんどを所蔵していなかったことにある。この状況は希望的観測としてはオランダのヨーロッパ・ヨリス・イヴェンス財団によって解決されるであろうし、ここではすでにビデオテークを運営していて、そこで作品を見ることができる(www.ivens.nlを参照されたし)。と同時に、同財団の研究員ケース・バカーの編纂による本書が、イヴェンスに当然与えられてしかるべき注目を集め、彼の長くそして豊かな創造にあふれた人生こそ「ドキュメンタリー」という言葉そのものと同義語であることを明らかにするであろう。

 イヴェンスが関心を持ち続けた題材をどう位置づけるのか、いくつかの方法論がある。たとえばアンドレ・ステュフケンスは「運動の歌(The Song of Movement)」と題した章で自然、労働、政治、文化というテーマに言及し、それがイヴェンスの作品を決定づけていると論じている。彼はまた、イヴェンスが1920年代の後半に「アマチュア映画撮影とその可能性」と題して行った一連の講演に読者の関心を引き寄せる。ここで彼は、やはり写 真家であったイヴェンスの父が書いていた「アマチュア写真家はその撮る題材についてより自由でいられるし、大衆の悪趣味にがんじがらめにされることもない」という理念を発展させる。この時点で、イヴェンスはすでに1ダース以上の実験的映画を作っており(そのほとんどが現存していない)が、まだ自分を芸術家とも映画作家とも思っていなかったのではないか、とステュフケンスは論ずる。その一方で、彼はすでにベルリンで写真技術を学んでいた頃から接触のあったアヴァンギャルド映画運動に共感を持っており、そしてもちろん、彼が1928年の『橋』や1929年の『雨』で名声を獲得したのも、アヴァンギャルド映画作家としてであった。

 この事実から喚起されるある問題については、本書の書き手のうち多くの者が関心を寄せている―彼の審美的な傾向と、1930年代初頭の作品から明らかになり、またそのことで彼自身最も有名にもなった、その政治参加の意識が、いかなる関係にあるのか? バカーは、イヴェンスの50年代初頭の東ドイツ時代を語ることで、彼の情熱的な政治的信念が彼の審美的な着想の一部を洗い流してしまったのではないかと推測する。一方でビル・ニコルズは抒情詩人イヴェンスと政治的代弁者イヴェンスとの関係は「必ずしも2項目対立でもなければ、完全に時代によって分けられるわけでも、上下関係にあるわけでもない」と論ずる。この判断はイヴェンスの後年における“映画詩”をめぐる探求について論じている他の筆者たちの議論とも通低する。たとえばミシェル・ラニュイは、戦後の作品のなかでとりわけ有名な1957年の『セーヌの詩』について一章を割いている。この作品でイヴェンスはジャック・プレヴェールによる詩情あふれるナレーションに載せて映像の綴れ織りを編んでいる。ただしより実験的な1965年の『ミストラル』についてはほんの僅かな言及しかない。この作品では異なったフォーマットが混合され、スタンダード・サイズの白黒画面が映画の途中でカラーのワイドスクリーンへと変わり、またそのテーマ性はイヴェンスの遺作となった1988年の『風の物語』を予見するものなのだが。

 イヴェンス自身が自らの審美性と政治性の拮抗にどれだけ興奮していたのかはともかく、彼の審美的な関心こそが彼を映画を通して政治を表現することへと駆り立てたように思える。実際、本書に所収されているイヴェンス自身の文章のうちもっとも最初のものは1931年の「アヴァンギャルド・ドキュメンタリー映画についての覚え書き」と題されたいくつかの短い文章をまとめたもので、その中で彼は「映画産業は一般的に大衆の悪趣味に合わせ、大衆におもねるなかで自己を主張している」として長編劇映画を拒絶しているのだ。「ドキュメンタリーは前衛映画作家が映画産業に対抗して立ち上がるために唯一残された場所だ」と彼は言う。これは確かに多くの点で無邪気な一説で(それにイヴェンス自身、それほどインテリという訳ではなかった)、今日読むとそのドキュメンタリーの真実性についての単純な賞賛にいささか赤面 してしまうのだが、彼がドキュメンタリーを選んだことには、当初アヴァンギャルドに魅了されたことと同様、幻想的なフィクションへの拒絶が動機としてあったのではないかということを示唆してもいる。

 イヴェンスを映画史に於けるふさわしい地位に戻すためには、まだまだ多くの努力が必要とされている。たとえば、1937年の『スペインの大地』がいかにして政治的な戦争ルポルタージュの新しいパラダイムを作り上げたのか、あるいは1963年の『ヴァルパライソにて…』が旅行記の形態と都市という社会的空間がポスト植民地的に再構築されることの記述と分析を組み合わせているその方法など。また、この2本の作品の関係性、そのどちらもがイヴェンスが映像と言葉(前者の場合にはアーネスト・ヘミングウェイ、後者ではクリス・マルケル―こうした共同作業もまたイヴェンスの審美性から見た伝記を記述する上で重要な部分である)とのあいだに創造的な意味での対極を発見している作品であることなど。だが最後に、私にはトーマス・ウァーがイヴェンスと社会参加ドキュメンタリーの遺産について述べた章の一節を引用することしかできない。「フィルム貯蔵庫の番人をけしかけて即座に、無料が無理ならせめて低価格で、イヴェンスの最も政治的な20作品のプリントをコミュニティ・ネットワークに解放させよう。彼らこそその正統なる後継者であり相続者なのだから。あたかも車輪を再発明しているような社会参加ドキュメンタリーの若き実践者たちにこそ、彼らの芸術形態の基礎を築いた者の全作品を見る権利があるのだ。百歳になって、若さにあふれるイヴェンスは歴史家や弁護士ではなく、現実に満足しない反逆児たちのものなのだ。」

――訳:藤原敏史

マイケル・チャナン
デューク大学(2000年秋学期)客員教授及び西イングランド大学教授

「A」撮影日誌 オウム施設で過ごした13カ月

森達也著/現代書館/2000年
評者:リチャード・ガードナー

 森達也の『A』がまず、反社会的な宗教とそれに対する社会の反応についての最も特筆すべきドキュメンタリーの1つであることは間違いない。この映画は1996年から1997年にかけて、オウム真理教の多くのメンバーの協力を得て撮影された。オウムの犯罪についてほとんど知らないように見える彼らとの接触を通して、『A』はオウムについての膨大な量の報道では決して見えて来ることのなかったオウムと日本社会の双方への視点を提示する。映画のかなりの部分がオウムのメンバーの1人でその公式のスポークスマンを務めている荒木浩に焦点を当てている。そうすることで森はオウムのメンバーたちを、オウムの施設内と、メディアや日本社会のメンバーたちと接触している場の双方で撮影することができた。

 森は映画のなかでオウムに対し比較的“中立”の立場を取り、大手メディアや日本の警察の必ずしも立派とは言えない行動も作品に含めている。さらに、森はそのオウムへのアプローチに於いて単純な犠牲者/被害者の図式も取ろうとはしない。森は決して問題性の多い話題を避けようとはしないが、それでも映画のなかで一貫している彼がオウムのメンバーと対話するときの繊細で探究的な姿勢は、それまで決して見えてこなかったようなあり方で彼らの姿を描き出している。その結果、多くの者が『A』をオウム寄りだとみなすことになった。こうしてこの映画は“タブー”になり、日本ではほとんどの場合、ごく少数の小さな劇場でしか上映されないこととなった。しかしながらこの映画は――そしてこの本もまた――オウムについてだけでなく、日本社会のある一面についての、示唆に富んだ批評として見ることができるものなのだ。

 『「A」撮影日誌』はこのドキュメンタリーのメイキングについて、貴重な事実を明らかにしてくれる。我々は森がこの映画を作った動機、オウムのメンバーの協力を得るための努力、TV番組の資金を得たあとそれを失った経緯、それに安岡卓治の協力を得ながらも森が自分一人で映画を作ろうとした努力の詳細を、知ることが出来る。ここでとりわけ興味深いのが、なぜ『A』のようなドキュメンタリーが日本では大手メディアの支持を得ることができないのかについて、製作の内幕から多くを学ぶことができる点だ。

 本書はまた別の意味でも映画に貴重な事柄を補完してくれる。確かに映画を通じて森はそこにいるのだが、彼の質問の仕方や、ナレーションによるコメントをつけ加えることを拒絶しているため、観客はしばしば森自身が映画を作りながら何を考え何を感じていたのだろうと迷うことになる。本書では森自身の考えや感覚、それに反応について多くが語られている。たとえば我々は、森が初めて荒木に会ったときに、それ以前にも何度もテレビで見ていたこの男が、実は自分より背が高かったので驚いたことを知ることができる。確かにこれは、一見たいしたことではないように思える。だが、本書と映画の双方に明らかな森の才能とは、こうした些細で日常的な事柄を、彼の経験や、メディア、表象、そして現実の微妙な反映へと織りあげていく能力のなかにこそあるのだ。

――訳:藤原敏史

リチャード・A・ガードナー
上智大学比較文化学部メンバー。映画『A』についてのエッセイ「Lost in the Cosmos and the Need to Know」をモニュメンタ・ニッポニカ54号、第2巻(1999年)217-246ページに掲載。

ゆきゆきて、神軍

ジェフリ・ルオフ、ケネス・ルオフ共著/フリック・ブックス/1998
Jeffrey Ruoff & Kenneth Ruoff The Emperor's Naked Army Marches On (Yukiyukiteshingun), Wiltshire, UK: Flick Books, 1998
評者:石坂健治

 原一男に関する文献としては、『ゆきゆきて、神軍』や『全身小説家』に合わせて発表されたそれらの製作ノートがあり、また原の一人語りのスタイルをとる『踏み越えるキャメラ わが方法、アクション・ドキュメンタリー』(評者と井土紀州の共編、フィルムアート社、1995年)も知られている。今般イギリスで出版された本書において、『ゆきゆきて、神軍』に大きな衝撃を受けた二人の研究者は、原と小林佐智子プロデューサーへのインタビューで得た発言を随所に挿入しつつ、作品を30のシーンに分節し、各シーンごとの解説と分析を行いながら、原の映画作法や主人公・奥崎謙三の思想と行動を検証している。

 本文が40数頁という小さな本だが、冒頭に登場人物一覧(「キャスト」という劇映画的な単語を使っているのが面 白い。)や各シーンの概要が示され、詳細な解説がそれに続くという丁寧な構成になっており、作品の全体像を把握するのに寄与している。また、当然ながら、原の作品を見る機会が限られている外国人読者を想定しているため、原の映像作家としての軌跡、『極私的エロス 恋歌1974』など他作品の解説、さらには『ゆきゆきて、神軍』公開後の反響やエピソードなどにもページを割いており、原一男のコンパクトな評伝という趣もそなえている。

 「ハリウッド製のアクション映画が好きで、奥崎にはアクション・スターのように動いてもらいたかった」という原の発言を引きながら、著者たちは、上記『踏み越えるキャメラ』でも焦点になっていた、原が自作に対して使う「アクション・ドキュメンタリー」という概念に大きな関心を示している。そして、ともに戦争の傷痕をテーマとして扱い、古いフッテージをいっさい使わずに「現在」の映像のみで成立している作品として、『ゆきゆきて、神軍』をランズマンの『ショア』と並べた上で、作り手が自己の見解を述べながら進行する後者に対し、奥崎の過激な行動に対する原のコメントがいっさい存在しないまま進んでいく前者の特異性に注目している。この部分は、被写体が行為を起こすとき、それをキャメラに収める撮影者もまた、被写体との共犯関係の中で軋みながら変革していくという、原独特の理念にかかわる考察として、興味深く読むことができる。


石坂健治(いしざかけんじ)
国際交流基金アジアセンターで映像事業を担当。「インド映画祭1998」「中国映画展1999」などを企画運営。研究分野はアジア諸国の映画、日本ドキュメンタリー映画史。原一男『踏み越えるキャメラ』共編者。