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そしてAKIKOは… 〜あるダンサーの肖像〜

And Then Akiko Is . . . A Portrait of a Dancer

- 日本/2012/日本語/カラー/Blu-ray/120分

監督:羽田澄子 
撮影:宗田喜久松、河戸浩一郎
録音:滝澤修 
製作:工藤充 
配給:自由工房 www.jiyu-kobo.com

『AKIKO ―あるダンサーの肖像―』(1985)で、日本のモダン・ダンス界の第一人者アキコ・カンダを描いた羽田澄子監督は、2010年秋のリサイタルを機に、70代半ばを迎えたアキコをふたたび撮影し始める。だがアキコは、直後に癌を発症して入院、退院後も治療を受けながらダンスと向き合い続けるが、病院から通った翌年秋のリサイタルを終えて間もなく、生命を全うする。監督はアキコに寄り添い、時に童女のように無邪気なアキコと、ダンスに真摯に向き合う彼女の厳しい姿を、最後までフィルムに収めた。



-【監督のことば】この映画は、日本のモダン・ダンス界の第一人者、アキコ・カンダさんのドキュメンタリー。そして2012年10月で最後となった、第25回東京国際女性映画祭で上映された作品である。実はこれはアキコさんを撮った2本目の作品で、私は1985年に『AKIKO ―あるダンサーの肖像―』を作っている。1本目の作品は、この年に始まった東京国際映画祭の女性映画週間で上映されている、という不思議な縁を持つ。

 プロデューサーの工藤充とともに、アキコさんのダンススタジオを初めて訪ねた時、彼女の踊る姿に深く魅せられた。そこには宇宙のパワーとでも言えるような雰囲気が感じられた。そして彼女と言葉を交わした時、子どものような彼女のおしゃべりにも驚くことになった。彼女は私のことを「お母さん」、工藤のことを「お父さん」と呼ぶようになった。

 その後もアキコさんとの率直なお付き合いは続き、私は彼女の舞台は必ず観に行った。しかし2010年11月の公演に、工藤は体調を崩し行けなくなった。「舞台を記録してきてほしい」という彼の希望を、アキコさんは受け入れてくれた。ところが驚いたことに、公演が終わった翌日、アキコさんは入院してしまった。実は肺癌と診断されていたのだ。そこから2本目の映画作りが始まることになった。

 この作品を仕上げるのは辛い作業になった。編集で見直すどのカットにも彼女の率直な性格がそのまま表われている。2011年9月の最後の公演で踊っている姿は、目前に死が迫っているとは思えない。映画は当初の予想からは全く考えられない作品になったが、彼女の生涯を貫いていた、「ダンスは私にとっての哲学だったと言えたら最高に幸せね」という思いを表現した映画を作れたのではないかと思う。


- 羽田澄子

1926年、旧満州大連生まれ。記録映画作家。自由学園を卒業後、岩波映画製作所の創立とともに入社。写真文庫の編集を経て、記録映画の演出に携わる。初演出作品は、1957年の『村の婦人学級』。1977年に初の自主作品『薄墨の桜』を発表(YIDFF '95で上映)。1981年に岩波映画製作所を退社し、その後はフリーランスで記録映画を作り続ける。主な作品に、『早池峰の賦』(1982)、『AKIKO ―あるダンサーの肖像―』(1985)、『痴呆性老人の世界』(1986)、『安心して老いるために』(1990)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』(6部作、1991〜94)、『平塚らいてうの生涯』(2001)、『山中常盤』(2004、YIDFF 2005で上映)、『あの鷹巣町のその後』(2005〜06)、『嗚呼 満蒙開拓団』(2008)、『遙かなるふるさと ―旅順・大連―』(2011)など。YIDFF '99ではインターナショナル・コンペティション審査員、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 登仙の巻』を上映。