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交差する過去と現在
――ドイツの場合
A
  • 永遠の美
  • 小さな魚のおとぎ話
  • 名もなき兵士
  • 冬の子どもたち

  • B
  • コミュニストはセックスがお上手?
  • ブラック・ボックス・ジャーマニー
  • あるドイツ人テロリストの告白
  • 反逆者

  • C
  • 誰しもすべては語れない
  • 人民への愛ゆえに
  • キック
  • 閉ざされた時間
  • スクリーンプレイ:時代
  • 掃いて、飲み干せ
  • 過去へのまなざし

    佐藤健生


     戦後ドイツほど複雑な歩みを辿った国家もなかろう。第二次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国によって分割占領・直接統治されたこの国は、分断国家となることを余儀なくされた。1949年の東西ドイツの成立以後、61年にはベルリンの壁が構築されて分断状態が固定化したかに見えた。しかしソ連のペレストロイカの波が東独の民主化運動へと発展し、89年の壁の崩壊(開放)、そして90年の再統一へと予期せぬ展開に至った。今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、そうした戦後ドイツの複雑な歩みが15本の映画を通じて紹介される。いずれも重い内容の秀作で、これだけの作品に一度に接する機会がもてることを素直に喜び、感謝したい。

     「交差する過去と現在」で扱われる過去には3つがある。そのうちふたつが、いわゆる「過去の克服」である。すなわち33年〜45年のナチス「第三帝国」の過去(プログラムA)と、49年〜89/90年の旧東独の過去(プログラムC)というふたつの独裁体制の克服である。前者は、「千年帝国」と豪語しつつ12年で果てた国家ではあったが、ドイツ全体に関わり、それがもたらした結果と影響は、その5倍の年月を経た今日においても重要性が消えるどころか時には増すことさえある。これに対して後者は、ドイツの一部の問題ではあるものの、それが存在した40年という長い年月が別の意味で深刻な問題をもたらしている。ふたつの体制は崩壊後、異なる山を遺した。死体(前者)と密告文書(後者)の山であり、暴力体制そのものの目に見える衝撃と、密告・監視体制から生まれた目には見えない人間不信という精神的な衝撃の違いである。

     3つ目の過去とは東西ドイツの戦後史(プログラムB)である。ここで特筆すべきは、西独の極左、極右のテロリズムの問題であろう。西独では、「ボンはワイマールではない」をスローガンに、小党分立、左右両極政党の勢力拡大で弱体化し崩壊していったワイマール共和国の体験から、いわゆる「戦う民主主義」が打ち出される。そこでは、民主主義を脅かす勢力との敢然たる戦いが前提となり、憲法擁護庁が、極右極左ならびにドイツ国内の外国人過激派団体を対象に監視活動を行っているのである。

     では各プログラムから注目作品をあげ、補足説明をしていこう。プログラムAでは、『名もなき兵士』と『冬の子どもたち』(後述)をお勧めしたい。前者は、90年代後半からドイツ、オーストリアなどの各都市で開催された「国防軍の犯罪」展示会をめぐる騒動が描かれている。ドイツでは一般にホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)などの残虐行為はナチスがやったことであって、ドイツ人には責任はあるが罪はないとする解釈がとられている。普通のドイツ人の大半が正規軍であるドイツ国防軍兵士であったことから、「栄光の軍隊」としての国防軍神話が戦後確立されていったのである。それを否定する展示会がもたらしたものは? じっくりと見ていただこう。

     プログラムBでは、テーマもそして映画の描き方の上でも個性的な作品が並んでいる。知られざるネオナチ・テロリストを扱った『反逆者』も印象深い作品であるが、『あるドイツ人テロリストの告白』がドイツの現在を如実に示している。主人公クラインの元同志として、現欧州議会議員や外相(当時)が登場するのである。60年代後半の学生反乱の担い手たちが70年代以降歩んだ道が、極左ドイツ赤軍派(RAF)の武力闘争と議会での政治家活動というふたつの道に分かれたことがわかろう。

     プログラムCでは、『誰しもすべては語れない』と『閉ざされた時間』の両作品でいわゆる「フライカウフ(自由買い)」が扱われている。東独当局によって反体制派と見なされて逮捕された約3万3000人の政治囚が、西側に追放されたのであるが、その際に西独当局によって金銭で買い取られた。両独当局によるこうした水面下の取引については、89年以降はじめて明るみに出される。それまで当事者は、沈黙を強いられていたのであった。

     今回の全作品を見て考えさせられたのは、異なる体制での体験を異なる世代がどう受け止めどう引き継ぐのかという問いである。『冬の子どもたち』では、冬から夏が舞台ではあるが、そこに至るまでの背景には、子どもの成長に伴う親たちの苦渋に満ちた年月があったことが十分にうかがえる。こうした取り組みは、おそらくドイツの無数の家庭でなされてきたに違いなかろう。それを垣間見ることができたのは、まさにドキュメンタリー映画ならではの効果であり、それを可能にさせたのがドイツ人ならではの徹底性であることを、最後に確認しておきたい。

     

    佐藤健生

    1947年生まれ。ドイツ現代史専攻。上智大学大学院史学専攻博士課程満期退学。拓殖大学教授、ドイツ文化センター連続企画「和解への道」コーディネーター。ナチスの「過去の克服」が中心テーマで、歴史の映像化にも関心をもつ。