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YIDFF 2023 アジア千波万波

平行世界
蕭美玲(シャオ・メイリン) 監督インタビュー

聞き手:馬渕愛

娘にはメイメイがいて、私にはカメラがある

馬渕愛(以下、馬渕):この作品は娘のエロディさんの成長を単なる時系列で描くのではなく、時間を行ったり来たりする構成になっています。物語が過去に遡り、そしたら今度は未来に行って、という繰り返しがありながら、全く唐突さがなく、むしろ人間の思考に沿った自然な構成になっていて、過去や未来のシーンが章立てのような構成になっていると感じました。そこにはどんな意図があるのでしょうか。

蕭美玲(シャオ・メイリン/以下、蕭):最初は、物語として、小さい頃から大きくなるまでのひとりの生い立ちを描くつもりはありませんでした。かなりたくさんの素材がありましたが、時系列でつなげるより、私が大事と感じる描きたいシーンだけカットして組み合わせました。でも小さい頃からいきなり成長したシーンにつなぐと矛盾を感じますから、観客が感情を共有できて違和感を感じないような工夫として、自分が娘の部屋で編集しているシーンを要所要所に挿入しました。結果的にそのシーンが軸となって、作品が映画として成立するようにしたわけです。

馬渕:まさにその、編集している蕭さんの後ろ姿のシーンが象徴するように、この作品は、エロディさんと蕭さんが見ている世界をじっくりと見せていきます。端折ることなく、その時間を大事にしていますね。かつ、ストーリーテリングとして観客を誘導するような意図がない。観客として作品を観ていると、エロディさんと蕭さんが見ている世界を見ているというより、“観客としての自分”が何を感じているか、を観察する時間になっている訳です。そういったことは制作中に意識していたんでしょうか? あるいは作品を観た人からそう言われることはありましたか。

蕭:最初から狙っていた訳ではなく、素材が本当に膨大にあったんですね。素材は1日10時間くらいかけて繰り返し観ました。その間、合理的にどういう風に編集していくかという事はすごく悩みました。最初はアスペルガーを中心に作りたいと思っていたんですが、だんだん変わってきて、やはり母親と娘の関係を中心に、絆だったり、繋がりだったりといったことを描きたいと思うようになりました。世界には自閉症やアスペルガーについての映画を撮っている監督は沢山いますよね。アスペルガーの苦しみは観客の目を引きますが、私の場合は、そういった素材が有り余るほどあり、娘の苦しみや辛さを見てきました。最終的に、そういった所はあえて最低限にして、自閉症やアスペルガーの子どもを持っている母親がどう接しているのか、といった所に眼を向けて撮るようになりました。また、アスペルガーを含む自閉症を持っている人たちは、あまり人と接触したくない、関わりたくない傾向があると思われがちですが、実はそうではなく、関わり方が分からないという場合が多いんですね。ですからこの映画を通して、そして娘の言葉や表現を通して、自閉症の人たちは、「友だちも作りたい」「周りの人に関わりたい」「理解されたい」という気持ちを持っていることを皆さんに伝えたかったんですね。自分の全てを曝け出して作品にすることはとても大変でしたが。

馬渕:過去のYIDFFで上映された蕭美玲さんの作品では、蕭さんはカメラの後ろにいたんですよね。今回はおっしゃるように、自分も被写体になっています。それは、途方に暮れながらもエロディさんに寄り添うために彼女の横に座る、そのためにレンズの前に座るという選択したのかな、と感じました。自分が被写体になることで、作品としてどんな影響があったのでしょうか。

蕭:撮影していてカメラの前にいないシーンもありますが、娘の感情が爆発している時はできるだけ横にいるようにしようと、最初から決めていました。

馬渕:この作品は、娘さんとの関係の中でカメラがとても重要な役割を担っています。蕭さんのカメラは、エロディにとってのメイメイ(お気に入りのぬいぐるみ)と同じ存在と言ってもよいのではないでしょうか。作品を観ていて、メイメイ、カメラ、そしてエロディさん、蕭さん、4つの存在を感じました。

蕭:撮影中はそこまで気づきませんでしたが、撮り終わってから同じ業界の友人に見せた時、「あなたにとってカメラがメイメイのような存在なんだね」と言われました。カメラはただの機械ではなく、私の話を聞いてくれたり、ずっと付き合ってくれているんです。ですから私にとってメイメイのような存在ですね。娘にはメイメイがいて、私にはカメラがある。

撮り続けることの意味、そして自身のルーツについて

馬渕:面白いですね。蕭さんの作品では、初期の頃から撮り続けることの意味をずっと問いてますよね。『落ちて行く凧』(1999、YIDFF 2001 アジア千波万波)では、冒頭のシーンから「撮影を続けるべきか」と問いています。蕭さんにとってカメラは単なる筆のような画材としての役割ではなく、何かもっと深い癒しの効果を求めているように思えます。

蕭:まさにその通りです。

馬渕:タイトルの『平行世界』、英語では“Parallel World ”ですが、様々な捉え方ができますね。台湾とフランスという文化や言葉が異なる世界。蕭さんとエロディさんが選んだ道、選ばなかった道。それから、映像に写っている世界と写ってない世界、つまり作品世界と現実世界というパラレルワールド。本当に色んな解釈ができて、興味深いタイトルです。どうやって思いついたんでしょうか?

蕭:午前中の取材でもこの話になりましたよ(笑)。おっしゃる通りですが、もうひとつ表現したかったのは、アスペルガー症候群の子どもたちが住んでいる星と、私たちが住む星があって、というふたつの星がある、タイトルにはそういった意味も込めました。彼らが住んでいる世界には私たちは入れなくて、向こうもこっちに入ってこられない、そういった平行世界があるということですね。

馬渕:では、映像について少しお伺いしたいんですが、『落ちて行く凧』では、水が印象的に写っていました。水辺の風景や霧や雨など、全体にとてもしっとりした映像でした。その後の『雲の彼方に』(2007、YIDFF 2007 アジア千波万波)や今回の『平行世界』では、現実を見つめる作品なので比較的ドライにはなっていますが、やはりどこか湿気を感じました。『平行世界』でも蕭さんが海辺でエロディさんに中継するシーンなど、水を感じさせるシーンがあり、水や湿気は、蕭さんの作品の大事な要素のような気がします。ご自身でもそういった要素に惹かれるんでしょうか。もしそうであれば、そういった映像に何を語らせたいのでしょうか。

蕭:そんな小さなシーンまで理解してくださってありがとうございます。特に雨や霧には、自分の気持ちや感情を託して皆さんに感じてもらいたいと思っています。アジア人には良くある感覚なのでしょうね。特に私は台湾の基隆市に住んでいて、とても雨が多いんですね。ですからフランスに留学していた頃も雨が降ると故郷が恋しくなることがありました。『平行世界』の海辺の中継シーンですが、娘がフランスに旅立つ前に、彼女にはここで中継するよ、と伝えてありました。そのシーンでは波の音を借りて、娘に会いたくて会えない寂しさや恋しさを表現したかったんです。また空も同じような要素として表現に使用しています。今回の映画では飛行機に乗っているシーンが何度も出てきます。窓越しの景色のショットも沢山使いました。私は台湾とフランスを行き来しているけど、台湾もフランスもなかったら私は一体どこに行けばいいんだろうって、飛行機の中ではそんなことも考えたりしていました。そういったことも含めて、自分の気持ちを雨や空に託していたんです。

馬渕:あと、蕭さんの作品の美しさは、映像の構図の美しさにも由来していると思います。どの作品も、構図の奥から登場人物がこちらと向こうを行ったり来たりと、奥行きを感じました。『平行世界』の海辺の中継シーンでも、蕭さんがショットの手前と奥を行き来しています。個人的に奥行きのある動きは見ていると気持ちが安定するのですが、蕭さんはそういう構図が好きなんでしょうか?

蕭:おそらく私の専攻と関係しているのでしょう。美術関係をずっとやっていたので、映画監督というよりその前に、芸術家と言って良いかわからないですが、撮影する時の距離感とか構図をすごく気にしています。編集もそういった所をすごく丁寧に心がけたところはあります。ずっと美術を専攻してきて、今は大学で教えています。

馬渕:今は何を教えていらっしゃるんですか。

蕭:映像も含めて教えていますが、基本的には美術系です。

一緒に歩みながら考えていく

馬渕:ではご自身についてお伺いします。蕭さんには、アーティスト、先生、母親といろんな顔を持っています。カメラがメイメイのような存在とおっしゃっていたけれど、作品を観ていると、撮影することで自分を保っているようにも見えました。アーティストであること、母親であること、それを両立することというのは、文化にもよりますが、母親に対する大きな社会的プレッシャーが存在します。『雲の彼方に』でも旦那さんに「カメラを止めろ」と言われるシーンが象徴しているなと思いました。日本でも、アーティストでいたいなら母親としてのタスクや役割をこなしてからアートをやれ、みたいな社会的プレッシャーがあるのです。台湾やフランスにもそういったプレッシャーがあるとすれば、どう対処しているのか、お聞きしたいです。

蕭:自分の役割に関しては、私の中で順番があります。娘の症状に気づいた時に、私の中ではまず、障害を持った子どもの母親であることを優先することにしました。続いて、学校で教鞭を取る、つまり仕事は辞められないので、教師であること。最後に映画監督、つまり芸術家であること、という順番を、自分で決めてきたんです。ですから今でも、社会的プレッシャーや他人の目線は気にしないようにはしています。でも映画祭の公式の場でこういった話をしたらプロではないと思われるかもしれませんね(笑)

馬渕:そんなことはないですよ!

蕭:つまり私は母親であることが最優先なんですね。でも女性が仕事をしながら子育てをする苦労は、世界共通ですね。

馬渕:この作品はエロティさんがフランスに旅立つ、つまり子どもを手放すということを描いていますけれども、作品を観る限り、蕭さんはずっと悩んでいます。これで良かったのではないか、他の選択肢があったのではないだろうか、と常に悩んでいるように見えました。でも、作品として答えを明確に出さないという姿勢に、私はとても安心しました。私自身も子どもを育てながら、本当は何が良いかなんて全くわかりません。これで良いと思っていても後から反省したり、反対に、後悔した行為が後から考えると良い選択だったと思えたりとか。悩みながら子どもと接しているご自身を真っ直ぐに描いていて、本当に共感しました。

蕭:実は、娘はいま台湾に帰ってきています。これ以上フランスにいたら、またひとりで閉じこもって変な方向に行ってしまいそうでした。映画でも描かれていますが、私と夫はずっと彼女を心配しています。私たちがいなくなったら、その後ひとりで生活していけるかと。これから先の道は全くわからない状態で、模索中というか、もう答えがない状況です。一緒に歩みながら考えていくしかないですね。

馬渕:ご家族の作品への反応はいかがですか。登場する皆さんは作品を観たのですか。

蕭:夫と娘には見せましたが、実は他の家族には、勇気がなくてまだ見せてないんです。まず娘ですが、編集したての映像を見せましたが、彼女は泣きながら見ていたんですね。自分がこうやって成長したんだということにまず感動してくれました。そして、彼女が好きではない、良くない、と思った部分は、彼女の意見を尊重して、私は迷わずカットしました。さらに娘は私を励ましてくれたんですね。台湾で映画を上映してくれる所があるから行ってみたら、なんてアドバイスまでくれるほどポジティブな反応でした。実は、夫の反応もポジティブでした。アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で上映した時に、他に沢山の上映オファーをいただいたのですが、私は断ったんですね。しかし夫はせっかく作ったのだから映画祭で上映するだけではもったいないと。作品を広く上映することに賛成という立場をとっていました。

馬渕:出演者として作品に対する責任感のようなものを感じているのでしょうか。エロディさんは制作者のひとりでもあるんですね。

蕭:そうだと思います(笑)

馬渕:次回作の予定はありますか。

蕭:この『平行世界』は2020年に編集が終わり、2022年にやっと完成しました。実際撮りたいことは沢山あります。娘が20歳になって大人になりかけて新しい悩みに直面しています。そこを撮りたいんですが、人に見せて良いかどうかということもあるので悩んでいるところですね。

馬渕:では最後に、メイメイさんから何か一言お願いします。

蕭(ぬいぐるみのメイメイ):エロディは山形に来ていますが、皆さんにお会いできなくて、私が代わりにきました。とても嬉しく思っています。山形に来られて良かったです。ありがとうございました。

採録・構成:馬渕愛

写真:福田真子/ビデオ:楠瀬かおり/通訳:蘇馨/2023-10-07

馬渕愛 Mabuchi Ai
東京都府中市在住。2007年より山形国際ドキュメンタリー映画祭スタッフとしてプログラムコーディネーターおよびゲストコーディネーターを務める。その傍ら、2018年から地元の府中市を拠点に、家庭で見つかった8mmフィルムのホームムービーを発掘し上映する活動を続けている。