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YIDFF 2015 インターナショナル・コンペティション
インターナショナル・コンペティション審査員
馮艶(フォン・イェン) 監督インタビュー

従来の手法を打ち破る。新たなドキュメンタリー映画とは


Q: 今年の映画祭の印象はいかがですか?

FY: 私にとって7度目のヤマガタですが、今年は特にレベルの高い作品が多く、映画を観て、とても幸せな気分になりました。今までの映画祭では伝統的な撮影手法、たとえばダイレクトシネマなどが使われていましたが、今年はそれが払拭され、ドキュメンタリー映画の新しい在り方が出現したという印象を受けました。

Q:ホース・マネー』についてお聞かせください。

FY: 『ホース・マネー』の大賞授賞には、審査員全員が納得しました。しかし、むしろ授賞しなくてもよいのではないか、2番、3番の賞ではかえって失礼なのではないか、という話も出ました。結果的には大賞となりましたが、ペドロ・コスタは賞で評価せずとも、類いまれなとても素晴らしい作家です。

Q: 『ホース・マネー』のどのような点を評価したのでしょう?

FY: 審査員長であるトム・アンダーセンさんの授賞式での講評がすべてです。哲学者のような人だけあってうまくまとめているな、と思いました。

 私はここ何年か、佐藤真さんの『ドキュメンタリー映画の地平 ― 世界を批判的に受けとめるために』という本を翻訳しています。翻訳していて思うのですが、監督出身の評論家は大抵同じことを言います。佐藤さんがトムさんと同じようなことをすでに言っているのです。

 その本の中では、「真実とフィクションの関係」が論じられています。『ヴァンダの部屋』のとき、ペドロ・コスタはまだ「真実とフィクションの関係」を極めていませんでした。しかし今回、彼は明確なかたちとスタイルと手法で、それを表現することを成し遂げました。とても素晴らしいことです。本当にすごい作品だと思いました。私が審査員を務める映画祭で、このような作品に出会えたことをとても嬉しく思います。

Q: 今年の映画祭は本当にレベルが高かったのですね。

FY: 本当に高かったと思います。アジア千波万波にもとてもいい作品があると聞いたのですが、観ることができませんでした。それから、ラテンアメリカ特集も上映していたのに、これも観られずに残念でした。

Q: ほかの作品を観る暇もなく、インターナショナル・コンペティションの作品をずっと観ていた、ということですか?

FY: みんなと一緒にインターナショナル・コンペティションの作品をずっと観ていました。大変でしたが、みんなと観ることができて良かったと感じています。もしひとりで観ていたら、公式カタログの紹介文に頼り、これはあまり面白くなさそう、とか、そんなにレベルが高くないだろう、とか判断ミスをしたかもしれないからです。

 しかし実際に観てみたら、こんなかたちで撮るのかとハッとさせられるものばかりでした。インターナショナル・コンペティションの作品は本当にレベルが高い。どの作品も素晴らしく、何回も観たいという映画ばかりでした。DVDが販売されているなら買いたい、と思うほどです。

Q: 一番印象に残っている作品はなんでしょう?

FY: 私はインターナショナル・コンペティションの作品しか観ていないのですが、『銀の水 ― シリア・セルフポートレート』が大好きです。冒頭に少年が虐待されている映像が何度も流れ、最初はちょっと尻込みをしました。多分、監督が強調したいと思ったからなのですが、あれは強烈過ぎましたね。

 でも観ていくうちに感情移入して、いつの間にか、涙が止まらなくなっていました。映画が好きで将来は映画作家になりたい男の子が死ぬ、という場面が記憶に残っています。確か、死ぬ前の言葉は「固定アングルで撮りなさい」というニュアンスを含んだものだったと思いますが、そこで感極まりましたね。

 この作品はともすれば、スクープ映像のようなジャーナリスティックなものになりかねません。シリアで起こっていることはあまりにも悲惨で、その事実だけが人の目を奪いがちになる。でも、そうならないようにうまく構成していて、人の“心”に訴えるものになっています。私はそこにとても感心しました。

 満足な機材も設備もない中で、どうやって撮影するのか。街は銃弾が飛び交い大変危険で、自由に撮ることができないので、ずっと隠れたまま撮るスタイルです。終盤になっていくにつれ、自由に撮りたいけど撮れないと葛藤する気持ちが高まっていきます。しかし最後に、男の子が歩いている姿をロングショットで撮っているのですが、そこに葛藤の昇華が表れていて、観ている私まで心がすっきりしました。そのような撮影の表現手法にも感動した作品でした。

Q: 最初は観客として、次は監督として、今年は審査員として映画祭に参加されました。その道のりをどう思いますか?

FY: 仕組まれたなという感じです。山形は私に初乳を飲ませ育ててくれた、母親みたいな存在だと思っています。最初の参加のきっかけは、私にとって大事な人が誘ってくれたことです。今、私がここにいるのも、彼のおかげですね。

 1、2回目は観客として来て、そこで出会った映画が私にとても大きな影響を与えました。小川紳介さんの本も私に力を与え、自分でも映画を撮るようになりました。1997年には、初めての作品が山形で上映されました。その時のことで、今でも鮮明に覚えていることがあります。

 私の山形入りは混乱のさなかでした。応募した自分の作品が、まさか審査に通るとは思っていなかったからです。そんななか、事務所で受け付けの手続きをしていたら、背後に温かい眼差しを感じました。振り返ると、そこには藤岡朝子さんの姿があり、藤岡さんは笑顔で私を見つめていました。その行為がとても温かく、当時新人監督だった私にとって、本当に忘れられない思い出となりました。

Q: 今後も審査員をやりたいですか?

FY: いえ、やりたくはありません。次は、自分の作品を持って、作り手として参加したい。選んでもらえるかどうかはわかりませんが、頑張るしかないですね。

(採録・構成:狩野萌)

インタビュアー:狩野萌、平井萌菜
写真撮影:黄木可也子/ビデオ撮影:黄木可也子/2015-10-15