主人の館と奴隷小屋
The Masters and the SlavesCasa Grande & Senzala
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第1部「ジルベルト・フレイレ、現代のカブラル」
第2部「アクーニャ、ブラジル的家族の母」
第3部「ポルトガル人、熱帯の植民者」
第4部「ブラジル人の性生活と家族生活における黒人奴隷」
ブラジル/2001/ポルトガル語/カラー、モノクロ/ビデオ/228分
監督:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
脚本:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス、エドソン・ネリー・ダ・フォンセカ
撮影:ジョゼ・ゲーハ 編集:ジュリオ・スート
録音:フアレス・ダゴベルト、ブルーノ・フェルナンデス
音楽:エイトール・ヴィラ・ロボス「ブラジル発見組曲」、他
製作総指揮:マウリシオ・アンドラーヂ・ラモス、マルシア・ペレイラ・ドス・サントス
製作:ジャン・ロベール
出演:エドソン・ネリー・ダ・フォンセカ、ヴァニア・テーハ、ゲウザ・セーナ、エリーネ・ペイショート、エレーナ・メネゼス
製作会社:レジーナ・フィルメス、ビデオフィルメス、GNTグロボサット
提供:ビデオフィルメス
Videofilmes
Praça Nossa Senhora da Glória, 46, Glória, Rio de Janeiro 22211-110 BRASIL
Phone: 55-21-25560810 Fax: 55-21-22055247 E-mail:bel@videofilmes.com.br
『主人の館と奴隷小屋』は人類学者ジルベルト・フレイレの同名主著(1933年)を4回連続のテレビ番組として映像化したものである。
第1部「ジルベルト・フレイレ、現代のカブラル」は、フレイレの友人でもあった作家エドソン・ネリー・ダ・フォンセカ扮する教授が女子学生に書物執筆の過程、出版当時の反響を解説する。第2部「アクーニャ、ブラジル的家庭の母」は教授と別の学生がインディオとヨーロッパ人の出会いについて対話し、本を元にビデオ映画を撮影しつつある学生たちとそのインタビューが挿入される。第3部「ポルトガル人、熱帯の植民者」は元来様々な人種の影響下にあったと推察される植民者のルーツをポルトガルで語る。第4部「ブラジル人の性生活と家族生活における黒人奴隷」は主人と奴隷の生活描写や性的な関係、サディズムについて語り、最終的に様々な人種・社会間の闘争は調和したブラジル社会の形成に向かうものと結論づける。
【監督のことば】シリーズ・プロジェクト『主人の館と奴隷小屋』は、ブラジルの500年記念の祝祭に参加したいという気持ちから生まれた。それは決して伝統的、官庁的、国家主義的な記念物をつくりたいのではなく、「ブラジル人でいること」をより親しく、より個人的に祝いたいというのであった。
ブラジル人であることの意味とは何であろうか。これは学生時代をニューヨークのコロンビア大学という国際的な場で過ごしたジルベルト・フレイレによって掲げられた疑問である。彼は、自分自身と、彼の家族や社会的能力形成に関わってきた人々の過去について研究を行った。彼はブラジルの社会構成について、特にブラジル誕生から300年の間について、先住民、ポルトガル人、アフリカ系ブラジル人の貢献を分析することで研究を行っている。その研究を、1933年に、ブラジルの芸術、社会科学に大きな革命をおこした『主人の館と奴隷小屋』という偉大な作品の形で完成させた。それ以来、ブラジルの歴史は、『主人の館と奴隷小屋』登場前、登場後の2段階で語られるようになった。
ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス
1928年ブラジル、サンパウロ生まれ。フランスの高等映画学院IDHEC(現FEMIS)に入学。帰国後、自主製作の短編2本を作り、1955年『リオ40度』で長編デビュー、現地ロケで一般の人々を出演させる手法で頭角を表わす。1960年代から70年代、シネマ・ノーヴォが盛り上がる中、『乾いた人生』(1963)でその運動の代表的な映画作家としての評価を確立。“シネマ・ノーヴォの良心”とも称される。主な作品に『監獄の記憶』(1984)『Guerra e Liberdade―Castro Alves em Sao Paulo』(1998)など。1999年の本映画祭ではインターナショナル・コンペティション部門の審査員長を務めた。 |
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