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イントロダクション


よくぞ山形に、この祭りをもたらした!

 後ろを振り向くほど暇じゃないと思っていると大事なものを忘れるかもしれない。山形国際ドキュメンタリー映画祭の誕生は1989年だが、その胎動や準備から考えると既に30年が経つ。いつも裏方はそういう見方をする。ひとつの事業や組織が経験する年月としては短いようだが、地域に根ざし続け、世界や時代や人の思いを受け止め映してきた時間の積み重ねには、今にしてずっしりとした持ち重りを感じる。そして、そこに映された歴史、そこに関わった膨大な数の人たちが心に宿したものに思いを馳せるとき、映画祭自身が幾つもの記録や記憶を細胞にして生き続けている大きな物語のように感じられる。

 およそ30年前、上山市牧野でドキュメンタリー映画作家小川紳介は、田舎の映画青年たちを前に熱弁を振るっていた。劇映画とドキュメンタリーは車の両輪だ。劇映画だけが見られる時代は、決していい時代じゃない。君たちはもっとドキュメンタリー映画を見るべきだ。国際映画祭というチャンスを逃してはならない、行政や人任せにするなと。

 そして、青年たちも思った。

 映画は窓だ、自分以外に開かれた窓でありながら自分自身をも見つめているという不思議な窓。山形国際ドキュメンタリー映画祭の存在は、その窓の広がりに大きな可能性をもたらすだろう、世界中の人間の生きた実相が生々しい肌をキラキラと晒しながら私たちの窓辺に立つ。そして、何かを伝えることに人生をかけた世界の作り手たちと交わる現場をこの山形に創り出せるという幸福、それを一人の市民として支えようと。

 青っぽくて恥ずかしいが、当時この田舎の青年たちの心には間違いなくこの感覚が芽生えたし、その後に続く実動の原動力となっていく。

 彼らはやがて、全県下に呼びかけて、映画祭を支える市民ネットワークを急速に広げてゆく。小川さんがそこまで予想したかどうか知らいなが、面白がっているのは分かった。彼は悪戯っぽく言ったものだ。「俺はこうして、若い奴ら騙して映画作って来たんだよ」。青年たちも半分笑いながら、そうだろうなと納得していた。騙されて本望だと。

 1989年7月25日、蔵王温泉の宿で、「山形国際ドキュメンタリー映画祭ネットワーク」の発会式が行われた。映画祭の主催者である山形市関係者、実行委員会組織メンバー、専門性を備えた東京のスタッフたち、小川プロの面々、そして各地域から駆けつけた生意気な若者たちが一堂に会した。決起の記念にと、宿の窓と窓を繋ぐようにシネマスコープサイズのスクリーンをぶら下げて野外上映したのは、加藤泰監督の『ざ・鬼太鼓座』だった。ドキュメンタリーと劇映画の垣根など遥かに超えてしまっている映画という生々しい生き物の鼓動を全身に浴びながら、蔵王の夜空の下で、みな呆然と感じていたと思う。予想もつかない何かと出会える自由と不安と幸福感。

 その後、この映画祭は、映画を作る自由、発表する自由、見る自由が必ずしも保障されない世界をも映し出しながら、草創期前夜に田舎の青年たちが感じたあの自由と不安と幸福感を、開催の度ごとに、参加する多くの人たちにも与えてきたのではないだろうか。

 なぜこの映画祭が、この地にあるのか。奇跡のような偶然の積み重ねに加担し、面白がり、価値を見抜いてくれた多くの人たち、実行者、支援者、参加者の途切れることのなかった情熱が、歴史を超える必然をこの山形に作ってくれたと思っている。皆さん、よくぞ山形に、この祭りをもたらした。そして、続く。

 そんな、山形・映画の都を存分にお楽しみください!

認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
山形事務局長
 高橋卓也

 


魂たちへの唄に誘われ

 15回目を迎える2017年の映画祭も、世界各地から過去をみつめ、現在を照射し、未来を考える作品群がプログラムの枠をも飛び越え、呼応し合うラインナップと参加ゲストの方々を迎え開幕する。

 1989年の第1回映画祭のインターナショナル・コンペティションで上映された『100人の子供たちが列車を待っている』が今なお、映画教育の場でひとつの手引きとしても評価されているチリのイグナシオ・アグエロ監督、非西洋圏の映画研究を続けているブルガリア出身のディナ・ヨルダノヴァ氏、レバノン出身のアラブ女性監督として著名なジョスリーン・サアブ監督、数多のインド・ドキュメンタリーの撮影を手がけ、YIDFF '97で自身の監督作『魂たちへの歌』が上映された撮影監督ランジャン・パリット氏、様々な表現手法を取り入れながら映画の可能性を模索し続けている七里圭監督を審査員に迎えるインターナショナル・コンペティションでは、フレデリック・ワイズマン監督、原一男監督、ジョン・ジャンヴィト監督ら熟練監督の新作が並ぶ。アジア千波万波は、審査員にYIDFF '89アジア・シンポジウムにパネリストとして登壇したフィリピンのテディ・コー氏、YIDFF '97のアジア千波万波で『土の記憶』を上映した塩崎登史子監督の参加を得て、沖縄、北海道、韓国、中国、台湾、香港、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、インド、イラン、レバノンから、アジアの自在な耀きが拡がる。

 また映画祭のオープニングでは、実験映画作家の草分けとしてだけでなく、映画批評家、研究者としても日本映画界に多大な功績を残した松本俊夫監督が1968年に制作した『つぶれかかった右眼のために』の三面マルチ上映ほか中短編を上映する。貴重なミリタント・シネマを集めて上映する特集「政治と映画:パレスティナ・レバノン70s−80s」と重なる時代精神が浮き彫りになるだろう。

 ほかにも、YIDFF 2015のラテンアメリカ特集から連なり、現代アフリカとそこで生きる人々の姿に注目する「アフリカを/から観る」。小川紳介と親交を結び、アルプスの山奥などで撮影を続けたスイスの映画作家「フレディ・M・ムーラー特集」。「ヤマガタ・ラフカット!」から完成した『かえりみち』など、新作を紹介する「日本プログラム」。「ともにある Cinema with Us 2017」では、3年目となる震災アーカイブ事業や活用も探り、「やまがたと映画」は、山形と映画に関わる試みを、YIDFFとともに長年、歩みを進めてくれた佐藤真監督の回顧特集などから見据える。3回目となる「ヤマガタ・ラフカット!」は、初めてアジアからも参加者を募集し、日本とアジアの交差からラフカットという断片に託される映像の冒険を探る。特別招待作品の『標的の島』は、沖縄の最前線から日本を問う。

 新たな出会いや発見とともに、過去の映画祭に参加された監督やゲストたちとの楽しい再会が期待されるのもヤマガタの醍醐味だ。1989年のアジア・シンポジウムに参加し、その後映画祭に何度も足を運んでくれているロックスリーの特集(ロックスリーの館)を組む。また同シンポジウムで、オブザーバーとして発言された高木隆太郎プロデューサーを追悼し、『表現に力ありや』をクロージング上映する。映画祭に参加するみなさんが、映画祭という場で新たに生成される映画の中に生き続ける魂の声と出会い、それぞれの現場でまた生きていくための讃歌となるような時間を過ごせることを願っている。

 映画祭の開催は、たくさんの方々によるさまざまな形でのご支援、ご協力の上に成り立っております。みなさまに心より感謝申し上げます。

東京事務局長 濱治佳