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未来の記憶のために
クリス・マルケルの旅と闘い


未来の記憶のために 港千尋
クリス・マルケル

特別企画:ザッピング・ヤマガタ
終わりに、そしてその始まりに。


未来の記憶のために

 ここではない、どこか遠くの土地から届く手紙。差出人は映画を作り、写真を撮り、小説を書き、架空のビデオゲームを考案するひとりの旅人だ。本特集は傑作『ラ・ジュテ』や『サン・ソレイユ』で知られるフランスの映画監督クリス・マルケルの60年に及ぶ創作活動の全貌に迫る、本格的なレトロスペクティヴである。1950年代初めにアラン・レネとともに短編ドキュメンタリー『彫像もまた死す』を製作した後、クリス・マルケルはヨーロッパからアジア、ラテンアメリカ、アフリカと、世界を旅しながら、通常の映画の枠を大きく超える、多様な表現を試みてきた。常識的な枠に分類することを嫌い、自作を解説することもしなかったマルケルだが、それらの作品群にいくつか共通する点がある。

 ひとつは旅人として訪れ、出会う人々へのシンパシーであり、権力に対抗する人々への作品製作を通した支援である。ベトナム戦争反対デモを取材した『ペンタゴン第六の面』は『ベトナムから遠く離れて』の共同製作に連なる、明らかな反戦の姿勢を示している。メドヴェトキン集団の結成とストライキやデモの取材、チリのサルバドール・アジェンデのインタビュー、マスメディアの流すニュースに対抗する「反情報マガジン」のシリーズなど、60年代から70年代の作品は、反権力闘争の姿勢に支えられている。1977年の長編『空気の底は赤い』はその総集編とも言えるだろう。

 ふたつめは映画と記憶をめぐる作品群である。『ラ・ジュテ』は、第三次世界大戦後に未来から過去へと送り込まれた男が主人公だが、その物語にはヒッチコックの『めまい』のストーリーがオーバーラップしている。『サン・ソレイユ』でも旅人の記憶の間に、彼自身が撮った映画の記憶が差し挟まれて、重層的な構造を作り上げている。黒澤明の『乱』製作現場を撮った『A.K. ドキュメント黒澤明』やアレクサンドル・メドヴェトキンへのオマージュ『アレクサンドルの墓:最後のボルシェヴィキ』は、マルケルによる映画論として見ることもできるだろう。

 映画を記憶のテクノロジーとして考察してきた点も、マルケルの一貫した姿勢である。活動の初期から雑誌、本、写真、ビデオとさまざまなメディアを使い、80年代後半からはマルチメディアを利用して、テクノロジーと記憶の変容を探求している。美術館でビデオ・インスタレーション作品やCD-ROM作品を発表するなど、映画館だけにとどまらない活動が始まるが、それらのなかで架空のビデオゲームのストーリーにして沖縄戦の記憶を扱った『レベル5』は、いまいちど日本がテーマになった作品として特筆される。2000年以降になると、パリの地下鉄のなかで写真を撮影したり、ネット上のオンラインゲームに「分身」として現れインタビューに答えるなど、文字通りの神出鬼没ぶりを発揮している。

-  日本にさまざまな足跡を残しているクリス・マルケルだが、その多彩なドキュメンタリー活動の全体に触れることで、旅人が描いた世界が、私たちが見慣れた地図とはまったく異なる姿として立ち現れるのを見ることになるだろう。

港千尋