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音楽的イメージのヴァリエーション
――フィリップ・グラスとのインタビュー

ジェイムス・トバイアス


 作曲家フィリップ・グラスにインタビューをすることになり、正直に言って不安だった。40年余りのコンサート・劇場・オペラ・映画の数多くの作品を通して厳格に計算されていながらも、表現の柔軟性もかもしだすグラスの音楽的イディオムに、このインタビューの中にも出てきたロバート・ウイルソン、ゴッドフリー・レジオ、マーティン・スコセッシといった秀逸な人物たちとの共同作業における映画や演劇によって、よりいっそう触れる事が可能となり、その影響も大きくなっている。しかし、彼のそんな数多くの作品より、気になっていることは音楽形式や音楽の才能についてではなく、“どのようにして”音楽の意味について訊くかということだった。しかしそんな心配は無用だった。フィリップ・グラスにインタビューをするということは、火に薪をくべるがごとく、少しの燃料を加えると、グラスは燃え盛るように、忘れがたい逸話や洞察力ある観察でドキュメンタリー映画や劇映画のための曲作りを熱く語ったのである。インタビューは2001年11月1日、フィリップ・グラス・アンサンブルがミシガン州アン・アーバーに来たときに行われた。アンサンブルは映画のサウンドトラックを3日間演奏したのだった。これは本来、最近注目を集めている無声映画に伴う音楽であった。古典的な恐怖映画である『ドラキュラ』のためにグラスが新しく作った曲を聴くと、映画での音楽効果というものを見直させられる。

 いわゆる「ミニマリスト」音楽のヴァリエーションや派生は、映画のための音楽と同調するものとずっと思っていた。初期のトーキーのドラマ映画のサウンドは、単にテーマ音楽やシーンに必要な効果音楽に過ぎなかった。そのような音楽は厳しい予算と頼りない設備にふさわしい曲作りであった。しかし、トーキー映画のためサウンドトラックが発達するにつれて、映画音楽作曲家は映像にも音にも、最終的な調整に合わせられるよう、引き伸ばしたり、短くしたり、リミックスしたりできる柔軟かつ繰返し可能なモチーフに力を入れるようになった。映画のバックグラウンド・ミュージックのモジュラー・モチーフは、オペラのライトモチーフほど構造的に意味を持たなかったが、場所作りや、ムードなどを決めるドラマッチックな使い方の障害にはならなかった。この小さいモチーフは映画のペースや観客に進行内容を伝えたりしたが、盛り上がるのはドラマチックな強調が必要なシーンの時だけである。映画音楽での、ドラマ的な雰囲気と、ゆるいイメージの視点に沿ったモジュラー構造的発達に関する最上の美観は、「ミニマル音楽」のいくつかの特色と共通するものがある。

 この点において、グラスの『ドラキュラ』(1931)のための曲は初期のトーキー映画とそれ以降に発展した音楽との組み合わせという点で魅力的である。恐怖映画の専門家であるトッド・ブラウニングが監督したこのユニバーサル社の作品は、テーマ音楽とストーリーのシーンに合わせた効果音楽という典型的な音楽の使い方を用いたものである。一方、グラスの『ドラキュラ』はイメージやせりふが同じであるのにもかかわらず、異なる作品と印象をもたらす。映画の無気味さは影をひそめ、一段と語り調でロマンチックとなり、その魅力が際立っている。場面を設定したり、場面から場面へと私たちを導いたり、見えない出来事や、人物が何をしようとするかを暗示し、音楽が音楽としての役割を果たしている。だが、それだけではない。スクリーン上の演技に音を付けるだけでなく、サウンドトラックの音楽的な傑出は、恐怖映画の伝統的なイメージさえ変えてしまうのである。典型的なドラキュラの姿が剥がされ、その映画は脈打つ音楽を率いると同時に、音楽が映画を率いるのである。音楽がイメージを流用することによって、映像的な語りとしての歴史的な側面が見える。歴史に残る映像をスローモーションで見ると同様に、過去の残像よりも、映画的ヴィジョンの過去が見えてくる。さらに、グラスの曲はイメージと音を受け取る観客の努力に訴えかける。

 後述のインタビューの中で、「芸術との能動的な関係」こそが、近代的美学のエッセンスであるとグラスは指摘している。ハンス・アイスラーも同じ考えを持って、アラン・レネの『夜と霧』(1955)のサウンドトラックを作曲した。このヒトラーの俘虜収容所についてのドキュメンタリー映画は、映像に対する音楽でホロコーストという惨劇を問いかけたものである。不可能であるかのようなメッセージを敏感に観客に引き起こさせるため、例えばアイスラーは、人気のない俘虜収容所を有刺鉄線の外側から見るショットに合わせて、甘く、夏っぽいピチカート弦楽による音を作りだした。そしてそのことによって大虐殺どころか、青々とした牧歌をかもしだしている。グラスは映像とただ対位するほど一義ではない。グラスは極端な対立を創ることはあまりしないが、音と画の鋭い組み合わせによってアイスラーの実験をより完成させた――ヴェルトフやルットマンが先駆けたモダニスト都市シンフォニーの20世紀後期の例となった1983年作『コヤニスカッティ』を始めとするレジオの「カッツィ」三部作においては世界の同時代性を描き、エロール・モリスの『The Thin Blue Line』では、グラスが曖昧に反映している「メタモルフォセス」というテーマで映画の罪と罰というストーリーの格闘の手助けをし、紆余曲折した道のごときポストモダニズムを自問している。

 グラスが期待しているのは観客と作品の限りない関係性であり、それは2つの力学が重なったものであるが、その2つを切り離すこともできる。原則として音楽的な取り組みに関する美学は、音楽が意味を作る過程において、音楽がイメージと同じぐらいに重要だと示唆している。音楽制作において当然な結論というのは、作曲家が、ある程度映画の創作に責任を持つべきだということである。ノンフィクション映画においては、この問題の解決方法は少々違う傾向がある。第1に、音楽の重要性に関して、正統なドキュメンタリー映画理論は正確な歴史を記録するため、小細工をしないで上映することに限定されている。ドキュメンタリー映画の音楽というものは、ビジュアルな記録で歴史の記録として扱われるという偏向的な見方に影響を受けてしまう。この偏向は、音楽が感情的な側面に貢献する役割だという期待によってより増長され、使い方によっては、出来事を記録するという観点からは、不要なもの、悪いもの、また非倫理的なものと考えられることもある。グラス(もしくはアイスラー)の場合、音楽が力強い実録であり、ドキュメンタリー映画のリアリズムの厳重な推定と一致しないことがありうる。第2に、制作について、ある唯物論者の評論家は事実の記録を曲げないように、作品そのものが非権威的、少なくとも進歩的な製作過程から生まれるべきだと言っている。(例えば、『Documentary Box』19号のバーバラ・ハマーの小川プロについてのドキュメンタリー映画「『Devotion』を巡る座談会」を参考に。)

 観客が聴くことによって意味の形成がなされるグラスのサウンドトラックは、音楽的観点から、映画制作にあるこれらの問題の取り組みを考えさせる。ドキュメンタリー映画や伝記映画が過去の事実に囚われるという呪いに束縛される傾向をなくす一方、観客を取り込む試みをするドキュメンタリー映画における観客との相関関係というメリットを商業映画にまで引き上げるためには、映画作品の音楽的可能性を優先させることである。

 それでも、西洋思想や商業映画製作では、音楽では描写ができないと思われている。観客との相互作用を優先するという、事実からの聴覚的逃避はいったい作品の何を解釈するのかのみ問うのである。もし音楽が非覇権的な媒体芸術論を作り上げる手助けとなるなら、そして同時に音楽的な意味が非具象的、または単に感情的なら、つまり、歴史外であるか歴史を表現できないなら、音楽的解釈とその観客との相互作用に基づく作品は、逆行的、現実逃避的、些細になる危険を冒すことになる。

 グラスの、マーティン・スコセッシ監督『クンドゥン』というダライ・ラマの人生とインドへの亡命をドラマ化した伝記映画への参加は、この問題の扱い方の例である。この映画は、神の体現者として敬われる人物について語られている、という写実主義の伝記にとっては最も難しい問題に挑んでいる。さらに、映画が危機を描くことによって、地理的な場所から消されるという状況の中で、この神聖なる人物が、西洋人の観客にとっては、国の文化の体現になる。どんな俳優がどうやって悟りを開いた者を演じるのだろうか? 映画を見に来る大勢の観客にとって、精神的な一個人の映画的な情景は何の意味を持つだろうか? チベットという国は、現代社会のどこに位置づけられるのか? 少なくとも、西洋のチベットに対する冷淡さや、チベットの映画制作の不在性、この映画が描く占領と国外離散の危機はチベットにおいてダライ・ラマについての映画撮影が不可能であるだろうという、無視、排除、暴力にたいする西洋人アーティストの反発ともみられる。ダライ・ラマの人生を描くというこの映画は、国外離散というチベット文化の現実を、伝記映画の慣例に沿って時系列的なストーリー展開を通して描写するという無茶な方法をとってしまったことによって本来の目的を失ってしまった。一方で、インドに脱出するというクライマックス(グラスが以下で話すように)を描写した音楽シークエンスは、おそらくこの映画の本来の目的を回復しているようにみえる。

 このシークエンスは、変化し続ける砂曼陀羅の連続と夢や空想の断片と共に進んでいく。この形式的かつ主観的な要素は、いくつかの点で繰り返しをもたらし、これまでの映画の構成していた歴史の流れを中断する。歴史的な地理を表した現実主義の枠組は、具象的・非具象的な要素の枠組にもなる。この映画の時の流れは、文化的な背景から来る時間の原型によって支配されている。この時の支配が国境を越える時に起こるということは、バラバラになるチベットが、複雑な歴史的背景を象徴し、それは本来の地理的な存在を越えた生成能力を持ち出すことを可能にしている。驚くべき方法で、映画は意味の多数論理と文化的尊いものとを同一にしている。『クンドゥン』のサウンドトラックに参加したチベット人音楽家についてグラスが言っているように、このシークエンスは「作品への扉」を開いてくれるといえるだろう。音楽とイメージの組み合わせとは何を意味するのか私たちに問いかけてくる。現実的な歴史観をひっくりかえさないと伝記映画にならないという中でひとつの答えが出てくる、つまり非暴力主義である。


1. 観客との相互作用

ジェイムス・トバイアス(以下、トバイアスあなたは、いわゆる建築音楽と言われている中心部と重なり合う部分が多くあり、特色のある音楽を作曲し、その音楽を聴く人は音楽の構造、形質、感情的な要素を解釈するに大きな役割を与えられています。あなたの作品は、数え切れないほど多くの、解釈の仕方がありますね。

フィリップ・グラス(以下、グラス全くそのとおりです。あなたの言われた事は、音楽のドラマ的な立場を、正確に表していると思います。まさに、音楽は、観客の意識により完成されるという発想です。現代美観に欠かせないものは、芸術作品は独立したものではなく、作品と観客のやりとりによってこそ、存在するということだと思います。

 ですから、私が(音楽専門の)図書館に行って楽譜を見る時は、単に音楽作品としては見ないのです。むしろ、何かが起きるきっかけとなるのです。私は、そのような作品が、演奏され、聴かれるという事実から独立した存在だとは思っていません。これは、デュシャンの考えから来ているものだと思う。ジョン・ケージやマース・カニングハムが一緒に曲作りをした時は、とても過激にその考えを表現したと思う。でも、その考えは「距離がある」という考えです。私は、映画音楽を作るときに頻繁にこの方法をとります。つまり、イメージと観客の間に暗喩的な距離があり、そして、その境界線、距離を越えることは、自分が見ている物の解釈の仕方となるのです。多くのことを表現することは可能だが、最終的にどう感じるかは、観客自身のものなのです。

トバイアス:「フォトグラファー」というマルチ・メディアのオペラには馬、マイブリッジの馬の音が聞こえます。私は、そこに内容にとても相応しいイメージが作られてあるのに興味を覚えます。この作品は、映画を作るきっかけとなった写真家のマイブリッジについてですが、その作品の第3幕の最後のダンスを通して、駆けている馬の音が聞こえます。

グラス:それは、私たちが話していることの、とてもいい例ですよ。馬なんかいなかった。馬は、あなたが頭の中で創りあげたものなんです! でも芸術とは、いつもそうなのです。

 「海辺のアインシュタイン」を公演後、ロバート・ウィルソンと私は質議応答をもちました。人々はいろいろな解釈をしてくれたのです。ロバートと私は、全然そんなことは思い浮かんでもおらず、そんな物語はなかった。実は、この作品を作り始める時、ロバートはとても有名な人についての作品にしたいと言いました。そして、なぜアインシュタインかというと、誰もがアインシュタインの話を知っているからだと。

トバイアス:音楽とイメージが、どのように通じ合うのかという問題は、映画音楽にとって重要なことですが、観客が積極的な役割を持っている状況でも、その問題は重要なことです。

グラス:私の仕事である、映画音楽の制作のコツというのは、そのようなことを暗示することなのです。音楽は、物語を語ることはない。ある方向を指すのです。聞く人は、その方向に行こうが行くまいが自由なのです。作曲家はどうやって音楽を作るのか、どうやってアイディアを生み出すのかと知りたがる。私が彼らに、映画を見過ぎないようにと言うと、みんな驚くのです。見すぎると、ゴッドフリー・レジオが言うところの、「犬に吼え声を与えるだけ」をし始めてしまうのです。それでは、もう誰にも楽しくなくなってしまう。

トバイアス:映画音楽学では「ミッキマウスする」と言われていますね。拍子に合わせる。登場人物のしぐさの見たとおりの音を演出する。そうすると、音とイメージの組み合わせの神秘性が薄れてしまう。

グラス:ええ、私たちの役割が無くなってしまいますよね。私たちが、ただ見るだけの存在になってしまう。ご存知のように、その極端な例は商品を売るコマーシャルですよ。自分が想像する余地なんかまるでない。音楽とイメージの戦略は、ひとつのアイディアを作ることであって、それ以外のアイディアを持ってはいけない。イメージと音楽の間にある、独裁的な関係なのです。私たちが、劇や音楽の中でやろうとしていることは、全くその反対で、大きな空間を与えるということなんです。観客の想像の自由は貴重なことであり、作品と観客の関わりの大事な一部です。コマーシャルが嫌われる理由のひとつは、その想像の自由を奪うからなんです。自分が操作されているような感じになる。実際に、そうなんだ! 私が作るような作品を見るときは、空間を感じますし、作曲家にもその空間を作り出すように勧めています。もちろん、自分の観点があるだろうし、それは大事だ。ジョン・ケージは何も示さずにそれをやりましたね。

2. 「カッツィ」三部作

トバイアス:『ナコイカッツィ』と『ポワカッツィ』の作曲について話して頂けますか?

グラス:私にとって、それはコラボレーションのモデルになりました。私は、70年代後半に、ゴッドフリー・レジオとその作品に取りかかりました。映画を作るには十分すぎるほどの時間があるという贅沢な感じだったが、実はその理由は映画を完成するためのお金が足りなかったからなんです。配給会社がいなくて、映画を待っている人は誰もいなかった。だから3、4年かけることができた。

トバイアス:その映画は以後、有名な古典的作品となりました。その映画は、都市交響楽団の伝統や、場所や都市風景を描く映画という意味において、ドキュメンタリー映画を再定義しましたね。

グラス:その猛スピードのものは、テレビコマーシャルで頻繁に見ますね。それはゴッドフリーのやったことなんですよ。ゴッドフリーと実験をして、一度は映画が作られる前に音楽を書いたこともありました。皆さんは、イメージが先だという考えが強いようだけど、そうでもないんですよ。『ポワカッツィ』という映画は北ブラジルの金鉱でのシーンから始まりますが、コクトーが以前撮影したその場所のイメージを持っていました。私の印象に基づいて10分の曲を作って、その曲を録音し、ブラジルに映画の製作スタッフと行きました。撮影技師はヘッドフォンで音楽を聴きながら、映画を撮っていましたよ。

トバイアス:コーラスの作曲について興味を持っているんですが。映画全体は狂乱したスピードのイメージや音楽の調子でいっぱいなのに、ヴォーカル部分が気高く、上品で、映画のテンポを引き立て、映像の激しさをある程度打ち消しています。コーラスのために、作曲したりするんでしょうか?

グラス:ええ、この場合、アンサンブル用の作曲された作品と関係がある歌手だったのですが、私がやったオペラ作品とは違う歌い方なんです。もっと楽器的だし、私は言葉を与えていない。だから歌手は、意味ある音を伝える必要から解放され、すぐに歌手が言っていることが特にわからなくてもいいとわかる。オペラでは、言っていることがわからなかったらイライラしますよね。そのような意味ある音を作りだす義務から解放されることによって、声は何にでもなれる自由があり、そのため声が、幸福に輝いているように聞こえるんです。

トバイアス:ある意味、この映画は矛盾したメッセージでいっぱいであり、だから面白いと思います。

グラス:確かに、ある意味古典的な映画になっているかもしれない。ひとつには、8年から10年おきに私たちが解釈し直しているからなのだろう。いつも、違うように見えますよね。ゴッドフリーの考えは(ゴッドフリーの考えも変わってくるけど)私たちが送っている平凡な人生への、テクノロジーの影響についての映画だった。彼は、映画がそのテーマについてだったと思っていたし、私もある程度、今もそれは事実だと思う。しかし、1980年に初めて人々がその映画を見たとき、ほとんどの人は、その映画は幻覚体験するための映画だと思い、ハイになるか、ぼうっとしているかで、集中して見ていなかった。その7、8年後まで、人々はその映画が何かについてだと気づいていなかった。80年代の後半には、人々が映画の本当の内容について考え始めて、考えを変えた。今その作品でツアー中なんですが、1980年に作った作品だと忘れてはいけないけど、ビルが崩壊していくシーンの連続があり、それを見て泣き出す人もいた。実際に、最後の消防士のシーンは、1978年に起きたハーレムでの停電で、ニューヨーク市が大混乱に堕ちた時に、消防士が治安を取り戻そうとしている時に撮影されたものです。しかし、今見ると、その映画が9.11のことを語っているように見える。

 9.11について何かの曲を書かないかとよく言われるが、私の答えは実は20年前にもうしたよって言うんです。映画には、そのような見られ方がある。どうやって、ゴッドフリーと私がそんなことをやり遂げたかはわからない。私たちは、そんなに頭がいい訳でもないし、占いの水晶玉を見ていた訳でもない。ただ、映像的にも強烈な、とても力強い素材を扱っていた。ある意味では、運が良かった。全てが運ではないけれど。でも、その映画で大きく前進したと思います。いったい、何をやっているのか分からなくて、何年も私たち自身やってることが理解できなかったんです。

次頁へ続く>>


フィリップ・グラス Philip Glass

20世紀の音楽史でもっとも著名なアーティストのひとり。グラスはミニマリズム理論を創造し、大出生を遂げた。ジュリアード音楽院でクラシックの教養を受けたグラスは、ラヴィ・シャンカール作品を手掛けるうちに音楽的理念が大きく変化。クラシック音楽のルールを重んじるよりも、アヴァンギャルド・クラシックで用いられていたリズムや復唱を取り入れることを選択した。70年代から80年代にかけて大活躍し、コンサートや演劇、オペラや映画、そしてポップ・ミュージックまでをも手掛ける。その成果は、現在のポピュラー・ミュージック(デヴィッド・ボウイやエイフェックス・ツイン)に譲り渡され、後続のアーティストたちにも多大な影響を与えている。

――フィリップ・グラス公式サイトより

主な作品歴


1982  コヤニスカッティ 音楽

1985  海辺のアインシュタイン 音楽/出演

1987  ハンバーガー・ヒル 音楽

1988  シン・ブルー・ライン
ポワカッツィ
音楽
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1991  ブリーフ・ヒストリー・オブ・タイム 音楽

1992  アニマ・ムンディ
キャンディーマン
音楽
音楽

1995  キャンディーマン2 音楽

1997  クンドゥン 音楽

1998  トゥルーマン・ショー 出演

1999  ビートニク 出演

2002  めぐりあう時間たち 音楽

2002  ナコイカッツィ 音楽
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