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第四回 サラエボ映画祭報告

98年8月21〜30日

松山文子


 ミルヤカ川に沿って、細長く町を形成するサラエボは、様々な民族が様々の文化を織りなす美しい町に違いない。古くは南スラブ系の指導者により、独立が営まれたボスニアの都であり、その後オスマン・トルコの支配下に入り、更にユーゴスラヴィアが誕生する以前、オーストリア・ハンガリー帝国に組み入れられた。お陰で東西が混合し、人種的には異説のあるモスレム人、セルビア人、クロアチア人、ユダヤ人等が隣り合って生活し、イスラム教、東方正教会、カトリック、ユダヤ教、そしてアラビア文字、キリル文字、ローマ字が遍在するのは、まさに汎世界的だ。映画祭のオープン・エアー(野外映画館)で、『フル・モンティ』のスロウなダンス音楽が流れていようと、『大いなる遺産』のベサメ・ムーチョが流れていようと、回教寺院からはアラーの神を讃える祈りが、拡声器を伝わって響いてくる。1984年には、スポーツという平和の祭典である冬季オリンピックの開かれたこの町が、それから僅か数年後、戦火に見舞われるとは、誰が想像しただろうか。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの各地には、今なおNATO安定化部隊が駐屯しており、サラエボも世界中からやって来た兵士たちで溢れている。町のあちこちに見られる戦争の残骸、痛ましい姿と共に、建設、復興の途にもあるこの国、この町で、停戦と共に始まって、今年でもう4回目を迎えた映画祭。文字通り、和平の象徴でもある訳だ。私たちはテレビを通してライヴでことの様子を垣間見、大勢のドキュメンタリストが来ては撮影した。劇映画でも、J・L・ゴダールの『フォーエヴァー、モーツァルト』(仏&スイス)を始め、第三者の報道陣の視点で見られた『ウエルカム・トゥ・サラエボ』(マイケル・ウィンターボトム、英)と『テリトリオ・コマンチェ』(ヘラルド・エレロ、スペイン)、踏みとどまった現地当事者から描いた『パーフェクト・サークル』(アデミール・ケノヴィッチ、最初のボスニア作品にあたり、昨年の映画祭の開幕を飾った)まで、幾つもの作品の舞台にもなった。それらの映像と実際を重ね合わせてみる時、言いようのない感慨と虚しさに、茫然としてしまうのだ。

 映画祭そのものは、4つの部門に分かれている。〈メイン・プログラム〉と称する国際コンペテイション、ハリウッドを向いている感のある〈オープン・エアー〉、〈イン&アウト〉と称する東欧作品、それに〈メイド・イン・ボスニア〉の新旧自国作品である。その他に〈スペシャル・プログラム〉枠があり、ブエナ・ヴィスタ提供の子供向けアニメーション群やチェコの映画学校FAMUの作品紹介等、よその部門からはみ出た映画や催しを引き受けている。この内、メイン・プログラムは更に長編と短編に分かれ、長編には蔡明亮の『洞』(台湾)、カルロス・マルコヴィッチの『ジュリエットって誰?』(メキシコ)、ラース・フォン・トリアーの『イディオット』(デンマーク)、中川陽介の『青い魚』(日本)といった、既にベルリンやカンヌの映画祭で披露された作品が多い。詳しくは触れないが、『洞』は延々と雨が降り続ける中、床に穴の開いたアパートの上の階に住む男と、その下に住む水漏れに悩む女が、穴以外にほとんど接点を持たずに淡々と描かれる。日常的空間が非日常的空間と化し、ややカフカ的世界を形成する。そこに嵌まった、それぞれ孤独に生きてる男と女…。気が滅入る様な褻の日々に、それを断ち切る晴れのショー場面が幾度となく放り込まれるのだ。

 『イディオット』も、かなりカンヌで議論された作品だと聞く。「障害者」である故に、市民社会のコードを無視して無礼講を働く白痴を装った集団を、ナラティヴの構造を解体してエピソードで描いた。揺れ動くカメラにわざと幾度もマイクを見せるなど、偽ディレッタンティズムぶりは前作『奇跡の海』に引き続き、作り手の挑発を窺わせるものだ。監督もカメラの外で出演者の仲間入りをしているようだが、あそこまでいくと、あざといのではないかと思う。国際映画批評家賞を贈られたのは、もう1本の挑発作、『ソウル・コントル・トゥ(1人、世に対峙す)』(ガスパール・ノエ、仏)の方だった。人生に失敗したと思いながらも再出発を目指す、フランスの草の根右翼を一身に体現しているような男が主人公だ。

 全般的には短編の方が活気があったが、ここでは1秒6コマで撮影したという『地下鉄ストーリー』(ティム・ロルト、英)、クリスマスの晩に兄弟が出会ったサンタクロースは臨月の女性だった『ジングル・ベル』(オリヴィエ・ペヨン、仏)の題名に触れるに止めたい。

 プログラムを眺めただけではなかなかわからない。現地へ来てみて、初めてこの映画祭の意味を悟ったような気がする。もとよりそれは、開催主として大勢の客を招き、賞を振る舞うことにはない。これ程土地の人々が自己の表現手段として映像を必要とし、その1つの成果の場として映画祭を必要としている所は、そう多くないのではあるまいか。今度の戦争(91〜95年)でボスニア・ヘルツェゴビナは20万の死者を出し、包囲された人口50万のサラエボだけでも1万2千の死者を出した上に、5万人以上が傷ついた。その結果、多くの難民や孤児を生むことになった訳だが、そういった被災した青少年に、ユニセフはアニメーションを作る可能性を提供している。今年の正式開幕作品はオープン・エアーで上映された『アルマゲドン』―これはミスマッチではなかったろうか―だったのだが、その前に上映されて本当のオープニングを飾ったのは、子どもたちの短編アニメ作品だった。個々の作品の間には簡潔に作者が紹介される映像が入る。1人の少女は、「(創造行為が)自信を生むのだ」といみじくも述べていた。映画祭を支える余多のスポンサーの中には、国連の信託基金やヨーロッパ文化基金が含まれており、更に映画祭そのものが、若いボスニア・ヘルツェゴビナの映画作家たちをサポートする意味で、資金を提供するようになった。それら7本の35ミリないし16ミリのフィクション及びドキュメンタリーの短編作品は、子どもたちのアニメと共に、〈メイド・イン・ボスニア〉のコーナーで見ることが出来る。観客に視線を移せば、2千5百席ある、普段は運動場のオープン・エアー・シネマは、連日、ぎっしり満員の盛況ぶりを示していたのだった。

 そこでその〈メイド・イン・ボスニア〉だが、もっぱらキノテーカで上映されていた「ボスニア映画ベスト10」と名うったクラシックと、メイン会場である、モダンな芸術センター内の映画館、オバラ・ミーティング・ポイントで上映された新作に大きく分けられる。その新作が更に前述の短編映画、同時代芸術展とタイアップした短編ビデオ・プログラム、ユネスコが協力したテレビ・(ビデオ)ドキュメンタリーその他に分類される。会場はどちらも小さな映画館で、メイン会場のミーティング・ポイントでさえ190席、キノテーカに至っては80席しかない。特に後者は、若い人々で溢れていた。

 ボスニア・クラシックといっても、1958年から89年までの約30年間に製作されたセレクト10本で、その中にはエミール・クストリツァ作品が2本、バトー・チェンギッチ作品が2本、含まれている。『リトル・ソルジャーズ』(67年)と並んで上映されたチェンギッチの『電撃鉱夫の生活風景』(72年)は、今回の映画祭の全部門を通じて最高どころか、稀にしか出会えない傑作だった。紙幣のモチーフにもなった実在の英雄労働者の話で、今では忘れ去られてしまったが、働き過ぎで声帯を傷めた人物だという。そう言うと何だかワイダの『大理石の男』のようだが、むしろ歴史へのアプローチはアンゲロプロスを思わせる。彼の人生を通して、戦後のユーゴスラヴィア史のリアリティが、およそ社会主義リアリズムとは馴染まないシンボリックな方法で点描されるのだ。聞けばこの映画、当時の検閲に晒されて、完成後間もなく、お蔵入りになってしまったのだそうだ。会場を訪れた監督と出演者は、上映後、割れんばかりの拍手を受けていた。でも出演者は、「当時と同じ政治家が、今もなお、政治を握っているのです」と教えてくれた。

 内外のスポンサーと提携を受けて発足したサラエボ映画祭基金が融資して実現された8企画、7本の短編及び「光と影」と題して括られた子供たちの5本のミニ・アニメにも別の審査会が設けられて、『愛は…』(ジャスミラ・ザバニッチ)が最優秀作品に、『嫌な時代の終わり』を撮ったピエル・ザリカがベスト監督に選ばれた。前者は、妊婦の尼僧とアベックが組み合わされるシュールな作品。後者は、妻に先立たれた老人が、歌声麗しい向かいの女性に思いを寄せる黄昏の恋。それでもやはり、食料配給に群がる人々のシーンが出てくるし、『電撃鉱夫の生活風景』と同じ出演者が主演しているのも嬉しい。言うまでもなく、映画製作にはスタッフを要する。製作を奨励することは、単に若い世代を育てるだけでなく、働く場を確保することでもある。その為に、多くの映画就業者が、再び映画に従事出来るようになったという。副賞は、賞金ならぬ、スポンサーからの次作用16ミリ生フィルムだ。

 これら若手の作品とは別に、〈メイド・イン・ボスニア〉の長編ドキュメンタリー『グレータ』(ハリス・パソヴィッチ)は、二つの戦争、二つの困難な情況を生き抜いた、ユダヤ人女性の回想を綴ったものだ。雪の舞う今日のサラエボから、カメラはアウシュヴィッツ、パリ、イスラエルと彼女の足跡を辿り、その間には冷静に語り続けるグレータその人の表情が写される。作り手の思い入れが込められたサラエボ、アウシュヴィッツの静的な画面に比し、何とパリではダイナミックにカメラが動くことか…。

 最後に〈イン&アウト〉の東欧作品に触れると、広汎な観客を対象としたオープン・エアー・シネマを除いて、最も関心を集めて会場を人々がぎっしりと取り囲んだのは、『スズメバチ』(ゴーシン・ストヤノヴィッチ、ユーゴスラヴィア)だった。筆者は、この映画祭が和平の象徴だと前述した。だが実は、ミーティング・ポイントでもオープン・エアー・シネマでも、入口で毎回、所持品検査があり、一番チェックが厳しく警察官が繰り出していたのもこの作品だったのだ。それもそのはず、ベルグラードでテロを免れた行きずりの男女の女はセルビア人。得体の知れぬ、イタリア人を装った男はアルバニア人で、マフィアのヒットマン。やがて追い詰められた男は、故郷のコソボへ逃亡する。女の英語のモノローグで始まり、終わるこの映画は、出来はともかく、ノワールな犯罪ラヴストーリーであると共に、故郷喪失のドラマでもあるのだ。

 作品的には『ボタンを押す人』(ペートル・ザレンカ、チェコ)の方が遙かに面白い。1945年8月6日の小倉から始まる6つのエピソードは、何処となく繋がっていて、現代のプラハの放送局に現れた、原爆投下の米軍飛行士に、交通事故を起こした男が最後に電話をかける。罪の告白と赦しという大きな主題が、グロテスクなブラックユーモアまではいかないむしろコミカルな状況、会話において取り扱われている。それは、自らの罪を認識することが余りにも少ない、私たちへの警告でもあるはずだ…。