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エディ・ホニグマン 追悼

クレイジー

Crazy

オランダ/1999/オランダ語/カラー/35mm/97分

- 監督、脚本:エディ・ホニグマン
脚本:エスタ・グルド
撮影:グレゴール・ミアマン
編集:マリオ・スティーンバーゲン
製作:ピーター・ファン・ハイステ
製作会社:ピーター・ファン・ハイステ・フィルム&TV

オランダの国連軍兵士が参加した戦地での回想。今は日常生活に戻った彼らの記憶は、故郷からはるか遠く離れた場所で、気持ちをなごます特別な1曲の歌ともつれ合う。ホニグマン監督は兵士たちに粘り強いインタビューを試み、戦時の記憶と絡み合う印象的な音楽とともに、彼らが受けたこころの傷跡を照らし出す。


エディ・ホニグマン

1951年、ペルーのリマ生まれ。ローマで映画制作を学んだ後、1978年よりオランダで活動。劇映画とドキュメンタリーの短編、長編作品を制作し、世界中で上映され続けた。遺作は末期疾患を抱えながら制作した『No Hay Camino』(2021)。



生きのびた人々への眼差し

 YIDFFの長い歴史を多くの映画人が彩ってきたが、エディ・ホニグマンはもっとも愛された存在のひとりとして記憶に深く刻まれている。

 1995年の『メタル&メランコリー』(1993)で山形市長賞(最優秀賞)に輝いて以来、1999年に出品された『アンダーグラウンド・オーケストラ』(1998)では審査員特別賞、2009年の『忘却』(2008)は山形市長賞を獲得。無冠だった2001年の『クレイジー』も加えると、多彩な題材が際立つ。どの作品も、市井の人間の心情を映像に焼き付けている。人間というものを素直な映像で描きだす監督だ。この作風は彼女の出自に関係している。

 ホニグマンはユダヤ人であるポーランド出身の母親、オーストリア出身の父親の間にペルーのリマで1951年10月1日に生まれた。同地で育ち、ローマで映画制作を学び、オランダに移り住むことになるわけだが、異国に住むユダヤ人の意識は幼い頃より育まれ、必然的に「生きのびる術」を培ったと思われる。どんな人種の人であろうとも、気がつくと心を開かせる。『メタル&メランコリー』では経済状態が悪化したペルーでタクシーの運転手になった、さまざまな階層の人々にカメラを向け続ける。

 『アンダーグラウンド・オーケストラ』ではパリに集う移民の音楽家たちに焦点を当て、街角で演奏する日常をスケッチしつつ、彼らの軌跡を浮かび上がらせる。「生きのびる」というメッセージが映像に克明に表現される。異色なのは『クレイジー』(1999)だ。国連軍の兵士として参戦した人々が自らの忌まわしい体験を忘れ得ぬ曲とともに語りだす。戦争の傷がストレートに伝わってくる。さらに再度リマに戻って、バーテンダーや給仕などにカメラを向けた『忘却』に至り、ホニグマンの演出は作品を重ねるごとに円熟味を増していった。2016年には『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』(2014)が日本で一般劇場公開された。

 現在、世界を見渡せば、ウクライナでの戦争はじめ、飢餓、内乱などが頻発し、難民たちも日常化しておりさらに混沌の度合いを深めている。ホニグマンの挑むべき題材は数多いが、残念なことに2022年5月21日に彼女は70歳でこの世を去った。彼女の作品に登場する「生きのびた」人々を見返し、状況に翻弄された人々の眼差し、思いを実感することが、今、必要なことではないか――冥福をお祈りしたい。

稲田隆紀
(映画解説者、YIDFF '89よりインターナショナル・コンペティション選考委員)