ぬちがふぅ ―玉砕場からの証言―
Nuchigafu--Life Is a Treasure "Gyokusai" Stories in the Battle of Okinawa-
日本/2012/日本語、韓国語、沖縄語/カラー、モノクロ/Blu-ray/132分
監督:朴壽南(パク・スナム)
撮影:大津幸四郎、照屋真治
編集:上嶋皓之、小俣孝行
録音:奥井義哉、諸見長人
音楽:原正美
制作コーディネーター:安井喜雄
整音:甲藤勇、日吉寛
助監督:朴麻衣
製作:朴壽南、アリランのうた製作委員会
朴壽南監督が、沖縄の玉砕にまつわる話を、慶良間諸島を中心とする生き残りの人々、また韓国から訪れた当時の朝鮮人軍属の人々にインタビューしながら、長い年月をかけ描いた作品。玉砕が軍の命令ではなかったとの指摘による、大江健三郎と岩波書店に対する裁判や、教科書等での削除の問題なども含み、戦争がとくに沖縄現地や朝鮮の人々を悲惨な目に遭わせた事実を改めて浮かび上がらせる。『アリランのうた オキナワからの証言』ではじめて沖縄の人々を描いてから20年、当時の映像も使い、時の流れも感じさせる。
【監督のことば】1945年3月26日、米軍は沖縄本島上陸の1週間前、慶良間諸島に上陸。海峡を埋め尽くした米軍の艦船と空を飛び交う爆撃機を、はじめ住民たちは日本軍だと思い、「天皇陛下、万歳!」と歓呼の声をあげた。神の国の必勝を信じていた住民は、夢にも敵艦船とは思わなかったからである。それが「鬼畜米英」だと分かった時、小さな島々では、日本軍の命令によって、愛する妻や姉や幼児に手をかける「玉砕」の惨劇が次々と起こった。日本軍は住民どうしの殺し合い――「玉砕」に駆り立てたばかりでなく、阿嘉島では、避難している住民500人を皆殺しにする作戦を二度も企てた。しかし、それは事前に漏れ、住民の大半が米軍の保護を求めて脱出した。
私は1992年、九死に一生を得て生還した元軍属6名と遺族らを韓国から招請。軍夫たちが米軍陣地への「斬り込み」に駆り立てられた現場や、監禁・虐殺された地下壕などを捜し検証していった。本島最大の激戦となった中部戦線では、朝鮮人軍夫や沖縄の少年兵たちが爆雷を背負わされ、進撃してくる米軍戦車に体当たりをさせられたという目撃証言、南部の洞窟陣地アブチラガマでは、「慰安婦」の少女たちが日本軍に撃ち殺されたという証言を得た。後半では「玉砕は軍の命令ではなかった」とする裁判や、「軍命」削除の教科書検定で国内を揺るがしたその根拠が、根も葉もないデッチあげであったことを座間味村元助役の妹の証言で明らかにしている。沖縄戦の戦争責任の改ざんが何者によって仕組まれたか――。その解明は、現在製作中の『ぬちがふぅ』第2部へ引き継がれる。
1935年、三重県生まれ。在日コリアンとして、一貫して民族差別問題に取り組む。作家として、1958年の小松川事件の少年被告囚、李珍宇(イ・チヌ)との往復書簡をまとめた『罪と死と愛と』(1963)、『李珍宇全書簡集』(1979)を発表し注目を集める。1965年から広島を訪れ、被爆同胞に聞き取りをし、『朝鮮・ヒロシマ・半日本人 わたしの旅の記録』(1973)、『もうひとつのヒロシマ 朝鮮人韓国人被爆者の証言』(1982)を刊行。その後、朝鮮人・韓国人被爆者の実態を訴えた記録映画『もうひとつのヒロシマ アリランのうた』(1987)、『アリランのうた オキナワからの証言』(1991)を発表。ふたつの映画は全国で自主上映され反響を呼び、YIDFF 2005でも上映された。2006年から、沖縄戦の玉砕の真実と記憶を掘り起こす本作に取り組む。