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現代ブラジルの
ドキュメンタリー映画

アンヌ=マリー・ギル


ドキュメンタリーは、このブラジルで起こっている政治的主導権を獲得する闘いのなかで重要な役割を果たしている。

今日のブラジルで起こっていることについて我々が手にすることのできる視覚的・聴覚的情報の大部分は、実際には多面 的で軋轢の多い現代ブラジル社会の複雑な現実を権威の側からまとめて見たものに過ぎず、その軋轢の肝心の当事者たちの声は、多くの場合政治的抑圧と経済的な暴力により、マスメディアからだけでなく社会そのものからほとんど抹殺されている。我々は世界規模の情報交流の響宴に参加していながら、ブラジルの多くの貧しい市民が直面 している重大な問題については正確な知識をほとんど持っていないのである。ブラジルの高度に発達した情報産業からはブラジルの映像が世界中に発信されているが、そこで描かれている、現状へのブラジルの労働者階級の多様な反応は、その番組のなかで偽装され、あるいは抹消されているのだ。

 ここでブラジルのドキュメンタリ−映画について論じるにあたり、私は政治的/美的に「世界に通 用する質」を持ったテレビ・ジャ−ナリズムに同調した映画ではなく、出稼ぎ労働者や獄舎に繋がれた女たちや、貧民街に住む労働者や、ストリート・チルドレンの苦闘のために、支配的なメディアの歪んだ見方に抗して上げられた視点と声にこの場を与えたい。私は労働者階級の側からブラジル社会を変革するという理想に創造のエネルギーを注いでいるドキュメンタリ−映画作家の作品について論じることを選んだ。彼らインディペンデント映画作家たちの仕事は、ブラジル社会の民主化のために草の根社会運動のメンバーと知識人たちのあいだに交されつつある対話を象徴するものだ。この対話はこれから紹介する映画のなかで不可欠で創造的な協力関係となって表れている――それは対象が作品に参加することなしに考えられない「インタヴュー」映画だからである。

 ブラジルの民主化のために現在進行している政治的抗争のなかで、文化的情勢の変化は無視できない一端を担っている。1980年代の新しい社会運動の成果 としてブラジル政治に新しい役者が登場したいま、「民主主義」の意味を問いなおすことは、もはや一部の上流階級や軍人、あるいは新保守主義的な政府だけに限られた行為ではない。1970年代に入り、労働者たちは1930年代のゼツリオ・バルガス政権以来彼らの活動を阻害してきた政財界の癒着を打倒しようと動き始めた。1979年にサンパウロの鉄工労働者が独自に組織したストライキは、軍事政権によって厳しく管理されていた政治プロセスにおける「民主的開放路線」に対する最初の直接的な挑戦だった。市民社会がブラジルのエリート階級にとって脅威となるほどに成長していたことがこのとき初めて明らかになったのだ。1980年には、既存の野党に満足できない労働組合、地域団体、キリスト教系コミュニティや市民グル−プによって労働党が結成された。

 今日、既存のエリ−ト階級は、かつて彼らがmarginais(支配的な社会階層と政治システムから見てマージナルという意味だが、「犯罪分子」という意味もある)と呼んでいた階級の代表者たちと政治の表舞台で対決することを余儀なくされている。ドキュメンタリ−映像、とくにテレビで放送されるドキュメンタリーは、このブラジルで起こっている政治的主導権を獲得する闘いのなかで重要な役割を果 たしており、1970年代以降、それまで参政権のなかった市民が自分たちの政治的役割を自覚してゆく状況に呼応して、ドキュメンタリ−映画のありかたも変わって来ている。ドキュメンタリ−映画作家たちは、この新たに勃興した政治的主体が社会問題の真因に新しい光をあてていることを確認し、社会運動をサポートしているのだ。彼らは新しい社会運動や都市の貧困層、街頭の犯罪や暴力の原因となっているものについてテレビが植えつけている偏見に満ちたイメージに、映画製作を通 して反論しているのである。

 サンドラ・ウェルネックの短編ドキュメンタリ−「聖体拝授」(Comunhao)は、リオデジャネイロのモロ・デ・サンタマルタの上にあるファヴェラと呼ばれる貧民街を紹介する。映画作家とそのガイド、それにカメラマンは覆面 をしたファヴェラの男に誘われてこの丘陵の上の街に入る。ここの住人たちは麻薬密売組織と警察――彼ら自身麻薬取引に深く関わってもいる――の壮絶な銃撃戦を日常的に経験している。この青年は自動小銃を振り回しながら、映画作家の質問に熱っぽい演説で答え、1896年から97年に起こったカヌードスの戦いが、ファヴェラに住む彼らにとっていかに重要な意味を持っていたかを熱弁する。当時、組織されたばかりのブラジル第一共和制の政府軍は、バイア州にアントニオ・コンセレイロが創立した至福千年説信奉者の共同体を弾圧したのだ。警察側の侵入者にそなえて細い路地に見張りに立つ青年は、このとき滅ぼされたコンセレイロをはじめとするカヌードスの人々は国家の弱者に対する暴政にたいし自衛しようとしていたのだと説く。青年は銃を高く掲げ「俺はあの反乱軍は正義だったのだと信じている!」と宣言する。

 ウェルネックの「聖体拝授」は、ドイツ=ブラジル共同製作のオムニバス映画「カヌードスの7つの儀式」の一編である。この映画はそれぞれ別 の映画作家が監督し、このカヌードスの戦いの意味を現代のブラジルの政治情勢の文脈から個々が捉え直した7本の短編で構成されており、ペ−タ−・プルジコッダ(ヴィム・ヴェンダ−スの映画の編集者)の製作で、ドイツ、フランス、それにブラジルのテレビでの放映が決まっている。一つ一つの短編は現在のカヌードスという街から1890年代のカヌードスの人々にささげられた「聖なる儀式」となっているのだ。ウェルネックの作品は、映画作家とドキュメンタリーの対象となる人々の対話を直接映し出す現代ブラジルのドキュメンタリ−映画に顕著な傾向の好例であり、それらは現代のモロ・デ・サンタマルタの苦しい生活を記録するテレビ・ルポルタ−ジュの体裁と、モロに住む人びとが昔から培ってきた物語の叙述形式の連関により織り成されている。ウェルネックは他に、ジャ−ナリストのギルベルト・ディメンスタインが著したストリート・チルドレンに対する組織的暴力に関する本「子供たちの戦争」を原作として監督したことで知られている。「聖体拝授」と「子供たちの戦争」の構成は、被写 体が自己の世界をどのように捉えているのかに焦点を据えている点で、客観性を装う普通 のルポルタ−ジュ式のドキュメンタリ−映画の話法とは一線を画している。

 「聖体拝授」では、ウェルネックはサンバの美学を骨格に映画を構成している。サンバはアフリカ系ブラジル人の伝統芸能で、現代の事件を歴史的・神話的な人物と事件に置き換えて音楽と物語で表現するものだ。この映画におけるこのような認識生成の形式は、街の語り部である古老を中心にした構成のしかたに見ることができる。老人はその前年に、サンバの学校が準備していたカ−ニバルのパレ−ドの山車と衣装をファヴェラに乱入した警察が破壊したことを語る。サンバの学校に警察が侵入して彼らの作品が破壊されたことにより、この地域の住人はカヌードスの戦いが現代に持つ意味を再認識することになった。サンバの学校では、伝統的なカヌードスの衣装、山車を、破れたまま、焼け焦げたままでカーニバルに臨むことを決意した。サンバの作曲者は、今日のリオデジャネイロの街で市民が日常的に直面 している暴力と搾取はブラジル政府のファヴェラの住人に対する布告なき戦争であり、ブラジルの第一共和制によるカヌ−ドス虐殺と本質的に同じことなのだという視点から、彼らのサンバを書き直した。

 ウェルネックはサンバの学校を描く中で、リオのカ−ニバルの製作に対してメディアが果 たす役割の大きさを認めている。最近のテレビドラマで人気を集めているスタ−女優がサンバの学校を援助しており、その彼女が映画作家たちをこのファヴェラたちの世界、中流以上の階級には元来無縁なはずの丘の上の地域に入る道を提供したのだ。このテレビの大スタ−の存在自体が、リオのカ−ニバルがメガ・メディア的イベントであり、国内及び国際的に消費される娯楽であり、それを作り出しているのはファヴェラの人々だけでなく、同時に広告主、テレビのネットワ−ク、麻薬密売業者、政府、犯罪組織、それに旅行業者でもあるという現実を我々に示してもいる。だがその複雑な成立背景を超えて、カーニバルはアフリカ系ブラジル市民の階級・民族意識を反映し続けているのだ。カーニバルは元来日常の諸問題をその当事者にも傍観者にも忘れさせることを目的としているはずだが、ここで取り上げられた特定のサンバ学校はその日常に属する国家規模の暴力という現実をその場に侵入させることで、このメディア・イべントのあり方を転覆させてもいるのだ。このウェルネックのドキュメンタリ−は、「カヌードスの7つの儀式」の一編として、リオの街頭で日常茶飯事に起こっている暴力の原因が“マージナル”な人々の問題とみなされて政府の暴力が矮小化されがちな国際的ニュースメディアのあり方に、ファヴェラの人々からの視点を提供することとなるだろう。

 複数の国にまたがる観客を想定した国際共同製作は、ブラジルのドキュメンタリー映画作家たちが、ブラジルの激しいインフレと政府全体を巻き込んだ大規模な政治汚職――その結果 公共投資への財源が消滅し、労働者階級に対してだけでなく芸術家や知識人への援助もほとんど行われなくなっている――が原因でブラジル映画が死にかかっている現状のなかで創作活動を続けるための手段のひとつである。1990年3月にコロル・デ・メロ大統領が国家の映画機関であるエンブラフィルムを閉鎖し、国家によるブラジル映画の製作/配給への援助が停止され、ブラジル映画の製作が事実上停止される結果 を招いた。映画作家たちのあいだでは、今後長い目で見たときに国家によるブラジル映画への援助がより現実的な映画製作の形態の成立につながるかどうかが議論を呼んでいる。多くの人はエンブラフィルムはブラジルに映画産業を樹立するという初期の目標を達成できなかったのだから、その閉鎖は失敗した事業をとりやめるという当然の処置だったと感じている。

 そこで1990年代には、映画作家たちは公的機関以外からの資金援助を探さなければならなくなった。例えばイタウ銀行やバンコ・ド・ブラジルのような金融機関は若手映画作家による短編ドキュメンタリー製作に資金援助を行っている。そうした作品は技術的には美しいものなのだが、現代ブラジル社会の問題は(話題にのぼるとしても)きわめて断片的にしか取り上げられていない。だが長編ドキュメンタリーの分野では、例えばヴラジミール・カルバリョのようにエンブラフィルムの閉鎖以前からの社会的な主題を扱ったプロジェクトに継続的に取り組んでいる者もいる。また他にも、エドゥアルド・クーティーニョやデノイ・デ・オリヴェイラたちはビデオによる草の根社会運動や学生運動との連帯に活路を見い出している。ビデオは経済的な利点とともに、ドキュメンタリー作家と対象のあいだにより高度な協力関係を可能にすることから、現在はほとんどのドキュメンタリーはこの媒体で製作されている。

 エンブラフィルムの閉鎖後まもなく、このブラジル映画の死とされる事態を嘆く空気のなかで作られたドキュメンタリー映画のひとつに、デノイ・デ・オリヴェイラ監督の「君はこれからなにを作るのか」がある。これは国家による製作資金援助が打ち切られたことに関するブラジルの映画作家たちの意見を集めた映画だ。このなかで映画作家たちの決意はフランシスコ・ボテリョのこの言葉に集約されている「私は映画を作り続ける。たとえトイレットペーパーで映画を作ることになっても!」。「君はこれからなにを作るのか」によれば、1990年現在製作中のドキュメンタリー映画はゼリト・ヴィアナ監督によるブラジルの作曲家ヘイトル・ヴィラロボスの伝記ミュージカル映画や、ゴイアス州におけるアフリカ系ブラジル人の18世紀の奴隷解放闘争に遡り、今日もなお続いている土地獲得の闘いをヴラディミール・カルバリョ監督が取り上げるプロジェクト、それにサンパウロに最初に入植した開拓者たちについてジェラルド・モラエスが監督する歴史ドキュメンタリーがある。

 昨今の困難な製作状況のせいでドキュメンタリー映画の本数が減少しているため、ここで私が最近の左翼ドキュメンタリー映画の例として取り上げるのは、どちらも1990年以前に製作されたものである。まずは1980年に撮影され、85年に完成した「牢獄の女たち」であり、今日死刑制度導入の是非を巡る議論の高まりに呼応して上映される機会が増えている作品だ。もう一本の「戦友たち」は20年もの歳月をかけてリサーチと撮影が行われ、1990年に完成された。

 デノイ・デ・オリヴェイラ監督の「牢獄の女たち」(Prisao Mulher)はサンパウロ市カランディル州立刑務所で服役中の女性たちが演劇活動に取り組む姿を追う。パウロ・フレイレ演劇メソッドを刑務所における実習に取り入れたパイオニアのマリア・リタ・フレイレ・コスタ自らが指導にあたり、女たちは社会の中での刑務所制度の役割を演劇を通 して説き明かして行く。この映画は自分たちの演劇実習の体験を通じて学んだことを語る女たちと、彼女たち自身が書いた劇の上演のシークエンス、そして監房に戻って行く女たちが自分の演劇を通 じて刑務所制度に分析を加える3つの部分から構成されている。オリヴェイラ監督は刑務所内の舞台上演に立会い、彼女たち女優/脚本家の自分たちが牢に入っている理由とその状況の持つ社会的な意味を理解していくなかに、ブラジル社会における犯罪の認定と懲役制度に対する強力で新しい認識を見いだし、映画の完成を最優先させることを決意した。女性の受刑者たちが刑事法制度について自分自身の意見をのべる姿を通 して、われわれは貧困や人種差別、性差別、それに刑罰制度が人間にあたえる影響について、通 常の有識者の話し合いでは決して聞くことのできない真摯で貴重な意見に触れることができるのだ。現在メディアが大きく取り上げている死刑制度の是非をめぐる議論は、彼女たちから見れば、ブラジルの貧しい人々が「死に至る刑罰」という現状に日々直面 している現実のなかで社会がこの惨状を打破するために権力構造を変革することができるか否かと言う問題に比べれば些細なことなのだ。オリヴェイラとフレイレ・コスタはこの映画の上映と併せて行われる討論を通 して、サンパウロ市民にこの刑務所内の演劇集団を紹介し、死刑制度導入とそれをめぐる諸問題についての議論にヒューマニズムの側に立った視点を提供しようとしている。

 ある意味で「牢獄の女たち」は1960年代に全国学生連合が組織した人民文化センター(CPC)の思想を受け継いでいるといえる。これは若い中産階級出身の劇作家、音楽家、映画作家などの芸術家が出稼ぎ労働者やファヴェラの人たちと連帯し、彼らを啓蒙して政治的運動の中に取り込んで行くことを目標にしていた。リオのGrupo Opiniao、あるいはオピニオン演劇集団には、例えばサンバ作曲家のゼ・ケティなどファヴェラ出身者や、デノイ・デ・オリヴェイラ(彼はその創設メンバーのひとりだった)のような学生運動家が参加していた。しかしこの階級を超えた協力関係は、ケティのような芸術家たちとの間だけに限定され、本当の意味でファヴェラの住人や東北部の出稼ぎ労働者に到達していたわけではない。Grupo Opiniaoはリオの下層階級や東北内陸部の民衆の音楽・演劇形態を発想の源として組織して、下層階級の人々を、中流階級のラディカルな若者たちの政治的姿勢に合わせて組織化するための演劇を創作する運動であった。「牢獄の女たち」では、オリヴェイラ監督の貧しい労働者階級に対するスタンスはGrupo Opiniaoの時代とは大きく変わっている。「語りかける」ことから、国家の政策のために抑圧されている人々と「ともに語り合う」ことへの移行は、中産保守階級に支持された軍事政権が1968年に左翼勢力を弾圧した時代の前衛的政治姿勢を見直そうとしている映画作家たちの作品に共通 する動きでもある。「牢獄の女たち」においてラディカルな映画作家の意識を目覚めさせるのは、階級社会のなかでの刑罰システムについて深く学んだことから批評的なヒューマニズムを身につけた囚人のほうなのだ。

 ヴラディミール・カルバリョ監督がブラジリア建設の模様にカメラを向けた三時間を超える長編ドキュメンタリー「戦友たち」の中では、ブラジリアの街はウェルネックの「聖体拝受」におけるカヌードスと同じように政府権力と人権確立を求める労働者たちの衝突の場として映し出される。1959年、ブラジリア警察が建設現場の劣悪な労働条件に抗議した東北地方出身の出稼ぎ労働者たちを虐殺した。この映画の中心となるのはその目撃証言である。当時のジュセリーノ・クビチェック大統領の政府報道官はこの事件の隠蔽を図った。今日でもブラジリア建築の計画者たちや、クビチェックをブラジリア建設とブラジル近代化の功労者として評価しようとする歴史家は、この虐殺の事実を認めようとはしない(映画のなかでカルバリョ監督に虐殺があったことを知っていたかどうか詰め寄られたオスカー・ニーマイヤーは、レコーダーを止めるように求める)。カルバリョ監督は創成期にあった労働組合への権力による暴力的な抑圧をめぐって映画を構成し、ニーマイヤーの主張するユートピアの失敗としてのブラジリアの偽善性を浮かび上がらせている。セイランディアのファヴェラの労働者たちの家を、彼らにふさわしく「疲れざる人々」と名乗る労働者たちの抗議運動を尻目に潰して行くブルドーザーが象徴しているのは、労働者の政治的権利を排除することの繰返しがブラジルにふさわしいとされる近代的首都の建設のあり方そのものに組み込まれているということ、また同じことがブラジル全土で組織的に行われているという現実である。あばら家の街の住人たち、虐殺の目撃者、それに民俗学者とブラジリア東北部を代表する政治家のインタヴューを通 して、カルバリョは、国営テレビではその声を聞くことのできないブラジリア建設に携わるファヴェラの労働者たちの視点と、整備された都市の中心部にとじこもりあばら家の街の人々から隔離された政治的支配者階級や官僚の視点を対置しているのだ。

 「戦友たち」は、インフレが続いているなかで労働者の賃金を凍結しようとするサルネイ政権に対し、1986年の後半にブラジリアの労働者たちが反旗を翻した模様を写 すフィルムで終わる。時代が特定されていない映像のなかで、労働者たちの手で転倒され、燃やされる市バスの姿は象徴的意味を持ち、まさに抑圧された民と抑圧者の戦いを綴ったグランド・オペラ(ブレヒト的な意味での)のフィナーレとなっている。この映画自体がブラジリアの労働者階級に対して行われている虐殺(飢え、最低限の医薬品と娯楽と住居の欠乏)をめぐって様々な形で歌われるアリアで構成されている、と言うことができる。「戦友たち」の最後の映像や、「聖体拝受」で100年前のカヌードスたちの戦いに敬意を表して銃を掲げるファヴェラの青年の姿は、メディアによる犯罪についての一方的な決めつけを、階級社会のなかで疎外された人々の側からの自覚的で主義主張を持った反抗の目で捉え直すものなのだ。

 「聖体拝受」「牢獄の女たち」そして「戦友たち」――はそれぞれにブラジル社会の現実に世界的な立場からの視点を提供し、我々がブラジルで日々強まって行く日常的な暴力――マスメディアの大部分はこれを些細で散発的な小事件としてまともに取り上げようとしていない――の政治的な意味について理解を深めることへの助けとなる。サンドラ・ウェルネック、デノイ・デ・オリヴェイラ、そしてヴラディミール・カルバリョたちの作品は、現代映画の主流が社会全体に目を向けることを避ける傾向にあるなかで、ドキュメンタリー映画の持つ、社会問題の構造的な真因を分析する力を開拓し続け、自分とは違った階級やジェンダー、民族に属するかもしれない人々の側に立って、社会のなかで彼らが与えられている不利な立場を変えて行く戦いを展開し続ける映画作家たちがいることを、思い出させてくれるのだ。

 


アンヌ=マリー・ギル


アメリカ合衆国の東海岸に育ち、ウィスコンシン大学グリーン・ベイ校でアメリカとラテン・アメリカの文学を学ぶ。ペンシルヴァニア州立大学の比較文学科大学院でさらにその研究を続けるなかで、毎年開催されるブラジル映画祭でブラジル文化に魅了された。フルブライト奨学金を得てブラジルのサン・パウロ大学で映画と文学の研究に取り組む。アメリカ合衆国に帰国後はアイオワ大学で比較文学の博士課程に進み、映画理論、カルチャー・スタディー、それに革命政治理論を学ぶ。昨年ブラジルに戻り、博士論文「共感の政治学――ブラジルの知識人と新社会運動」のためにブラジルの文学者や映画作家を幅広くインタビューし、現在その成果 をもとに同論文を執筆中である。