■ジャン=ルイ・コモリ
■アモス・ギタイ
■羽田澄子
■スタンリー・クワン
■ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
■林旭東
■中野理惠
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林旭東(映画批評家/中国)
Lin Xu-dong(Film critic / China) |
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1951年上海生まれ。中央美術学院の修士号を1988年に取得。以降、現在まで北京放送学院テレビ学部でドキュメンタリー論を教える。映画の研究と批評を専門とし、『中国の映画:第六世代か?』(1995)『中国の「ネオドキュメンタリー」について』(1996)などを執筆。1997年には『ドキュメンタリー』誌第1号の編集長を務める。ドキュメンタリーの演出もこなし『Laozihao』(1996)や『Zhalongde
Ren』(1996)など。1997年には北京での第1回国際ドキュメンタリー会議の事務局長と国際コーディネーターを務める。 |
悠久なる歴史の過程で、人類はさまざまな形の文献や記述を残し、自身の状況についてある種の存在価値を細かに見つめることを行なってきた。後に映画が生まれ、人類はある全く新しいスタイルでこの世の中の自己と生活とを目撃し始めた−それが記録映画だ。この言葉を通
じて、ジョン・グリアソンは最も基本的な映画の実践方式と、人類の理性という伝統との関係をひとつにしたのだった。
人々は論争する。実際のところ、いかなる撮影活動もみな「記録」であるなら、いったい「記録映画」とは何なのか?いったい記録映画製作者の使命とは何なのか?多くの真摯な記録映画従事者が、長年このような問題を考え続けてきた。彼らは骨身を惜しまず、倦むことなく、創作という実践によって自己の考えに回答を与えてきた。こうしたさまざまな作品が自ら証言者となって、彼らの周囲にまさに起こっている歴史過程を記録し、同時にまた異なる文化歴史経験と現実の境遇、さらに彼らそれぞれの映画に対する独自の認識まで反映させた。そこには彼ら相互のまったく異なる製作環境までもが含まれる。記録映画製作者は、彼の周囲にまさに起きていることの一切を常に見、聞き、理解しようと努力している。同様に、機会さえあれば同じような記録映画製作者の作品を直接見て、顔を突き合わせて互いの考えを披瀝しあい、互いの仕事を理解しあいたいと希望している。YIDFFを組織するスタッフの勤勉なる努力が、こうした交流の望みを現実のものとしたのである。
私はこのような盛大な機会を通じて、アジアにおける記録映画製作の発展をいま一歩促進することができると期待している。それは中国の記録映画従事者の一人として、この地域の大部分の人々が私の同胞と同様に、重要な歴史の変遷を経験ししつつあることを深く理解しているからである。今、この場所の記録映画従事者が自らの責任をしょって立つ時でもある。私にとって小川紳介はまさにそのような責任感のひとつの具体的象徴である。それゆえに、この度YIDFFの委員会が、私にこのような貴重な仕事の機会を与えて下さったことを、大変有り難く思っている。
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