光に生きる ― ロビー・ミューラー
Living the Light--Robby Müller-
オランダ/2018/英語、オランダ語、ドイツ語、フランス語/カラー、モノクロ/DCP/86分
監督:クレア・パイマン
撮影:ロビー・ミューラー、クレア・パイマン
編集:カタリーナ・ワルテナ
録音:リック・メイアー、ピョートル・ヴァン・ダイク
音楽:SQÜRL(ジム・ジャームッシュ&カーター・ローガン)
プロデューサー:カロライン・ボルグドルフ(Moondocs)
配給:Wide House
ヴィム・ヴェンダースやジム・ジャームッシュ作品のカメラマンとして知られるロビー・ミューラー(1940−2018)の生涯とその仕事をたどる。『都会のアリス』や『ダウン・バイ・ロー』などの名高いショットの回顧とともに、本作はミューラーが家庭用ビデオやポラロイドカメラなどで撮影していたプライベートな映像を掘り起こす。家族との時間や滞在したホテルといった日常のなかの光景を捉えたそのまなざしが、彼の人生と映画が地続きだったことを語ってくれる。(TS)
【監督のことば】常日頃、映画のカメラワークに魅了されてきた私が映画学校に進んだのは、撮影技術を学ぶためだった。もちろんロビー・ミューラーのことは知っていたし、彼の仕事を尊敬してもいたが、そのころ彼はドイツに住んでいたため、私たちが出会うきっかけは皆無だった。
やがてある日、突然、彼から一本の電話がかかってきた。どうやら、以前ともに仕事をした彼の妻アンドレアの手引きによるらしい。話を聞くと、彼らはしばらく前にアムステルダムに引っ越していて、助手がひとり必要なのだという。電話で話した彼は親しみの持てる本当にいい人で、申し出を断るのは私としても断腸の思いだった。当時私はちょうどアシスタントをやめ、撮影監督として独り立ちしようと決心したところだったのだ。
ミューラーは私の決断を尊重してくれたが、そういった態度はいかにも彼らしかった。このとき彼は会いにこないかと誘ってくれ、ヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)でアムステルダム・パートのカメラを担当してほしいと頼んできたのは、それから間もなくのことだった。私はその後もセカンド班の撮影監督として、彼にときどき呼ばれるようになっていった。
ミューラーがカメラを通して見るとき、彼はまるで、自身の目を通して見ているようだった。レンズ越しでなく、自分自身の感情と立ち位置の視点から見る――それはまさに、私が自身のドキュメンタリーでも伝えられることだった。いつだって好奇心旺盛だったミューラーとの間には常に互いを刺激し合う関係があり、相対的に見れば新人である私の言い分に、彼はいつも耳を傾けてくれていた。仕事上の関係性であった私たちは、いつしか長きにわたる友人関係を築くようになっていた。
そんな彼が脳血管性認知症に罹ったのは2007年のことである。話すこともままならなかったが、彼にはまだ、自身を代弁しうる映像が残されていた。ロビーは自身の個人的なアーカイヴを私のために開放し、そこには、彼がそれまでに撮りためた素材が、8ミリビデオやDVテープから写真、ポラロイドまで、すべて揃っていた。アンドレアの助けを借りてロビーと意思疎通を図りつつ、秘蔵の資料をくまなく見ることができた私は、それらの映像を見ることで、彼に教わったことが補強されていくようだった。光に捧げた彼の愛の物語を語るにあたり、私はこの素材をありがたく利用させてもらっている。そしてそうする機会を得たことを、今ではとても光栄に思っている。
1990年にオランダ映画アカデミー撮影コースを卒業し、以来、ドキュメンタリーとフィクションの撮影監督として活動する。サビナ・スマルの『Good Morning Karachi』やラヴィ・バーワニの『Jermal』でカメラマンを務めたほか、ヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』では、撮影班のひとつでカメラを担当。その後、この映画で仕事をともにしたロビー・ミューラーとの長きにわたる友情と師弟関係が始まり、彼女のなかでミューラーは、最も重要な着想源のひとつとなっている。自身の作品としては、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の舞台裏を描いた『Foot on the Moon』(1999)をはじめ、『Talking Guitars』(2007)など、これまでいくつかのドキュメンタリーを制作している。本作『光に生きる』は彼女の最新作となる。